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国宝
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国宝の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.37pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全118件 101~118 6/6ページ
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芸のためには悪魔に心を売ると誓った女形役者の凄まじさ。 決して家庭をないがしろにするわけではないのに、何よりも芸のために生きていることが、周囲の人物との軋轢を生んでしまう面もある。 上巻に比べ、下巻は急いだ展開になってしまうのは仕方ないが、ラストはもうちょっとすっきりしない面も。 それを差し引いても、上下巻通して、一人の人物を描きながらも周囲の人間の魅力も決して色あせることなく、素晴らしい作品だった。 | ||||
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こんな波乱万丈の人生あるんだろうか。と思いつつもどんどん引き込まれて一気に最後まで。本当に登場した全てのキャストが愛おしい。 | ||||
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朝日新聞の連載当時から、毎朝楽しみにしてた。本になるのを心待ちにしてたので、早速購入一気読みでした。歌舞伎の世界を知ってる人も知らない人も楽しめる。素晴らしい書きっぷりでし | ||||
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感動しました。読了後、2日たっても不意に泣けます。今は歌舞伎役者をテレビで見ただけで泣きそうです。悪人以来、やっと来たー!待ってました。映画化期待しています。 | ||||
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一気読み。 読み始めたら、あっという間に物語の中に引き込まれてしまった。 主人公喜久雄の魅力、取り巻くいろいろな人々も魅力に満ちている。 歌舞伎の入門書のような丁寧な説明の作品紹介の文がいい。 | ||||
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歌舞伎の女形として、登りつめていくにつれ、社会や、業界の狭間で傷つき、傷つけながら芸を磨き上げていく主人公喜久雄の圧倒的な魅力。 喜久雄を守り続けてきてくれた徳次が離れていき、ますます孤高の人となっていく喜久雄はもはや人間というよりは魔物にさえ思えてくる。 歌舞伎作品の説明文が演目の紹介のようで、歌舞伎をしっかり見てみたくなった。 | ||||
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読了後、下巻を手に取らずにおれる方は少ないのではないでしょうか。平易でありながら奥行き深く心に浸透する文章が読み進むスピードを加速します。 | ||||
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上巻からの一気に読み。 まさに大河小説。「蒼弓の昴」のような、「双頭の鷲」のような読後感でした。 歌舞伎会の慣習、歌舞伎演目の手引きが絶妙適度に鏤められ、劇場で歌舞伎を観たいと思わせる傑作だと思います。 日本経済新聞の書評掲載日に購入。 | ||||
