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まほり
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まほりの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.69pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全49件 21~40 2/3ページ
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最後でどかーんと来ました。 何となくは解ってはいたんですが。。 座布団5枚差し上げます! 早く図書館の魔女の続きが読みたいです。 | ||||
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民俗学ミステリーとのことで期待したものの期待外れ。 本筋のストーリー200p、学術知識や資料の集め方、データの整理方法300p。 一体何を読まされているのか。小説を買ったはずですが。。。 一見ムダに思える記述もストーリーの伏線なのかと真面目に読んでみたものの全く関係なし。 膨大な知識量を扱う作家といえば京極夏彦氏や三津田信三氏が想起されるが、両氏の作品はあくまでもストーリーが主体。しかも語られる学術知識は事件に対して重要なファクターとなっている。 本作のような知識>ストーリーな作品は小説である以上、「こんなに知識豊富なオレすげー」的な自己満足本といった印象を持ってしまいます。 | ||||
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※以下多少のネタバレを含みます 「京極堂をはじめて読んだ時と同じ衝撃を味わった」「百鬼夜行シリーズ好きな人におすすめ」とのレビューを見て購入しました。 結論から言えば、百鬼夜行シリーズをはじめて読んだ時ほどの衝撃を私は感じませんでしたし期待はずれでした。 タイトルにもなっている「まほり」の由来を割と序盤で察することができるのがひとつの原因だと思います。 なので読んでる側としては大体察しがついている「まほり」の意味に主人公が気付くまで冗長な史料解読を延々と読ませられます。これが正直苦痛でした。 主人公があれだけ作中でデータがデータがと繰り返していたのに、最初に「まほり」の由来だと思った間引きの隠語である「芋掘り」という言葉が実際にこの地域で使われていたのかすら調べないのはどうなんですかね。院を目指している優秀な学生という設定なら尚更。 洞から出てきた子供に眼球が無かったという古文書の記述になんの関心も違和感も持たないのも不自然だと思います。普通そんな記述があったらそこに引っかかると思うのですが…… これは私が浅学なのもありますが、作中に出てくる言葉が「借問、規矩準縄、濫觴、浩瀚」など普段あまり使わないようなものが多く、もう少し平易な単語に置き換えてくれた方が話に入り込めたと思います。 それと、余計な描写が多いように感じました。主人公が集めた史料をパソコンにどのように纏めているかなんて読み手としてはそこまで詳しく知りたいことではないですし特に物語上重要なわけでもなかったので、そこを詳細に書くならもっと物語上で鍵となる主人公の母親の事や巫女の少女の事を描写してほしかったです。特に母親に関しては主人公がこの調査をはじめるに至ったきっかけともいえる存在なのに、後半ほぼ母親に対する言及がなく最後に急に話に出てきて終わりだったのが残念でした。 主人公の母はどういう経緯で父と出会ったのか、巫女の少女の出自、あの儀式を終えた巫女は村でどのように過ごすのか、過去の巫女たちはどうなったのかなど、読んでいて1番知りたいと思った事がほぼ謎のままなのはどうかと思います。 最後の少女救出シーンも主人公が少しかじった程度の法律知識で村人たちをやり込めるという方法で少々肩透かしを食らいました。残酷な儀式を現在まで続けているのにちょっと法律を持ち出されたら何も言い返せなくなって主人公たちを開放する村人たちっておかしくないですか? 現代社会において非人道的といえる儀式を行う理由をもっと村人たちの口から直接聞きたかったです。主人公が法律知識ベラベラ喋ってただけなので京極堂の憑き物落としの時のようにカタルシスを感じることもないですし…… あと、主人公の恋愛パートは別にいらなかったと思います。自然な流れならよかったのですが急に恋愛描写がねじ込まれて読んでいて不自然に感じました。 全体的にストーリーに緩急がなく、主人公はほぼずっと史料集め、もう1人の主人公である中学生が冒険パート担当って感じで続いて特に大きな山場もなく終わります。 ネットでよく見るいわゆる洒落怖的な話を豊富な語彙と史料でそれらしく見せているだけという印象。作者の知識をひけらかすためにここまで長編になっただけ。 百鬼夜行シリーズを読んだ時の様な、全てのピースがラストの京極堂の語りで綺麗にはまるあの感覚がまた味わいたかったのですが、それを期待して読むと少々期待はずれだと思います。 | ||||
