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図書室の魔法
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図書室の魔法の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.25pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全12件 1~12 1/1ページ
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アメリカの作家【ジョー・ウォルトン】が2011年に発表したのが、この『図書室の魔法』です。 結論からいうと、これが大の愚作です。 というか、この本は根本的に何かがおかしいです。 この本のどこがおかしいのかというと、この本は最初から【読者から魔法能力を奪い取ることを目的とした反魔法小説】なのです。 作者は明らかに魔法の世界が実在することを知っていますし、妖精が実在することも知っています。 しかもその上でこの作者は、魔法能力を持つ読者からその魔法能力を奪い取ることしか考えていないのです。 具体的に言うと、この小説のヒロインは最後に【ある選択】を下します。 その選択は一般常識的には当たり前の選択なのですが、実はこの選択は魔法的には最大のタブーであって、このヒロインの少女はおそらく全ての魔法能力を失うことになるでしょう。 そして重要なことに、この主人公の少女の選択を支持した読者もまた、ヒロインと共に魔法能力を失うことになるのです。 つまりこの小説は最初から【魔法能力を持つ読者】を想定して、その読者から魔法能力を奪い取るような仕掛けが施されているのです。 この小説の作者は明らかに強い魔法能力の持ち主であり、その作者がどうしてこんな本を書いたのかは全くの不明です。 またこの最悪の反魔法小説が、ヒューゴー賞、ネビュラ賞、英国幻想文学大賞というその分野では権威のある賞を軒並み受賞していることにも、何らかの政治的な意図がうかがえます。 という訳でこの小説は、読者から魔法能力を奪い取ることを意図して書かれた【意図的な反魔法小説】です。 魔法能力を失いたくない方は、読まない方が良いと思いますよ(笑) 【追記】 主人公の少女は、妖精が見えるし魔法も使える15歳の孤独な少女。 しかも重度のSF小説オタク(しかもディレイニーの熱烈なファン)。 おまけに母親は気が狂った魔女で、主人公自身は学校でいじめられている。 この設定はどう見ても若い頃の私です。 単なる偶然なのでしょうが、主人公の少女が若い頃の私に酷似していることが気になりました。 私自身はこの作品の仕掛けが見えたので、魔法能力を失いませんでしたが(笑) | ||||
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SF書評ファンタジーという風変わりな作品。 読書家の少女が主人公で、結構楽しめた。 | ||||
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ハインライン、マキャフリイ、ヴォネガット、クーパーにル・グィン、そしてトールキン……。 出てくるわ出てくるわ、SFやファンタジーの本の数々。時代舞台が1979年から1980年なのが悔しい。(その後に出版されている本が出てこられないからね) と言う訳で、実際に出版されている本がストーリーの中に効果的に沢山出てくるお話は、本好きにとっては最高に楽しい設定です。 このお話は、十五歳の聡明な少女、モリの日記という体裁。 当然のように出てくる魔法。そして、フェアリーたち。しかし15歳の少女モリの現実はシビアだ。 実母からは逃げなくてはならないし、 最愛の双子の妹を事故で亡したばかりだし、 自分自身も片足に障害を負ったまま、杖なしでは動けないし、 始めて会う実父やその三人の叔母に支配された家族は異質だし、 全寮制の学校へ編入しなくてはならない。 通常は、全寮制の学校内で交友関係を広げる話になりがちだと思うのだが、全く持ってそうはならないのが素晴らしい。学校の級友たちとは徹底的に話が合わないけれども、その中でどうにか上手く立ち回ろうとするモリの姿は身につまされるし、とてもリアル。 この八方塞に見えた現実に風穴を開けてくれたのは、他でもない愛する本たちだった。 貪るように本を読んでいるうちに、校外の地元図書館へも足を伸ばすことになり、やっと仲間を見つけることになる。 このどこにも居場所がない感じ、そして、だからこその同じ本の話が出来る場所を見つけた時の喜び。私にも覚えがあって、心から共感してしまいました。 物語の全貌が明らかにならないまま、わくわくと下巻へ手を伸ばしました。ラストが素晴らしいので最後まで読んで欲しい。 SFやファンタジーの入門書として、また聡明な少女の成長物語として、図書館のYAの棚に是非とも並べて欲しい一冊です。 | ||||
