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ヘヴン
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ヘヴンの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.41pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全156件 121~140 7/8ページ
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テレビドラマで見たことがあるノリを、上手な文章で奥の深い小説にしてしまっているので溜飲が下がる。 今までの作風は、題名や突飛な文体があざとくて取っつきにくかった。スタンダードに切り替えたことで、やっと川上さんの才能が見えた。 芥川賞は、取る前の実力、取った時の実力でなく、その後が大切だ。 審査員は、そこまで見越していたのだろうか。 | ||||
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著者の特徴である文体を徹底的にそぎ落として没個性化を行い、 あくまで物語の構造と主題に向かいあうという姿勢は、 読むほどに強くその苦闘が感じられる。 コジマ的な世界観(いじめにより傷を受ける自分たちだけが本当の真実を知っている)、 と百瀬的な世界観(要はゲームのルールの中で、たまたまそうであっただけ) の間で主人公の僕が最終的に選択するのは、どちらも拒絶する道。 しかし、そこに新しい世界観があるかと言えば疑問であり、 僕が見る、その新しい世界も「しかし、ただ美しいだけ」 というカタルシスを抱えたまま終わる。 文体にしても、主題にしても、苦労の末の行き場の無さが感じられてしまう。 | ||||
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一般の人が理解しにくい絵ばかりを描く画家に 普通の風景画を描かせたらやたら上手かった。 という感じ。良く出来てると思います。 これまでの作品は個性がありすぎてついていけませんでしたが、 今作は文体とかについては読みやすかった。 とはいえ長々と続くいじめ描写を読むのはしんどいですね。 作中の「いじめる側の論理」が印象的でした。 | ||||
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川上未映子作品、三度目の挑戦にして、はじめて通読できました。なさけないことに、いままではあの独特な文体についていけず…。そういう意味で、これまでとはちがう平易な文体でかかれた本作は、川上作品とふれるよい機会になりました。 「いじめ」というなんとも人間的な行為の渦中にある登場人物たちの描写から、善と悪、意味と無意味、信仰とニヒル、愛と暴力などという一見アンビバレンスにおもわれることが、じつはどこかアナロジーを孕んだもの、さらにいってしまえば、コインの裏表のような同一のものの異なった両側面のようにみえてきました。それは、いじめの加害者と被害者である論理的でニヒルな百瀬とかたくなに「しるし」をまもる殉教者のようなコジマという対照的な二人の声が、「僕」の前でいれかわる雨の公園の場面によくあらわれている気がします。さらに、そうした観念的なアンビバレンスとその統合がこの小説の一側面とかんがえるとクライマックスではもうひとつの側面が提示されます。百瀬に無意味とされ、反対にコジマにはスティグマとされた、世界を二重にうつしだす斜視の手術をおえ、睡眠障害による境界の曖昧な夢と現から脱した「僕」がはじめて出会う「ただ」の世界、そして、その美しさ。ここで視覚、感覚も統合されるのです。そうしてかんがえると、観念と感覚もひとつになったといえるのかもしれません。 もうすこしコンパクトだったらよかったなとのきらいもありますが、はやくも次回作がたのしみです。 | ||||
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結論から言えば、この作者は 「善悪を相対化するためにこの話を書いた」のではない。 いじめを肯定し、奨励し、加害者を擁護するために、 この書物を著したのである。 もし善悪を相対化するというのなら、主人公が幸福感を味わう瞬間などで 話を終わらせはしない。 被害者も加害者も等量に書く。 主人公が手術を受けようといじめは消えず主人公は自殺し、 その後も加害者らはまったく反省せずへらへらしているというところまで 描写するであろう。 そういうラストを読んでなおも、善悪とは何ぞやなどと 考えていられる読者がいたらお目にかかりたいとも思うが。 出てくる中学生の像がリアルでないという指摘は、ある意味的外れであろう。 なぜならこの作者は、 いじめのリアルを書くつもりなどさらさら無いのだから。 