列
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自分の人生と向き合ってみようと思うようになりました | ||||
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最初は単なる行列の話だと安易に読んでしまった。こういうネタを漫才でやっているのを見たことがあるからだ。しかし、途中からこれは単なる行列の話ではないと気づいた。 一番すぐに連想したのは、高校受験の時、夏休みも補修があり、成績順に席に着いたことだ。誰が勉強が一番かすぐに解ってしまう。しかし、これも一時のこと。進学校に入学すればそこでまた競争があり、一番を目指す競争にはきりがない。有名大学を卒業して一流企業に入れば、また出世競争という列に並ぶことになる。おそらく、作者はそういう人生という長い道のりでの列も意識して、この小説を書いているのではないだろうか。 星5つにしなかったのは、主人公が猿の研究者という馴染みのない職業だからだ。できれば、主人公は普通のサラリーマンにして欲しかった。そのほうが、この小説で作者が読者に伝えたいことが伝わりやすくなったと思う。 | ||||
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仕掛けに凝った傑作作品と読んだ。丁寧に読むと全体が主人公の白昼夢だと判る。第一部は列に並んでいる草間が、猿を見たような幻覚から意識が混乱するなかで「思い出したくない昔」を思い出す場面で終わり、第二部はその幻想シーン。第三部で再び列にいる自分を発見するが、夢はまだ第二部の続きであり、最終頁で再び眩暈を覚えて意識が途絶えかかる。従ってこの本全体が、想像力が豊か過ぎる主人公;草間の見た「悪夢」とも言える想像劇なのである。このような構成になる必然は、作者はこの世界のあり様を、リアリズムに依らず、かと言ってデストピアにも依らないで形で切り拓く「表彰様式」にしたかったからだ。 構成は奇抜でも、中村文則氏の癖である「過剰過ぎる説明」のお陰で意味は明解である。「列」は人間社会を構成している「序列」を示していることは直ぐ判る。人々はそれぞれの活動分野で意識的、無意識的に、自分の立位置を見極めながら生活しているのを、著者は「列」という具体的な並びに変えて例示してみせる。列を詰めるときの進捗感、隣の列が前進するのを見るときの焦燥感、列を離れるときの開放感や不安感など、一つ一つの具体例は身につまされる。 第二部ではそういった人間の「序列」意識を猿との比較で例示して見せる。「序列意識」の究極の顕われを「同族殺し」にあるとする著者の見解は斬新で鋭い。私自身は長年、人間の殺し合いは、フロイトの言う、人間の「退行」過程での「死の欲動」と称される現象によって起きると考えてきたが、動物学者である草間はチンパンジーの研究から、人間と類人猿が獲得した「知識」にあると喝破する。「チンパンジーが持つ知性が、殺した方が得であるケースに気づいたのではないか」「もし本当に、人間の本質に最も近いのが他の猿でなくチンパンジーだったら、人類の未来には今後も絶望しかないのかも知れない」とも。全くその通りで、人間は「効率的な大量殺人兵器」の開発にしのぎを削っているではないか。 だがそのような縛りは、「餌付けされた」猿世界に緊密で「野生では、彼らの生活は緩い」。野生世界は母性世界でもある。ニホンザルはもともと母性集団であり、類人猿でもボノボは同様に母性世界で争わない、と言う知見も披露される。同族殺しは100%の「宿命」ではなく、微かだが選択肢は残されているのだとも。草間が自分の地位を奪う助手の石井を殺そうとして殺せないシーンは、そんな選択肢(ギリギリの良心)が働いたのだと読める。 第三部は再び「列」。ここではいくつかのオルタナティブが否定される。先ず後ろに並ぶ手相見の男が言う「物理学で言うホログラフィー原理;同じデータのようなものがあって、それが一方では通常の生活のように見えて、でも違う見方をすれば、このような列に見えるのでは」という言説が「そんなに甘いものではない」と切り捨てられ、次に「彼岸思想;私の善行を、きっと誰かが見てくれている。