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さて下巻になるにつれ、物語の全貌が少し明らかになり、そして15歳という多感な年齢ならではのロマンスもあり。 それもまた眩しくて素敵だけど、これは私のかけた魔法のせいでは?と常に不安にさいなまれる事となってしまい、一筋縄では行かない。 モリは孤独なままではなくて、味方になってくれる人たちも沢山できた。 けれども、モリはその人たちと『力を合わせて』闘うのではなく、ひとりで闘うのだ。その距離感が最高にカッコいいし、痺れる。 思えば人生なんて誰か他人が手伝おうにも手伝えないもの。 自分の人生は自分で選び取っていかなくてはならない。成長しない主人公が多い昨今、自分の人生を力強く分捕って行くモリが眩しくて、感涙。 SFやファンタジーの入門書として、また聡明な少女の成長物語として、図書館のYAの棚に是非とも並べて欲しい良書。なにしろ、本を読むことの魔法がぎっしり詰まった本ですからね。 | ||||
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読書好き(SF・ファンタジーマニア)の英国の少女、モリの1979年から1980年までの日記。15歳のモリは、虐待をする母親から逃れ、父親(すでに離婚している)に引き取られる。そして、女子寄宿学校へ入学させられるが、「生徒本人ではなく、父親が属する社会階級や暮らしぶり」でランク付けをする同級生たちとは、なかなか馴染めない。それに、父親はSF小説の愛好家という自分との共通点はあるものの、経済的に叔母たちの世話になっているというふうに少し頼りないところのある人物であり、その叔母たち(三姉妹)は「すごく偉そうな態度」でモリに接する。こんな精神的につらい状況で、モリは読書を支えにして生きている。フェアリー(妖精)と意思疎通ができ、ほんの少しだけ魔法が使えるという秘密を抱えながら……。 この話は、“読書好きが書いた日記”というだけあって、読書日記のようであり、またモリが妹の死という喪失と母親との対決を乗り越えて新しい人間関係を構築していく物語でもあり、フェアリーと魔法のファンタジー小説でもある。それぞれの要素が混然と混じりあい、ふくよかなカオスを形成していて、日常(現実)と非日常(フェアリーと魔法)との境界がゆるやかに溶けていく。 この物語が素晴らしいのは、小説ならではの世界が描けているところだけではない。登場人物たちが、モリの成長を促すために配置された、物語としてある意味“都合のいい人物”でないところに、リアリティーがある。周囲の人は、(良かれ悪しかれ)何らかのきっかけを与えてくれるけれど、最終的にはモリ自身が自分を見つめて考え、自分を救うしかないのである。ファンタジーではあるけど、リアルな青春小説になっている。 あと、モリの読書感想もいい。SFやファンタジーに興味がない、という人も、モリの読んでいた小説を思わず手に取ってみたくなること請け合いの、おすすめ本である。 | ||||
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母親との葛藤、父親への失望、分身である双子の姉の死、そして事故で足に障害をおってしまった主人公。 そのうえ、愛する人々やふるさとからも引き離され、窮屈な寄宿学校に押し込められてしまいました。 学校の友達ともなじめず、生きづらさを感じている少女が、本の世界から慰めを得ながら、徐々に現実の世界で生きていく力を得ていきます。 実際に出版されている本たち(70年代~80年代のSFが中心)が多数登場し、それそれの本から主人公がいろいろなコトを得ていくところが、丁寧に描かれてとてもリアル。私も同じくらいの年齢のときに、同じ本をよみ同じような感想を抱いたりしたので、自分のこども時代をなぞるような心地がしました。 辛いこと、苦しいことがあったとき、ひと時の読書になぐさめられながら、エネルギーを補充して、ふたたび現実世界で生きていくための活力を得る。 読書の素晴らしさを再確認できました。 それだけでなく、「読書会」を通じて、現実の人間たちとのつながりもできていきます。 「ダメだ~こいつ」って決めつけていた相手が、急に素敵な感想を言うので見直したりするのです。 | ||||
