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ヘヴン
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ヘヴンの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.41pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全156件 21~40 2/8ページ
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平易な文章で読みやすく、先が気になるプロットで、あっという間に読み終えました。 山場に向かって緊張感が高まり、同時に哲学的な構図が明瞭になっていくのが特徴的。 やや親切過ぎるくらいに説明的なところがあって、哲学に詳しい方は興ざめするのかも知れないなと思いましたが、私のような素人が哲学に興味を持つきっかけとしては丁度良かったです。 現実のいじめ問題に正面から対峙するようなタイプの小説ではないと思います。 | ||||
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こころを失ったブリキの人形の百瀬がスタブローギン、お調子者の殺人鬼のピョートルが二ノ宮というように。 もちろん川上未映子はそんなことを思いもしなかっただろうが。 | ||||
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14歳の僕はイジメを受けている。斜視がきっかけだ。叩かれ蹴られチョークを食べさせられる。そんな時に手紙が届くようになる。差出人のコジマも女生徒からイジメを受けている。 コジマがヘブンと名付けた絵を見せたいという。恋人たちが部屋でケーキを食べてるのだが、とても辛いことや悲しいことを乗り越えてたどり着いたとこだと言う。自分たちが今イジメられてるのも耐えたその先に、越えた人しかたどり着けない世界があると言う。 後半でイジメグループのひとり、百瀬にどうしてイジメるのか。僕が斜視だからかと詰め寄る。百瀬は「関係ない、偶然だ。」と言い罪悪感はこれっぽっちも持っていなかった。 たぶん世の中のイジメって斜視で気持ち悪いとか汚い、臭いとか最初のきっかけはあるけど、継続してイジメるのは相手を下に見て従わせる快感に酔ってるだけで罪悪感は感じて無いんだろうと思う。 最後の場面は12月、僕が斜視の手術を受け並木道の真ん中で眼帯をはずすとこだ。「はじめて世界は像をむすび、世界にははじめて奥行きがあった。世界には向こう側があった。…そこに映るものは何もかも美しかった。」 ずーっとイジメられてきた僕が到達できたヘブンなのだろう。コジマが見せたかったヘブンなんだろう。 しかし…と思う。イジメる側は斜視はキッカケであり理由じゃない。解決した訳ではない。そしてもう一人のコジマはどうなる?ハッピーエンドかと感動していたが急に不安になった。 | ||||
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コジマのキャラクターを本当に魅力的で、主人公である僕を違う次元へとぐいぐい引き込んでいく力を感じた。コジマも僕も、お互いを思いやりながら変化して行くのだけれど、その変化の方向やスピードの違いがだんだんと大きくなっていくのが描写の中に感じられて、読み進めるのが切なかった。読後感が悪いという人もいるかもしれないが、私は余韻と受け取った。作者によって簡単に万人受けする解釈を押し付けられるのではなく、読者の解釈に任せる余韻の部分を作ることは、読者を信用して任せるということでもあるし、あえて批判も受け入れる覚悟でもあると思う。登場人物が年齢の割には少し理論を述べ過ぎる感じが不自然な気もしたが、読み応えのある、考えさせられる物語だった。 | ||||
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中学生のイジメの壮絶さに、途中何度も息が詰まりました。フィクションとは分かっていても、おそらく、これと同じようなことが現実としてどこかで行われている気がしました。 P.48 美術の時間に、線路をつくりますと言って二ノ宮が取り巻きに僕を押さえつけさせ、 手のひらをひろげさせ、ひらいたホッチキスで針をばちんばちんと打っていった。 P.153 放課後の誰も居ない体育館に呼び出された「僕」は、6人に囲まれ、破れたバレーボールを無理やり頭から被せられ、「人間サッカー」として頭部や顔面を蹴られ、「床にどろりとひろがった血」「シャツの胸のあたりについた血も真っ赤」になった。 これらはイジメを通り越して、間違いなく犯罪です。 私は子供を持つ親として、主犯である二ノ宮(学年でスポーツが一番で、成績が優秀。教師でさえ二ノ宮には一目置いているような感じがある。)に殺意を覚えたくらいです。 