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社会学者を目指して院試を控える勝山裕は大学で学問一筋の朴念仁。ゼミの飲み会でひょんなことから話題に出た蛇の目(二重丸)が故郷に近い場所に伝わる伝承と知り、専門外の民俗学的調査に乗り出す・・・というストーリーです。 前半は学術研究の方法論や資料に向かう際のスタンスなどで、話が大きく動き出すのは半ばあたりからです。 裕は二人の学芸員と幼なじみで図書館司書の香織の助けを得て集めた資料から浮かび上がってきたものは・・・かなりおどろおどろしいホラーです。ぞくぞくします。 淳少年と裕の探索が交錯し、淳の両親から香織との関係を問われて、「そ、その件につきましてはー関係各所との折衝の上追ってお返事申し上げます」の答弁はホラーの中で爽やかな箸休めになっています。香織が作ってくるおむすびの美味しそうなこと。 香織の献身的な協力(文書読解と車の運転)で迫る真相。 ラストで明かされる裕の熱意と動機の源。 人に薦めるのは躊躇われますが、一人でこっそり楽しみたい類いの小説です。 漢字の熟語や専門用語が気になる読者さまは読みにくいかもしれません。 出典の明記された資料が多数出てきますが、これらもフィクションなんでしょうか? | ||||
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どんでん返しを期待して、最後まで読みましたが、かなり無理して読み続ける必要がありました。そして、その努力は残念ながら報われませんでした。 不満を覚えた点は、下記のようにいくつもありました。 - 物語を引っ張る要素が散漫で魅力も乏しい。(二重丸の札の由来、少年が山中で出会った少女の謎、主人公の出自、山村に伝わる因習など、それらしき要素は出てきますが、どれも中途半端です) - 起承転結が無く、物語が単調な割りに長い。 - 3人の視点人物を切り替えながら、三人称で記述しているが、切り替えが分かり難い。さらに行動の背景などを説明するために、視点人物以外の地の文を使う場合も多く、唐突な説明が入るため、ストーリーが分断されたような印象を受ける - 基本的に過去形を使って記述しているが、ところどころ現在形の記述が混じり、読んでいて違和感を感じる - 文献等のコピーがいくつも挿入される章があるかと思えば、同じような文献、碑文などの史料を扱っている他の章では一切ないなど、全体的な統一感に欠ける 古くからの因習とか、まじない、伝承といったモチーフを使った小説はたくさんありますが、残念ながら本書は、作者の書きたいことと、作者の書けたことの乖離が大きかったように思います。 | ||||
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これは凄い。 個人的にはここ40年で、『占星術殺人事件』、『姑獲鳥の夏』と並ぶ衝撃を受けました。 面白い本はほかにも腐るほどありましたが、エポックメイキング的な意味で凄かったです。 読む人を選ぶ本でしょうが、ハマる人はハマるでしょう。 | ||||
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初めての作家の初めての作品を読了。民俗学、社会学、歴史等の知識のオンパレードであり、ミステリー小説の要素がほぼゼロ。約500ページの長編小説であるが、最初と最後の合計100ページだけで十分で、エコを無視した紙の無駄遣い。紹介した資料が正しいものであれば、ミステリー小説にせず、社会学の本として出版すれば良いだけ。 | ||||
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題材的にはものすごく好きな部類でしたが、とにかく色々説明が長くて回りくどいし要らないやり取りもかなりあって途中で何度も挫折しそうになった。 しかし、好きな人はものすごく読み応えがあると思う そして、読了してもどうも消化不良の部分が多くて、無駄に長くするな両親の出自や少女のもっと掘り下げた説明をきちんとしてほしかった。 文章も読みにくいし実際は半分ほどのページで事足りるのではないかと思ってしまった | ||||
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神仏習合を初めとする神仏(宗教)に関する作者の薀蓄が多くて、本作のテーマが良く掴み難いが、概ね、以下の様に物語は進む。主人公は不思議な和装の少女の振る舞いを目撃した疎開少年の淳と、琴平と記す金毘羅伝説(二重丸(蛇の目)の札貼り伝承)に興味を持つ社会学専攻の大学生の裕。裕の亡母は戸籍を持っていなかったという謎を持つが、旧姓は琴平または毛利と言うらしい。群馬県に帰郷した裕は神楽で淳とすれ違うので、2人の生活空間は近接している。裕は伝承の通りに山道を歩くが、天明大飢饉の際の食人・間引きに辿り着く。 しかし、飢饉の際の食人・間引きの話は全国各地の農村にあった筈なので、ワザワザ本作のテーマとする謂われがない上に、和装の少女や裕の亡母との関係はどうなっているのか ? 