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今昔百鬼拾遺 天狗



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【この小説が収録されている参考書籍】
今昔百鬼拾遺 天狗 (新潮文庫)

今昔百鬼拾遺 天狗の評価: 3.71/5点 レビュー 24件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点3.71pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全24件 1~20 1/2ページ
12>>
No.24:
(4pt)

天狗とフェミニズム?

読む前は、横溝正史風地方の伝習がらみ、だけど天狗伝説についての講釈をのせて、
かと思ったけれど、ほとんどおどろおどろしくなく、あっさり目。
構成のバランスに疑問あり。冒頭、それから後からも時々出る
フェミニズム的スピーチが多すぎ。スピーチというのは不正確だけど、
主要人物がしきりに主張することには、そういう言説は
フェミニズム関連としてはもっと後の時期になってから
流布していたのでは?と思われる部分がある。それをオリジナルのものとして
述べるほどの人物としては設定されてないようだし〜
ミステリとしての解決部分は、逆に軽すぎ。 星3.7くらいと感じましたが、四捨五入。
今昔百鬼拾遺 天狗 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:今昔百鬼拾遺 天狗 (新潮文庫)より
4101353530
No.23:
(4pt)

焼け跡未来人?

陰陽師、京極堂こと中禅寺夏彦の妹君、敦子女史が
怪事件を追う!
んだけれど兄貴が出張ったら、数ページで片が付きそうな?
そこがいいんじゃな~い!って言える人は楽しく読める!
3レーベルの内では老舗の新潮文庫。
だけあってか?真っ当に謎解き?
と思いきや、美由紀の現代(当時の)人離れした言動や思考、行動。
実は戦後の焼け跡に舞い降りた"未来人"?
ぐらいに考えないとオハナシに付いていけませんでした。

PS:3冊揃って"紙の本"で楽しませてもらいましたが
ほかのレヴューを見てkindle版検索してみれば・・・
ううぅ鬱!美しくない!
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4101353530
No.22:
(2pt)

戦後の人たちにLGBT問題を語らせるのは違和感ありすぎ、話がくどすぎです

「鬼」、「河童」に続くシリーズ3作目です。結論から言うと、残念ながら個人的にはこれが1番つまらなかったです。先の2つは気に入っていたのですが。

今回は榎木津も京極堂もまったく出てきません。呉美由紀、篠村美弥子、中禅寺敦子に青木刑事、そして鳥口君が少しです。
京極先生の小説は話がくどいのが特徴です。これはほめ言葉で、特に妖怪や民俗学的薀蓄が延々と続くのは大好きで、ユーモアラスな部分も楽しいです。
しかし今回は、特に美弥子が延々と古臭い体制や価値観を批判し、自由恋愛、女性の権利、LGBTについて語るのがあまりにも長すぎて投げ出しそうになりました。正論だし、私は女性なので共感はしますが、京極夏彦小説でそんなことを聞かされたくないと思ってしまいました。女性3人の会話もくどすぎです。
戦後すぐの時代の人たちがまるで現在のような会話をしているのもミスマッチで、違和感ありすぎでした。

死体が入れ替わるとか、服が入れ替わるというアイデアはおもしろかったです。けれど理屈の話で膨らませすぎで、本質だけだと半分の長さでいけたのでは。京極堂シリーズに現在の社会問題や倫理道徳はいりません。民俗学と猟奇に徹してほしかったです。
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No.21:
(5pt)

良い状態でした。

良い状態でした。
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No.20:
(5pt)

面白かった。

面白かったです。
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No.19:
(3pt)

昭和に舞台を借りた今の話

3作の中ではやや冗長。現代的なテーマと昭和29年という時代がうまくマッチしていない。
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No.18:
(5pt)