斜視を直したところでいじめは止まないとか、 あるいはいじめの被害者が加害者に向き合うと怯えて 何も言えなくなってしまうというような実態を反映した描写は 読者にいじめへの反感を起こさせてしまうから 作者としては都合が悪いのである。 もっとも、実在感のある展開を書く技量などこの作者には無い。 以上の考察の正否を判断するには、作者の次の発言で充分であろう。 「善悪を書くに当たって、戦争や犯罪では善悪がはっきりしてしまうけど、 いじめはそうではないからいじめを題材に選んだ」 作者にとって、いじめは悪ではないのである。 追加:2010年10月、小学生の女の子がいじめを苦にして自殺するという 悲しい事件が起こってしまいました。 そして今11月にも、中学生の少年がいじめを苦にし自殺という報道がされました。 教育現場は何人子供を殺せば気が済むのでしょうか……。 こういう事件にあける被害者の最後の瞬間の心境を思いやると、 文学って何の意味も価値もないなと思ってしまいます。 いや、文学に価値はあるのかもしれないが、このヘヴンにはないですね。 この本の作者、出版を許可した編集者、この本を褒めた評論家や読者はみな、 上の事件について、また自殺した子の霊に対して何かいう義務があると思いますよ。 「こんなもんただインテリ感にひたるための言葉遊びだ、現実の世界なんて関係あるか」 というのがいちばん欺瞞でないと思うのですが。 それとも「死んだ子は心が弱くて勝手に過剰反応して勝手に死んだだけ」 とでも言うんですかね? | ||||
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川上未映子作品を初めて読み、最初がこれで良かったと安堵。どうやら「いじめ」という事柄を借りて、何か話されている印象。 後半にいくにしたがって、ライ麦畑でつかまえて、を思い出しつつ、(もちろん、見る角度はまったく異なります) 自慰行為シーンでは、銀杏BOYZの曲を思い出しつつ。(私にとっては、あのはき違えた閉塞感、よく似ていました) ヒロインと加害者側(百瀬)の世界観の違いが印象的。それによって主人公が、別角度から3つめの世界の像を結ぶ。 象徴的な世界観3つが描かれているんだな、と。そして、世界観をしっかり持った人の方が、世の中強いよなと改めて。 とはいえ、星は3つ。 百瀬、しゃべりすぎだし、主人公の斜視の見え方の描写が少なすぎて、最後、感動が伝わりにくかった。 感動を、言葉で無理やり伝えられような。序盤からもっとどう見えているのか、伝えて欲しかったなあ。 | ||||
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ただ読んで見ると、単純なイジメについての小説だと思うと思います。けど背景には善と悪という問題があるのですね。善と悪は絶対的な物では無く相対的なものと私は思うのだけど、この難しい問題をうまく小説で表現しています。独特の表現がなくなり、個性が無くなったという批判もあるようですが、この表現方法も彼女の個性であるし、いろいろな表現方法を通じてこれからも良い本を書いてくれると思います。背景を知ってから読むと、見方が変わりますね。 | ||||
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TVで川上未映子さんの特集のようなものを見て、彼女に興味を持って読んでみたのですが... 全く伝わってきませんでした。正直がっかりです。 言っていることはわかるし、おもしろいとは思うものの、いじめに対する評論のようにしかイメージできませんでした。 中学生の主人公が語る内容にしてはどの台詞も理知的で大人の言葉にしか感じられず、 物語としてリアリティが欠如しているように感じました。 どいつもこいつも賢すぎる。悟りすぎてる。こんな奴らがいじめられたりするかと・・・ どれもこれも作者の口から発せられているかのような台詞ばかりで、どうもしっくり来ませんでした。 物語として役を与えるならその物語の中で主張を展開して欲しかった。 | ||||
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まず、『乳と卵』のような独特の文体ではありません。私達が普段使っている言葉で書かれています。 『乳と卵』ではわかりにくかった、著者の言葉の使い方の上手さ、感性の鋭さを、私はこの作品からは感じることができました。 この著者は「上手い文章を書く人」というよりは、「上手く表現する人」なのかもしれませんね。 特に、「日頃、感じたり頭で考えたりはするけど、言葉で言い表すことはない感覚、感情」を言葉で表現する術を持っている方であると感じました。 この作品で取り上げているのは「いじめ問題」であり、残忍ないじめの光景も出てきますが、それは他の著者もやっていること。この作品は他にはないほど、「いじめをする者、される者の心理状態」に徹底的にフォーカスを当てています。それゆえ、コジマ(いじめをされる者)や百瀬(いじめをする者)が語る言葉が、小説が本来持つべき「ドラマ性」からちょっと離れて独り歩きしている印象がありますが、コジマの自分がおかれている立場を客観的に語っている言葉や、百瀬の矛盾した自己肯定だらけの言葉は、この「いじめをする者、される者の心理状態」をリアルに言い表しています。 ちなみに主人公はコジマと同級生である「僕」で、こちらもいじめを受けています。そして徹底的な「僕」目線で、いじめを受けることの苦痛と、心の動き、そしてコジマとの交流により、コジマに対する心情の移り変わり(同じ「いじめられっ子」として、そして、異性としても)も、他の著者の場合、言葉で描かず素振り等でなんとなく表すような些細な感情までをも、あますことなく描いている印象がありました。 | ||||
