最後の命
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映画「最後の命」を先に視聴。 映画化に際してストーリーや設定の改変はあり得るが、主人公が無口な映画と、主人公の心理描写がメインの本作は、印象が相当異なり別作品と感じた。それは、映画と本というメディアの相違、メディア特性による表現方法の相違であり、別作品として楽しむこともできる。 映画では明確ではなかったが、本作では誰の「最後の命」か分かったように思う。 中村文則著作は「消滅する私」と「最後の命」を読了。個人的には「消滅する私」の手記、「最後の命」のメール文が好きである。手紙形式による表現が卓越している。 主人公の心理描写は、中村文則が好むドストエフスキーである。個人的には「罪と罰」しか読んでいないが、ラスコーリニコフやソーネチカ等よりも、圧倒的にスヴィドリガイロフに惹きつけられた。高校生の頃に読んだので記憶は定かではないが、子沢山の家で、四つん這いになったスヴィドリガイロフは、妻から鞭打たれ(?)罵倒叱責を浴びながら這いずり回るが、その顔には喜色が満ちている、というような描写だったように思う。人間は、不快の中に溺れて真逆の快を感じることもあるという大発見をドストエフスキーに教わった。 主人公と冴木の心理描写は、トラウマがトリガーになっているが、ドストエフスキーに倣って、社会通念や道徳との相剋、葛藤が描かれている。 最近シンプルな構成の、森鴎外「高瀬舟」が気になった。兄が弟にトドメを刺したのは、病気、赤貧、先行き等ではなく、刑吏は兄の話を聞き条理とした。社会通念や道徳、条理は、生まれた人間が持っていた所与ではなく、社会から取り込まれたものであり、フロイトの超自我である。超自我に取り込まれた様々な価値が人間の頭の中、心で優先順位が入り乱れる。その人の言動の結果から、どの価値が優先されたかが後から分かるに過ぎない、と最近考えるようになった。 主人公と冴木、それぞれの言動から、それぞれにとって、どんな価値が優先されたと言えるだろうか。 | ||||
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少年の頃に受けた精神的な傷が癒されぬまま大人になった男たちの物語。 あぁ、トラウマ話ね、と一言では片づけられない、逃げ場のない息苦しさを感じる。心的外傷が原因で犯罪に手を染めるというプロットは、あまりに陳腐ではある。懊悩にのたうち回る姿や、直情的な性向の表現に納得性がないと、読者は興味を惹かれないだろう。 その点では、あくまで男性視点ではあるが、成功している作品だと思う。ミステリの味付けをしたのも面白味という点で評価したい(ここは意見が分かれそうだけど)。 | ||||
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幼少期に性犯罪を目撃したことによって狂ってしまった主人公とその友人のお話。物語は終始、性的なものに溢れています。中心となるのは主人公の葛藤。周りには自殺や精神異常などもウヨウヨしています。結末もはっきりとせず曖昧で、いくらでも解釈の余地があるように思えます。 こういうお話を読んでいると、青春時代に現実の世界に馴染めないと思い悩んでいたこととか、とてつもない孤独感で苦しんでいたこととか、そういうことを思い出して、なんだかとても懐かしい気持ちにさせられます。(いい意味で。) | ||||
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非常に良い! | ||||