祈りとしての〈呪〉

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「被害者の服装」が謎解きのポイントとなる「本格ミステリ」作品は、決して少なくない。本作においても、前半はそうした「謎解き」興味で引っぱりはするものの、しかしこれは、本筋ではない。と言うのも、後で被害関係者が増えていくからで、これは「本格ミステリ」としては、あまりスマートなものとは言えないからだ。
しかしまた、前作『今昔百鬼拾遺 河童』においても明らかなように、著者・京極夏彦の興味は、すでにそんなところにはない。と言うか、デビュー当時から、そんなところには無かった。
彼の興味は、いつでも「憑き物」を呼び寄せてしまう、「人の心」という不可解で理不尽なものに向っていたのではないだろうか。いつの世にも人の心に憑いているそうした「憑き物」を落とすために、彼は小説というかたちでの、言葉による「呪」を放っているのではないだろうか。

そんなわけで、本作のテーマは「偏見」である。

「偏見はいけません」「差別はいけません」という話なら、誰でもいちおうは理解しているつもりであろう。だが、事はそんなに簡単なものではない。なぜなら、「偏見」というものは、その人に憑いて、その人の一部になっているのだから、それを認識することは極めて困難だからだ。

誰が、自分の身体の一部だと感じているものを、「偏見」だと思うだろうか。その目が、その脳が、その心臓が、その右腕が「偏見」であろう可能性を、考慮などできようか。そんなことは普通できないのだ。
だから人は、「私は偏見を持っている。偏見とは、私のおぞましい一部分である」とでも思わないかぎり、決して「偏見の存在」と向き合うことはできない。
言い変えれば、自分には「偏見が無い」とか「ほとんど無い」などと思っていること自体が、自身に対する「偏見」であり、「偏見はいけません」「差別はいけません」と言われて「そんなこと、わかっている」と思う人は、自己過信という意味において、自身に「偏見」を持っている。
「偏見」の難しさとは、それが「他人」に対するものには止まらず、何よりも「自分」自身に対するものだからなのだ。

本作においては、篠村美弥子によって、胸のすくような「偏見」批判がなされる。それに拍手喝采をおくる読者は少なくなかろう。
しかし、中禅寺敦子の「偏見」に対する懊悩は、もっとリアルである。それは「偏見」を我がことと捉え、はたして「偏見無くして、思考があり得るのか」と考えているからである。そもそも「この世界に、アプリオリな意味はあるのか。根源的な正邪善悪はあるのか。無ければ、どうすればいいのか」と。

偏見批判くらいなら、この作品以前にも多くの作品で語られている。有名作例としては、例えば、島崎藤村の『破壊』があり、住井すゑの『橋のない川』があり、大西巨人の『神聖喜劇』もそうであろうし、中上健次の作品の多くもそうであろう。しかし、そうしたものがあっても、「偏見」や「差別」が無くなりはしなかったし、これからも無くなりはしないだろう。
本作において、中禅寺敦子や篠村美弥子、あるいは呉美由紀が、いかに切実に「偏見」を告発しても、それを「他人事」として読み、拍手喝采を送って「娯楽として消費する」だけの読者が大半なのだと、私にはそう思えるのだが、果たしてこれは、悲観的に過ぎようか。

多くの人は、作中にも描かれたような「度しがたい偏見の持ち主」と、直接対峙したことなどないはずだ。
例えば、ネット上に掃いて捨てるほど存在する「差別主義者」や「ネット右翼」に対して、「それは間違っていますよ」と直接批判した人など、ほぼいないのではないか。いたとしても、その「お話しにならない、度し難さ」に辟易して、二度と相手になどすまいと考え、あとは当人たちのいないところで「あいつらはクズだ」と吐き捨てるように言うだけだろう。

たしかに彼らは「クズ」だ。だが、「紙くず」でも「ゴミくず」でもなく、「人間のクズ」なのだから、彼らを「紙くず」や「ゴミくず」扱いにすることもまた、「偏見」なのである。

