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嘘と正典
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嘘と正典の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.23pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全22件 1~20 1/2ページ
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時間にまつわるSF6編を収めた短編集。いずれも高度な理論を用いて丁寧に構築されている印象で、それでいて難解なこともなく、読み手をグイグイと引き込んでいきます。物理学に疎い評者には物語内に出てくる理論がきちんと科学考証されているか判断つきませんが、そのあたりは著者の東京大学大学院総合文化研究科博士課程というバックグラウンドを信頼することにします。どの短編も面白かったのですが、やはり表題作である『嘘と聖典』は共産主義という人類史に残る壮大な実験をなかったことにしようというプロットが非常にスリリングでした。エンゲルスの件は歴史的事実としても正しいようで学びにもなりました。著者の他の本も読んでみたいと思わされました。 | ||||
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冒頭の「魔術師」と最後の「嘘と正典」は傑作。他の4作は凡作だった。少なくとも自分にとっては。 以下ネタバレ。 「魔術師」 リーダビリティとミステリがSFに反転する結末は見事。「結局トリックは?」という消化不良感お補って余りある魅力に溢れている。 「ひとすじの光」 何が面白いのかわからない。競馬好きかゲームのダビスタやった人じゃないと興味を持てないのでは? 「時の扉」 メッセージ性の強さはひしひしと伝わるが、メッセージそのものが不明。なぜ突然ヒトラー?双子と妻が死んだのはヒトラーのせい? 「ムジカ・ムンダーナ」 発想は良いのだろうが意味不明。「ダイガ」って結局、主人公の名前とたまたま一致していただけってこと? 「最後の不良」 こういう文化史系のスラップスティックはしらける。 「嘘と正典」 掛け値なしの傑作。ホーガン作「未来からのホットライン」と双璧をなす時間遡行SF。 | ||||
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本ですから良いも悪いもありませんが、そのまんまです。 | ||||
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タイムスリップして満州にいる気持ちになる面白く小説。 | ||||
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記憶にございません、で過去を改竄できる身分にいる人には関係のない話。 楽曲を通貨や財産として扱う。物語であれば、それができる。 次のお話も読みたい。読めばいい。 | ||||
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あとがきにあるようにテッド・チャンへのリスペクトが感じられる。小説がうまいわけではない。ケレンがない。でも乾燥した筆致は好感も持てる。でもせっかくの短編集なら一貫したテーマ(今回なら歴史改編)や、全く違うテーマで書くべき、中途半端に歴史改編に片寄っているのはやや残念。 | ||||
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「嘘と正典」。登場するギミック・人物・時代設定含めて冷戦スパイ長編が書けそうなところ、あえての短編。あえての静謐な結末。暑苦しくなりすぎず、クールに突き放しすぎる感じもない絶妙なバランスの筆致だと思います。 表題作のほか、「魔術師」「ムジカ・ムンダーナ」も良かった。ファンになりました。 | ||||
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直木賞受賞の話を聞き文庫本でどんな人が書いているのか知りたくて手を取りました。予想を超える面白さです。読み終わった後も何個かの話は記憶に残りSFの面白さを久しぶりに感じれました。オススメです。 | ||||
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ミステリーを読み慣れてないので難しかった。 今度は長編を読みたいと感じさせられた。 情景描写は秀逸で、タイムトラベルしたような感覚を抱ける。 | ||||
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「ゲームの王国」や「拳と地図」の評判がすごく良さそうなので、とりあえず読んでみるかと手に取った。 私のレベルではたしかに面白い。けどSFマニア、ミステリーファンを唸らせるところ作品なのかというと、まだそこまでではないのかなと思う。「嘘と正典」はわくわくした、「魔術師」は作者の可能性、才気を感じさせてくれた。文章もうまいし、知性も感じさせる。けどまだ発展途上かな。これからどんどん面白い作品を書いてくれるだろうと期待値は高まります。 自分のこの感想が果たして妥当なのか気になって、「このミス」での順位を確認したら、2020年度「嘘と正典」は23位、38点。まあ、そんなとこだよね、と納得。SFっぽいの不利だとは思うけど。 他の作品も読んで、やっぱりすごいね言ってみたいと思いました。 | ||||
