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箱男
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箱男の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.22pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全56件 1~20 1/3ページ
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この世界では箱男が一種の社会病理らしい。静かな流行のような。 ふとしたことで誰もがなりうる人間もどきのような存在。 覗き魔が自分を消して世界のすべてを覗こうとする反転世界でもある。見られることを拒絶して完全に見る側になる。 浮浪者同然の生活で不潔かつ、所持品が少ない。 主人公は元カメラマンで現像液まで持ち歩いている。 突如狙撃してきたうえ、箱を5万で買いたがる医者と看護婦コンビ。 その思惑がよく分からぬまま、薬漬けの軍医殿を箱男に偽装して溺死させる依頼安楽死計画が始まる。 どこまでが事実でどこからが落書きなのかが分からない。 覗き魔の少年の話が挟まり、看護婦とカメラマンの同棲生活とその終わりの場面、窓もドアも釘付け密閉された彼らの隠れ家が実はけたたましい駅ビルの一部だったかのような夢みたいな描写で終わる。 | ||||
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街中で大声出して電話している人。 電車の中や、歩きながら、運転しながら、家の中でも携帯に釘付けになってる人。 自分の世界に閉じ籠って、まるで透明なダンボールを被った箱男、箱女そのものだ。 安部公房の予言した世界が、今現実となっている恐ろしさ | ||||
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興味深いテーマ、読みやすい文章で楽しく拝読しました。 私には時々クスリと笑える箇所があり、電車の中で困りました。 | ||||
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安部公房の傑作と言われる「砂の女」を読んでも正直この作者が生きていればノーベル賞だったと言われる理由がわからなかった。ただその後この「箱男」を読んですごさがわかった。僕の印象では、作風は違うけど大江健三郎の「万延元年のフットボール」に匹敵する作品。ノーベル賞の有力候補になったのも納得できた。 | ||||
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"ぼくは今、この記録を箱のなかで書きはじめている。頭からかぶると、すっぽり、ちょうど腰の辺まで届くダンボールの箱の中だ。つまり、今のところは、箱男はこのぼく自身だということでもある。"1973年発刊の本書は登録・匿名、見る、見られるといったSNS社会を予見するかのような実験小説。 個人的には、WEB記事などで作中の箱男を再現した人の写真をちらほら見かけていた事から興味を持って手にとりました。 さて、そんな本書はストーリーラインにそって素直に読んでいくと【誰が誰だかわからなくなったり】なかなか難解な構成になっていて。一応の筋としては"箱男が、箱の中で、箱男の記録をつけている"として、箱の作り方の説明から始まり、他の箱男Aの話をした後で、自身の箱を『5万円で買いとる』という女と待ち合わせしている場面から物語が展開していくのですが。 まず、浮浪者とは違い、完全な匿名性が約束されている(らしい)『箱男』の魅力とはなんなのか。といった部分に惹きつけられたのですが。様々な公的な番号で登録されたり、SNSを利用する為に自ら情報を登録したりする時代に『箱男』は、そういった登録社会から【自らの意思で完全に逸脱した存在】といった事なのだろうか。と解釈し、実際にしている行為自体は『単なる覗き』とはいえ【現代社会で生きる以上、登録を避けるのは実質的には不可能】だからこそ、何となく逆説的に惹かれてしまう部分がありました。 また本書では『視線』が"見ることには愛があるが、見られることには憎悪がある"と、看護婦や贋箱男との関係や、挿入されるエピソードとしてD少年と女教師など繰り返し【見る・見られる】が対照的であったり、立場がいれ変わったたりしながら繰り返し描かれているのですが、こちらについては、せっかく『箱』や『カメラ』『アングルスコープ』といった一方的に見ることが出来る立場を得ても、結局は【見られてしまう事で意思に反して登録、つまり社会に組み込まれてしまう】といった事を暗示しているのだろうか。とか考えてしまいました。(実験的な作品。解釈は読み手それぞれに委ねられているのかもしれませんが。。) よし、私も『箱男』になってみようか。そう思い立ってしまった人にマニュアルとして(笑)また、登録・匿名、見る、見られるといったSNS社会に疲れた人や、実験的な不条理小説好きな人にオススメ。 | ||||
