■スポンサードリンク
日蝕
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
日蝕の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.11pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全90件 21~40 2/5ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
これより私は、平野啓一郎『日蝕』の個人的な感想を録そうと思っている。人はこの頗(すこぶ)る難解な書に対して、径(ただ)ちに嫌悪を挿むであろう。私はこれを咎めるものではないが、冀(こいねがわくは)、この書を単行本よりもルビの多い文庫本で読むことを進言したいと思う。然(さ)すれば、辞書を引く手間も幾許か省かれるであろう。 抑(そもそも)、初期の平野啓一郎が三島由紀夫の影響を受けていることには論を須(ま)たない。『日蝕』は、『金閣寺』の仏教(日本)をキリスト教(中世フランス)に、金閣寺への放火を魔女狩りに置き換えて、脱構築、あるいは記号論的分析を試みたと看做すことも出来るのではあるまいか。更に云えば、三島が『金閣寺』を著すにあたって参照したと謂われる森鴎外の姿も其処からは透けて見えてくるのである。 その晦渋な文体は、物語世界に浸らんとする読者に常に覚醒することを求め、その衒学性が為に中途で停滞せんこと能わぬのである。慥(たし)かにこの文体故にこそ『日蝕』と云う書は際立っている。然(しか)し乍(なが)ら、斯様な面ばかりに囚われることは太陽を裸眼で見遣れば盲になるが如く、本質へと迫る視点が失われるとも思うのである。 本書の最高潮たる、日蝕の蒼穹(そら)の下で処される焚刑の場面の迫力は筆舌に尽くし難いが、其処に先立つ、神学僧ニコラが洞内で石に縛(いまし)められた両性具有者(アンドロギュノス)と初めて出会(でくわ)す際の、この世界の裡なる別の層が裏返って露になったが如き、美とエロチシズムとの名状し難い一体性の顕現にこそ本書の真髄を見る想いがするのである。 『日蝕』を十全に理解したかと問われれば、否、と答えるしか無い。しかし、徒(いたずら)にこう思ってみるのである。 蓋(けだ)し、アンドロギュノスは金閣寺の夢を見たのではないか、と。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ネット買ったから仕方ないのかもしれませんが、非常に汚かったです。表紙も裏表紙も新品とは思えませんでした。買おうて思っている方は書店で買われることをオススメします。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ストーリ的には「いろいろ不思議なことが起こる」だけなので、読み終わって「これで終わり?」と思ってしまった。 短編だとこんなのもありかもしれないけど、これだけの分量でこの内容だと時間を損した気分。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
著者の受賞当時それは大変な話題になり、その頃から読んでみようと思ってはいたものの、非常に難解でしかも面白くないという噂ばかり聞くので手に取ることなくでした。 それでも気になっているならいい加減読もうと購入。 いざ読み始めてみれば取っ掛かりが非常に難解。 旧仮名に特殊なルビ振り、それらを使って魔術や宗教を最近で言う中二病な表現で書かれているのだから、もう本当に読み進め辛い。 心が折れそうになりながら長い最初の20頁が終わり、いざ主人公が動き出すと、あれ?と拍子抜けする程読み易くなる。 その後もまた中二病表現がたまに出てきては読みを阻むものの、基本は読みやすくストーリーも単純。 乱歩など読む人なら仮名使いは問題なく読み進められるはず。読み進めて分かったが、変なゴテゴテを削ればとても読みやすい綺麗な文書を書かれる作家さんで他作品に興味が湧くほど。 ただ受賞するにはあの難解さや中二病さが必要不可欠で、それがなければあっさりしたよくあるストーリーで終わってしまってたんだろうなぁーと。いかにもこれが受賞作!といった作品でした。 