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死霊
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死霊の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.24pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全55件 21~40 2/3ページ
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第二巻においては夢魔の世界という世界において三輪与志の兄、三輪高志は霊魂との対話を始める。霊魂の世界では我々の世界と異なり、時間と空間の概念が崩壊する。すなわち、我々の想念は霊魂の世界にどっぷりつかることで初めて、0と無限、すなわち宇宙の問題について語ることができるのである。この小説では宇宙の変転の原動力を自同律の不快と解釈し、我々の自己破壊欲求がこの宇宙の無限膨張のダイナミズムと直結していることを伺わせる。 しかし、無限に膨張する宇宙は錯誤の宇宙史を展開する。すなわち、常なる未出現があるのだ。その未出現を我々人間は創造しうるか。これが三輪与志の虚体論の挑戦であり、この問題を考えることが人間の尊厳を追求したかつての先達への現代人の責任なのだと私は考える。 死んでしまった人間は何もかたることはできない。しかし、それ故にこそ我々は彼らに対して有らん限りの想像力をもって報いねばならないのだ。 | ||||
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この小説の第九章を書いた二年後に埴谷雄高氏は亡くなっている。そして、この小説は未完のまま、三輪与志の虚体の追及は未来の人間、すなわち、我々に託されることになった。 この小説は全体的に論点が曖昧に見えるが、それも致し方ないことと言えよう。というのもこれは三輪与志の求める虚体というものが人間が宇宙に刻むべき未出現といえるものであり、それを語ることは宇宙に生きる我々にとって本質的に不可能なことだと思われるからである。 しかし、我々には宇宙と同じように「満たされざる魂」というものを持っている。その始動の原理である自同律の不快は我々に諦めという安寧を許してはくれない。それ故に我々は不可能な「虚体」の追及をしなければならないのである。 その不可能性ゆえにこの文学が未完であることは必然であるかもしれない。しかし、我々はその不可能性のゆえにこそこの文学を完成させる責任があるのかもしれない。それが埴谷雄高氏を含めた死霊に対する責任なのである。 | ||||
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どなたかがレビューで書いておられた通り、5章までとそれ以降の完成度が違い過ぎます。時間をかけて推敲すれば良いものができるという訳ではない、と後進に身をもって教えて下さったのでしょう。 主人公の目的は存在の革命、だったようです。存在したくなかったのに存在させられた、そのように存在するありかたを拒否する権限は一切与えられず、気に入らなければ存在者は存在しなくなること=自死するしかない、これは不当ではないのかー存在したくない、否、未存在したい…自分で書いていてクラクラしますが、このように散漫で冗長な仕方でしか表現できないのが作者の希望した事態だったのではないでしょうか。 正直に言って、この作品が存在の革命を成し遂げたとは思えませんが、何というか心が励まされる作品です。ヴィトゲンシュタインが語った「不可能に挑戦する人間への敬意」 というのはこういうことだったのではないでしょうか。 | ||||
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難解な小説だと思われているようだが、「首猛夫です。首ったけ、と覚えてください」と言うなど奇妙な登場人物が次々と現れて、奇妙なことを言う、何か奇妙で面白い小説である。ドストエフスキーより埴谷のほうが偉いと言う人もいるくらいである。野間宏なんぞよりずっと面白い。ご賞味あれ。 | ||||
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第七章「最後の審判」は、最初はそんなに難しくなさそうだけど論が進むにつれて相当難解になっていく。「夢の王の王冠」の話のあたりからだ。存在と宇宙のあり方についての話が、結構抽象的だったりたとえようもなかったりして分かりにくい。第三巻まで来て、なかなか読み進められないところにぶつかる。 だが、物語の舞台がそもそも抽象的だったことが、ここでは存分に役割を果たしているとも言える。 ある人は、この物語の終盤は光に満ちていると書いていた。確かに、光あふれて人間らしい描写が終盤には特徴的である。作者はこの作品を書き続けることができて幸せだったのではないだろうか。あるいは、一般的な、気まぐれで本書を手に取った読者にしてもそうなのかもしれない。 | ||||
