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宿屋めぐり
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宿屋めぐりの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.95pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全15件 1~15 1/1ページ
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面白い | ||||
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私には町田氏の文体がツボです。 この作品はちょっと怖い内容です。 | ||||
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魂の救済! 否、畢竟知らんと放擲されるのだけれども。 死により生が香る、それは感動です。 | ||||
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町田康の文章はでたらめに書いてあるようで、要点はしっかりと把握している。でたらめに書いてあるようなところも、むしろ一種のギャグとなっている。 日本らしいところが舞台なのだろうという設定以外は、時代も状況も設定がムチャクチャになっているのだが、それがある種現代日本の心情を反映していて、そこが前衛的な面白さがあるのだろうとか思われる。 この本も、よんでいると、これはどういう小説なのだというような表現が出てきて、荒唐無稽ではあるのだが、読み取られる意匠は確固としてある。読んでいて笑えるところがいっぱいある。分厚い本だが、読み甲斐はたしかにあった。 | ||||
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一気に思いつくまま書き上げるような短編小説も良いですが、本書や「告白」のようなじっくり腰をすえて書き上げた長編小説には、短編小説にはない腹にずしりとくるような読後感があり、本を読んだ後の幸福感は長編小説の方が後を引きます。 分厚い本書を手に持ったときに感じる重量感が、読み進めていくにつれ、心に侵入するくにゅくにゅした重みへと変わっていく感触があり、なんとも愉しいです。 本書の主人公は、町田康の他の作品同様、あらゆる災難・濡れ衣を着せられる巻き込まれ型タイプです。 しかし、本書の主人公は、苦難を避けイージーな方向へ進みたいのに災難に巻き込まれるうち、ポジティブな考えを持つようになります。 たとえば 「もう一度生きようと思った。あの時のガッツを思い出せよ、俺。」 「考えてみればこの世界に落ちて以来、俺はどこか欺瞞的だった。どうせ贋の世界だ、と思って退嬰的な言動をとっていた。人間はそんなことではだめだ。いずれいま生きているところが真実・真正の世界だと思って行動しなければ人生そのものが嘘になる。いく先には様々な困難が待ち受けていることだろう。でもそれを恐れて欺瞞的に生きるより困難にたち向かって生を実感していた方がよい。いやあ目が覚めた」 などと言ったりしてやる気を爆発させるのですが、調子が良くなり贅沢な暮らしをし始めると自分の行動を正当化する考えを持つ。 「俺は自分のためだけを考えて行動しているのではなく、他人のために生きる。義のために生きる。ということも少しはやっているのであって、主はそこのところを評価してくれるはずと思うのだ。俺はこの嘘と本当が二重写しになったような世界で、あの世のホンマとウソを我と我が身で抱え込んでこの世のホンマとウソをひっくり返しているのだ。」 理想と現実のハザマで苦悶するまさにリアルな人間の生き様です。 さて人間はいったいどのように生きればいいのでしょうか。 本書におけるその答えは、「知らん。自分で考えろ」 | ||||
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町田康さんの「告白」は分厚い長編だったけど、この宿屋めぐりはさらに上を行く600ページ超の大ボリューム。 僕は最初これを読み始めた時、途中で挫折してしまって、再びページを開いたのは、しばらく経ってからだった。 文体はいつもの町田節。くにゅくにゅの皮の世界へばまりこんだ主人公鋤名彦名の旅の物語。 初めは、社会の不条理を説いた、町田さん得意テーマの小説なのかと思い読んでいた。 ところが物語が終盤に近づくにつれ、どうもおかしい。 不条理を訴えている側の鋤名彦名がどんどん窮地に追いやられていく。 そして、ラストシーンでの主との会話。 不条理と戦っていたはずの鋤名彦名は、己こそが滅びに至る広い道を歩いていたことを諭される。 この主がどことなくキリストを彷彿とさせるのだけど、それだけではなく、仏教の輪廻思想や解脱と受け取れるような内容もあり、これはもしかしたら、町田さんの宗教観や死生観をテーマにした小説なのかもしれないと、読み終えてから思い直した。 この物語の中では結局誰も救われない。皆が皆、原罪を抱え、それぞれの破滅の形へと向かって行く。 壮絶な小説だ。町田さんにしか書けない圧倒的な作品だと思う。 | ||||