解説が面白くて、ストーリーはほぼネタバレされてます。ネタバレされたストーリーを頭に入れつつ、読みきる事に意味があると言った感じでしょうか。フォローする優しさが何とも面白い。 正直これは物語としては単純でその辺りでのお薦め感はないです。が、受賞作として、作者さんの読み易い本質を知るきっかけとして読めたので面白い面もあります。 薄めの文庫で文字も大きい。前評判で遠ざかっているけど気になる方は、是非挑戦して下さい。 ネタバレでも全然問題ないのでまず解説を読み、負けずに最初20頁を読みきる。それさえ越えればあとはスラスラです。 長年の気掛かりをおろし、やっと読んだぞ!という攻略感は気持ち良いですよ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
無駄な表現を、とにかく執拗にゴテゴテと使うだけ使いました。 そういう文章です。内容自体は薄い。表現だけが宙に浮いた ままの様です。 平野さんは京都を、結構うろうろしておられますが、先日 某所で上から下までゴルチェ等のブランドでキメキメの服装 でグラサンをかけ、ぽっちゃりした締りの無い体型で、その 自慢の服をパツパツにさせておられました。 当時の作家の日常、その存在の在り方が表現された小説だと言えます。 平野さんの受賞するための小説ということです。上手くやりま した。今後は、同時代人として、有意義な活躍をしてほしい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
史上最年少で芥川賞を受賞したデビュー作。その文体や文学的探求で「三島由紀夫の再来か」とまで言われたという。当時は興味がなかったのでタイトルを知っている程度だったが、平野啓一郎という作家を知りたくて読んでみた。 どこのレビューをみても、難解な言葉を振り回して知識をひけらかしているとか、平易な言葉にすれば読みやすくなるというような批判がある。三島は彼の文学的センスから溢れ出るものだが、平野は無理に難しくしているというものだ。しかし私はそうは思わない。これは平野のスタイルであって、表現方法の一つだ。それを読みにくいからと批判するのはちょっと違うように私には思える。 この『日蝕』には途中からぐっと引き込まれ一気に読んだ。言われている難しい表現など、ほとんど気にならなかった。さすがに三島の再来とまで言われ、芥川賞受賞作品だと思った。難解だと批評しているレビュアーさんたちは、そうは言いながらもきちんと読んでいる訳で、やはり平野のファンなのだろう。もしかしたら彼の才能に嫉妬しているのではないのか。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
【日蝕の感想です】 ページ数は長く無いですが、難解な文章に慣れるまでは読者の努力が要求される本です。 しっかりした本が読みたい人にはおすすめです。 平野啓一郎に興味がある人もここから入るのがお勧めです。 常用でない漢字や表現が多用され、辞書は必須です。 キリスト教の派閥や中世の思想も知らないと読みづらいのでWikipediaも必須です。 文章は難解ですがこちらが理解できれば、中世ヨーロッパの空気感や若い主人公の感情・葛藤がダイレクトに伝わってきます。 「現代の三島由紀夫」と呼ばれるのも納得です。 エンタメ小説ではないので、ストーリーに期待はしないほうが良いと思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
平野啓一郎さんの「葬送」を読んで 日蝕も読みたくなり、購入しました。 とても良かったです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
最大の功績は、短編ながら、擬古文を貫いたこと。 擬古文をヨーロッパ中世の物語と結びつけたことに尽きると思います。 擬古文で単文を書くのは容易ですが、一作を書くのはとても骨が折れます。 擬古文によって中世の雰囲気がよく出ていると思います。 「日本人がイメージするような」という修飾句がつきますが。 残念なのは、おそらくは著者にキリスト教神学に不可欠なラテン語の知識がなく、 神学の知識も、概説書を2、3冊読んだ程度のものであることです。 そのため、ある評論家が評したように、RPGのような筋立てになってしまいました。 ともあれ、19歳で『瀧口入道』を著した高山樗牛を彷彿とさせます。 そういえば、『瀧口入道』も擬古文でした。 欠点が魅力になっている点、行間から若者の野心のようなものが感じられる点なども、共通しています。 高山樗牛は30歳そこそこで夭折しましたが、平野氏は先が長そうです。 ご活躍をお祈りします。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