そして遣わされた“彼”が、いつか……私の手を優しく握って、並ぶ人達の直ぐ脇を通って連れて行ってくれるんです」「ここではない……きっと何かいいことがある」別世界へ、という願望も、「列」に並ぶ神父を引き合いに出してありえないとされる。世界は「この世」しか存在せず、人はこの「列」に並ぶほかにないのだと読める。その証拠に第二章で競争世界からドロップアウトして山に閉じこもる蟹男も列に加わっており、同じく自死によって世界を離脱したはずの人たちも列の横にぶら下がっている。 終末は「その列は長く、いつまでも動かなかった。何かに対し律儀さでも見せるように。奇妙なほど真っ直ぐだった。近くの地面には「楽しくあれ」と書かれていた」で終わる。こんな不条理な世界でも生きている限り「楽しくあれ」とするのが、この小説が示す結論だ。 草間の思考以外に筋らしきものはない。カタストロフも存在しない。本来小説は個人を描くものであるが、個人個人の運命は捨象される。こういった意味明白で-その点においてカフカ的ですらないが、ストーリーのディテールの難渋さにおいてまさにカフカ的という、こういう小説もあるのだと、しばらく感銘に浸った。 | ||||
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猿研究に携わる主人公の非常勤講師は、学内での安定した地位を獲得することに失敗し、 最終的には失職する。 男は現実の辛さを逃避するかのように執拗に夢想を繰り返す。 現実の描写と夢と夢想が、幻影の様に繰り返し現れる。 個人的にはデヴィッド・リンチ監督が2001年に発表した 「マルホランド・ドライブ」を連想した。 この映画では、スターになることを夢見てハリウッドにやってきた女性が、 過酷な現実に引き裂かれて死んでいく。 現実と夢想の狭間で、主人公が狂っていく描写、鬼気迫る雰囲気に、 類似の傾向を覚えた。 嫉妬や歪んだ性欲、人間存在が孕む根源的な暴力性、さらには「狂気」が、 「大学の非常勤講師」というリアルな社会生活を送る生身の男を通して、 じっくりと炙りだされていく。 後半、主人公が、自身の失職と間接的に関係する男を殺害しそうになる場面。 中村文則らしい、読んでいて呼吸が苦しくなってくるような、 圧倒的な心理描写が数頁にわたって出現する。 本書は、 「久々に中村文則を堪能した。読んでよかった」 と心から思える一冊となった。 | ||||
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〇 なぜか理由もわからずに列に並んでいる大学非常勤講師が、現実と夢想と回想の間を往き来しながら考える前衛的小説。 〇 良い意味で「ちょうど良い小説」だと思った。まず長さがちょうどよい。登場人物のイカレぐあいがちょうどよい。前衛的ではあるが読者が途方にくれるほど難解でないところがちょうどよい。テーマが深すぎもせず浅すぎもしないところがちょうどよい。結末が不幸ではなく、と言って明るすぎもしないところがちょうどよい。したがって、読んでいて心地よいし、読後もどこか幸せな気分が残る。 〇 作者は、人間とは何か、人生とは何か、幸福とは何かについて真剣に考えたうえで、この小説を書いていると感じた。どんな人も日頃から考え、望み、悩んでいることたるや実につまらないことばかりだ。そんな些細なことひとつひとつについて他人と自分をいつも比較し些細な序列の変化に一喜一憂せずにはいられないのだ。損得計算のあげく同類の人を殺したりもする(そんなことをする生物はヒトとチンパンジーだけらしい)。それをやめられないのはヒトという種の宿命だ。そうならばしかたない、そうした制約のなかで少しでも楽しく生きるように努めてみるしかないではないか・・・このように書くと気恥ずかしくなるが、そうしたメッセージが巧みに埋め込まれている。 〇 現代的な装いをしているものの人生と幸福という普遍的なテーマを取り上げた王道を行く文学作品だと思う。できることならばこんな小説を書いてみたいものだ。 | ||||
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