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町田パンク精神ワールドにすっかりぱまりこんだ、普通の人であるわたくし。告白の描く未知の精神世界を文章化した町田氏の筆力には感動した。今作にはさらに冷静な筆者の筆による勝手気ままに流動する主人公の「主義」の移ろいを「ありえない世界描写」「奇天烈な時代と場所」で想像するにも、困難な場面展開がぐるぐ〜ると回転し、パンクのリズムで進行する。 告白でこの麻薬にすっかり慣れたはずのわたしにもあちこちで頭が痙攣した。そしてだんだんこの麻薬文章にもぱまりごんでしまった。今頃気づいたが、町田ワールドでは漢字の的確な当て込みがキラキラ光るように世界構築に活かされている。例えば 王裂=おおさかなどのように。古典文学に通じていなければ読めないような正統派の言葉遣いもそうだ。単なるパンク野郎、いや一般人には読めない作品となっている。これらは辞書も引けないしね。そうなるとどうなるか分からずにとにかく読み進むことになる。誤解したまま読む進むことになる。いいのか?それで!? それで、いいのだ!バカボンのパパの金言通りに訳わからなくても、精神は通じるのだ。英語が分からなくても映画が観れるのだ。なんで?そんなこたぁ、人の心、精神ってもんがそんなもんだから。 さて、宿屋めぐりを映画化するつわものはいないか?!だれかいないか?!アニメならどうだ?!いけるんじゃないか!? いや表紙のような日本人形による人形劇が良いのではないだろうか。あの気味の悪い眼、おっと深い思いのありそうな眼とたたずまい。イケそうな気がする。 ★ひとつ減らしたのは、告白での筆に緩みが全くない完璧なワールドが、今回は後半から終結に向けてやや「ためらい」というか、詰めに「普通さ」や「まとめ!」がみられたこと。町田麻薬も限界なのか?もっと、もおおっとですよ。最後まで。 | ||||
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「現在位置の自覚をせんと結果は容易に予想できる。」 ナンバーガールの歌からの引用です。 読みながら僕と主人公がどこにおるのか容易に見失います。 リズムでしかない。 そして救いようがない。 ただひたすら「どうにかしよ」でなく「どうにかなる」。 その先が気になるので着いていく。 分厚い本ですけど、乗ってしまえば無茶苦茶読みやすいです。 この調子でどんどんください。 | ||||
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これはもう、たまらなく面白いです。町田さんの『怠けているうちに、いつの間にか社会的に孤立して、何とか立ち直ろうとしても、酒などに溺れてしまい、それでも感受性だけは残っていて、常に自己矛盾にさらされて生きている人』の辛さみたいなものがひじょうに良く伝わってきます。主人公は、神様に超能力を与えられたり、それでやりたい放題やったりしますが、当然、虚しさが残ります。その辺のところをいろいろな娯楽的なエピソードを使って描いていて楽しめます。神様に翻弄される弱い人間ということですが、そこに町田さんの人間愛も加味されて面白く仕上げられています。お勧めです(『七つの習慣日記』てんてんまるどん)。 | ||||
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町田康って太宰治の生まれ変わりじゃないかって、時々思う。単純に影響受けてるとかじゃなくて、メロスから魂のバトン渡されてしまったみたいな。 乱暴に要約してしまえば「私利私欲と保身のための嘘まみれの世間に違和感を覚えながら、嘘をつきたくない誠意と、弱者が苛められるのを許せない正義感と、他人を喜ばせたいという本能からなる行いは全て裏目に出て、世間のルールから逸脱し、結果的に自分のほうが嘘つきになって、軽蔑されてしまう」ということを繰り返し語る語り手の、その読者を喜ばせようという必死のサービスが、全て言語においてなされている。ああ、日本語は、言葉はこんなにも多彩に人を虜にするものか、こうして一行一行一字一句、全く気を抜かずに新しい言葉を紡ぎ、並べ、あらゆる角度からツボ刺激されるともう、何だか申しわけないくらい……という感嘆のうちに、気がつくと、自分という読者が主人公鋤名彦名にぴったりと隙間なく重なって行くという幻覚。 とにかく600頁全く飽きさせずに読ませる技は、早逝した太宰にはない資質だったなあ。嘘まみれの世の中に、一見嘘まみれの、その実嘘のない小説を書くという宿屋めぐりを、町田康には続けてほしい! | ||||
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ちょっと嘘ついて見栄はっちゃったけど、この嘘バレたらどうしよとか、自分より立場の低い人にはいばったりとか、誰も見てないからいいだろとか。すべて精神の弱さからもたらされる、思い返すと自分はちっぽけだなと感じさせられるような小さな後悔が産まれる、人間の行動が全て書かれている。読み終わって熱が出た。 | ||||
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名作「告白」にはおよばないと思いますが、町田康しか書けない、ぶっ飛んだ世界を展開してくれます。 年を経るに従い、物語の世界が深化してきているのは素晴らしいのですが、笑いの要素が少なくなってきているのは、ちょっとさみしい感じもしますね。 | ||||
