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(短編集)
殺人出産
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殺人出産の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.48pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全80件 61~80 4/4ページ
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『コンビニ人間』を読んで興味をもって、それで読んでみました。 僕には面白かったです。芥川龍之介の『河童』が好きな人なら、読んでいて面白いのでないかと思います。 内容はグロテスクなのかな? バタイユの『眼球譚』とか読んで大丈夫な人なら大丈夫と思います。 ただ妙なことを言いますと、グロテスクなものが好きな人には、言い知れない居心地の悪さを感じるかと思いますよ。たいていグロテスクな描写のある小説って、もっと情熱的ですから。これは本当に淡々としていて熱さの欠片もないし、グロなものを書いても社会で受け入れられるようにするための工夫も何もなく、やる気なく日常を遠くのほうから眺めているような生気の無い文脈の中で、グロテスクなものが、逆に作者が淡々とした傍観者のようなスタンスなるが故に、けっこうな生々しさで展開されるので、グロテスクなものが好きな人にも苦手な人にも受け付けないような感じに書けているんじゃないかって思います。その奇妙な居心地の悪さに、逆に変な共感を覚えて引きこまれそうになる感じがあるので、そこが何とも怖いです。(うまく説明できないな。僕の文章力ではとても言いたいことが伝わらないかと思います)。 世界観は全く説得力もなく納得も出来るものではないのだけれど、僕らの生きているこの現在の社会も、予備知識の何も無い遠い星の宇宙人に語って聞かせたら、「こんな世界があるなんて信じられない。なぜなら……」と、いくらでも矛盾点を指摘出来ることでしょう。 ここまで説得力の無い世界を描けるという点が、逆の意味でリアリティだと感じます。 説得力がなくてもリアリティがなくても、現に世界がそうであるからそうというのが、僕らの社会であるように、リアリティのある説明を社会から与えられない点がリアリティなのです。何か本質からずれた説明でお茶を濁され、優等生っぽい気質の人は、社会からの説明を真に受けるかまたは渋々受け入れ、そうでない反骨精神の人はそれを受け入れないわけだけど、反骨の人も代わりに信じるべき何かってのを社会のどこかから(それが書物からであっても何でも)探すしかないので、結局その人にとっての迫真性を感じるものを希求しながら生きていくしかないわけです。 正しさは地域性や時代性によって異なるので、相対的にしか与えられないわけですが、何かしら本能と結びつくような形で、奇妙な正しさを実感してしまうことがあります。そういった本能と結びついた奇妙な正しさが、社会的な正しさとなって規則を生み出してしまうこともあるわけで、そんなことの繰り返しで正しさは流動していき、ある正しさがある種の人々にとっては苦痛で、ある種の人々にとっては救いであるという、よくあるテーマをよくあるような感じに描いただけの作品なんですが、人によっての好き嫌いがこんなにも激しいのは、文体というかこの作者のスタイルに因るところが大きかろうと思います。 どうしても我々、権威主義にどこか凝り固まっているもので、作者に飛びきり高い知性を感じたり、それをほのめかすような華美で装飾過多な文体に出会ったりしますと、書かれている内容が大変気に入らなくても、文句をいうのはどこか気がひけるものです。自分の知性の欠如故に理解できぬだけかもしれぬと怯えるわけですね。 この作者の文体って、あっさりした気取っていない文体、というのを通り越して、小学生の作文のような文体ですからね。そしてそういう文体でも作者の知性に打ちのめされるような思いがすることは稀にあるものですが、この作者は自分の知性をひけらかすような部分が本当になくて、変な言い方をすれば知性そのものを馬鹿にしているような知性とでもいうか、我々にとっての普通とか日常とか常識とか当たり前みたいなものや、逆にもっと高度とされ社会から賞賛されるような思想や知識といったものを、冷静に白い目で見ているような感じの人なんですね。いきり立って常識に反旗を翻して攻撃的な文を書く人とかいますけど、そういうのでなくて一歩遠くから力なく第三者のように観察しているような生暖かい視点。この辺がとても斬新。これだけ抑え気味に文章が書ける人なのに、社会から認めてもらいたい気持ちも無い感じの文章ってのには、そうそう出会えない気がします。そういった部分がとても気に入っております。 全然言いたいことがうまく書けないけれど、僕の素直な感想です。偉そうに聞こえたらすみませぬ。そういうつもりは無いのですが。 | ||||