平野啓一郎初期三部作の二篇である。 『葬送』をふくめて、ロマンチック三部作となる。 新人賞を無視して、編集部に直截、原稿を郵送したうえ、《三島由紀夫の再来》と鑽仰され、『新潮』紙上に一挙掲載、爾時、最年少タイでの芥川賞受賞、受賞会見に登場した当時の風貌、盗作疑惑、などの話題を提供し、平野氏を、一躍、文壇の寵児とした問題作、「日蝕」、および、デビュー後第一作、猶且つ、芥川賞受賞後第一作となった「一月物語」を合本とした第二版である。 「日蝕」は、十五世紀の仏蘭西を舞台に、巴黎の神学部在籍の大学生である《私》が、『ヘルメス選書』の美品を渉猟するがために、異端信仰の瀰漫する里昂へ羈旅し、錬金術師らしい老爺の秘匿していた両性具有者の受難による奇蹟を体験する、という、幻想小説である。「日蝕」という題名が象徴するように、本作の主題は、二元論の転覆といえる。太陽と月、男の巨人と女の巨人、霊と肉が一致する、という奇蹟の一瞬が、現代における男女、善悪、正邪などの《日蝕》を暗示している。晦渋な漢語が頻出する文体が話題になったが、《三島由紀夫の文体》というよりも、《中島敦の初期短編の擬古文》に類似する。《中島敦の初期短編》――「山月記」や「名人伝」など――を、辞書なしで讀める読者ならば、然程、難儀することはない。平野氏自身は、《森鴎外の紀行文》を摸傚したと回顧している。 「一月物語」は、明治時代、神経衰弱を治癒するがために、奈良県の往仙岳まで一人旅をしていった青年、井原真拆が、幽玄なる山中の庵で、神秘的なる美女と邂逅し、幻想的なる恋愛の最涯てに、魔性による破滅にいたる、という、怪奇小説である。梗概からして、泉鏡花の「高野聖」を下敷きとしていることは当然だが、結末が対照的なのが面白い。文体は、「日蝕」よりもかなり讀みやすく、絢爛豪華な修飾語のオンパレードが剥奪されたぶん、スマートな印象をあたえる。 「日蝕」は、発表爾時より、《RPG的》《擬古文で執筆された普通の幻想小説》《『ベルセルク』などの漫画的》と批評され、「一月物語」は、前述のように、泉鏡花の追随作品であることはあきらかにすぎる。愚生は、斯様なる批判には首肯しかねる。浅田彰氏が《純文学とは、あたらしい方法を見出すジャンルであって、エンターテインメントとは、見出された方法を洗練させるジャンルだ》というように標榜していたはずだが、斯様に考察すれば、平野啓一郎氏は、《すぐれた純文学作家》というよりも、《天才的なエンターテインメント作家》といえる。爾来、ボルヘスの「バベルの図書館」をSF風の短篇にしたり、ドストエフスキーの『地下室の手記』を横書きの実験小説にしたり、という経歴をたどってゆく平野氏の文學観そのものが、《エンターテインメント的》とすれば納得がゆく。 そんなこんなで、愚生は本作を高評価する立場である。 本編そのものの評価は、《星五つ》としても問題ない。 問題は、今回の《合本》というかたちでの第二版の販売方法と、《装幀》の変更についてである。本作は、《太陽の物語》と《月の物語》として好対照なので、二篇をもって二部作のように讀まれるのも納得がゆかないわけではない。そのうえで、恐縮ながら悲憤慷慨しているのは、《第二版の装幀がださすぎる》ということである。《装幀なんて、作品の価値とは関係ないだろう》と揶揄されるかもしれないが、装幀は作品の顔貌である。安部公房の『他人の顔』ではないが、《外面は自我同一性にすくなからず影響をあたえ》はしないか。個人的に、第一版の禍禍しい『日蝕』の装幀と、優美なる『一月物語』の装幀、其其に魅惑されたこともあり、購読したという経緯がある。第二版の《日蝕と月蝕の対比に題名をそえる》というだけの、《シンプル・イズ・ワースト》的な装幀は、如何しても、好意的に観賞できない。 話題は飛火するが、装幀を変更すること自体に、愚生は反論する立場ではない。