晴天の迷いクジラ
- 女子高生 (151)
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うーん、残念。何だか合わないなあ。 3人の自殺願望者がすんでのところで思いとどまり、ひょんなことから一緒になり、遠方の浅瀬に迷い込んだクジラを見に行くという話。自死を思いとどまり、何とかやっていこうという光明を見出して終わり、という感じ。 ・・・ この3人のそれぞれの話があり、独立して章が設けられています。これらはディテールに富んでおり、ドラマあり、読み物として面白かったと思います。 由人。田舎出身・三人兄弟の真ん中、母親からの半ネグレクトの末、東京で道を見つけるも自らをすり減らすデザイナー。ちなみに素敵な彼女に振られる。 野乃花。絵の天才と持て囃されるも赤貧の幼少時。高校の教師にすすめられた絵画の先生と関係を持ち18で妊娠、絵画の先生は政治家となるも、家と育児に馴染めず東京へ出奔。必死で生きてデザイン会社を興すも、最終的に倒産。 正子。死んだ姉を持つが、その死が母を過保護な毒親にしてしまう。生活のほぼすべてが母親の管理下にあり、正子の鬱屈した気持ちは高校で爆発。気持ちを理解してくれた同級生の双子の兄妹の忍は病気でなくなり、その同級生も忍の死後引っ越してしまう。自分を理解する人はいなくなる。 ・・・ ここから、おそらく鹿児島県辺り?と目される地方へ浅瀬に迷い込んだクジラを見に行く、そしてそのことで由人が理性のかけらで自殺をしてはいけないということから、先ずは野乃花と寄り添い、そして偶然にその後正子と遭遇します。 なんだろう。このあたりの出来すぎ感・偶然を装う必然のような展開が、個人的には今一つに感じました。 地方の人が偶然家に招待してくれる、そこのオバアさんの暖かい歓待、その家の抱えた悲劇、そして3人の回復。 そんなにうまくいくのか?仲間も地方の方も人が好過ぎやしないか。都合よくできていないか。毒親の元に正子は帰れるのか。等々考えてしまいました。 人の可塑性が高いのはよくよくわかりますが、何だか感動させようとした?みたいな疑念すらすこし湧いてきてしまいました。 もちろん、心を病んだことのある方にとってはビビッドでリアルなのかもしれません。第一章のタイトルは「ソラナックスルボックス」で、これは解説で白石一文さんも指摘していますがうつ病のクスリらしいです。その苦難を通ってきた方は首肯しながら読めるのかもしれません。 ただ私は残念ながらでは無かったです。 ・・・ ということで、初の窪美澄さんの作品でした。 個人的には今一つ合わなかったのですが、『52ヘルツのクジラたち』のように、陰→陽への回復、他社理解、絆、みたいなテーマが好きな方には合うのかもしれません。あとはYA系を読みたい方にはお勧めできるかもしれません。 他意はありませんが、偶然にもクジラつながり。 | ||||
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「52ヘルツのクジラたち」を読んだ後、この本も読んだ。 いくら読み進めても、面白くならない。1時間ほどで、読むのをやめた。 ほかの本にチェンジ! 同じ窪美澄さんでも、評価の高い「ふがいない僕は空を見た」を読んでみよう。ほかにも彼の本を買ってあるけど、もしこれでダメなら、ほかの作家の本に。 | ||||
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表紙に破れ、これさえ無ければ第一版なので良いのだが…。 | ||||
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「よく知っている」「当たり前のこと」でも 違う視点や、違う体験や、違う仲間と感じると 違う受け止め方ができるようになる。 そんなことを感じた それが、普通の人にとっての、生きることの 面白さかもしれない | ||||
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作者の筆に圧倒されながら、読み進めていった。章ごとに3人の主人公たちの生い立ちから現在までの人生が綴られ、その苦悩や絶望がリアリティを持って描き出されていく。 キーワードは「母」であろうか。正子は母親の偏愛に、由人は偏愛の外側にあるものとして、野乃花は孤独な子育てに苦しむ母としてそれぞれに苦しみながら生きてきた。立場も性別も年齢も違うこの3人に、私は強く共感する。ヒリヒリとした感覚が痛いほど感じられる。それは、とりもなおさず、作者の筆の力にほかならない。 死を覚悟した由人と野乃花は、ある町の湾に迷い込んだクジラを見にいくことにする。その旅の途中、生きることに疲れ果てた正子を拾う。3人は、かりそめの家族として、雅晴の家に滞在することになるが、そこでの日々が3人の心を柔らかく変えていくことになる。ここに登場する「おばあちゃん」の存在感はとても大きい。その何気ない言葉の中にも、先の戦争をくぐり抜け、命の儚さも尊さも経験してきたからこその重みがある。そして、限りなく優しい。 絶望のどん底の淵を描きながらも、微かな希望の光を差し込ませる。真っ暗でないと見えない光。ここにも、作者の筆の力を感じざるを得ない。 | ||||
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