■スポンサードリンク


(短編集)

刀と傘 (明治京洛推理帖)



新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!

刀と傘 (明治京洛推理帖)の評価: 3.74/5点 レビュー 19件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点3.74pt


■スポンサードリンク


Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全4件 1~4 1/1ページ
No.4:
(3pt)

江藤新平

初めての作家の初めての作品を読了。幕末から明治にかけて時代背景で、江藤新平が、色々な事件を推理し、解決していくミステリー。時代劇的でもあったけど、興味深い作品です。
刀と傘 (明治京洛推理帖) (ミステリ・フロンティア)Amazon書評・レビュー:刀と傘 (明治京洛推理帖) (ミステリ・フロンティア)より
4488020062
No.3:
(3pt)

ミステリというよりは狡猾な正義(?)と篤実な正義とを対比させ、読者に選択を迫った感がある連作時代ミステリ短編集

江藤新平及びその友人(ある時期は部下)の師光を探偵役とした「佐賀から来た男」、「弾正台切腹事件」、「監獄舎の殺人」、「桜」及び「そして、佐賀の乱」の5つの短編から構成される連作時代ミステリ短編集。勿論、時代は幕末~明治初期である。

作者は江藤新平が好きではないらしく、上昇志向の強い傲慢な男として描かれる。一方の新政府の官吏の師光は篤実で情も深い。各編の謎はシンプルで(ただし、注意深く読む必要がある)、江藤の合理的な謎解きを武士の矜持を保っている師光が"内心の呟き"や"秘かな言動"で補完するという体裁。即ち、閃き・合理性・狡猾さという点では江藤が勝るが、真の洞察力(あるいは思い遣り)では師光が勝るという創りになっている。作者の明治維新観・正義観がそのまま反映されていると言える。これを含め、明治維新前後の世情が全編に反映されている点が本作の特徴だろう。それが、主に各編の動機に繋がっているので、上述した通り、注意深く読む必要があるのである。ただし、例えば、「***藩の***」という記述があった時、「***藩」が幕府側なのか薩長側なのか直ぐには分らないので、全編を全て理解するのは中々骨である。

ミステリ的趣向と時代描写(特に江藤の都合)とのバランスが悪く中途半端な印象を受ける作品。ミステリというよりは江藤流の狡猾な正義(?)と師光流の篤実な正義とを対比させ、読者に選択を迫った感がある短編集である。
刀と傘 (明治京洛推理帖) (ミステリ・フロンティア)Amazon書評・レビュー:刀と傘 (明治京洛推理帖) (ミステリ・フロンティア)より
4488020062
No.2:
(3pt)

小品の佳作

実在の人物を絡めた面白い時代設定です。ミステリーとしては、あまり凝った内容はなく、個々の話には無理して基本設定に組み込んだ印象のものもありますが、結構、楽しめます。
実在の江藤司法卿ではなく、元尾張藩の主人公は武士らしい潔さが印象的です。特に2019年このミス国内1位作品の後味の悪さにいら立った後に読んだ為、良い口直しとなりました。
刀と傘 (明治京洛推理帖) (ミステリ・フロンティア)Amazon書評・レビュー:刀と傘 (明治京洛推理帖) (ミステリ・フロンティア)より
4488020062
No.1:
(3pt)

〈お約束〉という思考停止

「マニアの間で、年間ベスト級の作品と評判」だという噂を小耳に挟んだので、読んでみることにしたのだが、あまり評価できなかった。
噂が事実なら「どうしてこの程度の作品を、そこまで高く評価してしまったのか」と考えて、いちおうの解答が見つけられた。
それが「お約束という思考停止」である。

「お約束」とは何か。

例えば、ラノベなどでは主人公が、ふとしたことで異世界に転生したりする。普通に考えれば、そんなことは起こらないので、少し前までのハードSFなどでは、その理由を擬似論理的に構築し、描写の妙を尽くすことで、「ありそうなこと」にする努力がなされたりした。つまり、読者を説得する努力がなされた。