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◎ | ||||
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冷蔵庫が入っていたような大型ダンボール箱を頭からかぶると、あなたも今日から箱男だ。 浮浪者に似ているが、浮浪者ではない。もっと下の存在である。 珍妙な設定のもと、時系列がよじれる奇妙な物語が語られる。スタイリッシュな奇譚あるいは奇人伝というべきか。 韓国映画のキム・ギドクの作品を連想した。ギドクは安部公房の影響を受けているのかもしれない。 安部公房は作中に非日常的な設定を大胆に取り入れた最初の日本人作家ではないか。 人が箱をかぶって暮らすという一発ネタで世界が構築されているのは、なんだか凄い。 あと、安倍作品の男はろくでなしだが、女は優しくて色っぽいことが多い。そのせいで安心して読めるのかな。 | ||||
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一度目は流し読みすると訳が分からなくなる。途中で語り手が代わるし、箱男もABCD…以下略といるなか、昭和43年で五万円で箱の所有権を譲ってから、贋箱男が箱男を観察することで訳が分からなくなる。 そうして見る側と見られる側の時間の流、話の筋に矛盾が露呈し、夜中の海岸か午前中の診察室なのか、二人とあまりがケンカをはじめ、 これが小説かどうか根底から崩れる危機に、医者の贋箱男と箱男がノート上で応酬を繰り広げ、すべて箱の中の落書きでないと、小説らしさが成り立ちえないことになる。このバランスはとても危うい。小説が「箱」も「男」もモチーフにする意味もこれまでの百数十ページの文章がすべて崩壊してしまうからだ。都市空間で人間の自発的な所在のありかたが、だれにも気づかれない者になることはだれでもあり得て、箱男はその最たる者である。箱男は見られる側に転じた途端、無名の一方的な覗き屋ではなくなってしまう。目に入っていて、他愛のない雑草等と同等の価値しか持ちえないはずであるのに、見る対象が箱男を空気銃で撃った途端に箱男は覗き屋でなく、舞台に立たされ見られる側になる。つまり箱男と贋箱男は、どちらかが死なない限り、膨大なノートの殴り書きは無意味で無駄になる危険がある。視覚の情報ではなく、ノートや段ボールの内側の落書きをし尽くしただけは、裸の見習い看護婦を犯す証明に成りえず、「救急車のサイレン」という意図の入らない聴覚情報によってのみノートの記録者が箱男の占有を証明できる。 阿部公房にとって小説を書くとは、自己の実在を提示するための徒労だったのかもしれない。新宿駅の雑踏のなかでその空間にいるすべての人間の個人と個人を関連付けて、社会的で組織的な機能を持つことはまず不可能である。その雑踏のなかに阿部公房がいたとしても、すぐ2m内あるいは満員電車のなかでも、阿部公房を見つけ出すことも安倍と読者との関係性を見出すことはできない。その間に殺人犯やテロリストが紛れても不自然ではない。都市の雑踏は自分にとって好都合を満たす場所であって、他人との兼ね合いは忘却、破棄される。そうしたなかでの存在付けが不可能であるゆえに、ルールを守った自己都合一辺倒が許され、自己そのものの生存も存在の意味もなくすのである。 膨大な古今東西の書架で安倍公房がどんな存在であるのか。つまらない新種の虫を昆虫図鑑に載せる程度にしか、雑踏と喧騒のなかでは意味を持たない存在にすぎないことを自覚していたのではないか。無名で社会性のない箱男を許す都市のもつ非人間的性格をむきだしに白日にさらしたかったのではないか。と僕は考える。 | ||||
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確か高校生の時だったと思うけど、NHKで安部公房の戯曲(?)「箱男」についてのニュースを見たことがある。 高校か中学の国語の教科書に「棒になった男」という短い話も載っていた。 ラジオではタモリがさだまさしを貶すのに、安部公房を引き合いに出してたと思う。 ノーベル文学賞に最も近い(という評価を受けていた)難解な小説を書く小説家-というのがそのころからの自分の印象。 今ではSFというジャンル分けも的外れだろうけど、当時はSFという表現手法にも意欲的に取り組んできたということでは、SFを読んでばかりいたころの自分にとって、気にはなるけれど避けてきた小説家の一人でもありました。 で、御年を重ねて齢いくつかの今日にいたり、これ以上の「難解」はないという日々を潜り抜けてきたからかどうか不明だけれど、「読んでみようか」という気になった。 名作といわれる「砂の女」を最初に読んだ。これが(自分にとっての)意外!とてもおもしろかったのです。 なんていうか・・ 小説という物語世界の背後に隠れたものがどうとか、寓意がどうとかではなく(それ以外にもあるが)、日常を事細かに描写しながら、それこそ足もとから崩れてゆく砂の描線を歩くような緊張感が、なんだかたまらなく自分好みだったようです。 