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小川哲長編2作目の『ゲームの王国』は悶絶しそうなくらいの傑作で、本当痺れましたね。 『ゲームの王国』は、私の中では日本三大SF小説の一つ(ちなみにあと二つは小松左京『日本沈没』、東山彰『ブラックライダー』です。そちらもレビューしてます。)として燦然と輝く作品です。 そんな著者による初の短編集が本作。 冒頭の『魔術師』のみは先行的に電子図書で無料で読んでいたので、他作品も同じような雰囲気を持つ作品が並ぶのかと思っていたところ、えっ?これもSFマガジンで発表された作品なの?と思ってしまうような、SFの概念を一気に拡大したような、新しい波が来たとの印象を持ちます。 『魔術師』に続く『ひとすじの光』や『ムジカ・ムンダーナ』などは、純文学雑誌に掲載されていても違和感がない父と子の物語です。 『ひとすじの光』ではサラブレット馬の系譜をたどる、『ムジカ・ムンダーナ』では聞いたことのない音楽の源を探すといった、謎を解き明かすミステリチックな展開もあり、いずれもユニークな作品です。 本書ラストを飾る表題作『嘘と正典』は、これぞ時間物SFの醍醐味といった歴史改変物語で読み応えがあります。 著者小川哲のデビュー作『ユートロニカのこちら側』も後引く読後感のあるユニークな作品でしたが、次にどんな作品を発表するのか、本当に楽しみな作家の一人となりました。 | ||||
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嘘と正典: 無理のない展開(飛躍がない)でありながら、着想の大胆さ(スケール、面白さ)があり、文句のつけようがない。 冷めた文体のようで、底からは、熱いものが沸き上がる。 他短編: 気楽に、楽しめる。 | ||||
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初めての作家の初めての作品を読了。6つの短編からなり、冒頭の魔術師やひとすじの光から始まり、それ以降は、段々、難しくなり、最後の書き下ろしは、よく分からないSFだった。 | ||||
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気に入ったのは、「魔術師」、「ひとすじの光」、「時の扉」、「ムジカ・ムンダーナ」かな。 「魔術師」はタイムマシンが気になって仕方がない。 「時の扉」は読み始めはテッド・チャンの「商人と錬金術師の門」的かと思ったらすごいところへ持っていかれた。 | ||||
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. 小川哲の作品を読むのは、本書が初めてなので、現時点の代表作であろう長編『ゲームの王国』などと比較することは出来ないが、本作品集を読むかぎりにおいては、予想していたよりもずっとクセの無い、とても親しみやすい作風であった。 また、短編集なので、個々の作品に圧倒されるほどの力は無いものの、たぶん見落とされがちであろうこの作家の個性として、私が指摘しておきたいのは、「古き良きSF」にも似た、その「ロマンティシズム」である。 本書は、帯の惹句にあるとおり『「歴史」と「時間」についての作品集。』なのだが、問題は「歴史」や「時間」というものを、作者がどのようなものとして捉えているか、あるいは、どのようなものとして「感じているか」という点だろう。 「歴史」SFや「時間」SFを書く作家は大勢いるから、それ自体が問題なのではない。その作家が、そうしたテーマに何を見ており、何を描こうとしているのか、が問題なのだと思う。 そして、そうした観点からすれば、本書の著者・小川哲が「歴史」や「時間」というものに見ているのは、科学的な興味でもなければ、いま現在の問題を照らす為のもの(道具)でもなく、もっと「気分的」なもののように思える。 こう書くと、「科学的思考」が自慢のSFの世界では、なんだか歯ごたえがない作風であるかのように、否定的に捉えられそうだが、私は小川のそれを、肯定的好意的に捉えている。 たとえば、冒頭の短編「魔術師」は、ある意味でたいへん「懐かしい」感じのする作品で、梶尾真治あたりが書いていたとしても、まったく不自然ではない作品で、そこには良い意味での「そこはかとない叙情性」がある。 こうした「わざとらしくない叙情性」というものは、「文体」を持った作家にしか書けないもので、SF作家である以前に、作家としてたいへん重要な資質だと、私はそれを高く評価したい。小説というものは、「記述内容」だけではなく、「文体」によっても語られるものだからである。 それにしても、小川の「歴史」や「時間」にたいする態度とは、どういうものなのだろうか。 私が思うに、小川のそれは、私たちが持つものとまったく違わない、ごくオーソドックスなものだと思う。つまり、私の生きる「いまここ」は、それとして「独立したもの」ではなく、ここに至るまでの「今は無き過去」が「歴史」として連綿と続いてきた結果としてあるわけなのだが、それを「不思議」だと感じる感性である。 これを「そんなの当たり前じゃないか」と感じる人には、「歴史におけるif」は、完全に「無意味」だということになるのだろうが、まともな人間にとっては、やはり「過去」や「歴史」や「時間」というものは、理屈ではわかっていても、決して体験できないものだからこそ、永遠の「不思議」であるはずなのだ。 自身の加齢やそれにともなう体力視力の低下や、自分が死んだ親と同じ年齢になったりすることが「時間」を感じさせたり、子供の頃には「明治維新といえば、歴史の彼方の事件」だと感じられていたのが、五十歳もすぎれば「たった150年ほど前の話か」と感じられて、今との連続性が強く感じられるようになる、といったことはあるだろう。