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表題作を含めた4編とも、特異な設定で読ませる小説である。 その特異な設定と言うのは、(一部では融解しつつあるものの)現代西側先進国で主流派となっている価値観や規範に挑戦するようなものある。 短編と言うこともあり、それほどおおきなプロットのひねりはない。結末も含めて、それぞれの短編のプロットのほぼすべてが最初の設定で規定され、その枠内をはみ出ることなく展開してゆく。 というわけで、はらはらしながらプロットの行き着く先を求めて読む、という種類の、読書の楽しみを感じることはできなかった。 読者によっては、この特異な設定が楽しい、と言う人もいるのだろうが、評者にしてみれば、小説って設定だけ面白ければいいってもんじゃないだろうと言いたい。 | ||||
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倫理・価値観の脆弱性および流動性というテーマが性的倒錯、中でもErotophonophiliaを背景に描かれています。舞台は殺人が合法化され蝉を食べる未来の世界です。いまにも嘔吐しそうな不快感を覚えますが、「昆虫はね、縄文時代には普通に食べられてたんだよ(本文より抜粋)」、古代の祭祀で行われた人身供犠など、我々の歴史とは決して無縁ではありません。10人産んだら一人殺してもいいシステム、ここにはジョルジュ・バタイユの言う“存在の連続性”が感じられます。祭祀・供犠を彷彿とさせる純白の葬式も印象的です。最後は、ErotophonophiliaのEcstasyがかなりリアルに描かれていて、村田沙耶香さんの感性に驚きました。 著者の投げかけたテーマはナショナリズム、テロリズムが問題となっている現代において特に重要であると思いますし、我々一人ひとりが一度じっくり考えなければならないと思いますが、かなりグロテスクなので星4つとさせていただきました。 | ||||
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「10人産んだら1人殺せる」 が正義であるという、 現在の常識からは考えられない設定/アイデア、素晴らしいです。 一気に引き込まれ、熱中して読んでしまいました。 この世界観を作り出した作者、素直にすごいと思います。 他の方がおっしゃるように「詰めが甘い」 部分があるのかもしれませんが、 少なくとも、私は気になりませんでした。 作者のオリジナリティーを強く感じました。 買う価値が十二分にある本だと思います。 | ||||
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表題作『殺人出産』について、前にレビューを書かれているお二方があんまりにもあんまりなので、擁護したくなって書きました。なのでそちらを先に読まれてからお読みください。あと、完全にネタバレですのでご留意ください。 お二人とも、設定に無理がある、リアリティがないから入り込めないとお考えのようです。 しかし、物語の前提となる設定についてはどんなに荒唐無稽であっても、それはその物語を語る上で必要なものなんだと思って受け入れなければ始まらないと思います。カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』の主人公たちに「なんで逃げないの?」と言うようなもので、そういう世界であることを受け入れなければ見えるものも見えないでしょう、そこはとりあえず受け入れて読んでみましょうよ、と言いたいです。ハードSFじゃあるまいし、設定のリアリティが売りの作品じゃないんですから。 で、そこをそういうものとして受け入れると何が見えてくるか。『コンビニ人間』と同じ、「当たり前ってなに?」という問いではないでしょうか。というわけで、「殺意と殺人を描く以上は、雰囲気で片づけちゃいけない」というご意見には「それが当たり前ですよね!」と返さざるを得ません。 育子が書いた作文の「100年前には殺人はまったく違う意味を持っていました。だから、100年後にはどうなっているかわからないと思います」というフレーズの、「殺人」の部分を入れ替えれば、現実に当てはまることは山ほどあるでしょう。最近話題のものであれば「天皇」とかですね。(70年ちょっと前までは神扱いだったんですって。なら70年先には奴隷扱いになってても不思議ではないのでは?) つまり、「当たり前ってなに?」という問いを見せるために殺人という題材を使っただけで、この問い自体は普遍的なものなわけです。題材を恋愛・結婚・出産などなど人間として正しい人生、にしたものが『コンビニ人間』ですね。