裕は更に山村の探索を続け、毛利神社(廃社)を発見し、「琴平=水神、毛利=竜神」とする。裕が巣守郷という集落から追い出された時、やっと淳と出会う。淳は和装の少女が"蛇の目"の紋の下駄を履いていたと言った上で、少女が巣守郷で監禁されていると言う。ここまで読むと、巣守郷は毛利神社を信奉する周囲と隔絶した(された)ほぼ廃村の禁忌の集落で、裕の亡母も巣守郷出身ではないかと思う。更に、裕は文献を調べて、「毛利」の古い読みが「めほり」あるいは「まほり」であった事を突き止める。少女は巣守郷の巫女候補あるいは生贄であろう。「毛利」が「めほり(目堀り)」だったとすれば、目を生贄として捧げる巫女という事になる。 ラスト、裕が母の形見と称して"蛇の目"の縞が入った義眼を取り出した時点で全ては繋がるが、500頁近くを費やして特殊集落の儀式を浮き彫りにするだけじゃ物足りない。読者を楽しませようとする姿勢に欠けた物語性に乏しい作品。文献学・言語学・民俗学の史料を読まされている様で読破するのに苦労した。 | ||||
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【ネタバレ少しあります】 初めて読む作家さんです。 前作のシリーズが有名な方のようですが、民俗学系が好きなので、こちらから呼んでみることにしました。 まず、総合的に言うとおもしろい。 古文書を読者である自分も解いてこうじゃなかろうかと考えつつ、主人公たちと推理を二転三転するのはおもしろかったし、「まほり」の意味とこちらが身構える前にパッと出てきて驚きました。 しかし、いくつかの点について理解できなかったりする場面があり、少しスッキリしない読了感でした。 そのいくつかの点について、説明。 一 情景描写が分かりにくい。 書いてる本人は頭に描けてるのだろうが、読んでていまいちどこにいるのか、目的地の位置関係が分かりにくい。また、描写を素直に受け取ると、冒頭辺の子どもが冒険で二重丸探すシーンが非常に長距離に思われるのに一日である程度行けていることになっている。いくらなんでも無理があるのでは。 二 時代設定が悪い。 さすがに今の時代にラストのあたりのような人たちはいないでしょう。せめて昭和初期とかであれば、まだなんとか説明ついたと思うけど。 三 貼られた二重丸って結局わからず。 子どもが探検するシーンで所々に貼られた二重丸や橋の下に大量に貼られた二重丸が結局なんなのかわからなかった。 正直、難解な言葉が一番可読性を悪くしていて、おもしろいにはおもしろいけど、前作シリーズも一巻の途中で止まってる状況。 応援したいが、もう少し作者は知識をひけらかさずに少なくとも地の文だけでも書いてほしい。 あと情景描写は簡単に絵を描いてから、拾っていくとより簡素かつわかりやすく書けるように思う。 | ||||
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同作者の図書館の魔女の大ファンです。 民俗学的な考察、言語学者ならではの言葉のマジック。ロマンス。最後までワクワクしながら一気に読み終わりました。 今後の作品も楽しみです。 | ||||
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『図書館の魔女』にハマって作者の作品を読み始めたが、今回は前作の異世界ファンタジーから一転して、京極夏彦を想起させるような民俗ミステリーだった。とはいえ、京極夏彦ですら繰り出せないであろう豊富な語彙力と広範な学術知識に裏付けられた文章には舌を巻いた。 本作には、漢文体の架空の歴史文書がいくつか登場し、主人公はそれらを綿密に調査して衝撃的な真実に迫っていく。架空の歴史文書を作り上げ、それを専門的な言語学の知識を用いて解釈していくさまは、ただの博学者には書けるものではない。大学院でプロとして本物の研究を経験している作者の面目躍如といったところか。だからといって難解で晦渋な文章になっているということもなく、漢籍の素養がそんなになくとも楽しくスッと読めてしまう。ところどころ背筋の寒くなるようなホラー要素にも引き付けられ、一日で一気に読了してしまった。 私はそんなに小説は読むほうではないので、あまり多くの小説家を知らないが、それでも敢えて言うと、様々な分野の専門知識を、一般読者でも面白いと思える形で物語上に展開していく能力において、作者の右に出る者を知らない。新作にも大いに期待したい。 | ||||
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汚れや傷が少なく良かったです | ||||
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思ったより謎に対してワクワクしないし資料に次ぐ資料で中盤過ぎに冗長だと感じた。謎解きにもあまり爽快感がなくラストも意外性はあったがもう少し丁寧に書いても良かったと思う。 今までの作品に比べればまわりくどすぎることもないように感じるが不必要な要素であるという点から見れば今作品は不必要な部分が多すぎたと思われるので可もなく不可もなくという感想に落ち着いた。 前作のシリーズはまわりくどいが必要なまわりくどさであり全てが解き明かされたときに爽快感に似た良さがあったのだ。 正直他者にお薦めできる作品ではない。 | ||||