しかし、誰も「過去」や「歴史」や「時間」そのものを「その目で見る」ことはできないのだから、前述のような「間接的体験」において「過去」や「歴史」や「時間」を感じるようになったらなったで、やはり私たちは「過去」や「歴史」や「時間」を、あらためて「不思議」だと感じてしまうのではないだろうか。 そして、そうした「当たり前の感性」が、本書の著者である小川哲には、活き活きと生き続けており、だからこそ彼は「過去」や「歴史」や「時間」をテーマにした作品を書いたり、テーマにしようと殊更に考えなくても、結果として、そうした感性が作品に反映されるということなのではないだろうか。 未読の『ゲームの王国』は、ポル・ポトを扱っているらしいので「歴史SF」の一種だろうが、『ユートロニカのこちら側』の方は、どうやら「未来」を扱った作品のようだ。 しかし「未来」というのも無論、「過去」に対応して「時間」や「歴史」に関するテーマなのだから、けっしてここでの指摘と無関係ではないだろう。 小川哲の『「歴史」と「時間」についての作品』は、それが「過去」を描いたものであろうと、「未来」を描いたものであろうと、あるいは「今」を描いたものであろうとも、どこかで「歴史」や「時間」という「自分の力では、手の付けられない何か、変えられない何か」として描かれているのではないだろうか。 そしてそこには、この作家特有の「静かな諦観(としての超時間性)」をともなった「SF的な叙情性」があるように、私には感じられたのである。 . | ||||
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ある程度面白い | ||||
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表題作の他、「魔術師」、「ひとすじの光」、「時の扉」、「ムジカ・ムンダーナ」及び「最後の不良」の全6つの短編から構成される短編集。 「魔術師」は魔術師一家の凄まじい執念と愛憎をSF的設定を交えながら描いた短編で、読んでいて眩惑された。「ひとすじの光」は競走馬の血統と父から子(作者自身らしい)への想いを重ね合わせた短編だが、私小説めいている上にやや発想が凡庸か。「時の扉」は王に対してある男が<時の扉>(「魔術師」のSF的設定類似)という過去を改竄出来る"概念"を用いた3つの話を語るという「千夜一夜」風の短編だが、全体として、王(=ヒトラー)に対する男(=ユダヤ人の金貸し)の復讐譚になっているという構成に工夫を凝らした短編。「ムジカ・ムンダーナ」とは「人間の耳には聴こえない宇宙に鳴り響いている音楽」の事。作曲家である父から不仲の主人公(大河=フィリピン語で宇宙の意)へと繋がれた曲を中心に、天文学の話を交えながら、主人公が「宇宙の音楽」の存在を証明して、父との関係の清算を決意する姿を描いた壮大な短編。「最後の不良」は流行を許さない近未来社会で一人暴走する男を描いた短編で、個性という価値観を問うたものだが思想に走り過ぎた感がある。掉尾の表題作は中編と言って良い長さで、東西冷戦を背景に、エンゲルスの裁判シ-ンから始まり、共産主義の誕生は偶然か必然かの議論、CIAとKGBの抗争後、旧ソ連の"反体制"の技術者が発明した時空間通信によって、冒頭に戻って証人がエンゲルスの無罪を偽証してしまう(共産主義が生まれてしまう)という皮肉を描いた力作。 親子関係を扱った短編が多いが、各短編毎に題材の工夫が窺えて楽しめた。SF的設定は作品の潤滑油になっているのだろう。今後も期待が持てる作家だと思った。 | ||||
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タイムスリップを共通のテーマにした短編集だからSFにカテゴライズされるんだけど、本の題にもなっている「嘘と正典」も含め、いくつかの短編は読み返さないと、理解できないものもある。 決して難読なわけではなく、どちらかというと丁寧に書かれているのだけど、扱っているテーマによっては、ミステリー的な要素もあって、頭を整理しながら読まないといけない。 そういう意味で、評価がわかれてしまう本かもしれない。 | ||||
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「魔術師」「ムジカ・ムンダーナ」の、大きな虚構世界を細かな事実で組み立てていく手法にほれぼれした。 「ひとすじの光」の、実在のサラブレッドたちをめぐる小宇宙も美しかった。あまりに読後感が良かったので、この作家の前の作品にさかのぼって読むことにする。この作家に出会わせてくれてどうもありがとう。 | ||||
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「最後の不良」から読む。不良は大人の既成価値観の押しつけへの抵抗である。尾崎豊の歌がそうだったように。ミリタリールック(特攻服)も自分だけが着ていれば、個性になるが、皆が真似して流行(ファッション)になると没個性的になる。個性→流行(真似)→没個性の繰り返しである。この循環こそがファッション(流行)なのだ。その無意味さを気づかせてくれる内容だ。とても面白く読んだ。差異化も皆が差異化を求めれば、消滅する。デリダもドゥルーズも流行すれば、魅力を喪失してしまうのだ。本書はまさに脱構築的・差延的なSF短編集である。ポスト構造主義のSFだ。こういうSFがあってもよい。したがって、本書も流行すれば魅力を失うかもしれない(笑い)。 お勧めの一冊だ。 | ||||
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