そちらの方が圧倒的にいい題材です。誰に取っても馴染みのあることだし、多くの人がそういうことで何か言われて「うるさいな、ほっといてくれ」と思ったことがあるでしょうから。そういう意味では『殺人出産』は、『コンビニ人間』に至るワンステップだったのかもしれませんね。 身も蓋もない例えをすれば、ラストシーンの育子は、『コンビニ人間』の白羽君(童貞)が、処女のまま中古な古倉さんとセックスをしてみたらすげえ気持ちよかった!惚れた!みたいなものでしょう。 みんな殺人したことないけど、実際やったら明らかに正しいことだとわかって、セックスは気持ちいいというのと同じくらい常識になるかもしれないよね、ということです。100年前の日本人に、100年後の天皇はもう年だから辞めたいんだけどって言うこともできないんだよって言っても、同じくらい信じなかったでしょうね(100年前にも生前退位の規定はないですが、本人が望めばできたでしょう)。 この小説のキーアイテムとして、蝿スナックがあります。流行り物であり、「当たり前」のもののひとつです。 その蝿スナック、殺人出産システムを当たり前のものとして受け入れているミサキや、死に人であることを受け入れ動揺することなく殺されたチカちゃんが食べているのは当然と言えるでしょうが、殺人出産を嫌悪するように最初は嫌がっていたはずの早紀子までが食べるようになっているのはなぜでしょうか? 結局のところ、殺人出産が正しい正しくないというのはどちらも同じ流行り物、その時々の常識に過ぎず、いずれにせよ盲目的に信じている人という点ではミサキも早紀子も同じなのです。 しかし常識や正義を疑わずにはいられない育子は蝿スナックを食べられません。そして世間の常識や正義を完全に凌駕する個人的な欲求を持つ環は、食べたいなら食べるでしょうし、食べたくないなら食べないだけでしょう。いや、元々食べたくて仕方なかった人ですかね。 しかし周りに流されて蝿スナックを食べているからといって、ダメだというわけでもないのです。この小説の中で最も無私に他者を慈しんでいるのはミサキです。蝿スナックの流行りに言い訳しながら乗る、殺人出産によって生まれてきたミサキなのです。殺したり殺されたり蝿スナックを食べたりの、わたしたちのために、祈ってくれているんですよ。 人間ってロクでもなくて、素晴らしいものだよね、という当たり前なことをも書いている小説ではないでしょうか。 | ||||
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着想も良く、文章も良いです。 他の作品も読んでみようと思います。 | ||||
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表題作について。(ラストまでネタバレします) 10人の子供を産んだら1人を殺せる、というキャッチフレーズにてっきり産んだ子供のうちの一人かと思って読むと、これは違うんですね。殺せる相手は赤の他人や我が子以外の身内のようです。 で、なんでそれが許可されているかというと少子化のため。ブラックコメディとかの世界ならありかなと思う設定ですが、これを大真面目に物語の前提に敷いているのが大きな欠陥というか、簡単に言うと無理があるというか…。 男性ですら出産できるほどの医学が発達した未来において、なんで「人が人を産む」という一点には一切の科学的発展がみられていないのかと。浅学な自分でも、試験管でとかクローン人間の腹を借りてとか、もっとましな方法が発見されてると思うんですよね。 それをなあなあで話を進めている時点でもう乗り切れない。 主人公の姉は殺人衝動があり(おそらく快楽殺人者の気があるのかと)その衝動を(合法的に?)果たすため、産み人として10人の子どもを産む。その果てについに得た人を一人殺す権利。姉は殺す相手は誰でもいいので、たまたま出会ったにすぎない、この世界のシステムに反対している組織の女性を選ぶことになります。(この世界で生きるのは可哀想という理由です 殺意とは何かとか世界の正常など所詮は不安定なものとか、なんとなく言いたいことはわからないでもないけど、土台がふわわわんとしているので、そういう主張もふわふわ漂っているだけで、なんにも響いてこない。雰囲気小説だなあ、これと。 特によくないのはラスト。姉とそれにくっついて主人公が殺人を果たすわけですが、殺される相手は薬か何かでまったくの無抵抗、意識もない。そんで臓器切り開いたり血がどばどば出てきたりで主人公と姉はうっとり涙ぐむというわけなんですが、これはもう解剖フェチくらいのレベルでしかないんじゃないかなあと。これも雰囲気殺人なんですよね。 正直このテーマで書くなら、相手の意識はしっかりあって自分は今から殺されると絶望的に突きつけられ、それでも子どものため獣のように暴れ罵り懇願し絶望しそれでも腹の子どもだけでも守ろうと諦めきれず必死な相手、そういうすべてを受けて手にかけるべきだと。(そんなもの断じて読みたいわけではないですが) 過去の正常な世界と現在の正常な世界の対決がまったくないまま、雰囲気だけで結論出して終わった。 他のテーマならまだ雰囲気でもいいでしょう。しかし、殺意と殺人を描く以上は、雰囲気で片づけちゃいけないものがあったと思います。 | ||||
