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最後の命
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最後の命の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.88pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全17件 1~17 1/1ページ
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映画「最後の命」を先に視聴。 映画化に際してストーリーや設定の改変はあり得るが、主人公が無口な映画と、主人公の心理描写がメインの本作は、印象が相当異なり別作品と感じた。それは、映画と本というメディアの相違、メディア特性による表現方法の相違であり、別作品として楽しむこともできる。 映画では明確ではなかったが、本作では誰の「最後の命」か分かったように思う。 中村文則著作は「消滅する私」と「最後の命」を読了。個人的には「消滅する私」の手記、「最後の命」のメール文が好きである。手紙形式による表現が卓越している。 主人公の心理描写は、中村文則が好むドストエフスキーである。個人的には「罪と罰」しか読んでいないが、ラスコーリニコフやソーネチカ等よりも、圧倒的にスヴィドリガイロフに惹きつけられた。高校生の頃に読んだので記憶は定かではないが、子沢山の家で、四つん這いになったスヴィドリガイロフは、妻から鞭打たれ(?)罵倒叱責を浴びながら這いずり回るが、その顔には喜色が満ちている、というような描写だったように思う。人間は、不快の中に溺れて真逆の快を感じることもあるという大発見をドストエフスキーに教わった。 主人公と冴木の心理描写は、トラウマがトリガーになっているが、ドストエフスキーに倣って、社会通念や道徳との相剋、葛藤が描かれている。 最近シンプルな構成の、森鴎外「高瀬舟」が気になった。兄が弟にトドメを刺したのは、病気、赤貧、先行き等ではなく、刑吏は兄の話を聞き条理とした。社会通念や道徳、条理は、生まれた人間が持っていた所与ではなく、社会から取り込まれたものであり、フロイトの超自我である。超自我に取り込まれた様々な価値が人間の頭の中、心で優先順位が入り乱れる。その人の言動の結果から、どの価値が優先されたかが後から分かるに過ぎない、と最近考えるようになった。 主人公と冴木、それぞれの言動から、それぞれにとって、どんな価値が優先されたと言えるだろうか。 | ||||
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少年の頃に受けた精神的な傷が癒されぬまま大人になった男たちの物語。 あぁ、トラウマ話ね、と一言では片づけられない、逃げ場のない息苦しさを感じる。心的外傷が原因で犯罪に手を染めるというプロットは、あまりに陳腐ではある。懊悩にのたうち回る姿や、直情的な性向の表現に納得性がないと、読者は興味を惹かれないだろう。 その点では、あくまで男性視点ではあるが、成功している作品だと思う。ミステリの味付けをしたのも面白味という点で評価したい(ここは意見が分かれそうだけど)。 | ||||
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幼少期に性犯罪を目撃したことによって狂ってしまった主人公とその友人のお話。物語は終始、性的なものに溢れています。中心となるのは主人公の葛藤。周りには自殺や精神異常などもウヨウヨしています。結末もはっきりとせず曖昧で、いくらでも解釈の余地があるように思えます。 こういうお話を読んでいると、青春時代に現実の世界に馴染めないと思い悩んでいたこととか、とてつもない孤独感で苦しんでいたこととか、そういうことを思い出して、なんだかとても懐かしい気持ちにさせられます。(いい意味で。) | ||||
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非常に良い! | ||||
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中村文則さんの5作目の単行本の文庫版。 初期の中村さんの作品が好きなら、かならず気に入ると思います。おもしろいです。 ストーリーは、主人公の『私』と旧友の『冴木』の再会からはじまる。 彼らは共に小学生の頃、男のホームレスの集団が、同じホームレスの女をレイプしている現場に遭遇し、男達に見つかり、命からがら逃げ出した過去を持つ。 『私』は『冴木』との再会後、自宅アパートの部屋で、知人のデリへル嬢が殺害されているのを発見する。混乱する私。 警察は、私に容疑者として『冴木』の名を告げた・・・。冴木は果たして、本当に殺人犯なのか。 (以外はネタバレになります) 今読むと、中村さんの小説以外の影響源が垣間見えるように思いました。 