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私の歌舞伎好きを知っている同僚から勧めてもらい、どっぷりはまって一気読みしてしまいました。 もともと吉田修一さんの『悪人』以前の本が好きで読んでましたが、しばらく手に取ってなかったのですが、こちらは抜群に面白く、その世界に引き込まれてしまいました。 主人公は、長崎の任侠の世界に生まれて女形の歌舞伎役者になる喜久雄。 彼を中心に、人情味あふれる弁慶役の徳次や、ライバルの政党は歌舞伎の血を継ぐ俊ぼう、春江など、魅力的な登場人物がそろいます。 この舞台装置そのものが歌舞伎の世界のよう。登場人物という役者がそろい、華やかでありながら、どこか作られていて、歌舞伎調の語りを含めた文体が、どこかよそよそしくかしこばってる感じがします。 歌舞伎を知らなくても、その世界観にどっぷりはまり、喜久雄とともに激動の時代を共に生きることができると思いますが、歌舞伎好きであればより一層、興味深く楽しく読めると思います。 舞台や舞台裏、客席やロビーの描写を読んでいると、生き生きと脳裏に劇場の雰囲気がよみがえり、いくつもの演目の描写シーンでは頭の中に浄瑠璃が聞こえ、ひいきの役者で見た歌舞伎が思い出されます。 作者の吉田修一さんのインタビューを読むと、中村鴈治郎のところで黒衣となって取材されただけあって、そのリアルさには、歌舞伎の世界ではまだまだ知らない舞台裏があって、だからこそ舞台の上では、THE歌舞伎なのだなーと納得しました。 ちなみに、、特定の役者さんをモチーフにされているわけではないと思いますが、女形だからか玉三郎さんに重ねることが一番多かったかも! 特に、喜久雄と俊坊が初めて踊る「京鹿子二人娘道成寺」は、歌舞伎座の初演時に見た玉三郎と菊之助の衝撃的な二人道成寺をイメージしながら読んでました。あの二人道成寺の初演を見られたことは、私の歌舞伎観劇史の中でもかなり思い出深いできごとでした。。 | ||||
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上巻、下巻共に読破。 「創作物である」ということすら忘れて夢中になって読み進めてしまいました。 終盤に近づくにつれ、少しずつ狂気が満ちていくような、同時に美しく研ぎ澄まされていくような、不思議な感覚を味わえます。 また、この作品に満ちている昭和という時代の熱気は平成生まれの私が感じたことのないもので、とても新鮮に感じました。 | ||||
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長年、朝日新聞の朝刊小説を読んでいましたが、この作品は今まで読んだなかで一番面白かったです。毎朝、ドキドキしながら読みました。主人公はじめ、彼の親友でありライヴァルでもある俊ぼんや、兄弟分の徳ちゃんなど、脇役たちも主役並みにインパクトがあって飽きさせません。確かに、その分女性たちが添え物みたいになっていますが、時代背景もあるのでしょう。私はこの作品を読んで歌舞伎に興味を持って、初めて見に行きました。 それにしても、ひとつ残念なのは、書店で本を手に取ってみると、作品の素晴らしさに比べて、装丁が地味で軽いようで……。これほどの名作にふさわしく、もう少し凝ったものにして欲しかったです。 | ||||
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歌舞伎が好きというベースはありますが、本当に面白かったです!少し、盛り込みすぎ?な感も否めませんが、映像がまざまざと目の前に浮かぶ文章でした。こんなに一気に読んだのは久しぶりです。 | ||||
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歌舞伎など全く興味ないのですが、一気読み!ヤクザの新年会と「…ございます。」という特徴的な文体のギャップに戸惑いながら、気がつけば、引き込まれての一気読みでした。おすすめ! | ||||
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歌舞伎に題をとった作品であることはもちろんだが、歌舞伎に携わる人々の人生を丸ごと描いた傑作でしょう。 舞台の描写の豪華絢爛なことはもちろん、舞台裏の人生までまるごと描かれている。 舞台同様、それぞれの人生には喜怒哀楽、艱難辛苦にみちていて、その清も濁もすべてこの本に閉じ込めてある。 主人公の喜久雄や俊介はもちろん、登場人物たちのなんと魅力的なことか。 ど真ん中の娯楽小説であり、文学。 今年のベスト1小説に間違いないのでございます。 | ||||