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第五章「夢魔の世界」で、本格的な主題の展開がなされる。その、どこの世界の話なのか分からなくなる文章は十分衝撃的である。 おそらく、この作品でなければ自分の目指すところが示されない人がいるのである。そう考えると、人間も捨てたものではないと思われたりする。 人間は、生まれてからいろいろ学び取る。その一つに、「考えても答えにたどりつかない」というのもあるはずだ。特に学校教育でそのことを不本意にせよ学び取ってしまうのだ。問題を提示されて、何時間も考えて出した答えにバッテンをつけられてしまうからだ。解説で鶴見俊輔が言っているように、埴谷氏は知識人ではあるが日本の教育の線から外れた人間で、エリートではないのだ。そういう、知に関して異端な人間だからこそ、間違っている可能性があるとしても、考え続けることができたのだろう。もっとも、それは合っているか違っているかなど問題ではない、「芸術」として現れたのかもしれないが。 | ||||
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何というか、一種の抽象小説と言えるかもしれない。抽象と言ってもバロウズとかのように形式自体が抽象的なのではなく、文章の対象が抽象的なのである。 フランク・ステラやキーファーの絵画を髣髴とさせるような、世界の限界を見つめて言葉にしようというセンス。あるいは意志。それが、内容をはっきりとすみずみまでくまなく理解できない読者にも、形而上の詩情というようなものをかきたててやまないのだ。 「もし人間をその内部に含んでいた存在が、或るとき、或る窮極の、時間の涯のような瞬間、怖ろしい自己反省をして、そこに嘗て見慣れた存在以外のものを認めたとしたら、永遠に理解しがたいようなものがそこに残っていたとしたら、ばっくり口をあけ虚空の空気が通うほどの巨大な傷がそこに開いているとしたら、そのものは人間からつけ加えられたものだ。それは時期知れぬ、何時の間にかつけ加えられた。それは、それまで見たことも予想したこともなかった、まるで奇妙な、存在が不動の存在である限り決して理解しがたいものの筈です。おお、それこそ・・・その名状しがたいものこそ、虚体です!」 小説は何かをイメージさせる。それができなければ小説には成りがたいだろう。「死霊」は抽象的で巨大でもあり極少でもあるような理屈をすすめつつ、きちんと読者にそのこの世ならざるようなイメージを喚起させる。だから、多分多くの読者にとって哲学というよりは芸術になるのだと思われる。ちゃんと形而上学をやりたいなら、あるいは数学の問題集でもやった方がつぶしが効くことになるかもしれない。だがこの小説の、理屈言葉を芸術にした世界は、つぶしが効かなくても、時間を費やして読む価値があるのかもしれない。 | ||||
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嘗て少年であった今から三十数年前に、ある活動家から「君はハニャは読まないのかね。」と言われ、 「羽生なんて興味ありません。」と即答しました。 その後、宛先が私書箱の同じ活動家から手紙で「埴谷雄高を読みなさい。」と言われました。 早速、書店に行き、店員に「ウエタニオタカ」の本はどこにありますか。と聞くと店員は暫く考えて「こちらです。」と 埴谷雄高の本が並ぶ書架の前に案内してくれました。 未来社からシリーズ化されていた数冊と講談社から出ていた本書を求めたのが、出会いでした。 今は第一章から第九章まで一気に読めるので、この世界に浸るには良い環境です。 少しもレビューの体を成していないではないかと言われそうなので一言。 「カラマーゾフの兄弟」をお読みになられた方にはお勧めです。 或は本書を全巻お読みになられた後に「カラマーゾフの兄弟」も良いでしょう。 さて、レビューを掲載して一年経ちましたが、未だに本作の独特の世界は脳裏に残ります。 生涯の中で、読んで面白かった「よみもの」の一つであることには間違いないようです。 お勧めします。 | ||||
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ある評論家は時代背景を考慮して読んではならないと書いていたが、始末の描写は生々しい。学生運動の終末と連合赤軍は無視できないと思います。また気が付くと特定の漢字がぱたりと消え、違う漢字が登場する。相変わらず始末の描写意外は精神現象学か宮沢賢治の童話かで、難読ですが、もう嵌ってしまいます。 | ||||