ひとつは社会学/心理学です。 この作品では、それまでに明確には描かれていなかった、他者の視点を意識することで自分の欲望を抑制しようとするという、社会学/心理学的な意味での『社会化(=社会の規範を自分の中に取り込む)』が描かれています。 故にというべきか、このミステリタッチの小説では、主人公の『私』と友人『冴木』の〈人間関係〉、そして彼らの生きる『社会(の規範/価値観)』に重点が置かれる。 (より正確には、社会規範を逸脱しそうになる『冴木』は主人公『私』の眼を想像することで犯罪を犯さずに生きようとし、しかし、そのスーパーエゴ的な〈規範意識〉と現実社会の〈規範〉の間で本来的な欲求が板挟みになり、精神を摩耗させている) つまり、社会学/心理学的な視点から、個人の持つ社会(=他者)に対する葛藤という、ある意味では近代文学的(夏目漱石など)なテーマが扱われています。 (ちなみに本作は芥川賞作『土の中の子供』の〈それから〉のように読むこともできます。なぜなら『土の中~』は、生命の危機から生き延びた2人の人物が共に生きようとするところで終わります) 個人的に注目したのは、じつは、以上のような社会学的/西洋近代文学的な部分より、 子供時代の回想でサラリと短く出てきた『捨てられた作業着』に対する嫌悪感の描写です。 「私はいつもそれを触るのが嫌だったが、工場跡で拾った変色して破れた作業着を、ゴミとして載せることもあった。」(57ページ) この、大人の目から秘密基地を隠そうとしているシーンでのなんでもない描写。 けれど、これはこの作品を貫く重要な要素なのではないかと思いました。 このシーンは明らかに、生理的な『忌避感』を描いています。 じつはこの小説の登場人物たちは、論理的というより、この何かに対する『生理的な忌避感』に強く捕らわれている。 この小説の物語では、この直後に私と冴木がホームレスによる集団レイプを目撃します。そして男達に捕まり、死の危険に直面し、なおかつ主人公は知的障害のある女ホームレスの土と男達の唾液で汚れた胸を触らせられ、とてつもない不快感を感じる。 つまり、さまざまな『忌避感』にこの作品は満ちている。 わたしは読みながら、フランスの哲学者であるジョルジュ・バタイユの〈呪われた部分〉の理論を思い出しました。 これは〈死〉などの、人間にとって不気味なもののことです。 バタイユにおいては、ここからさまざまな価値観や文化が発生する。 中村さんの影響源、あるいは中村作品に類する思想として、わたしは社会学とこのバタイユの思想のふたつをこの作品から強く感じました。 (ちなみに中村さんは社会学部出身で、最新作の『その先の道に消える』ではバタイユの〈聖なるもの〉の哲学のような思想を持つ緊縛師が出てくる) ここから、この作品の全体を支える要素として、社会の持つ〈規範〉と個人的な〈欲求〉、人間を社会化するための〈他者の視線〉の心理的な所持、そしてバタイユ的な心理的〈忌避感〉。 今読むと、中村作品のテーマが個人的(実存主義的)なものから社会的なものに移行する、大きな変化となったのが本作のように思いました。 (ちなみにタイトルの『最後の命』は文庫巻末の解説の深読みより、大人の世界=社会がどうなろうとも、あの秘密基地で生き残ろうという主人公と冴木の交わした約束のことだと思います。だからラストシーンは主人公と恋人の香里がアパートの部屋で、まるで秘密基地のように二人きりになり、いかにも他人(他者の視点)から幸せそうに見えるようにクリスマスの電飾を灯したのでしょう) 中村さんは今後、どのような作品を書かれるのでしょうか。気になりますね。 今はとりあえず、来年発売という新聞連載小説をまとめた新刊を待ちたいと思います。 | ||||
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中村文則が、『土の中の子供』で芥川賞を獲ったあと、20代最後の小説として一年ほどかけて書いた本。 芥川賞の次というプレッシャーが相当あったのではないか? 中村文則の作品としては、比較的短い小説に一年もかかっている。 内容としては、幼少期のトラウマを引きずって大人になった二人の青年の物語。 桂人は内向きに成長し、冴木はトラウマの再現に執拗に拘る。 映画版では狂った理由付けがされていた香里だが、小説では曖昧だ。 だが、そこがいい。香里が狂った理由は何だったのだろう?と想像を働かせる余地が残されている。 星4なのは、中村文則の他の作品と比較しての評価です。 | ||||
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中村文則あさり読み、裏表紙の文を読んで、てっきり推理小説だと思って購入。先天的な性癖や幼少期のトラウマはそれぞれの不幸だとは思うが、それがそのひとを決定するとは思えない。 | ||||
