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ブラッド・ミュージック
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ブラッド・ミュージックの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.17pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全10件 1~10 1/1ページ
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読み進める内に、あれ、どこかで読んだような…という気がしたのは、R.C.ウィルスンの『時間封鎖』からの三部作を読んだ後だったからなのでしょうね。 こちらの方が先に出ているようですけど。 物語としては『時間封鎖』の方が良く出来ていて、読み応えはありましたけど、どちらが面白かったか、どちらを人に薦めたいかと問われれば、私としてはこちらに軍配を上げたいです。 どこの研究所にも一人はいそうな、頭は切れるけど考え無しの自己満足屋なアン・ファン・テリブル、そんな人物がこんな大事を引き起こしてしまうところにも、彼の上司が適切な対応を取らなかったその裏事情にも、リアリティーが感じられます。って言うか、もしや今のコロ△騒動にも、こんな裏が…? と思わせられて、ゾッとします。 ラストにも賛否両論あるようですが、私は気に入りました。暗澹たる結末にすることも、逆に〈神〉を持ち出して人類を霊的に救済することも出来た筈なのに、どちらも取らず、それでいて全人類を幸福感に包まれながら変容させてしまうのは、すごいなあと、感じましたね。 今、こんな時だからこそ、多くの人に読んで、いろいろ考えてもらいたい、そんな物語だと思います。 | ||||
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グレッグ・ベアの小説を読むのは初めてです。 書棚で長い間ほこりをかぶっていた本書は、帯のついてない昭和62年3月刊の初版。でも、本書の4か月後に出版された『久遠(上・下)』は帯が付いている。もしかしたら、『久遠』が出た時に一緒に買ったのかもしれない。平成の31年間ずっと本棚で眠っていたことになる。なんともったいない話だろう。 積読になっていた過去の名作を今更読む理由は数々あれど、あえて効能を捜せば、その作品が社会に与えた影響を、読みながら同時に味わえるということかもしれません。SF的に言えば、未来人の目で作品を評価することができるということかな。(しょうもない言い訳。) 本書を読み始めてすぐに思ったのは、「ああ、これが『二重螺旋の悪魔』の原型だったのか?という衝撃」1993年の出版時に読んだ同書には新時代のバイオホラーだと大興奮したものですが、基本アイデアは本書だったのだと今更ながら気付いた次第。ま、途中からは全然違った展開になりますけれど。 バイオハザードをテーマにしたSFは『復活の日』、『アンドロメダ病原体』など60年代から有りますが、1985年という早い時期に遺伝子工学の産業化という最新の状況を取り入れた本書は技術SFとしても画期的だったのではないでしょうか。 一方で、人類進化をテーマにしたSFとしては、本書の解説でも『幼年期の終わり』が取り上げられていますが、バイオテクノロジーによって内部から変わっていくというアイデアは、のちの諸作に大きな影響を与えているのでしょう。 一人の人間の体内に成立した文明圏というアイデアも衝撃的(NHK特集によって最近一般化?)だけど、次章以降に展開する思考宇宙の成立過程はさらに衝撃的。 本書の影響を受けた作品を調べたら凄い数になりそう。 物語そのものについては、やはり原型となった「分裂前期」の部分が一番スリリングで面白かった。視点もある程度統一されているし。この部分が1983年に発表されてヒューゴー/ネビュラ賞の中篇部門を独占したというのも納得です。章の最後のバーナード博士の逃亡シーンはとっても映像的です。 それに比べると、一番長い「分裂中期」はちょっと判りにくい。視点が3つに別れて、交互に語られることによって全体の状況が明かされていきますが、最初のうちは、スージーもジョンとジェリーの双子も何のために登場したのか理解できませんでしたが、クライマックスまで読んで、そして読み直してみて初めて、ああ、こういう関連だったのかと納得。 「分裂終期」で明かされるゴーガティ教授の理論、ぶっ飛んでいます。 “ブラッド・ミュージック”というタイトルが象徴する血液の、情報の、交響曲。 クライマックスのポールとショーンの再会。スージーの旅立ちのシーン。 中盤の叙事的な描写に対して、終盤の抒情的な描写が対照的です。 エピローグの“思考宇宙”のラノベ展開には呆れましたが、・・・ そうか、これは博士の補完計画だったのか。 追記、今朝(6月20日)新聞に本書の訳者である小川隆氏の訃報が掲載されていました。 長年の訳業に感謝するとともに、謹んでご冥福をお祈りいたします。 | ||||
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大学の試験期間中にちょっと手に取ったつもりがそのまま徹夜して読みふけり、翌日の試験で本作の感想文を書いて単位をもらった思い出。 | ||||
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そうですね、「幼年期の終わり」を想起させるスケールの物語だと私も思います。ただ、比較するとこちらの方がより冷徹で無常感が漂っている気がします。 解説にある通り、高次の存在(神?)と合体する過程を描く「幼年期の終わり」と、塩基の配列を利用してつくられた生体素子コンピューター〝ヌーサイト〟によって理解不能なものにメタモルフォーゼさせられる人類の極限を描いているという点では、やはり読者の気持ちのベクトルは正反対に向いていると思います。それは進化と破滅ほど違う終点を目指しているようにも感じます。 ただ、その内惑星のなかにかつてのままの意識が残っているというラストが救いになっています。いずれにしろ傑作といって間違いはないでしょう。 | ||||