そして「僕」は、病院で偶然に会った副主犯格の百瀬に、「なんで、・・・君たちはこんなことができるんだ」と声を振り絞って問いかける。その後、百瀬との問答は長々と続くが、百瀬の論理は自分勝手で完全に破綻している。やはり、こいつも冷酷な人間であった。 百瀬は「僕たちの年齢じゃ、なんであれ犯罪にはならないからね。そういうのって、すぐになかったことになるし。苛めっていうのはあいまいだよね。」と言っている。 中学二年生は13~14歳であり、14歳に達していれば刑法が適用される。もし、二ノ宮たちが14歳に達しているのであれば逮捕され、家庭裁判所で審判され、送検されなければならない。 「僕はしだいに自殺を考えるようになっていった。」 でも、幸い「僕」は自殺をしなかった。同じ苛められ役の「仲間」であるコジマの存在も大きかった。まず、最悪の事態にまで至らなかったのは救いである。 私は読んでいて何度も、主人公の「僕」を救いたくなりました。 少なくとも「人間サッカー」をさせられ、血まみれになった時に、救急車を呼んでいれば、消防から警察に通報され、間違いなく日頃の犯罪が明るみになったのに・・。 主人公の「僕」は斜視の手術を受けた後、果たして苛めの対象から外されたのであろうか? 7人の不良グループから公園で裸にされることを強要されたコジマは、「僕」が石を持って二ノ宮へ反撃するのを止めさせるためか、脅迫を受けるカタチで自ら裸になり、そして、加害者らの頬をひとりづつ撫でていった。 公園のそばを通りかがった中年女性が「なにしてるの」と声を掛けたことで、二人は危機を脱したが、コジマの心には一生キズが残るのではないか? この後、教師たちには苛めの顛末がすべて伝わったのだろうが、果たして、二ノ宮は警察に逮捕されたのか、児童相談所に送致されたのかは分からない。 いずれにしても、最初から最後まで壮絶な苛め(犯罪)であった。私は息苦しくなって、何度も読書を中断してしまった。著者の描写はそれほどリアリティに富んでおり、読者を震えあがらせた技巧は見事である。 川上未映子さんはこの作品で我々や世間に何かを問うているのであろうか? 非常に重苦しく、考えさせられた作品である。 | ||||
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読み始めたらノンストップで最後まで読んじゃいました。 イジメのリアルがないなどと批判を受けてる印象ですが、別にイジメ小説が読みたかった訳じゃないのでいいです。 百瀬や二ノ宮のキャラクターへのバックグラウンドの浅さはある意味、主人公がその人たちを実の所は何も知らないっていう状況と重なって良かったです。 多分だけどコジマも間違えてて、どこかおかしいんだと思いました。でも消去法で主人公と友人になって、かけがえが無くなっちゃったんです。主人公の斜視が主人公の性格形成に影響なんか無いはずだからです。多分2人は虐められてなければ友人にもなってないはずなんだろうなってのがわかってその距離感でかけがえのない友人になっていく違和感を薄々2人とも気づいてたんじゃないかな。 最後の文も最高でした。主人公の彼が大人になった時にでも、美しさを思い出せる人と居るといいな | ||||
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最初から最後まで終始いじめの描写が生々しく、読んでて気分の良いものではなかったです。 | ||||
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「真・善・美」は哲学史において繰り返し論じられてきた主要テーマである。著者はこの問題を扱おうとしているのだろう。特に「コジマ」と「斜視」の設定は、ニーチェの片思いであったコジマや、サルトルが斜視であったことをすぐさま想起させる。またストーリーの内容もニーチェの著作「善悪の彼岸」や、サルトルの代表作「存在と無:(地獄とは他人)」をイメージさせる。著者がこれら哲学書をどれほど強く意識して書いたのかは分からないが、自他存在の有り様と常識の転倒を意図したのは明らかだろう。物語後半の百瀬と主人公の対話は、常識を転倒させるという意味において、本来ならば物語の華僑となるところであろうが、ありきたりな会話で終始し、深みはない。また、反省的自己に固着していた他人のまなざし(ヘル)を手術という物理的処理によって解放(ヘブン)へ導くというアイデアもあまりパッとしない。端的に言って、暴力という刺激物を多用して、読者を惹きつけるという手法を使ったことが、そもそも安直であると思われる。折角の哲学的テーマが消え失せて、単なるイヤミス的娯楽小説に転覆している。 | ||||