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読中・読後、作品の深さに何度も打ちのめされた。 この作者の作品はまだ3作品程度しか読んでいないが、いつも打ちのめされる。 本作品では、性的異常者の生き難さを取り上げている。 登場人物が少ないこともあって、各人の心の闇が深く描かれていることから、非常に読み応えがあった。 私は通常文庫本は読後に直ぐ処分してしまうが、中村文則さんの作品は、一度読みではその良さ(素晴らしさ)を半分程度しか知ることが出来ず、再読、再々読でさらに感銘する深い作品であるため、本作品も必ず改めて感動する(感嘆する)文章に出合う予感がする。 私にとって今年(2018年)初に読む小説に相応しい素晴らしい作品だった。 | ||||
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久しぶりに会った幼馴染は強姦魔だった. 幼い日に遭遇したレイプ事件は2人に何をもたらしたのか? 無気力で自堕落な生活をしている主人公の日常から物語は始まる. 灰色の世界が見えてきそうな淀んだ空気感は, 幼馴染との再開から一転し,売春婦の殺害,そして幼馴染が強姦魔として 指名手配されていることを知らされる,という急展開で一掃され, 主人公の過去のいきさつを語られる. 不幸にして,レイプという性犯罪を目の当たりにしてしまった2人の少年が, その後,どのような人生を送り,2人の精神にどのような影響を与えたのか,が, この物語のテーマである. 性行為に悩みを抱える主人公の半生の独白と自己分析には, ナイーブさ故のトラウマがうまく表現されており, 恋人との性行為への不安,それを誰にも打ち明けられない苦悩が伝わってくる. 強姦魔になってしまった幼馴染とは対象的な印象を受けるのだが, ラストではある種のどんでん返しが仕掛けられている. 2人の少年はどちらがより不幸だったのか? | ||||
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雨の音を静かに聞いているみたいなラストでした。 例えばこんなふうにして人は、 人を愛するものなのだとその風景を見せてくれて 愛すると決めたから、 約束を守っていくのかもしれないと思いました。 | ||||
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この「最後の命」は、中村文則さんが「土の中の子供」を書いた後に、ずいぶんと時間をかけて書き上げた五冊目の小説である。 この小説に至るまで、中村さんは最初の三冊で、人を殺してしまうまでに行き着いてしまう人間の思考を執拗に書き、「土の中の子供」では世間から黙殺され、暴力の中でそれでも生きようともがく人間の悲痛な生命力を描き、日常の中では埋もれてしまうような人の心の暗部にスポットを当ててきた。その中に、今回の小説のテーマでもある「性への衝動」は既に見え隠れしていたが、今作品では真正面から向き合うことになる。 この「性への衝動」、つまりセックスのなかに潜む暴力性は私たちの周りに当たり前に潜んでいる。そして、それが強姦という形を成すことは、実は日常的に起きている。性犯罪は、無くなることがない。なぜ、それは起きてしまうのか。 新たな生命を宿すために、男女はどうしても交わらなければならず、そのために人は成長とともに性欲を身内に抱くことになる。 その性欲が恋愛の中で生まれるとき、人はそれを愛情から生まれる行為として納得し、うまく処理することができるが、そういう形で処理できない性欲は、どのように解消すればよいのだろうか。 特に男性における性欲は、支配欲や破壊欲と一緒になって、相手の意思を無視して、いやむしろ嫌がる相手を犯すことに興奮を覚え、それは女から見れば単なる暴力とし現れることがある。 この小説に出てくる冴木、そして主人公は、この己の性欲の暴力性に、子供のとき集団強姦事件に巻き込まれたことがきっかけで向き合うこととなり、その存在に苦しみ、冴木はそれを増大させ欲望を現実の世界で解消しようとして行動し、主人公はそれを軽蔑して自分の単純な欲望すら嫌悪し、それを内包する世界の存在を嫌悪し、潔癖症や強迫症に悩まされる。 この「性への衝動」は、なぜに存在するのだろうか。 性欲は子供を産むため、愛を確かめるためならそれは是とされ、強姦に向かえばそれは否とされる。 欲望とは人が生きていくために必要なものなのだが、その善悪は紙一重の表裏一体のものである。 中村文則作品には、常にこの「性への衝動」が悪の一つとして描かれ、それと向き合う人間の苦悩が描かれている。 私は中村さんの新作である「教団X」が、なぜ執拗に生々しい性描写をするのか、なぜそこまでセックスに拘るのかわからなかったが、この「最後の命」を読んでやっと理解できたように思う。それは性の問題は、人類のひとつの大きな課題だからだ。 人間以外で、常に発情している動物はいるのだろうか。 他の動物には発情期という期間があって、それ以外で交尾することはほとんどないのではないか。 つまり動物は子孫を残すために、危険を冒して交尾を行っている。快楽のために行っているわけではない。