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シンドローム
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シンドロームの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.49pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全24件 21~24 2/2ページ
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なかなかスリリングでしたが、落ち着くべきところに落ち着いた感じですね。次回作を期待します。 どちらにせよ、危機管理にそぐわないリーダーが首相になってしまったのが原因でしょう! | ||||
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事故調が立ち上がる展開などリアルですな。 下巻が楽しみになりました。 芝野のイメージが柴田恭平により近づいた印象を受けました。 | ||||
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髪が風に吹かれている。川原の光をにじませている。 ぼくは久保田の顎を見つめる。 ぼくは久保田の手を見つめる。 ぼくは久保田の頬を見つめる。 ぼくは久保田の見つめている。 ぼくはまぶしさを感じている。 久保田の隣で、ぼくはサンドイッチを手にしている。 ある日、天から謎の火球が落下してくるのを、教室の窓から目撃した「ぼく」たち。 落下速度に制動がかかったことから、ただの隕石ではないと感じた四人の高校生は、自転車で落下現場に向かいます。 これが、七日間の物語の、最初の出来事でした。 自意識過剰で、頭の中は理屈だらけの「ぼく」 僕の後ろの席の、気持ちを表面に出さないが「松本零士の漫画に出てくる女性似の、なにかしらの美人」である久保田。 ぼくの中学からの友人で、現実的、行動的で「結論」を急ぎたがる平岩。 膨大なSFの知識を持ち、起きている状況をたちどころに作品に置き換えて事件の「可能性」を説明する倉石。 物語は「ぼく」の一人称で進行していきます。 落下現場のクレーターからは、隕石らしいものは発見できず、 しかしまもなく、街のあちこちが陥没し、穴同士が繋がって深い谷となり、 人々や家々を次々と飲み込んでいく事態が到来します。 谷の底からは、悪臭を放ち人を襲う触手のような異生物(?)も出現。 四人の通う高校も、この災厄に巻き込まれ、校舎もろとも谷底に転落します。 液状化した谷底に飲み込まれていく逆転した校舎の中で、生徒や教師の生き残るための苦闘が続きます。 ストーリーだけを取れば、80年代のパニック映画を思い出させるような「SFジュブナイル」らしい展開です。 ところが、読み出してまもなく「これは、どういう話なんだ」と読者は途方にくれるかもしれません。 なんだか、ストーリーが背景に回っている。 かわりに、尋ねてもいない「ぼく」の奇妙な内面が、これでもか、というくらいに詳しくしつこく、語られていくのです。 「ぼく」にとって最優先は、久保田です。 特別な関係にはないといいつつも、実は、考えているのは彼女のことばかり。 「ぼく」の切実な願望は、久保田との「精神的な距離を縮める」ことです。 「ぼく」は自分を「精神的で、中庸を好む人間」であるとし、久保田に好意を持っているらしい平岩の、久保田への「非精神的」アクションをとても気にしています。 平岩を心の中で繰り返し「非精神的な迷妄の奴隷」と罵倒し、軽蔑しますが、そんな気持ちはおくびにも出さない。 それは、実は「ぼく」自身が持っている、非精神的な部分への嫌悪の情に他ならないからです。 ぼくは久保田を久保田と呼ぶ。…久保田を久保田と呼んで抽象化し、言わば非精神的な要素を排除することで久保田とのあいだに距離をたもち、安定させているのかもしれない、とぼくは思った。つまり久保田は精神的な存在だった。その範囲で久保田に肉体はなかった。しかし抽象化をやめれば、久保田は非精神的な存在になるに違いない。そのとき、距離はどうなるのか。暗黒の領域を手探りで進めば、距離を誤ることになるだろう。暗黒の領域には罠が多い。そこでは現実と迷妄を見分けることができなくなっている。すべてが非精神的な期待と願望に還元される。…期待と願望が真実をゆがめて迷妄を呼び出し、精神的な人間を非精神的な人間に変え、非精神的な人間は迷妄の亡者となって闇の中をさまようのだ。気をつけなければならない、とぼくは思った。 彼の頭の中は、あきれるくらいに「理屈」でいっぱい。 周囲のちょっとした一言や動作が、疑念と、嫉妬と、憎悪をよび、同じ理屈を何度も何度も反芻する。その軽蔑ぶりはかなり徹底していて、「ぼく」は人ばかりか、今陥っているパニック状況、迫りくる異生物にすら恐怖と軽蔑を感じ 「恥ずかしい」 と意識から退けようとするのです。 そんな彼の内面を、これでもか、というくらいリアルに語りつくそうとする異様な文体。傷の入ったレコードのように反復される「繰言」。 巧妙に配置され、文章と一体化したような感情表現の豊かな挿絵や、 台詞の置き方、紙面の文字の配分にいたるまで考え抜かれた「視覚的効果」が、いっそう異様さを際立たせています。 読者は読み進むうちに、そんな「ぼく」にすっかり閉口するでしょう。 それでも、どこかで密かに「共感」するかもしれません。 老いたネコパパも、これを読んでいて、 自分の奥底に隠れた「愚かな少年」が覚醒するような、いやあな、気分になったのです。 そんな、どうしようもない自意識を抱えた「ぼく」ですが、それを主体的な行動として外部に現し、他者と対立したり、物語に波風を立てたりすることは、ありません。 「ぼく」はひたすら受身で、何もしない。 本作が三人称で書かれていたとしたら、オーソドックスな「SFジュブナイル」あるいはパニック小説の枠内にとどまっただけでなく、 主人公は、「ぼく」ではなく、より行動的な平岩になっていたかもしれません。 外部から隔絶し、自らも外部を隔絶した「ぼく」の息苦しい物語は、 そのまま、私たちの現代に繋がるリアリティを感じさせます。 2011年3月11日、私たちは事態に遭遇しました。 本作を「大震災」を投影した作品と読む人もきっといるでしょう。 2015年3月29日に池袋で行われた読書会では、 「6日目(第六章)の最後のページが311なのは、3月11日を意識しているのか?」 との意見もあったそうです。 極限の事態に、私たちはいかに目の前の現実を認識するか、あるいはしないか… 少年の内面を冷酷に描くことで、目の前の事態に目をふさぎがちな私たちに「覚醒」を呼び起こす… そんな意図が含まれているのかもしれません。 物語の終わりの言葉は、こうです。 これはどこかで終わるのか、とぼくは思う。 ここに戻って来れるのか、とぼくは思う。 ぼくは思う。 いまはもう、思うことをやめようと思う。 | ||||
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地球外生物の襲来というSF小説の形をとりながら主人公である高校生男子の揺れ動く性的心理をメタファーに表現した意欲作。読ませるだけでなく見せる文章表現は特筆ものだ。 | ||||
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