小説に対する解釈はいろんな偉い人が様々に展開しているだろうから、そちらの方がなんぼか気づかせられるものが多いけど、自分にとっての安部公房の魅力の一つは、虚構の上に細かな描写を積み重ねていく何とも知れぬリアリティとテンションなのであります。 で「箱男」。 「砂の女」で知った実在と不在へのアプローチの仕方は、ここでも展開されていおり、「箱男」という主体が行動する物語かと思いきや、「偽箱男」を名乗るのが出てきて、お互いの不実をなじりあう段になると、はてこれはいったいどんなことになるかしらん?という、なにかにつままれたような感触を胸の裡に抱えながら、結末でもない結末を迎えてしまうのですが・・いや、これはこれでおもしろいなあ。 といことで、自分の安部公房の面白さとは、行為も真意もこの「重箱の隅をつつく」ようなディテイルの積み重ねであると思えたのでした。 難解なことが高級ということでははないと思うし、実際に高級な人間はほとんど出てこない語ってもいない小説でもありますが、物語のおもしろさということでは、ちょっと一読をお勧めしたいと思います。 | ||||
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一回では、理解しづらいですが 何回も読むと安部先生の伝えたいことが少しずつ分かってきます。 | ||||
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こういう小説を書くからこそ、安部公房の存在感は日本作家の中でも独特な地位を保っていると思います。 夏目漱石や芥川龍之介、太宰治など、日本の文豪と呼ばれる人たちの作品を好む人はいますが、特に安部公房が好きで彼の作品を多く読んでいると言う人は独特な世界観を持っているような気がします。逆に言うと、ピンポイントで安部公房が好きだと言われると「おっ」と思ったりします。 そして本作は安部公房の作品の中でも、極めて強い印象を残した作品でした。 ストーリーは上手く説明できないのですが、全体的に無機質で、複雑で、都会的で、灰色で、その中で物が蠢いている感じが漂っていて、しかもページの途中で唐突に作者安部公房が撮った写真が前後の脈絡関係なく何枚か挿入され、そういったことが本書を小説ではなく何か別の無機物的存在に感じさせてくれます。 この独特の雰囲気は他の小説では味わったことが無く(唐突に写真が挿入される作品としては、アンドレ・ブルトンのナジャというものがあり、こちらも雰囲気は似ています)、こういう作品を書ける安部公房はすごいと素直に思えてしまいます。だからこそ私は安部公房が(その理由を口では説明できないが、そしてこのことは他の安部公房ファンにも共通していると思っているのですが)好きなんです。 一度読了してからは内容が何であったのか理解できたとは言えないものの、この存在感が頭から離れたことは一度も無く、印象深い本を一冊選べと言われれば、少なくとも日本の小説の中からはこれを選ぶでしょう。 もしかしたら誰か共感してくれるかもしれないと思ってこれを書くのですが、私は本書を読んで真っ先に思い浮かべるイメージがあり、それは「serial experiments lain」というアニメなんです。 90年代に放送され、今でも世界的にカルト的人気を誇る極めて独特なアニメなのですが、このアニメもストーリーが何なのか説明できないものの、全体的に無機質で、複雑で、都会的で、灰色で、その中で物が蠢いている感じが漂っており、このイメージの共感性を他にも感じた方がいないかと思って補足させて頂きました。 | ||||
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安倍公房の世界観、好きです。商品状態も悪くはなく、良い買い物が出来ました。ありがとうございました | ||||
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一度読んだだけではよくわからないというのが正直な感想でした。 しかし、丁寧な解説を読んだ後にもう一度読みなおしたら、なるほど よく出来ている小説だと関心しました。 友人に安部公房のファンがいます。彼女の言葉が自分が感じたことを そのまま語ってくれているので紹介します。 「安部公房のように自分を一旦脇において、作品との距離を保ちながら 自分の奥底にあるものを出していける作家は少ないと思います。」 最後までよくわからなかったのが、作品と写真との関係です。 それはそうと、カーブミラーの写真と言葉が個人的に好きです。 「小さなものを見つめていると生きていてもいいと思う。濡れて縮んだ 革の手袋。」 | ||||
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この話は全くの創作だと思っていたら、作者が実見した警察の“浮浪者狩り”でこんな男がいた、というところから始まった、という話におどろきました。 この作者の想像力には毎度感服させられます。 もうちょっと長生きして欲しかった作家の一人です。 | ||||