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中村文則さんの5作目の単行本の文庫版。 初期の中村さんの作品が好きなら、かならず気に入ると思います。おもしろいです。 ストーリーは、主人公の『私』と旧友の『冴木』の再会からはじまる。 彼らは共に小学生の頃、男のホームレスの集団が、同じホームレスの女をレイプしている現場に遭遇し、男達に見つかり、命からがら逃げ出した過去を持つ。 『私』は『冴木』との再会後、自宅アパートの部屋で、知人のデリへル嬢が殺害されているのを発見する。混乱する私。 警察は、私に容疑者として『冴木』の名を告げた・・・。冴木は果たして、本当に殺人犯なのか。 (以外はネタバレになります) 今読むと、中村さんの小説以外の影響源が垣間見えるように思いました。 ひとつは社会学/心理学です。 この作品では、それまでに明確には描かれていなかった、他者の視点を意識することで自分の欲望を抑制しようとするという、社会学/心理学的な意味での『社会化(=社会の規範を自分の中に取り込む)』が描かれています。 故にというべきか、このミステリタッチの小説では、主人公の『私』と友人『冴木』の〈人間関係〉、そして彼らの生きる『社会(の規範/価値観)』に重点が置かれる。 (より正確には、社会規範を逸脱しそうになる『冴木』は主人公『私』の眼を想像することで犯罪を犯さずに生きようとし、しかし、そのスーパーエゴ的な〈規範意識〉と現実社会の〈規範〉の間で本来的な欲求が板挟みになり、精神を摩耗させている) つまり、社会学/心理学的な視点から、個人の持つ社会(=他者)に対する葛藤という、ある意味では近代文学的(夏目漱石など)なテーマが扱われています。 (ちなみに本作は芥川賞作『土の中の子供』の〈それから〉のように読むこともできます。なぜなら『土の中~』は、生命の危機から生き延びた2人の人物が共に生きようとするところで終わります) 個人的に注目したのは、じつは、以上のような社会学的/西洋近代文学的な部分より、 子供時代の回想でサラリと短く出てきた『捨てられた作業着』に対する嫌悪感の描写です。 「私はいつもそれを触るのが嫌だったが、工場跡で拾った変色して破れた作業着を、ゴミとして載せることもあった。」(57ページ) この、大人の目から秘密基地を隠そうとしているシーンでのなんでもない描写。 けれど、これはこの作品を貫く重要な要素なのではないかと思いました。 このシーンは明らかに、生理的な『忌避感』を描いています。 じつはこの小説の登場人物たちは、論理的というより、この何かに対する『生理的な忌避感』に強く捕らわれている。 この小説の物語では、この直後に私と冴木がホームレスによる集団レイプを目撃します。そして男達に捕まり、死の危険に直面し、なおかつ主人公は知的障害のある女ホームレスの土と男達の唾液で汚れた胸を触らせられ、とてつもない不快感を感じる。 つまり、さまざまな『忌避感』にこの作品は満ちている。 わたしは読みながら、フランスの哲学者であるジョルジュ・バタイユの〈呪われた部分〉の理論を思い出しました。 これは〈死〉などの、人間にとって不気味なもののことです。 バタイユにおいては、ここからさまざまな価値観や文化が発生する。 中村さんの影響源、あるいは中村作品に類する思想として、わたしは社会学とこのバタイユの思想のふたつをこの作品から強く感じました。 (ちなみに中村さんは社会学部出身で、最新作の『その先の道に消える』ではバタイユの〈聖なるもの〉の哲学のような思想を持つ緊縛師が出てくる) ここから、この作品の全体を支える要素として、社会の持つ〈規範〉と個人的な〈欲求〉、人間を社会化するための〈他者の視線〉の心理的な所持、そしてバタイユ的な心理的〈忌避感〉。 今読むと、中村作品のテーマが個人的(実存主義的)なものから社会的なものに移行する、大きな変化となったのが本作のように思いました。 (ちなみにタイトルの『最後の命』は文庫巻末の解説の深読みより、大人の世界=社会がどうなろうとも、あの秘密基地で生き残ろうという主人公と冴木の交わした約束のことだと思います。だからラストシーンは主人公と恋人の香里がアパートの部屋で、まるで秘密基地のように二人きりになり、いかにも他人(他者の視点)から幸せそうに見えるようにクリスマスの電飾を灯したのでしょう) 中村さんは今後、どのような作品を書かれるのでしょうか。気になりますね。 今はとりあえず、来年発売という新聞連載小説をまとめた新刊を待ちたいと思います。 | ||||
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