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「コンビニ人間」を読んで面白い作家だなあと思ってこれを読むとがっかりするだろう。まあ未来ものSFといってもそれなりにリアリティがなければならないが、表題作はあまりにそれがない。特にこの小説中で最初に殺されるのが、父親に恨みがあるので殺されるのだというのはえらく気分が悪い。新人作家が持ち込んだら断られるレベル。あるいは総理大臣や政治家、芸能人やスポーツ選手などの有名人が殺されたらどうなるのか。詰めが甘い。 あと三つ短編が入っているが、講談社文庫版では初出が記されていない。昔は作家年譜も充実していた文庫なのにこの杜撰さは何だろう。念のため記しておくと、2014年1月「余命」すばる、2月「トリプル」 群像、 「清潔な結婚」GRANTA JAPAN with 早稲田文学01、5月「殺人出産」群像、である。いずれも死やセックスをめぐる、大人向け星新一みたいなもの。ところで「トリプル」で「圭太のペニスからとろとろと白い液体が流れ出た」というのを読んで、もしや作者は射精を見たことがないのではないか(ビデオでも)と思った。 | ||||
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あまり頭を使わず寓話として読む分にはいいんじゃないでしょうか なんとなくですけど、湊かなえが好きな層にウケそうですね 「これが人間の心の闇……ヾ(*'∀`*)ノキャッキャ」みたいな | ||||
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文章なのか内容なのか、先が気になっていっきに読み進められました。が、結末が…私の理解力がたりないのかちょっとあっけなかったです。 たくさん活字が読みたいときにはスラスラ読めるのでエンターテイメントにはいい本だと思いました。 | ||||
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4作品とも面白かったし、こういった設定を思いつく作者に感心です。有り得ないようで、もしかしたらなんて思っちゃう。改めて本って面白いなぁと思いました。 | ||||
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この作家は以前から、独特の切り口で作品を書いているという評判だったことと、最近純文学作家がディストピア小説を相次いで発表しているなかの一冊として「殺人出産」が紹介されていたので、興味を持って読んでみた。 期待外れだとか、こんなものだとか、いろいろとレビューが書かれていますが、どれもみななるほどと納得できるレビューだと思います。 但し、私が感じたのはまったく別のもの。 女性の視点で描くと、ディストピアの何とも言えない設定の物語が、こんなにもさりげなくあっけなく当たり前のように描かれるのだという発見が面白かった。 恐らく男性作家やSF作家などは、このような設定だと、もっと設定した世界観について詳しく伝え、読者に訴えかける内容になっていたと思う。 きっと、現代社会のなれの果ての一つのシナリオとして読んでほしいという思いや、作者の持つ価値観に基づいた社会への鋭い警鐘といった読後感をもたらす作品になるのが圧倒的多数ではなかろうか。 それほどに、近未来の社会のある一面を描いていると思う。 でも、作者はそれについて何かを訴えようとするのではなく、そのような社会になった時の一般のごくフツーの人々は、きっとこんな風になんとなく受け入れて生きて行ってしまうのだろうという、ある意味訴えるよりも恐ろしい描き方をして読者にポンと投げ出しているように思えた。 表題作以外もしかり。 現代の価値観や社会通念からどんなにかけ離れた社会が訪れようとも、市井の人々は特に大きな抵抗をすることもなく、 ただ何となく流されながら受け入れ、疑問や違和感を感じながらもそんな社会にじわじわと順応して生きていく。 結局、人ってそんなものなのだと、作者から突き付けられた気がする。 そういう意味では、この作品は恐ろしい作品だと思う。 次は、消滅世界を読んでみようと思う。 | ||||