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芥川賞受賞作の「乳と卵」は独特な文体とリズム感が印象的で、 いい意味でも悪い意味でも記憶に残る作品だったけど、今作には正直「これが川上未映子?」と思ってしまいました。 「乳と卵」に比べると読みやすくなったけど、川上さんの場合はこれがいいこととは思えない。 彼女の素敵なセンスが・・・個性がなくなってしまった(泣) 単純に中学生のいじめを描いているだけじゃない。 もっと精神に訴えてくるようなメッセージも発しているような気がしつつも、それが何なのかきちんと伝わってこない。 だからきっとこの本は長く記憶には残らないだろうなぁ。 百瀬という同級生を、あの病院での場面だけでなく、もっとしっかりと描いてくれたら違っていたかもしれませんが。 | ||||
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きっかけは新聞の広告で、とても評判が良さそうだったので読んでみました。 正直、星一つだってあげたくないです。 何が面白いのか、どこが名作なのか、さっぱりわかりません。 一体何がしたかったのか?この小説は何を伝えたかったのか?考えてもわかりません。 いじめっ子達に何の制裁もくだらなかったのも不服です。その不条理さが伝えたかった事なのかもしれませんが。 皆さんのレビューも星が多くてびっくりしています。 名作だなんて、一つも思えません。駄作だと思います。 | ||||
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う〜ん、不満は残る。 小説自体に漢字が少ないのは主人公の知識レベルを表してるって事?主人公に名前がないのは読み手に感情移入させやすくするため?誰でもない誰かって事?「すべての出来事に意味がある」とコジマに言わせてるんだったら、こういうレトリックも回収しないと、その言葉は嘘になってしまうし、もっというと百瀬の言う「すべての出来事に意味はない」事になってしまう。もっと普通に物語を語ってくれればいいのに。作家の影がちらつく。 けど、主人公の心理は巧く描けていたと思う。それに、いじめられっこ(主人公)のヒロインもいじめられっこ、っていう設定は新鮮で面白かった。 | ||||
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どうも気になって川上氏の作品ははじめてだが読んでみた。なんと言ったらいいか分からないけど、日本語をまとめた文章から成り立つ作品としてはとてもスリリングだし、どこまで意識的かは分からないが(作者がこの作品中の人物の中でどこにアイデンティファイしているかも掴めない)、きわめてリアルで、きわめて意味深いテーマを秘めていることは間違いがないと思う。 かと言って読んでいてキツい作品であるのも間違いないので、誰でも彼でも「良い作品!」とは思わないだろうし、あちこちに散乱したイメージも、意味性も最終的に収斂できていないので(読後にカタルシスがないのはそのせいかと。それはリアルさの証でもある)、個人的にいわゆる「小説」としては☆5個にはならないかも。が、はじめから最後まで貫き通した言葉の連なりが持つテンションに多大なる敬意を表して。 | ||||
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この人はちゃんとした文章が書けるということに驚きましたが、内容はどこまでも重い。僕とコジマの友情(恋愛?)関係はほほえましい救いであるが、作者はあのラストのためだけに物語を書いたようだ。しかし私の知りたいのはそのあとである。斜視の治った僕やコジマの生き方がどう変わったのか、僕やコジマに対して苛め仲間がその後どういう態度をとったのか、ヘヴンとはどういう絵だったのか、知りたいことは尽きない。ぜひ続編をお願いします。 | ||||
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素晴らしい感動をくれた作品です。読んでいってどんどん苦しくてなる・・・やるせなさと悲しさにさいなまれます。そして最後に救われます。だから「ヘブン」なんだ!こんな緊張をもって最後まで読むことができた作品は久しぶりです。著者の評価が変わりました。短編やエッセーを書く少し風変りなシンガーから「作家」へと印象が変わりました。川上さんは名を残せる作家になるかもしれません。期待します。 | ||||