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図書館の魔女 は素晴らしい作品でしたが、こちらはファンタジー要素は少ないものの民俗学的、言語学的な謎解きがスリリングで良いです。柳田國男が好きな方には特にいいと思います。 | ||||
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国語学等から字の語源を探る等面白い面はあったが、実際現在そんなことがあるのかという事件設定で入り込めませんでした。残念 | ||||
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排他的で不気味な因習のある集落! のどかで暖かみのある田舎とは正反対の怖くて恐ろしい田舎が描かれている。 まるでドキュメンタリーのようなリアリティがあり、後半はサスペンスが加速する! ラストも余韻があった。 | ||||
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ストーリーもキャラクターもいいが、小説としては失敗作だと思います。 地の文※にやたら難解・難読な漢字が出てきて 「俺の小説読むんだったら、これくらいの漢字、トーゼン理解できるでしょ」 的な、作者のチンケなインテリジェンスの大盤振る舞いが鼻につきます。 少なくともわたしは(最後まで読んで)再読したいとは思えませんでした。 ※ 民俗学や社会学的な背景のために学術専門用語が出る、ではありません。 平易な用語で言い換え可能にもかかわらず 「浩瀚さ、肯った、繙く、法面、蟠る ...」などの文言がひっきりなしに出てきます。 ルビもあったりなかったりなので、辞書を引くのも一苦労です。 法学関係者の冗談で、正しいプロポーズとは 「君、僕と婚姻してくれたまえ」である ならば、まだ笑える範囲ですが、本作は ... | ||||
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段々と筋が見えてきて恐ろしい実態が垣間見てくる。少年の淡い恋心と義侠心が新鮮で爽やかだ。神社のいわれ書きとかについて考えたこともなかったので、大変勉強に成りましたし。その中に潜む残忍さや伝統の中にある残酷さに驚いてしまった。 | ||||
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小説としていまひとつ楽しめませんでした。 裕と香織、若いふたりの100%方言での会話が、 (若者の会話だけど、きっとこれ、オヤジが書いてるな) というのが感じられて、作者の年齢を確認したら当たっていました(笑) そこはかとなくオヤジ臭がするんです。 衆愚の一群が、最初と最後に登場。 学問の道を志して大学に残る者と、就職組と、どうしてこう画然と差別して書くんだろう。 作者に意識して差別している気持ちはさらさらないんだろうけれど、 これじゃ就職組がおバカの群れ、って感じがする。 最後はまさに衆愚の群れ、某郷のじいさんたち。 教養ももちろん学問も、一般常識もなにもあったもんじゃない。 限界集落に住むお年寄りに気の毒です。 三人称で書いているのだから、地の文はもう少し一般読者に寄り添うように書いてもいいのではないでしょうか。 たとえば、 別に古文書ではなくても私たちが普通に手に取る本って、全部過去に書かれたものです。 出版された時点で、執筆は過去の行為というのは明瞭です。 そしてその本の内容が、執筆当時よりだいぶ過去の事例をあつかっている、なんてこともざらにあります。 それがこの本にかかると… 「史料を読んでいる現在と、史料が書かれた過去の間に時間差があるばかりではない。もう一つの時間差が史料に内的な問題として含まれている―つまり史料自体が,その書き上げの時期と、言及している事跡の起っている時期との間に、内的な時差を、時代の懸隔を刻んでいる」 なんて表現になります。 これ、学者の卵の裕が口にしたり思考したりしているんなら問題ないと思います。 頭がいいからというより、こういう考え方をするトレーニングを受けているから、こういう言い方になるんです。 でも、三人称で書いている以上、地の文は裕と同じボキャブラリーで七面倒くさい表現をする必要ないと思います。 学者が年を重ねてから小説をものする、という例はありますよね。 エーコも、蓮實氏もそうだけど、小説としてもっとこなれた感じがします。 (ちょっと比較する人たちが…あれですね) そう、小説としてもっとこなれた仕上がりだったらいいのに!ということです。 | ||||
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