でも人間は快楽のためにセックスすることがあるのだ。そしてその快楽はときに悪しきものへと姿を変えるのだ。そのような衝動を、なぜ人は抱えて生きなくてはならないのだろうか。 「最後の命」では、この欲望の前で人々は死という形をとる。 強姦の犠牲となって死ぬ者、その罰を与えられたかのように見捨てられて死ぬ者、そしてその衝動に耐えられなくなって死ぬ者。 主人公も、常に死を意識して生きている。 この衝動は殺さなければならないもの、許されないもの、そういう理性の前で欲望は、快楽は死を求める。 このような小説を性的異常者の話だと切り捨てることは簡単である。でも、実際にはそんなに簡単なものではない。 現に、毎日性犯罪は起きているのだから。いくら法で縛っても、罪に罰を与えても、なくならないのだから。 これは、人類が背負っているひとつの十字架なのだ。 この小説の中に、その衝動を克服するための正解などない。ただ、それを背負って生きていくことへの決意があるだけだ。 「最後の命」とは、小説の中の登場人物としては香里に当たるのだろうか。でも、私には、命という厄介なものを生きていく決意表明に思える。 そして中村文則さんは、今でもこの問題を小説で書き続けている。書き続けるしかない。そういうことと、真面目に向き合っている小説があっても私はいいと思う。むしろ、あるべきだろう。 | ||||
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性的な描写が多いので、好き嫌い分かれる作品だと思います。少年の傷が重く読後感は暗いです。 | ||||
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こちらが7年も先に出版されているのですが、2015年に出版されたサカキバラセイトの書いた私小説を読んだあとにこれを読みましたので、レイプ魔の友人の異常性欲の告白が、サカキバラの心理にとても似ていると思いました。 恐ろしい性的衝動が生まれる様子、それを抑える困難さ、そして蝕まれて自他を傷つけてしまう人生。 このリアリズムは怖いです。 | ||||
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「掏摸」「遮光」を読んで、三冊目に読んだ本です。 三冊とも、私をとらえたのは、世界を見つめる視線でした。 繊細で、優しくて、切実で、危うい。 作者の視線はいつも、さまざまな理由で 社会から必要とされない人々に向けられている。 作家という(社会的に認められている)立場から、 そういう低いところを見ているにも関わらず、 私は視線の高さをまったく感じなかった。 たぶん、この視線によりそう感覚をもつ人は、私も含めて、 そう多くはない。とても少ないかもしれない。 でも、作者が送るサインはそういう人に必ず届くと思う。 この完璧な集団社会の中で、毎日まともなふりをして、 バレないように必死でコントロールしながら生きている人たちに。 「なぜ、こんな人間になってしまったんだろう」 「死んだほうが世の中のためなんじゃないか」 と、一度でも生死をかけて問うたことがある人たちに。 まともな社会の一員なら、決して口に出して言ったり、 考えたりしてはいけないことを、堂々と書くことで。 文学がなぜ自分に必要なのか、あらためてわかった気がする。 | ||||
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読み終えて1か月ぐらいたちました。 レビューを書くにあたって、内容が思い出せない。 ってことは、普通でした。 | ||||
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私は、一種の文学的ミステリーとして読みました。目一杯がんばって書いた作者の情熱が、ひしひしと字面から伝わってきた。ドストエフスキーや三島などの観念小説からの影響が濃厚に感じられますが、いささか青臭い。作者の理窟は、わかりやすいけど幼なすぎるのではないかしら。一人称の制約はあるものの、社会的な視野の偏狭さが気にかかる。しかし、ひと息に読ませる力がある書き手であることは間違いない。 《売れる小説を書いて、人生を謳歌してくれよ。俺の分までさ。》 蛇足ながら、文庫版の解説はひどい。読みが浅いし、ふざけているのはいただけない。最近は文芸評論家も人材難のようですね。これでは、作者があまりにお気の毒。 | ||||
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文章に緊迫感はあるが、主人公2人の延々と続く自己分析には、共感することはあまりなかった。 幼い子供時代、混沌とした思春期、成人してからの精神の混濁、各時代時代の回顧がとても理路整然としていて、冷静な大人が書いた物語としか感じられなかった点が残念である。 | ||||
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