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昭和の日本の創作の中で最前衛のものの一つです。 作者はもともと医学者ですが、演劇、文学、音楽と、氏の生きている間に、そのときどきの時代での常識的なあり方を遥かに超えて実験的に新規の作物をこしらえ続けました。 第一に、安部氏による他の芸術家の作品の批評、第二に、他の芸術家による安部氏の作品の批評を、わたしは随分面白がりながら読んでいました。 学生時分に最初に読んだ氏による記録は、蒲田の駅前図書館で読んだ文学全集の中の『石川淳集』の解説としての文章でした。 石川氏のすまいを訪ね、氏と話しこみ、氏が席をはずすと氏の吸い残しのタバコのかけらを探しては吸うという面白い師弟関係でした。もっとも石川氏の側からは知りあい関係であったでしょう。 なお、本作は新潮文庫の100冊の中に収められていますが、高校生にはお勧めしますが、中学生にはお勧めしません。漠然とした区別ですが、中学生ならもっと先に読むべきものがあると思います。 | ||||
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当時、フジテレビで「文学と云フコト」なる小説のあらすじ紹介の番組がありました。 そこで初めて見たのがこの本のあらすじでした。 番組視聴後、さっそくこの小説を読みました。 安部公房のおもしろさを知るには、「砂の女」「人間そっくり」が一番かも知れません。 | ||||
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安倍公房やはり変態であり、天才である。 各小節はとても分かりすく、箱男が何なのか何がしたいのかがよくわかる。 ただ小節ごとの繋がりが分かりづらい。 納得のいく終わりもなければ、この小説を読んだからと言って何か得られるわけでもない。 最近(2015年)はとにかく何事にも意味を求めたがり、自己啓発本や生活に役立つ、金が儲かるような本が溢れている。 小説でさえこの本を読んだから教養が高まるかもしれない、等と卑しい目的で読む始末である。 この「箱男」に何か求めている人は読まない方が良いだろう。 | ||||
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のっけから、箱男が身にまとう箱の製法から始まるこの作品、普段この手の作品に読み慣れていないせいか、あまりの奇妙キテレツぶりに最初はかなり戸惑ったが、徐々にその不可解ぶりが心地よくなり、読後すぐにまた読み返したくなるという不思議な本。 内容は難解極まりなく、あらすじすらよく把握できぬほどだが、文章自体は平易なため、ついつい釣られて読み進んでしまった。 しかし読後感はすこぶる良く、長らくこの手の前衛作品から遠ざかり正統的な文学作品に接することが多かった自分には大変な刺激となった。 これを読めば、なにも理路整然とした腑に落ちる作品ばかりが文学じゃない、ということをまざまざと実感させられる。 著者はピンク・フロイドを愛聴していたらしいが、たしかに、初期のサウンドを文学で表現したらかくありなん、と思わせるシュールでハチャメチャな作風である。 勿論そこに模範解答などあろうはずはなく、解釈も十人十色。 主人公が誰なのか複数なのかといったことすら曖昧なままだが、主義主張と脚フェチだけは一貫しているというのがまた奇妙で面白い。 根っからのマニア向けなのか、それとも型どおりの文学作品に飽き足りなくなった人が最後に行き着く本なのか・・・自分はそのどちらでもないので何ともいえないが、いずれにせよ、不可解ながらも底知れぬ魅力を秘めた作品であるのは間違いなさそうだ。 | ||||
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安部公房と行ったら箱男。 はっきり言って、よく分からな無い構成ですが、このカオスをどう泳ぎきるか。 読み手によって、評価も、感想も、読後感も違うものでしょう。 それこそ、安部さんに踊らされているような気がします。 | ||||
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安部公房さんの本を読むたびにですけれども、めまいがするような思いがします。 この作品も激しく揺さぶられました。 これまでの視点を強引に矯正されるような感じがします。 バラバラに解体された話が細い糸で縫いあげられたような展開で物語が進みます。 先に進みたいという気持ちと、目の前にある話に思いを巡らしたいという意志がぶつかりあって上手く意識をコントロールできなくなってしまいます。 安部公房さんの凄さは前衛作品を読み手に読ませる力があるということだと思います。 兎も角、箱男が段ボール置き場に膝を抱えてしゃがみこんでいるのではないかと、ごみを出すたびに注意して見るようになってしまいました。 | ||||
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