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「父と卵」を読んで「ヘブン」を読む。なめらかな大阪弁の渦の中に飲み込まれて、終わり近くに泣き叫ぶような魂の叫びに圧倒されました。エロスというより生存在の悲しさとどうしようもないからだと心の言葉と文体を持った人だと思いました。ヘブンは、ずっと胸がつかえ言葉が空回りしてただ熱いものが体の中からむせかえるようにでてくる感じで最後まで息を止めるように読んでしまいました。素晴らしい作品ですね。あーまたすべての作品を読んでみたい作家に出会った気がしました。情感のある言葉の中に引き込まれながら物語が夢のように展開していき、はっと目がさめるように次の場面が流れていき苦しかったです。村上春樹さんとの対談集「ミミズクは、黄昏に飛び立つ」も面白かった。鋭い質問に愛を感じた。飄々と答える村上さんの作品制作の心髄に触れそうで触れさせない対談も面白かった。わからないことが大事なんだと思った。 | ||||
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学校の同じクラスでいじめを受けている男子生徒と女子生徒がいて、そこから2人の距離が縮まる話である。 読んでいて、気分悪くなる人もいるだろうし、結末でも、うーむと唸る人もいるだろう。 正直、自分自身もまた再読したいという気持ちになるには、内容を完全に忘れるまではないと思う。 虐める側の言い分が本書に書いてある。 簡単に言えば、他人事だからいじめるのである。 傷つくのは僕らじゃない。 そう、彼らは相手の立場になって考える事が出来ない、視野が狭い人間なのだ。 その視野の狭さを、主人公の斜視という病気に重ねてあると思う。 主人公はいじめられている自分を直視せずに、ただ受け入れている。 そりゃ虐める方が100%悪いのだが、主人公の僕は何か具体的な手段を取る訳でもなく、黙って事態が過ぎ去るのを待っている。 その判断も所謂、視野の狭さなのかもしれない。 話は斜視というファクターありきの話でもあり、最後に斜視を治す手術を受けた描写もある。だが、治したからと言え、現実がガラッと変わるのだろうか?という気持ちもする。 それと、もう1人の主人公である、女子生徒のコジマ。 彼女は主人公の僕に、情けから来ている共感で、僕に近づいてくる。 友達がいない彼女は、仲間が欲しいようだ。 それに彼女は美術館にある、ヘヴンという、 コジマ自身が勝手に名付けた絵が好きである。 タイトルのヘヴンが持つ意味はなんだろう? 本書で、壮絶な虐めを受けた彼女の最後はどうなったのかはわからない。 最後の公演での悲惨な虐めの発端は、彼女が欲しがっていた、仲間への裏切りだったからだ。 それ故、ヘヴンに行ったかもしれない。 風呂敷を回収していない話もありますが、 それも人の視野、見える範囲には限界があるかもしれないという暗喩?なのかもしれない。 小説を読み終えて、上手い小説だなと思いましたが、面白くない小説でした(話のテーマ的に)。 | ||||
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世の中は喜んだり怒ったりする人たちで成り立っている。読んでいると辛くなる部分もあるが、いじめる人といじめられる人、それぞれに色んな考え方や価値観がある。世界は美しいと思えるような心の余裕が、人間を前向きにさせてくれる。そんなことを考えさせられる本だった。 | ||||
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いじめる側の驚くべき価値観といじめられる側のよりどころとする価値観の完全なるすれ違いの描写がすばらしく、解決できないことがわかったときの無力感、絶望感の描写が胸に迫る。 | ||||
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低評価の主たる原因である、伏線の未回収については、あえて不要な描写をすることによって想像の余地を残し、個々人にその後の展開を含ませる効果を狙ったものかと思います。全ての描写について意味が求められる文芸に対するアンチテーゼなんでしょう。 ただ、あまりにあからさまな伏線を多数放置しているため、読後感は悪いです。 大衆小説として、表現は平易で読みやすくテンポもよい。展開に期待を持たせる描写も良いかと。 文芸小説としての欠点は、例えば ・主人公の内面描写が単純。その他の人物も元ネタがあからさまにわかる。 ・登場人物が自己の哲学を語りだすが、長すぎて不自然。 ・場面の主題に対して、登場人物それぞれの回答が浅い。または答えがない。その後の変化もない。 ・展開が予想の範囲を超えてこない。 などなど。 もし、芥川賞作家の作品でなかったなら、評価されることはなかったのではないかという感じです。 が、勝手に期待して、勝手に残念がっている、私のような読者に対するアイロニーも含んでいると思うと、再考の余地があるのかもしれませんね。 | ||||