しかし、今の時代、そのような説明は、無駄なだけではなく、野暮なものとさえ思われてしまうだろう。なぜなら、読者の多くは、そんな「理屈」など求めていないし、楽しみもしないからである。
つまり「そんなことはどうでもいい」のであり、だから「理屈はどうあれ、転生したってことでいいじゃない。所詮はフィクションなんだからさ」ということである。
多くの読者は、小説を「娯楽」目的で読んでおり、そうした物語に「理屈」など求めてはいけないのだ。そんなことに紙数を費やすのではなく、主人公やヒロインをめぐるドラマチックな物語を、しっかり書いてほしいのである。
だから「とにかく転生しちゃった、でいいじゃない」、そこはもう〈お約束=暗黙の了解〉ってことにしましょうよ、その方が経済的だ、ということになったのだ。

そして、ラノベはもちろん、それを経た現代の娯楽作品の多くには、そうした経済原理に従っての、多くの「お約束」が導入されている。だからこそ、現代の娯楽作品は、よりスピーディーになった。

しかし、こうした〈お約束〉は、いまや多くの享受者にとって「見えないもの」になってしまっている。
本来は「見えるけど、見ないことにしよう」という〈お約束〉だったものが、次第に不可視化されてしまったのだ。
その結果「見えないものは思考できない」ということになってしまっているのである。

本作『刀と傘』について言えば、論点となるのは「狂人の論理」だ。

これは本格ミステリ独特のガジェットで、要は「まともな人間ならそうは考えないけれど、常識に縛られない狂人ならば、異様な形式論理も成り立ってしまう」というものである。
例えば、ある有名短編の「狂人の論理」は「戦場において、一度砲弾が落ちた場所は、他の場所より砲弾が落ちにくい」という、確率論的に誤った理屈であった。
これは理性的には間違いなのだが、たしかに理性が機能停止している人になら「ありそうな話」であるからこそ、本格ミステリにおける「奇妙な行動(非合理的な行動)」を説明する原理として、採用可能なのである。

しかし、斬新な「狂人の論理」を読者に呑ませるには、作者に相応の筆力が求められる。
もともと無理のある理屈を、無理が無いと思わせなくてはならないのだから、作者には「白を黒と言いくるめるレトリック」が求められたのだが、作家たちの苦闘を経て、本格ミステリの長い歴史のなかで、こうした「狂人の論理」がたくさん編み出されていった。

だがしかし、そういう「狂人の論理」が蓄積された結果、それが無自覚に〈お約束〉化してしまった。「不自然さ」に対するハードルが下がってしまい、作者にさほどの筆力がなくても、読者の方で、それを容易に受け入れてしまう「馴れ」が構築されてしまい、「それもありね」とすら思わず、自然に許容するようになってしまったのだ。これは宮台真司言うところの「ネタがベタになる」の一種だろう。
その結果、かつては求められた「心理描写についての繊細なレトリック」が不必要になり、それが失われる結果となったしまった。「本格ミステリにおいては、登場人物はお人形さんでかまわない」という原理が、安易に横行することを許してしまい、「描けていない作品」を、読者の方で先回りして補完するようになった結果、本格ミステリは、進んで「文学性」を放棄することになったのである。

例えば、坂口安吾の本格ミステリ『不連続殺人事件』において、謎解きのヒントとなったのは、本当に些細な「心理的に不自然な行動」であった。そこから、犀利な推理が展開される作品として、本作は名作となり得たのである。

しかし、今の読者が『不連続殺人事件』を読めば、かなりの確率で「面倒くさい」作品だと感じることだろう。
なぜなら、この名作には表面上の派手さなどはなく、ただ着眼と謎解きという一点に、その魅力が凝縮されているからである。
だが、そうした魅力を感じる知性が、いまや失われるはじめているのではないか。

読みやすい娯楽作品が悪いとは言わない。そういうものも確かに必要だ。
だが、そういうものばかり読んでいれば、読者の思考力もその水準に止まるというのは、理の当然であろう。

本格ミステリは「知性の文学」であると言われる。それは間違いではない。
しかし「知性」とは、何も「形式論理」的なものだけを指すのではない。不自然なものを不自然だと感じ取る感性もまた、「知性」の重要な側面なのである。
刀と傘 (明治京洛推理帖) (ミステリ・フロンティア)Amazon書評・レビュー:刀と傘 (明治京洛推理帖) (ミステリ・フロンティア)より
4488020062

スポンサードリンク

  



新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!