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表題作の他、「トリプル」、「清潔な結婚」及び「余命」の3つの掌編を伴録した中短編集。3つの掌編の意匠も、社会の常識的価値観や"同調性"を疑ってみるという、表題作の意匠とほぼ同一なので、以下では表題作に関してのみの感想を。特に、「余命」に関しては、筒井の昔の短編に同一の意匠のものがあった気がする。 「十人産んだら一人殺しても良い(むしろ、一人殺すために十人産む、と言うべきか)」事が法律で許容・奨励されている近未来世界を描いた作品で、吉村萬壱氏「ボラード病」と並んで、2014年におけるサタイア文学の代表と言える。この殺人(=出産)の決意をした人を「産み人」と呼び、被害者を「死に人」と呼び、両者共に賞賛される。人口の減少化、動機不明の殺人事件の増加、生殖と快楽との境目の無さ等の現在の社会状況を背景に、この近未来世界における"同調性"問題を扱っている点が鋭いと共に、「ポラード病」の意匠との類似性を強く感じた。本作では、人間が生来(多かれ少なかれ)持つ殺人衝動を扱っている点も特徴ではあるが。 個人的には、「3.11」以降、世論が一方的に傾く傾向にあり、日本人の付和雷同性が際立つ中で、"同調性"への懐疑の念を呈しているという意味において、意義ある作品だと思う。ただし、少なくても十年は保ち続けられる"殺意"とは何かという掘り下げが浅い点、賞賛される「死に人」のために「産み人」を志願する人が存在する理由が曖昧な点、この近未来世界に"同調"している筈のヒロインが、一人の胎児を殺した事をキッカケに「産み人」を志願する点等、全体的に作品構造に整合性がない様にも見えたが。まあ、整合性よりも風刺性を重視した結果だと思うが。一読の価値がある秀作だと思う。 | ||||
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神経逆撫で小説です。 逆撫でなのでアートです。 アートなのでSFとかOL小説を期待して読むと痛い目にあいます。 具体的な描写を中心に話が展開しますが、その本質は非常に観念的だと感じました。 | ||||
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なんでもかんでも読めるタイプではない自分には久々に一気に読めた めったに小説よまない自分でも2時間ちょいで読めた 10人産めば一人殺していいという法律の中で生きる、ひと家族の物語です あと短編2話付き、これについては漠然と終わってるので微妙でしたが、 本編はおもしろかったです さくっと読みたい人にむいてます 短い新井素子バージョンや筒井康隆の軽いバージョン的なものが好きな人にはむいてます。 | ||||
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この作家さんの作品を読むのは初めてです。タイトルのインパクトに惹かれて読みました。 全体的にどの話も平坦というか抑揚のない感じ。設定も小中高生が考えそうな陳腐なものでした。 酷評ではありません。不思議なもので、この平坦さと陳腐さがいい感じに軽そうな作品に重み(後味の悪さ)を与えています。 どの話も生や死や性の在り方について書かれており、特に表題作の「殺人出産」は生・死・性の3つのテーマを盛り込み、移り変わる社会の秩序に翻弄される人々の生き方や心情が読みやすく表現されています。 ただ、どの話も設定が違うだけで同じ話を読んでいるような感覚になりました。(そういう作風なのかもしれませんが) | ||||
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「人を殺すのは悪いことだ」「男と女が一対一で付き合うのが恋愛だ」「自殺は良くないことだ」 こういった当たり前の価値観、いわゆる常識をゆさぶってくる作品です。 短編集です。タイトルの殺人出産は、「人を殺す」ことを賛美するわけではありませんが、今の世の中の問題を切々と訴えてきます。 「10人産んだら1人殺してもいい」。それを疑いもしない若い世代。私から見れば異様。しかし彼らには彼らの倫理観がある。 殺人出産の制度がない時代も、人は殺された。10人産んで1人産めば、人口は9人増える。命の価値をどうやってはかるのか? この制度によって、生きることに価値を見出す人々。自殺は減少。しかし、人殺しを合法化するのは間違っていないか? 一度読んでみる価値はあると思います。命について考える機会になるかと。 | ||||
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少子化や未婚男女の増加、医療技術の進歩など、人類が抱える問題について、現状の価値観を打ち破る作品に挑戦した短編集。 10人産めば1人殺してもいいという表題作の殺人出産制度がもっとも印象的だった。 何を常識と考えるかは人それぞれで、ある人にとっては残酷な世界でも、別の人にとっては優しい世界になる。人を殺す代わりに新たな命を生み出すという発想は新鮮で、人間の常識や正義などの価値観を考える話になっていて楽しめた。 他の短編集も発想自体はよく考えたなと思ったが、ページ数が少ないせいもあり、ちょっと物足りなかった。「清潔な結婚」は、どのような繁殖を行うのか楽しみにしていたのだが、特に意外性もなくて拍子抜けしてしまった。 | ||||