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中学校の卒業間近、人の来ない屋上に通じる階段の踊り場で、宇宙やこの光の反射で見える現実が全てであろうかと友人と語り続けた事がふと懐かしく思い出させられる7章です。 また最も吹き出すシーンが多いです。 昨年、雪深い霧積温泉で何故か養殖されていたテラピア(中東のガリラヤ湖の原産)が、本作中で焼き魚にされて喰われたことを訴えるのには因果さえ、感じてしまいました。 しかし途中で終わってしまっては困ります。 だいたい最後の晩餐にひとり欠けている。 多分私は作者の真意などお構いなしに楽しんでしまったのでしょう。 あらためて、一気に読める環境が好かったです。 | ||||
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一昨年亡くなった池田晶子さんが、いみじくも言っていたとおり「死霊」は童話です。誤解を招く表現かもしれませんが、多様な感受性を喚起するという点において、この作品はファンタジーだと思います。マルクスとかドストエフキーは、あんまり気にしない方がいいかも。 | ||||
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人は生まれたときから人であろうか? それともその人生の過程で人となるのか? 我々は人間である。では、人間とは何だ。 動物ではなく人を人間たらしめているものは。 未だ動物から脱却できず、人になれぬものには理解できないのがこの本であろう。 もし、この本が理解できぬなら貴方はまだ人ではないのかもしれぬ。 理解できたのならば人でなく人を超えた超人になるかも知れない。 しかし、それこそが人なのであろう。 全てに意味は無い。全てが無意味である。 では、人生とは如何に? | ||||
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これは、「わけがわからないことを考えてしまう」という自然な青春を、ごく素直に表現してある小説。 深夜枠でアニメ化されていないのが不思議だ(私が知らないだけ?)。 例えば、「2001年宇宙の旅」で単純に高揚できる人ならば、このレビューの意味を、読み始めてすぐにわかってくれると思う。 | ||||
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「大きくなったら何になりたい?」「あなたの夢は何ですか?」誰もが一度は投げかけられたことがある問いだろう。だが社会で権威を与えられている何かに自らをなぞらえ、或いは純粋な憧れから「〜になりたい。」と答えてしまった瞬間に奇妙な不一致が自己の内部をよぎった経験はないだろうか。例えば「私は医者になりたい。」このように言い切ったときに生じてくる自らへの問いかけ、・・・じゃあ、私から医者を引いたなら私はゼロになってしまうのだろうか?何か残っているよな。はたして私は医者になりきれるのだろうか?・・・自己実現(自己をあるべき自己に一致させてゆく過程)と呼ばれる言葉が社会に氾濫し始めてから暫くたつが、自らをある対象に同一化させる動作は本質的な欺瞞を含みこんでいるのではないだろうか。作者が死霊の中で一貫してこだわり続ける主題はこの私が私であると言い切ることから生じる不快感である。一方人間が特定の場所で特定の役割を果たさなければ(人が何かにならなければ)社会は維持できないという事実も厳然として存在している。それでもなお、私が私であることに対して居心地の悪さを感じるならば、一度死霊を紐解かれてみるのもよいかもしれない。 | ||||
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1巻は探偵小説なので面白い。 それ以後の巻は、思考を強制する呪文、そしてその思考の継続を受け継げさせるための遺言のような感じ。 そんな書が文庫になってしまうのは、悲しいというか社会の終焉さえ感じさせる。 存在というものに、秩序や整合性や必然性を感じるか、意味の無意味性を追求するか、問い自体の空虚を感じるか、いずれにしても、人間の感覚に根ざしている点で、哲学小説ではなく、おそらくもっと単純で深遠である。 | ||||
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と書けば、ホントウは他の批評は必要がありません ;) とはいえ、わたくしも、十年以上も前から「読まねば・・」と思っていながら躊躇していた本なので、この度の文芸文庫からの出版については踏ん切りをつけてくれたという意味でも感謝しています。「評論集」も併せて、黒ずくめの装丁として、明らかに他の著者と区別するのはちょっとやり過ぎの観もありますが、「死霊」の装丁としてあの色は正解だったでしょう。 内容についてあまり触れたくはないのは、先入観を持たずにこの作品に入った方がよいと思うからです。すでにこの作品については多くのことが語られてきています。そして、その中には読者を震え上がらせるような内容のもの、逆にこの作品の価値を貶めるようなものも少なくありません。そういった「前評判」や予備知識にとらわれずに読み進めることを強くお勧めしておきます。 個人的には、仏教を下敷きにしているのであろう「食物連鎖」の項、そして目立たないが実は学生運動の時代の話である、というような箇所が印象に残っています。 | ||||