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すばらしい小説です。苛めは大人の社会の縮図です。といわれますが、このテーマを単なる風俗や社会現象ではなく、神なき現代世界の構造としてリアルに書ききった作者に意志に敬意を表します。特にコジマは苛められつづけることに実の父親につながる弱者としての意味を見つけ、殉教者のような聖性を獲得します。百瀬はもっとも(イワンやスタビローギンに通ずる)ドフトエフスキー的人間で、現代ではもっとも現実的な説得力をもっています。ここには善悪の価値はなくすべてが自由です。そして現実に現代社会の多くの現象がそのような権力と暴力構造で動いていることも事実です。 僕はコジマを守るために二宮を殺すという人間的行為を止めた、コジマの聖性に限りなく惹かれつつ、百瀬ともコジマとも一線を隔すことになる。圧巻は最後のクライマックスでコジマと百瀬の声が重なる部分である。世界の意味に引き込もうとする点では両者とも同じなのである。主人公の僕は斜視を治して世界そのものを見ることを選ぶ。意味の以前の世界そのもの美しさを発見する。 この小説が単にいじめ現象を超えた広がりを感じさせるのは現代のわれわれの精神の深層を描いた作品であるからである。 | ||||
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天吾と青豆(村上春樹の1Q84)程に互いに絶対的な存在でなくとも、それに準じる関係の苛められっ子同士の中2のロンパリ(僕)とコジマ。二人がギュッと手を握るシーンには1Q84とのシンクロニシティを以下の文体には村上さんの影響を強く感じました。 「疲れているということと葬式の帰りということを別にすれば、それはとても気持ちの良い午後だった」 後世に残る傑作文学の域でなくとも、時折、以下のような琴線に触れる表現が忍び込み、小説を良く読む方でも、何か大切な物事の核心や本質を突く著者の表現を楽しめると思います。 「コジマが不安になったり、安心しすぎたり、そういう時には僕の髪を切るといいよ。もう家の人に隠れてちらしとかさ、そういうのをこっそり切らなくていいよ。いつでも、僕の髪を切っていいよ」 「ねえ、神様っていると思う?」「大事なのは、こんなふうな苦しみや悲しみには必ず意味があるってことなのよ」 | ||||
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新聞等で評価が高く紹介されていたので手にしてみた。 前半はいじめのシーンが多く、読み進めるのがつらく心に錘を乗せたまま読んでいる気分だった。 コジマは中学生にして、人間の心の弱さ、愚かさ、浅はかさを悟ってしまっているようだった。 知ってしまっているからこそ、同じようにいじめにあっている「ぼく」に近づき寄り添い、 悲観的なこの世にも、そうではない場所「へヴン」はあるんだよと「ぼく」に光を与えようとしたように思う。 そこには全てを包み受け入れようとする人類愛のようなものを感じる。 重い気持ちで読み終えた私に、「ぼく」を理解し大人として物事を見極める継母の存在が救いだった。 そしてこの継母が「ぼく」のそばにいる限り「ぼく」は前に歩いていける気がした。 | ||||
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「僕」と「コジマ」の奇跡のような交流場面が美しかった。はかなく無力なものは美しいのか。外見が醜い分、聖性を感じさせた。 どうストーリーを展開させていくのか、引き込まれた。中学生のコジマと百瀬が自己認識について十全に語るところが不自然で、違和感があるが、小説なのだから仕方がない。「僕」が石を持って迷うところで、ああ、この場面で作者も逃げを打って終わればいいのに…と思ったが、まだページが残っているのでハラハラして読んだ。 ラストの涙は、場面として美しい。でもちょっとちぐはぐな感じがした。 | ||||
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広告のコピーを読んで読みたくなり一気に読みました。 感想としては、ごめんなさい、普通の本と思いました。 いじめが何故起こるのか、なぜいじめる側はいじめることを悪いと思わないのか、いじめられる方は何故従うのか、そんなことを客観的に考えてそれを登場人物に語らせて話を展開させて、ありそうな話に仕立てているという感じでした。 登場人物の主張するところには40代の私としては、何と言うか衝撃を受けたり、 新たな感動とかわいてきませんでした…。 もう感性が若くないのかもしれませんね。 | ||||
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