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3.56点くらいはつけられる本だと思います。個人的にはいじめの本というよりも悪と日常という内容だったという方が正確かもしれません。 何よりも善悪というより、「なぜ他の人はできて、自分にはできないのか」を筆者は書きたかった部分なのではないでしょうか。小さなきっかけ、心理的な思い込みなど多々あるけれど「なぜできないのか」について考えるきっかけをくれた良本だと思います。 これは特に文学的な側面や深い考察、ノンフィクションの類ではありません。エンターテイメント小説として読めば、とてもいい本だと思いました。 | ||||
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有名な作品らしいので読みました。川上さんの小説は芥川賞作『乳と卵』以外でははじめてです。 ストーリーは、斜視で苛められている中学生の少年の元に、同じく「汚い」という理由で苛められているクラスメイトの少女からの手紙が届くという場面からはじまります。 その後、少女・コジマに「あなたの斜視の目は、あなたそのもの」という意味のことを言われ、「その目は美しい」と褒められる。 はじめて目のことを美しいと言われた主人公は、コジマに以前にまして好意を抱くようになるものの、たまたま病院の待合で会ったクラスのいじめっ子の百瀬に、イジメについて、身も蓋もないことを言われ、さらに医者からは、斜視の治る可能性を告げられる・・・というものです。 以下は個人的な感想になります。 自分としては、読みやすかったので〈いじめ〉をテーマにしたエンタメ小説としてなら☆4つ。 逆に文学としては☆は3つかな、と思いました。 理由は、エンタメとして手に取ると、文章も読みやすく登場人物も個性的なので、酷いイジメの描写はあるものの、〈深いテーマ〉のあるキャラクター小説として読めるからです。 逆の理由は、自分はこの小説のテーマを、 『倫理(善悪)』・『宗教の本質』・『近代的主体』の三つかと思ったのですが、読んでいくと、それらのテーマ(問題提起)に対して〈回答〉が与えられているのは『近代的主体』だけだったので、 文学ではよくある、ある意味ありがちな三つのテーマに対して、そのうち二つの答えがないのは文学としては不足感を感じたからです。 (近代的主体のテーマに対しては、スティグマ(作中でいう「しるし」)である斜視を捨てることで主体=自分の意味付を変えられるという、現代的な回答が与えられています) 残り二つのうち『宗教の本質』においては、恐らく川上さんはコジマに〈神話化される前のキリスト〉のイメージ、つまり「生きる意味」と「弱いものに共感する人間」のイメージを与えていますがそれ以上の言及はないので、 さすがにドストエフスキーや遠藤周作の没している現代でもう一度このテーマを真剣に取り上げるからには、川上さんのオリジナルな回答が必要なのではないかと感じました。 (ちなみに、偶然というべきか『ヘヴン』の単行本の発売年と中村文則さんの傑作で現代のヨブ記のような『掏摸』の発売年は同じです) もう一つの『倫理(善悪)』のテーマでは、苛める側の百瀬はイジメを善悪とも思っておらず、今っぽくいうと〈リバタリアン〉という感じ、あるいはニック・ランドやバットマンのジョーカーという感じだったのですが、 ほとんどの人が宗教を信じておらず、最終的には警察や法律を頼る現代日本が舞台なので、どうしても19世紀のドストエフスキー文学に描かれる〈キリスト教の倫理に対抗する悪の哲学〉ほどインパクトはなく、 結果的に百瀬のイジメ哲学も、さすがにニーチェ・ドストエフスキーほどの破壊力はないのではないかと思いました。 もっとも、デビュー2年目で上梓した作品のようで、新人でこんな重いテーマなのに読みやすい小説をかけたのは川上さんの才能だろうと思いました。 くり返しになりますが、テーマの深いエンタメとして読むとおもしろいです。 あと、個人的に良いと思ったのは、主人公がコジマに自分の髪の毛を切らせるシーンでした。髪を切るだけなのにあのエロティックな雰囲気を出せるのはやはり、芥川賞作家の実力ですね。 それと、コジマが主人公に〈ヘヴン〉と名付けた絵を見せようとして、その後あえて見せずに、別の絵の持つ「困難を乗り越えたあとの2人の幸福さ」をコジマに言わせた後、このハサミで髪を切るくだりを持ってくることで「ヘヴン」を描くうまさも、やはり芥川賞や谷崎潤一郎賞を取るだけの作家だなと思わされました。 もう一ついうと、醜い〈僕とコジマ〉に対比させて、美しい〈百瀬と妹〉を出すところも徹底していていいですね。 (教室で百瀬と一緒に居た前髪パッツンの美少女、たぶんあの娘が彼の妹) 全体としては読みやすくて良かったです。 ゴリゴリの純文学は嫌だけど、読みやすくてテーマの深い小説が読みたい、あるいは純文学って何が読みやすいの思っているひとに良いかもしれません。 『ヘヴン』が気に入ったら、遠藤周作さんの『沈黙』やドストエフスキーの『悪霊』も読んでみてください。きっと気に入ると思いますよ。 | ||||