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思春期の少女が,自分の「性」を受け容れて大人になっていく過程を象徴的に描いた物語と読めると思う。 ネガティブな母性への対峙と克服,ピアス(体に穴を開ける装飾)の忌避と性的なイリュージョン,結末での3人の男性と「現実」への志向,などなど。 シャルル・ペローの童話,山岸涼子の漫画,河合隼雄の臨床事例などで見られるモチーフと同じものが散見される。 ガジェットとして「SF本」を使ったのが目新しいけど,物語素はわりと古典的なのではないだろうか。 | ||||
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SFおたくには思わず苦笑いですね。作者は全部読んでいるのでしょうね。尊敬 | ||||
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それにしてもこの主人公の読書量は、すごい。また15歳にしては読んでる範囲がまた広い。プラトンからマルクスまで。 昨年「転落少女。。」を呼んだが、あちらは文学部的でなんとなく読んだ本の羅列のように感じたが、本書は一つの物語 が中心になっていて、そちらの物語の展開も大変興味深い。単なる学園物ではないので、表紙にだまされないように。 | ||||
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15歳の少女の日記形式。 読むのが苦痛だった。 こんなに賞をたくさんとっているのに、評判もいいのに、主人公が好きになれなかったから。 その主人公の日記でなされる他人への評価にも、寒々としたものを感じる。 巻末の、本のリストは良いと思う。 本の魅力は伝わってきた。 | ||||
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いつも一人でSF小説を読んでいる障害者の少女の日記で構成された小説。 一読して思ったのは佐々木丸美の少女小説でした。そこにほんの少しファンタジーの要素をまぶしSFの要素を加えたらこういう小説になるのではないかと思いました。 この少女の日常が、SFの部分をミステリに変えると自分の十代の生活とあまり変わらないので何となく懐かしくもほろ苦い過去を思いだして何とも言いようのない感慨にひたりましたが、そういう人も多いのでは。時代や地域が変わっても普遍的な人生があるようで貴重な読書体験でした。巻末に掲載されている本書で言及された小説のリストも圧巻。読んでいないものは読みたくなります。 ダーク・ファンタジーならぬライト・ファンタジーの傑作。小説を好きな人は必読。 | ||||
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舞台は1979年、双子の妹を失ったモリは、毒親の母親から逃れ、離婚状態だった実父に引き取られるものの、実父の姉妹である三人の叔母によって、全寮制の名門学校に入学させられる。そこでも孤独をかこつモリだが、唯一の趣味である読書(SFばっか)を通じて、少しづつ知己が広がり、実父との関係も含めて自分の居場所を見つけていく。しかし、失った妹と、邪悪な母親の影が常にモリを苛んでいくが・・・ 本作は二重の意味で読者を選ぶ作品かと。 本作は、一貫してSFオタクであるモリの日記、一人称を通じて語られます。 私は80年代に翻訳された創元・ハヤカワSFを読み漁ってきた人間なので、本作で紹介される諸作品はまさにジャストミート。 モリの機知に富んだ(ある意味独りよがりな)作品の感想にはにやけっ放し。自分の読書経験を追想するようなファンタジックな作品でした。ハヤカワ、アンバーの九王子の再刊はよ。 ・・・という点で、まず読者を選びます。色眼鏡を自覚しつつ、これだけで5☆です。 もう一つのポイントは、果たしてモリが「信頼できる語り手」と考えるか否か。これで全く作品の風景が変わります。 妖精の点はともかく、モリと母親との関係をどう考えるべきか、終盤の母親との対決(?)をどう解釈するかで、モリを信頼できる語り手と考えてよいのか悩まされます。信頼できない語り手となると、妹の死についてすら、どこまで信じてよいかわからない。独白自体がフェイクなのではないか。 または、すべてがモリの思い込み、幻想であって、すべて実は合理的な真実があるのではないか。 この一種のミスディレクションは、作者が意図したものと考えています。 作者は前書きでこう述べています。本作はすべてフィクションだ、地球と呼ばれる惑星も空想の産物にすぎない、「ただし、妖精はちゃんと実在する」と。 だから、それでいいんじゃないかと思う。 モリにとっての真実を、事実として受けとめてみよう。 | ||||
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