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密会
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密会の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.94pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全3件 1~3 1/1ページ
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この作者は二冊目、題名に惹かれ購入。…最初から作者に置いていかれた感があり、これも意図して書かれたのかと深読みしてしまう孤立感。病院内の情報の迷宮、迷走の主人公。衝撃的な最後ですが、やはりついていけなかったので星三つ。また、他の作品を読んでから改めて再読しようと思います。 | ||||
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安部公房らしい、1回読んだだけではよくわからない込み入ったストーリー。 ある日、男は、妻(31)を、朝方に駆けつけた救急車によって連れ去られてしまう。男は巨大病院に乗り込むのだが、この事件は副院長と妻の手の込んだ密会かもしれないと疑い始める。病院には盗聴器が仕掛けられていて、男は監視されている。馬(とよばれる人間)はさも協力者であるかのようにこの盗聴テープを男に渡すのだが、馬が副院長その人だったりする。どうも妻は、病院のオルガスム・コンクールに応募したらしい。そして、明日の新聞に、二本ペニスの馬人間とオルガスム記録保持者の仮面女(妻?)の交合が克明に描写されている。 解説は、この病院は色情地獄という世間の戯画だという。この世界の支配者が副院長で、溶骨症の少女の父(警備主任)のペニスを盗用する。主人公の妻は、外科医たちの白覆面姿をみたときに身を守るために被姦妄想に襲われた挙句に持続性の発情という代償行為に逃げ込んで副院長と交合している(らしい)。この異様な世界にあって、溶骨症の少女や女秘書たちは男(主人公)を誘惑することで「内部の人間(色情家)」に変えようとする。妻は、防衛的発情により「患者」となるが、男は患者になりきれず居場所がなくなる。 | ||||
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安倍公房による、1977年の長編小説。 社会には催淫表象が遍在している。文化的・欺瞞的意匠を施していても、一皮剥けばそこには性的欲望の蠢きがその生々しい貌を出す。現代社会を駆動させているものは、およそすべて「性」に根源をもっているのであるかのように。 "それにしても、べらぼうな音の氾濫だった。追従、怒り、不満、嘲笑、ほのめかし、ねたみ、ののしり・・・・・・そしてそれらのすべてにちょっぴりずつ滲み込んでいる猥褻さ。" 人間は、その剥き出しの性的欲望、セックスの無間地獄に落ち込んでいくしかないのか。ところでいま「地獄」と表現したが、そもそもそれは本当に「地獄」だろうか。「セックスは現代人に残された最後のオアシスだ」とは20世紀アメリカの作家ヘンリー・ミラーの言である。性の「地獄」に溺れていられるうちは、まだ幸福なのではないか。堕ちていく「地獄」が未だ仮構されている限りに於いて。性愛の幻想に目眩まされている振りをしていられる限りに於いて。その時には、未だ帰る場所が在ることになっているのだ。 人間とは、常にそこから(そこがどこであれ、そこから)引き剥がされる以外にない存在ではないか。とするならば、性そのものにさえ倦怠を覚えてしまえる存在ではないか。記号化・パターン化された性的意匠の順列・組合せは、所詮は有限なのだ。いつか、性による精神の暗い躍動すら存在しなくなり、ただただ形式を反復するだけの、自己完結的な自動人形のようになる日が来ないと云い切れるか。機械的な運動とそれに対する生理的反応以上ではなくなってしまう日が来ないと云い切れるか。今日の快楽が昨日の刺激の残夢となる日が来ないと云い切れるか。ヘンリー・ミラーに従うならば、性への倦怠こそ、日常性という受難の始まりではないか。そして倦怠は終わらない。 地獄も、追われれば、ユートピアだ。 | ||||
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