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人類の進化、人類の革新、人類の補完、といったテーマには身震いしてしまうほど心惹かれるのですが、本書はその期待を裏切らない、人類進化のヴィジョンを堪能させてくれる見事な作品です。 本書発表は1985年ですから今から30年以上も前の作品とは思えないほどの先見性で、ミクロ世界から始まった本書が、最先端SFの先頭を走るグレッグ・イーガンも得意とする量子論まで取り入れたまさかの宇宙規模にまで影響を及ぼす物語となっていくスケール感には、なるほどそうきたかと感心してしまいます。 遺伝子工学を専門とするヴァージル・ウラムが密かに研究する、意識を持つ細胞。 この細胞を社外に持ち出すため自身の体に注射したことにより、徐々に人体に影響が出てくる。 そしてその影響の一つとして、体の中から音が聞こえてくる。 それは音楽みたいなもの。心臓、動脈、あらゆる血管を流れる血の摩擦。血の中の音楽。 それが本書のタイトル「ブラッド・ミュージック」だ。 本書のような良質なSF文学が早川文庫補完計画の一冊として復活したことは本当に喜ばしいことです。 | ||||
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文句なしのオールタイム・ベストSFである。 とある科学者の偶然創りだしてしまったものが人類を脅かすことに・・・とどこでにでもありそうなストーリーですが、ぐいぐい読ませてくれる。 小説として「誰が~した」といった客観的に情景を描き出されていたものが、新細胞ヌーサイトの侵食が進むにつれ、「私は見た」「聞いた」「感じた」といった主観的な文体に変わっていく様はうすら寒ささえ感じさせる恐怖であった。特に後半の自我の意識が内へ内へと集中していき、細胞の鼓動さえ感じてしまうようになった人間の変容っぷりはとっても怖い。 オチは好みが別れるようだが、一つの人間の究極の姿に行き着く所までを描き切ったことこそが、今作を名作と言わせしめている所以ではないだろうか。 アンダースンの「タウ・ゼロ」のようなぶっ飛ぶくらいに行き着いた読後感があり、読みきった後の酩酊感はクラークの「幼年期の終わり」を彷彿とさせるものだった。 | ||||
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パラサイトイブで有名になった瀬名秀明氏がこの作品について言及し、”パニックものとして面白かったけどラストに拍子抜けした。SFファンの方々はあのラストを評価してますけどね。”というようなことを仰ってました。 瀬名版ブラッドミュージックであるパラサイトイブの評価はともかく、私も瀬名氏と同様な印象をこの作品から受けました。 しかし、急展開するこのラスト以外では平凡なパニック小説で終わったと思います。 余談ですが、パニックシーン読んでいて人類◯完計画的イメージだなぁと終始思いました。 | ||||
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私は特にSF好きではなかったのですが、この本には圧倒されました。オールタイム・ベストクラスの傑作です。 ある科学者が発明した生体素子を、自分の身体に注射して持ち帰ってしまう――きっかけは些細なことでした。しかし彼の身体の中で知性ある細胞(ヌーサイト)が育っていきます。前半は、目に見えないヌーサイトに身体を侵略されていく、人類側の恐怖が描かれます。この作品はもともと前半部で独立していたそうで、パニック・ホラー小説としてもよく出来ています(156ページまでの展開がもの凄く怖いです。私はSARS騒動のとき、思わずこの小説を思い出しました)。 後半は、ヌーサイトによって変化した世界が描かれます。この展開に対しては個人によって評価が大きく変わるでしょ!う。新しいビジョンは生理的嫌悪感を催すものですが、美しいとか気味が悪いとかいう、従来の「人間的な」感覚の入り込む余地はありません。何しろ世界は変わってしまい、人間の存在のあり方も変わってしまったのだから。 この価値観を突き放す行為こそSFの醍醐味ですが、その点、本作は「ここまでやるんか」と言うくらい徹底しています。SF好きでなくとも、じゅうぶん一読するだけの価値がある小説です。 | ||||
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パラサイトイブを感じさせる出だしだが、こちらの方が先の発表である。 冒頭から中盤にかけての展開は非常にエキサイティングなのだが、後半はややかったるい感じで、最後はきれいに終わりすぎた感があり、私はやや釈然としなかった。 クラークの「幼年期の終わり」と比較される傑作であることは、否定しない。クラークを再読したくなりました。 | ||||
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“幼年期の終り”が、人類の極大へと向かう進化を描いたものならば、極小へと向かう進化を描いたものがこの作品。“幼年期”において救われることのなかった傷ついた大人達。その心をケアする進化の形には好感がもてる。 数年前に一世を風靡した某アニメの結末も、この本の読者にはなんら意外に感じることがなかったはず。かえって異星人が出てきたりしない分リアルで怖い。 | ||||
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