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まるで講談のような話し言葉で書かれた文体で、これまでの吉田修一作品とは随分違った印象を持ちますが、魅力的な登場人物らの生き生きとした会話文に、やはり吉田修一らしい巧さが感じられます。 吉田修一の文体は、自然でリアルな会話文が非常に魅力的で、特に本書では、主人公喜久雄の故郷である長崎弁と芸養子先の関西弁でのテンポの良い会話のやり取りが、まるで目の前でやり取りがなされているかのように生き生きとした情景が浮かびます。 本書上巻「青春篇」は、主人公喜久雄が、原爆の爪痕がまだ残る長崎で生を受け14年、昭和39年の任侠の世界における新年会での大乱闘の場面から物語が始まり、芸養子として関西に出た後、歌舞伎界の新星として一躍注目を浴びるも運命に翻弄され続ける波乱万丈な半生が描かれています。 喜久雄を「ぼっちゃん」と呼ぶ任侠時代からの腐れ縁である徳次が、唯一の喜久雄の理解者としての存在感をみせ、この二人のやり取りがとても良く、徳次が登場するたびに雰囲気が明るくなります。 また本来なら親の後を継ぎ、三代目半二郎を襲名すべき「俊ぼん」こと俊介の人生も一筋縄では行きません。 第二の主人公たる「俊ぼん」の凄まじさは、本書後半から下巻にかけて展開されます。 それにしても主人公喜久雄への本書後半での仕打ちは、あまりにつらい。 そんな仕打ちをうけることを予言するかのごとく、芸親かつ師匠である白虎が喜久雄にかける言葉が 「どんなに悔しい思いをしても芸で勝負や。ほんまもんの芸は刀や鉄砲より強いねん。おまえはお前の芸でいつか仇とったるんや。」 芸を愛し芸に取りつかれた、そんな喜久雄の物語です。 | ||||
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400年にわたって、その時代ごとの生き血を吸いながら生きながらえ、成長してきた歌舞伎。 入ってしまえば、二度と出てくることができない魔窟のようだ。 作中の幹部役者のあるセリフに「朝から晩まで、こいつは舞台のことしか頭にねえんだぞ。お前が病気したって、いくら苦しくたって、いくら泣いてすがったって、こいつは舞台に上がるんだよ」という言葉がある。 そもそも、この「俳優」という奇妙な業を抱えた職業人たちは、いったいなんなのか。 他人が書いた言葉をずらずらと覚え、それを口から発し、観ている者を感動させるという奇妙な行為で食っているやつらは、いったいなんなのか。何を目的にしているのか。 歌舞伎ではないが、現代における最高の名優の一人である山崎努は、演じることは「自己発見」の物語だと言っている。 演出家の蜷川幸雄は演技において「ありえたかもしれない、もう一つの自分の生を生きる」と言っていた。 役の先には自分という人間があり、生きる意味や、人生そのものを見つめ直す、というのが「現代の演技」なのかもしれないが、歌舞伎には「自分」というものが、必要ないのかもしれない。 本作の途中、名声をほしいままにした名女形の万菊が全てを捨てて行方をくらました先で暮らしたドヤ街で語った「ここにゃ美しいもんが一つもないだろ。妙に落ち着くんだよ。なんだか、ほっとすんのよ。もういいんだよ、って誰かに言ってもらったみたいでさ。」という言葉が胸を打つ。芸を極め抜くということは「自分」を空っぽにして偉大なるモノ(something great)に身体を譲り渡す作業だ。 万菊には、誰も到達しえない偉大なる芸に手が届く才能があった。しかし「人間」であるうちは、当たり前だが、自分というものは手放せない。その苦しみ故の「万菊出奔」だったのではなかろうか。 一方、本作の下巻も終わりに至ると、主人公の喜久雄を「狂っている」と表現する人間が出てくる。しかし、その狂人を、お客が、いや歌舞伎そのものが求めているのだという。その頃の喜久雄には、もはや「自分」というものが邪魔になっている。 万菊が、かつて喜久雄に稽古をつけた際に放った「あの人は良くも悪くも人形みたいだ」という言葉が、紙数も残りわずかになったところで読者の脳裏によぎる。「良くも悪くも・・・」ここに芸に殉じる人間の業がある。 空っぽの人形になって、そこに役を注ぎ込む。喜久雄にとって、それがたまらなく幸福であり「幕が閉じることが怖い。