だが、それを反省する人は少ない。なぜなら、彼らのような「度しがたい」人間は、同じ「人間」ではなく、いっそ焼却処分にしても良いような、単なる「ゴミくず」だと考えた方が、気が休まるからである。そうした「偏見」を持っている方が、楽だからだ。つまり、自身が「天狗(もどき)」になるのである。
「偏見」とはもともと、同じ「人間」であると認めたくない人間を、「別物」扱いにすることなのだ。それを「神様」扱いにするのも、「ごみクズ」扱いにするのも、どちらにしろ「偏見」なのである。

こうした、人間における根源的な「呪い」に対して、京極夏彦は「言葉という呪」を用いて抵抗する。
この世は、まさに「百鬼夜行」であり、そこかしこに「偏見」という「化け物」が蔓延っているのだが、それに抵抗するのは「理性の言葉」しかない。

京極夏彦における「呪」としての「理性の言葉」とは、畢竟「人間に対する、祈り」なのではないだろうか。
なんど苦虫を噛み潰そうと、それでも「人間に絶望しない」。そうした、自分自身に対する「呪」なのではないだろうか。

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4101353530
No.17:
(4pt)

「家」に縛られる人々は現在も存在する。

「京極堂」の妹・敦子が探偵役で女学生の美由紀がワトソン役のシリーズ。「河童」「鬼」ときて今度は「天狗」。森見登美彦の小説だと、天狗は威張ってばかりで何もできない、滑稽な老人として描かれるのだが、ここではそれに加えて残虐な一面を見せる。
 高尾山での連続失踪事件および自殺を天狗のしわざではないかという噂が立つ。昭和の、戦後10年にもなろうとする時期に天狗などいるのか、という疑問を持ちながら美由紀は「お嬢様」である美弥子の話を聞く。相変わらずああでもないこうでもないと考えがまとまらないのだが、中禅寺敦子の登場により少しずつ事件の詳細が明らかになっていく。そこには、「家」の制度に縛られた哀れな男の醜い姿が隠されていた。
 男女平等、自由恋愛、LGBTなど現在でも難しい要素と向かい合いながら敦子と美由紀は旧弊に挑む。半世紀以上昔の話だと思う人が多いと思うが、核家族化の進んだ都会ではどうだか知らないが、田舎では「家」に固執する人々がまだまだ健在なのだ。おそらく、そうした人々にはLGBTなど理解しようという気持ちもないだろう。そんな息苦しい地域に住んでいたいという人は少ないはずだ。だから、次々と都会へ人口が流出する。古い因習と概念に縛られた地域はやがて消滅していく運命にあるのではないだろうか。
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No.16:
(2pt)

ワシは頭が悪いので、、、。

ワシは頭が悪いので、内容としては前作の「河童」の方が楽しく読めました。
「書楼弔堂」とかに近い感じの内容だと思いました。
ちょっとテーマにしてる部分がウザったい様に感じてしまいましたね。
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No.15:
(3pt)

政治臭強めのミステリ

トランプ批判なのかな、頭の固いおじいちゃんが出てきますがリアリティーラインがずれるほど漫画的。百合っぽい美少女に退治される老害たちというシチュエーションを楽しむのが吉。ミステリとしても、京極妖怪蘊蓄としても今一つでした。
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No.14:
(3pt)

おもしろいです。

文章がながいがおもしろいです。
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No.13:
(3pt)

河童の方が面白かった。

タイトルのとおりです。核心に向かう感が弱くて飽きてしまいました。河童は面白かったんだけど。
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No.12:
(3pt)

まさかの三部目…/話の展開を書いております※ネタバレ注意

天狗が一番最初だと思って読んだのですが。
ほかの方のレビューで三作目と知ってショーック……そして今、河童を読んでいるのでダブルショーック……しっかり逆走しております。
いや、読めました。別にこの本からでも読めました。ちょっと、「ん??」と思ったところもあったのですが、それはおそらく前の二部で触れられているのでしょう。
とはいえ、自分も百鬼夜行系は、記憶がごちゃごちゃで読んでるのか否かも不明な部分がありますから、きっと読んでも忘れたのだろう、で納得してしまったので問題なかったです…。でもかなしい……。

