ザ・チェーン 連鎖誘拐
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設定に無理があり過ぎる。「子供を誘拐された親が他人の子供を誘拐する。これを続けること。それがチェーンの指示」そんなことできるわけがない。それが途中で途切れないように素人(被害者兼加害者)が他人の素性を探る。信用できるか(この場合、口が堅いかどうか)どうか、誘拐をやり遂げる実行力・行動力があるかどうか、警察やマスコミに話さないかどうか。家庭環境、就職状況、経済環境、性格、病状などなど。調べられるわけがない。物語ではSNSで調べてましたが、噴飯ものではないでしょうか。ペイフォワードの悪い版かな?物語に少しでもリアリティを求める人には不向きです。 | ||||
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アメリカの中規模の地方都市で、アメリカ人ならやるかもしれない設定だよね。つまるところ、その設定を受け入れられるか否かで、この作品を楽しめるかどうかが決まる。描くというか、視点を変えれば、この双子の救出劇(?)部分を膨らませた方がよっぽどドラマとしては秀逸になる気がした。なんとも後味の悪い犯罪モノだからかなあ? | ||||
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犯罪の中で最も難しいといわれる誘拐を連鎖発生させるなんて、無理な話だなという先入感を持って読んだら、うまく構成されていて、すらすら読了。ジョン・ダフィー・シリーズとは全く違う作風に挑戦したのが成功したようで、一昨日(10月16日)にマッキャヴィティー賞の本年度のBest Mystery賞を受賞した由。おめでとう。でも、上巻218ページの「リボルバーの安全装置をはずし…」と下巻35ページの「…安全装置ををかけなおすと…」などの初歩的な間違いは、困る。リボルバーに安全装置はない。Michael Newton が”ARMED and DANGEROUS: a writer'guide to weapons" (1990)という本のなかで、拳銃の詳細にこうるさい読者は何万人もいますよと警告している。 | ||||
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子どものころ流行ったチェーン・メールのように、子どもを誘拐された親が自分の子どもを取り返すために次々と他人の子どもを誘拐していく……という話で、2部構成になっています。第1部で母親が娘を取り返し、第2部で犯人を探す。第1部は章題に「何曜日何時何分」と表記されていて、誘拐した側とされた側の行動を時間とともに追っていきます。TVドラマの「24」みたいでハラハラドキドキして面白いなと思いながら読んでいくと、後半では章題がなくなってしまいます。第2部にも章題をつけていたら、もっと面白く感じた気がします。また、第1部でも途中でエピソードがポッカリ抜けて話が飛ぶところがあります。読んでいていきなり時間と場面が飛ぶので「えっ?!」と面食らいますが、書くのが面倒になってしまったんですかね。残念です。でも、それを差し引いても面白い話でした。 | ||||
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いろいろな意味で表題のシステム、「ザ・チェーン」の設定がすごい。 基本的には不幸の手紙と最近の韓国の「脅迫ポルノ」の手法を組み合わせたようなもので、誘拐された子供の解放のための条件に仮想通貨での身代金だけではなく被害者に別人の子を誘拐させることを加え、次の被害者の支払いが完了した時点で初めて解放するというもの。本人が警察に通報するなどの反抗をした場合だけでなく、次順の被害者が問題を起こしても子供は帰ってこない。その場合、被害者は誘拐した子供を殺し、タイムリミットまでに別の子供を誘拐しなければならない・・・・ 誘拐という犯罪には致命的な欠点が2つある、ということはミステリファンなら自明のことだろう。 ・身代金の受け渡し ・子供の処分。解放すれば犯人の身体的特徴など、重大な情報がばれる。 致命的とまでは言えないが、被害者に当局に通報させないというのも頭の痛いところだ。 ”チェーン”は最初の数件の誘拐が成功すればこれらの条件を無効にできる。 外部との接点となる部分をすべて「被害者」にさせることでシステムの管理者は直接手を汚さないですむ。組織を介さないので糸をたぐられてイモズル式に挙げられる、という心配もない。被害者は子供を取り返したければ共犯者・・・というより加害者になるしかないので「次の誘拐」が実行されれば警察への通報が不可能になる。経済的モデルとしての”チェーン”はネズミ講同様どこかで継続限界を迎えるが、それも最初から織り込み済みだ。ただ管理者が証拠を消して姿を隠せばいいだけである。 物語は最愛の娘を誘拐された母親レイチェルの視点で進むが、”チェーン”の冷酷な合理性がのしかかるドラマは圧倒的なサスペンスである。あるのだが・・・どうにも胸がザワつく、というか居心地が悪い。 自分が彼女の立場に置かれたら・・・・と考えても、”チェーン”の要求に「それはできない」と思えてしまうのだ。 以前、ケント・ギルバートが日本人とアメリカ人ではルールに対する感覚がまるで違う、と分析していたのを思い出した。 「日本人はルールの中で行動を選択するのが当然と考える。アメリカ人は個人の選択は何をしようが完全に自由と考え、ただ禁止事項についてはそのルールが正当で有効なものならしない」 というのだ。 ”チェーン”は禁止事項を無効なものにする、と言っていいだろう。だが・・・・ 個人にとっての絶対的な価値のためなら完全な悪・・・赤の他人の子供を誘拐し、時には殺す・・・を行うことは正当化できるのか?人間はかって神やイデオロギー、民族自決といった「絶対的な価値」のために取り返しのつかない愚行を行ってきた。「親子愛」のためならそれは許されるのか?「個人の選択の自由」はそこまで完全であるべきなのか? そう考え「我が子の命のためといえどもそんなことは絶対しない」と言い切れるならカッコいいのだが、あいにく私はそこまで立派な人間ではない。実際にこんな事態になったら見苦しく思いまどい、七転八倒したあげく監視されているのを承知で「多分大丈夫だ」と根拠のない楽観で自分を納得させて警察に通報するか、あえなく時間切れになってしまって最悪の事態を迎えることだろう。 「しない」ではなくただ「できない」だけの日本人、ということか。 脅迫があったその日のうちに誘拐の準備にかかってしまう、という主人公の決意にどうしても感情移入できないのはそれが理由だ。 物語としての面白さは抜群なのだが、コロナのパンデミックで社会の紐帯が溶けかかっている今は特に注意が必要かもしれません。ですが、自分の「許容度」がどのくらいなのか確認するという意味合いならおすすめできます。 | ||||
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