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主人公は徹底的にダメな人です。 人を騙し騙されて、調子にのるとやりたい放題。 で、思い通りにいかないことには必ず誰かのせいにして言い訳をし、自分の悪行を正当化しようとするとこなんかサイテーのクズ。 クズクズバカバカ思いながら読んでたんだけど、 でも、うまくいかないことを社会や他人のせいにしたりすることって誰にでもあるし、 そんな自分に気づいちゃうと主人公の心の葛藤も主の言葉も一つ一つが胸にしみて、言い当てられたようなバツの悪い感じもある。 ふざけた話のように思えるけど、たまにズシンとくることが書いてあります。 こういうふうにとんでもない展開のおふざけの皮をかぶせて、 人の生きる道の確信的なとこをついてくるなんて町田康にしかできない技だ。 終盤は「生きるとは」「自分とは」と人生の本質とは何かを訴えかけるようなずっしりとした重みのある、芯のしっかりした作品でした。 久々に寝食がおごそかになるほど読み応えのある本に出会ったような気がします。 | ||||
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以下、感じたこと、考えたことを脈絡なく書きたい。 主人公である鋤名彦名は、偽名を用いては、嘘に嘘の上塗りを繰り返す。太宰の短篇「誰」によれば、名前が多ければ多いほど、大悪党であるそうだ。この説にしたがえば、鋤名彦名は、大悪党であるらしい。 町田さんは、〈自分〉を〈自分〉たらしめているもの、自己を証明するものとは、いったい、なんであるか、ということをこの作品の中で問うているように、自分には見受けられた。 一般的には、たとえば、指紋やDNAなんかを、ある人をその人たらしめる決定的な証拠としているようである。しかし、芥川龍之介の小説「河童」の一節にあるように、たとえそれが同一人物であっても、たとえば、その人が独身者であったときと、妻帯者となったときとでは、彼の存在意義と言うべきか、彼が問われている役割は異なるのではないか。つまり、科学的に彼が彼であることを証拠立てるのは不可能であり、科学的に不可能である以上、彼を彼であると証拠立てるのは不可能なのではないか。 〈自分〉を〈自分〉たらしめている根源とは何であるのか。それは、不滅の魂なのだろうか。魂は、人の体を宿として、宿から宿へと経巡っていく。では、魂は、何を求めてさまようのか。宿? 宿命と言い、宿業、と言う。肉体に魂が宿ってこその命、ということか。魂が肉体に宿すのは、前世からの業、ということか。業、カルマ、カラマーゾフ、キリスト、救い、…… 鋤名彦名の主、彼の発する言葉は、イエス・キリストのそれと似通い、彼の行動は、旧約聖書の神のように恐ろしく、いや、どころか、その残虐性はやくざそのもの。彼は自身を諦めたもの、と言いい、鋤名彦名を諦めないもの、と呼んだ。前者は完成されたもの(あるいは、死んでしまったもの)であり、後者は未完成であるもの(あるいは、生き続けるもの)ではないか。 以上、思いついたことを書いた。〈自分〉とはいったい、誰なのか、とことん突き詰めて考えたい人に、おすすめの一冊だ。 附記。町田さんは、太宰治「人間失格」の一場面を意識していた可能性がある。「人間失格」で、葉蔵と堀木とが<対義語のあてっこ>をして遊ぶ場面だ。 (前略)/「君には、罪というものが、まるで興味ないらしいね」/「そりゃそうさ、お前のように、罪人では無いんだから。おれは道楽はしても、女を死なせたり、女から金を巻き上げたりなんかはしねえよ」(後略/引用は、青空文庫による) 葉蔵にとって、<罪>とは彼自身と切っても切り離せない概念であり、堀木にとっては、他所事のそれだった。このように、<対義語のあてっこ>を通して、その人がどんなことに心をとらわれているかを知ることが出来るらしい。町田さんは本作「宿屋めぐり」において、<対義語のあてっこ>を<しりとり>にメタモルフォーゼし、登場させたのではないか。<しりとり>を終えた鋤名彦名は分析を始める。 男がごく自然にすらすらと世界にある物の名を口にするのに比して俺はつまりにつまったあげく、この世にまったくないものや概念としてしか存在しない言葉をようよう口にするのであった。若い男の目は澄んでいた。(後略) <この世にまったくないものや概念としてしか存在しない言葉>しか搾り出せない鋤名彦名の心の荒廃ぶりを、巧みに表現した一節である、と言えるだろう。<若い男の目>が<澄んでいた>のは、<若い男の>心の清さの現われだろう。聖書の言葉を借りれば、目は体の明かりであり、目が暗ければ、心も暗いのである。 | ||||
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「パンク侍」→「告白」→「宿屋めぐり」と、魂への洞察力はより深く、今までに増してよりグダグダの町田節から時折放たれる真実真正の言葉は今までに増してより鋭さを増し、読了後は心にズシリと相当の手ごたえを感じること間違いなし。 「パンク侍」では、斜に構え偽をなす主人公、「告白」では、ある種の無垢さから運命に翻弄される主人公を見事に描き切りました。そして今作では「主」に怖れをなし忠義を図りながらも、その真意を汲み取ろうとするあまり自分を見失う主人公が登場します。人生とは、生きるとはどういうことなのか。最後には、作者ははっきりと一つの結論を「主」の口より語らせています。しかしそれをどう解釈するか、それはまさにこの602ページの物語を読んだあなたの人生そのものにより大きく異なるものとなるでしょう。主人公が「主」に試されるが如く、読者は作者に試されることになるでしょう。 僕はこの物語を、これから何年かおきに繰り返し読むことになると思います。傑作! | ||||
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