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…「いじめ」を主題にした作品です。いじめられるほうの内面の動き、いじめるほうの心理、傍観者のふるまいも含め、これほど細やかな描写をできるのがすごいなと思う。 いたって平易な文章で書かれていますが、その奥深さに吸いこまれます。著者の力量にうならされます。 こうした社会的な題材は扱うのは非常にむずかしい。実際に起きるいじめにこんな精神論的なことを言ってもいのちは救われないという意見もあるかもしれない。 しかしこれは小説だ。人の心に灯るひとつの希望のありかたとして、この主人公の二人のような態度もあっていい。 つまり、コジマの言うように、いじめをする彼らはほんとうは弱者なのだ、と。それを受け入れる私たちは真の意味で強いのだと。彼女は、いじめっこたちの要求を受け入れ続けるけども、最終的に彼らに魂でぶつかって勝ちます。ガンジーであれマザーテレサであれ、実際の人たちはそんなきれいにはいかず、汚れたぶぶんもあったけど。 もう一人の主人公〈僕〉(こっちがメイン)は、コジマと交流することでなにを得られたのだろうか。〈僕〉はどちらかというと、自分自身の主張はあまりない。コジマや、いじめっこたちの言うことを延々と考え続け、葛藤し続ける。 そして、主人公とコジマのあいだに深い絆が生まれたものの、コジマはいなくなる。いじめっこたちに魂の対決をして力尽きたのを最後に彼の前からは消えてしまう。 読後には圧倒された気分が残りつつ、気になったのは「ヘヴン」について。題名の「ヘヴン」は、コジマが自分の好きな絵に勝手につけた名前です。コジマはいつか〈僕〉と「ヘヴン」を共有するはずだった。それが果たせずに終わっている。 〈僕〉はさいご救われて終わるけど、コジマと「ヘヴン」を共有する未来があるとしたら、物語はどんなふうに展開していくのだろう。そんなことを思いました。 | ||||
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実際の商品を見られないので、「良い」というものの中から選んで買いましたが、表紙に黒い汚れが有りました。 | ||||
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著者の本はいくつか読んでいますが、その中では圧倒的に読みやすいです。 『乳と卵』、『わたくし率 イン 歯ー、または世界』は私には理解が難しいものでした。エッセイ類に至っては(ものにもよりますが)はっきり言って理解困難、読みにくいことこの上ないという感じでした。 著者の小説の中では、圧倒的によいものではあるのですが、数ヵ所、「回収不足」と感じる箇所がありました、 例えば、 ・放課後、二ノ宮があわてたように百瀬を探しに来た理由 ・百瀬の彼女?(の存在) (後で僕が1人でしている時の想像の中にちょっと出てはきますが、それだけでは弱いというか、その出てきた必然性も感じられない) ・百瀬が体育の授業をいつも見学している理由 (後に百瀬が病院にいたことと関係しているのだとは思いますが) ・(現在の)両親の関係がどうなったのか(なりそうなのか) 等々、これらはそのまま放置しておいてよいものとは私には思えません。 著者の小説の中では圧倒的に読みやすく、おもしろいと言うことのできるレベルであるだけに残念です。これらが解決、回収できていれば★★★★☆ぐらいつけられたかも知れませんね。 後はやはり、中学生(思春期)男子の心理・行動の描写が弱いと思いますね。 | ||||
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いじめというものについて、僕、コジマ、百瀬の3人の視点で捉えているのですが、まず百瀬の捉え方については特に意外なものではなかった。コジマについてはしるしだの受け入れるだのと崇高なことを語っているけれど単純に自分を可哀想と言ってもらいたい、注目されたい、そして自分が可哀想と思える人を求めている、自分を正義と思っている浅い思考にしか思えなくて嫌悪感が強かった、コジマは弱い側の人間ではないよね。 色んな悪のかたちがあるなと思いました。良い小説ではあると思うけれど、コジマが個人的に悪い意味で不快だったので3にしました。 | ||||
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彼女の頭の中で作っちゃったストーリーですね。イジメる方の性格設定や描写が現実離れしています。二宮や百瀬みたいなタイプは、積極的にイジメる方には普通ならないよ。百瀬君の議論もすごい不自然であり得ない、説得力がない話ですね。 コジマもねえ。斜視の手術を言い出したのに、がっかりするシーンにはこちらもがっかり。 やっぱり、もう少し綿密な取材を重ねて、いじめられた子供たちの声とか、背景をちゃんと描いてあげないと。結局、読者は作者が何を言いたかったのか、意味不明な読書になってしまいました。妙に暴力シーンを具体的に描いているだけに、読書中も読後感も不快感の固まりになりました。 まだ読んでない人には、この本は読まないことをお勧めします。 | ||||
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