一生舞台に立っていたい」という。しかし、それは人間を捨て、狂人になることである。 その一線を超えることができるかどうかが、万菊と喜久雄との決定的な違いであった。 そしてラスト、喜久雄、いや三代目花井半二郎は、前人未到の芸域に到達する。 至高の芸域に達した最晩年の半二郎の絢爛にして透徹した描写は必読。 そして、その後、幕は降りたのだろうか。喜久雄は俳優としての幸福をまっとうできたのだろうか。 ぜひ(目撃ならぬ)読撃してほしい。 人生の浮き沈み、嫉妬と愛欲を乗り越えて芸の頂にのぼりつめた喜久雄の姿は、 たとえば、そこに全てがあるようで、実は、何もない 真冬の夜に、ぽっかりと浮かぶ真っ白な満月のようなものだと思った。 長崎生まれのヤクザの息子が、至高の芸を極めるまでの、昭和平成にかけての一代記。 | ||||
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下巻の「花道篇」は、理不尽ないじめや、あることないことを書き立てるマスコミにも耐え、どこか陰のある雰囲気が美しい容姿と相まって、まさに完熟の域に達した、喜久雄30代半ばから、還暦を迎え、遂に頂点に登りつめ国宝となった先までの物語です。 しかし、喜久雄の人生は、歓喜に包まれた栄光をつかんだかと思いきや、それもつかの間、これでもかと何度も絶望に突き落とされ世間のバッシングにあい、それでもまたそこから這い上がるという運命の繰り返し。 上手くなりたいとの一心で、全力で技を磨き、道を究めようとするあまり、一人究極の世界に突き進む喜久雄。 喜久雄が求めていた世界にたどり着いたとき、その完璧な芸の世界を超えてしまったとき、喜久雄が見る世界は果たしていかなるものなのか。 道を究めた者しか見れない世界、それは常人の価値観からすると尋常ならざる世界、狂気の世界、もしくは生を超越した世界なのかもしれません。 しかし、その者にしか見ることのできない世界にたどり着いた本人にとっては、まさに至福の時なのかもしれません。 本書は、喜久雄の数十年間にわたる人生を凝縮した物語ですので、章が進むたびに数年が進み、多少駆け足に感じる点がないでもありませんが、読後感はズシリと重いものがあります。 そんな中、下巻でも徳次の行動が渋いです。 特に、喜久雄の娘を助けるため、暴力団事務所でのセリフがとても良い。 「兄弟の盃かわしたんが、あいにくの色男。しゃーないですわ」 | ||||
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のっけから申し訳ないのだが著者の作品はいくつか読んだものの正直「悪人」以外はいまいちピンと来なかった。が、本作は歌舞伎座皆勤賞の私としては外せないので発売日に購入、即読了。 最終的には実力が物を言うと言いつつも世襲が軸になる歌舞伎の世界に血縁無く大名跡の部屋子として飛び込んだ主人公・喜久雄。その大名跡の御曹司・俊介と鎬を削り高みを目指す。 芸を極めることと家・血の継承。歌舞伎を愛し、人生の激しい浮き沈みを乗り越えて芸の道に精進する内、二人は愛した歌舞伎に埋没・自身を磨き、ともすれば摩滅させて終いには歌舞伎と一体化・同化して行くような迫力の筆致。中途で巻を措く能わず。 四百年の間、人々を魅了し続けてきた歌舞伎の魅力・魔力は、何人もの役者・喜久雄や俊介を食い尽くし、咀嚼・消化することで育まれてきたかのような錯覚を覚えた。これこそが歌舞伎の「業」なのだろうか。 登場する役者は全て架空ではあるが、随所に散りばめられる歌舞伎の人気演目名場面を演じる彼らの描写はまるで歌舞伎座の舞台を見物しているよう。著者は執筆にあたり、役者の中村鴈治郎の知遇を得て三年間歌舞伎漬けの日々であった由でこの完成度は納得。 因みに作中の興行会社「三友」のモデルは松竹。そう、歌舞伎は上場会社が仕切る純然たるビジネスであり、文化の継承だけでなく利益を上げなければ継続できない宿命を持つ。裏返せば四百年間、そうして生き続けてきたと言うこと。本作の「三友」にも歌舞伎を続けて来られた松竹のノウハウ・冷徹さを垣間見ることが出来る。 個人的には著者の最高傑作ではないかと思う。 | ||||
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