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タイで24歳の日本人男性が代理出産で20人近くの子どもをもうけていたというニュースが物議をかもし、その後この男性が「死ぬまで毎年10人から15人の子どもをつくり続けたい」と話していたと報じられた。20歳から70歳まで生きたとして、750人の子どもが生まれる計算になる。現在日本の合計特殊出生率は1.43で今世紀半ばまでには人口が1億人を切るのは確実だ。この男の子どもはほとんどがタイから第3国に渡航しているようだが、彼がもし、人口の減りゆく日本に一人で750人もの子どもをもたらしたとしたら、国から感謝され、そのおこないは称賛されるだろうか? いまのところそうはなっていないが、彼を罰する法律もない。100年後はどうだろう? この小説は、私たちが今現在の価値観で「とんでもなく非常識」「道徳的にありえない」ようなことがすっかり日常の一部となった世界を淡々と描いている。いま私たちが住んでいるこの日本の価値基準では「事件」「犯罪」「禁忌」となることが、すっかりあたりまえになった世界がここにある。 男でも女でも、10人産めば人を1人殺してよいという制度は、「プラスマイナスで9人増える」ことの価値を、近代の道徳体系や法体系の上位にもってくるというラディカルな考え方だ。殺人者は「産み人」とたたえられ、その「産み人」に殺される「死に人」は、10人もの新たな命が生まれるための犠牲になってくれたということで感謝されながら逝く。1000年前の人間が人工授精や代理出産が珍しくもなくなり、技術的には人間のクローンさえつくれるようになった現代の世界を見たら、私たちがこの小説を読んだときのような衝撃を多かれ少なかれ感じるだろう。生きることと死ぬこと、生かすことと死ぬこと、生まれることと死ぬこと――動物社会ではそれは単なる自然の摂理だが、人間はそこに優劣や善悪を持ち込むことで社会の秩序を保ってきた。テクノロジーにより、生殖行為と性行為はすでに切り離されたが、本書の『トリプル』にあるように、恋愛と性行為も切り離され、『余命』にあるように老化と死も切り離されていったとき、これまでの社会通念はかたちを変えて行かざるを得ず、制度もそれに合わせて変わっていくのだろう。著者は「産み人」から生まれ、「産み人」となった主人公の姉、環(環という名前は、循環の環である)にこう言わせている。 「世界はいつも残酷です。残酷さの形が変わったというだけです。」 経済成長のためには人口維持は必須、若年人口が減り続けると社会保障制度が崩壊する、日本という国を消滅させてはならない――といったことが、少子化対策が必要な理由としていつもあげられる。それはそれで違和感もあるが、この小説に書かれているのは、そうした政治経済的な理屈を超えて「人口が増えていくこと」が絶対善とされ、「命を奪うものが、命造る役目を担う」ことが「人は人を殺してはならない」と同じくらいに説明不可能にして説明不必要な世界である。極端に価値観が転換した近未来の社会を、明日目が覚めたらこんな世界になっているかもしれないと思わせるようなぬるっとしたリアリズムで描ききった。本作品集には人類がこれから延々向き合っていくであろう答えのない問いの数々が高純度で詰まっている。カズオ・イシグロの『わたしを話さないで』を思い出した。 | ||||
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「10人産めば、1人殺してもいい」帯を見てレジへ直行。 さすが村田さん、面白いところに目をつけるなあ、とワクワク読み始め、冒頭2ページのぶっ飛び具合にニヤニヤし…設定の説明が始まったところで気が抜けてしまいました。 うーん、これは設定に穴がありすぎる。 「産み人」に殺される「死に人」は尊い犠牲者として崇められるそうだが、それでは10年も殺意を抱き続けるほど憎い相手を、自分の命を賭けて「崇拝される対象」にすることになってしまう。 人口の減少を危惧しているのに「食糧難に備えて昆虫食を研究」というのも矛盾しているし、全体的にセンセーショナルな設定やシーンを書くために物語が空中分解してしまっている印象。 SFではないものとして読むとしても、これでは登場人物に感情移入することもできない。 村田さんは切り口や視点が好きな作家さんなので残念です。 | ||||
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