読みやすいのは流石でした。
登場するキャストが「え?」という感じだったので、楽しめないかなーと思ったのですが、そんなこともなく。
事件そのものも、毎度のことながらさーっぱり先読みできない自分としては、面白かったです。面白かった、と言ってしまうには、だいぶ酷なお話でしたが。
個人の価値観と身勝手さがぐいぐいと詰め込まれたお話でした。

が、15歳の少女があれやこれや考えるには、全体的にくどすぎるように思います。思考が廻る中学生はもちろんいるでしょう。けども、これはちょっと詰め込みすぎでは……。
お嬢様も同じく。彼女自身、「傲慢」と言っていましたが、あまりにも考えをぐいぐい出して、押し付けすぎかな、と。

性別のお話だったので、もちろん差別はいけないと思いますが、それってそんなに突き詰めないといけないことなのかな、という違和感がすごかったです。
美由紀嬢も言ってましたが、「そんなに気にしなくてよくない?」という。
どちらかというと、同性同士の恋情について、ちょっとでも反発を覚えるのならそれは悪、滅びの道である、とものすーっごく押し付けられているように感じました。
本来は差別をするべくものではない、と言いたいのだろうなぁ、とは思ったのですが、ちょっと目をそらすのは悪、という感じ。
個人的には、お嬢様と金ちゃんが最初に登場した際、榎木津さんが言っていたことでいいんじゃないかな、と思います。

天狗の話も、中禅寺さんのうんちくですと、なるほろー…という感じてなんの疑問も覚えずそのまま受け入れてしまうのですが(思考の停止…)、女性二人があなぐらでああだこうだと言っているのは、本当に雑談ぽくて、よくわからないものを適当に練り上げている感じ、というイメージが強く(そんなことないのでしょうが)、ちょっと面倒でした。

どうでもよくない?
と言いたくなってしまう……。

さらーっと読めましたし、あっちゃんが主にくる、ということでちょっと警戒をしていましたが、思っていた以上に読みやすかったです。
ただとにかく思想の押し付け感がすごかったのが残念。うんざりしてしまったので、そのあたりがマイナスでした。

昭和の戦後設定で、こんなに物分かりよくはいかないでしょうよ…。
同性が好きなら恋人はそうしておいて、子孫が必要なら別の相手を持てばいい、と言ったお嬢様にはぶったまげました。
悪とはいわないまでも、わざわざさらけ出すものでもないと思います。
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No.11:
(4pt)

京極堂の世界に入れるのが嬉しい

ともかく、京極堂の世界が読めるんだから、それで満足!
出来れば、もっと長い話のほうが嬉しいですけど。
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No.10:
(2pt)

説教臭くてかなわない

昔京極堂シリーズを新刊が出るたびに徹夜で読み通すくらいに熱中したのに、なんだかそのシリーズの抜け殻を読まされたみたいだった。登場人物は、メインの京極堂、中禅寺(兄)、榎木津が出てこない以外は、ほぼお馴染みの面々だったが、読後感はまるで違う。小説の2/3は人権とか平等とかの概念をがなり立てるお嬢様の演説で面白くもおかしくもない。評者が変わったのかも知れないが、残念至極の3時間だった。短編を無理に引き伸ばしているだけで、長編小説を成立させるプロットではなかったようだ。天狗のうんちくもほとんどないし、内容にも無関係だった。”鉄鼠の檻”の面白さはどうなったのか。その後の京極作品はあまり読んでいなかったのだが、あの中禅寺の妹がメインキャラのシリーズがあったのかと思い書店で購入したのが間違いだった。
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No.9:
(4pt)

あの時代の人たちにソレを語らせる?