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「死霊」をはじめて読んだのはいつの頃だっただろうか。 十代の終わり、まだ多感な時代。身近にあることよりも、どこにもない場所が身近に感じられる感覚に、素直に酔いしれることのできた時間。 埴谷雄高の「死霊」が文庫になった時、はたして今の時代にどのぐらいの人が買うのだろうかとも、心配になったりもした。 どなたかも書いていたが、あまり身構えずにこの本を楽しんだ方が良いと思う。正確には忘れたが、作家自身もこの小説は探偵小説の姿を借りているといっていたのだし。 ようするに、文学とは、読んだひとがそれぞれの感性や想いでそこに描かれた物語の宇宙を探索するものだろうから。 そこに、文学の哲学とは異なる醍醐味がある。 そして究極の読書とは、作家の想像力と読者の想像力との戦いでもある。 「死霊」にはそういう意味で“文学の宇宙”が確かにある。 さて、埴谷さんが亡くなられたあと「死霊」を継ぐ文学者や小説家は出現しただろうか。存在することの不快さを感じる人間はいなくはならないだろうが(ますます増えているかも知れないが)、「虚体」というような思いもよらぬテーマをそこに打ちあてる作家は、まだいないかも知れない。 目線を横や斜め下方に向けて見てしまいがちな現代、全く異なった、どこにもない場所の宇宙へと想像力を向けさせる埴谷雄高を、ぜひ誰かに奨めてみたい。 | ||||
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死霊を読んで、初めて、自分がどんなに本を好きになれるか自覚した。この本は危険だし怖いが、読む人に現実を忘れさせ、至福の時間を与えてくれる。ふつうは世界という言葉を使うけれども、この作品の場合は「宇宙観」であり、いわば虚数の世界なのだ。否定肯定、自然人工、そのすべてを超え、生命力というよりももっと重力的な、強いエネルギーを持っている。 本来なら、こんな小説はあり得ない。全三巻だが未完であり(ちなみに埴谷氏いわく「未完で終わったら誰かにのりうつって書かせる」)、どの登場人物も魅力的で、非常に長い台詞の間は、共感や感嘆と同時に、胸の裏側で何かがグルグルと渦巻くのを感じる。展開も、(時には笑ってしまうほど)テンションが高いまま、たたみかけられる。 ドストエフスキーの影響を受けているのは明らかだが、私にはもっと日本的で、「具が大きい」ように感じられた。文学がすっきりとした形に収まる必要は全然無い。「死霊」の宇宙は、自分を押さえられないではみ出している! この圧倒的な小説は、小説としての醍醐味にあふれていて、かつ、小説を超越している。出会えて本当によかった。 | ||||
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『死霊』は日本ではじめて書かれた「形而上小説」であるといわれる。それについて、どういうものが「形而上小説」であるのかという疑問が残るけれども、この『死霊』という小説がおもしろいことに変わりはない。 この小説が難解で、テーマが重いと思うのはこの『死霊』をおもしろがっていないからだろう。ユーモアに満ち溢れていて、さまざまな場面に笑うところがあるのに笑わない人は、この『死霊』という小説を高いところに上げているからだと思う。『死霊』を前にして、かまえすぎなのだ。もっとリラックスして読むべき小説だ。「あつは」も「ぷふい」も笑うところだろう。学校で習った「読解」という方法で読むと最後までつまらないものとなり、まして作者の主張をすぐに読み取ろうとするのはもっとも的外れな読みといえよう。日本語が難しいからといって、そのテーマが、簡単な言葉で書かれた小説よりも重要と考えるのも、間違った読みと思われる。私にとっては、星新一と『死霊』とは同じくらいの重要なテーマを持っている。多くの小説は、自分のためにあって、研究や論文のためにあるのではないだろう。『死霊』は何度も何度も読むうちにようやくぼんやりと何かがわかってくるものだ。 『死霊』は、最初にその笑いを楽しむこと、そしてそれに満足したあと、はじめて難解さを求めればいいと思う。 | ||||
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