話の展開上、仕方ないんですけれど、令和の今だからこそ「多様性を受け入れよう」という
議論がなされていると思うのです、そんな話を戦後間もない人たちに熱く語らせる部分が
多くてちょっと驚きました。

ミステリとして考えればよいできですし、小説としても面白い、シリーズものの流れの中
でも満足するレベルです。

しかし冒頭に書いたようなことがちょっと煩く感じてしまい……妖怪の蘊蓄なら慣れている
んですが、こういうのはちょっと、と思いました。

ところで、美由紀さんがパワーアップしているのがなかなかよいです。
今回登場した美弥子さんが女榎木津なら、美由紀さんは女木場修というところでしょうか。
しかしJK(?)なのに事件に遭遇しすぎだろ……と思っていましたが、今回は探偵事務所
から始まっているので、まあいいのかな。
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No.8:
(5pt)

ライト妖怪三冊の中では最高

美由紀と敦子コンビの妖怪ミステリ第三弾だ。
是枝美智栄が登山中に行方不明になった。
二か月後に発見された別の女性の死体は、なぜか美智栄の衣服をまとっていた。
さらにある問題で家族と争っていた少女の縊死体が見つかる。若い女性の失踪と殺人を巡って謎が錯綜する。

今回は当たりだ。お嬢様美弥子と美由紀の掛け合いが楽しい。
殺人と衣服交換はなぜ、どのタイミングでおこなわれたのかという謎も魅力的だ。
動機が唖然とするほどひどいのだが、妙に納得させられる。ありそうなところが嫌だ。
女性探偵チームの啖呵が小気味いい。私も自分の価値観を押し付けるヤカラは大嫌いだから、大いに溜飲が下がった。ネタバレ回避のため書けないが、「日本人は××だ」というのは、押しつけがましいだけでなく間違っている。
××でない人のほうが多かったんだぞ。
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No.7:
(5pt)

やっぱ京極先生はすごい

今読了。今回は話の展開よりも、敦子と篠村美弥子の、時代の男女論とか天狗になる男とかの考察がそれぞれのキャラをがっつり出しながら長く書かれてます。まあ伏線ではあるのですが…
悲しいけど読んでよかったです
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No.6:
(4pt)

kindle版は?

物語の内容そのものは良いのです。
講談社の「鬼」も、角川の「河童」もkindle版がありましたが、新潮社はkindle版無し?
講談社や角川には出来ることが新潮社にはできないのでありましょうか?
紙の本は否定しないが、電子書籍で買いたい読者もいるってことを新潮社は受けとめてほしい。
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No.5:
(3pt)

鵺(ry

「オカマに惚れられちゃ、私もおしまいね!」の名言で、ファンの心を鷲掴みにした、篠村美弥子御令嬢の登場です。因みに、金ちゃんとはその後もご交流があったようで、ちょっとだけ出てきます。そして美弥子嬢、相変わらずの「お転婆がすぎる」(by金ちゃん)感じで、これも又、京極作品愛読者としては嬉しい限りです。が、しかし。話がくどい!判りますよ?彼女や敦子さんの言ってる事は正論ですし、概ね同意ですし、加えてLGBT、男女平等だの時流な感じの話ってのは理解します。しかしくどい!これ、こんなに一生懸命書くところでしょうか?他の京極ファンの方々はともあれ、少なくとも私は京極作品では妖怪について語って頂きたかったです。そも妖怪とは、「境界のぼんやりとした存在」ではないのでしょうか?今回くどく語られている各種の「差」というものは、その境界がしっかりしているからこその「差」だと思います。これを京極堂シリーズで書く必要があったのでしょうか?他作品、ルーガルーシリーズとかでも良かったのでは?後、悪役(あえてこう書かせて頂きますがw)がテンプレすぎてうああああとなります。判りやすすぎ。悪い奴が胸糞悪すぎ。救いがなさすぎ。その中で、今回三冊通しての狂言回し的役割(主人公?)だった呉美由紀ちゃんの青さ、お転婆が過ぎる美弥子嬢の悲しさがが光ります。でも主義主張がくどい!(三回目)京極堂スピンオフものでは(京極堂が脇役なので)あまり妖怪、風習等について語られる事は少ないのがパターンですが、やはり私は京極堂のあの長広舌が聞きたい、読みたい!!・・・と言う訳で、☆三つ、タイトルは「鵺はまだか!」となりました。
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