輓近では、三島由紀夫や安部公房の新潮文庫版が、大変美麗な装幀に改変されており、感動していた。反面、村上龍氏の『限りなく透明に近いブルー』や『コインロッカー・ベイビーズ』などの講談社文庫版が、あきらかに《ださい》装幀に変更されたことは、残念きわまりない。本作は、後者にあたる。 後半の装幀批判は、われながら、莫迦莫迦しいともおもっているが、実際、本作は合本の第二版として、如何程、あたらしい読者を獲得しているのだろう。愚生は、僭越ながら、――本作を愛読しているからこそ――第二版の売上げが気懸りである。著作権などの問題から、第一版の装幀を復刻することはむずかしいだろうが、第三版を上梓されることがあれば、できれば、二篇分冊にはしてほしい。 前述のとおり、作品そのものは《星五つ》である。 同時に、合本や装幀の問題から、本第二版は《星四つ》とさせていただく。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
平野啓一郎のデビュー作『日蝕』。芥川賞を受賞し当時は話題にもなり40万部も売れたとか。 文体は、擬古文もどきで現代の言行一致文に読みなれた読者には読みにくいかもしれません。擬古文もどきと書いたのは明治の作家が書いた擬古文とは違うからですが、それはいいとして、錬金術、両性具有者、中世キリストとなにが書きたいのかよくわからないメルヘン小説です。空白のページで時の経過効果を狙った実験的な要素もあるようですが、読んでいて私は、失笑してしまいました。 擬古文でも読んで、文学的教養を培いたいのであれば、まあ、100年後も読まれているであろう、鴎外の『舞姫』、露伴の『五重塔』、一葉の『たけくらべ』、鏡花の『高野聖』でも読まれた方がよろしいかと思います。 しかし、 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
テレビの対談等で興味を持ったが、古い感じが私には合わなかった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
難しくて止めていないまんま ページが進まなくて イマイチでした。 悲しい | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
漢字が難しい、という意見が前はよくあったように記憶しているが、漱石や中島敦の作品の方がよっぽど難しい漢字使ってる。 三島由紀夫の再来とか言われたらしいが、三島由紀夫には大理石の彫刻のような色っぽさが常に漂っているのに対して、これはそういう色っぽさがあまりない。あったとしても上手い書き方ではない。 それなりの芸術性はあると認めることはできる。でもなにぶん若書きで、奥深い構造なども感じられず、ただ表面の難しさでそれらしく作り上げたもの、と言えるのではないか。芥川賞をやるにはまだ早すぎたのではないかと思われる。文章が一見下手そうに見えても、具体的な実感のある小説を書ける作家もいる。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
私には難しすぎました。 でもこの本を読んだおかげで ”葬送"を買いました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
メディアでずいぶんと持ち上げられていたから読みました。 大仰な舞台装置を振り回すくせにそれらは結局ただのこけおどしにすぎませんでした。 アンドロギュノスだとか、おどろおどろしい単語の持つ既成のイメージを並べれば そりゃあ「なんだかものすごそう」な感じを出すことだけはできますが、結局のところは 何もない。 最後まで読めばさすがに何か出るのでは、と期待して苦痛に耐えたのですが、 結局裏切られてしまいました。 途中で見切りをつける眼力を養いたいです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
惜しい。 その一言が読み終えた瞬間に湧き上がった感想だった。 さながら泉鏡花のような耽美的で重厚なその文体は、江戸の花魁でも描くかのような印象を与えた。 私もそんな古風な世界観を期待せずにはいられないまま読み進める。 しかし、少し読んだ段階で、すぐに違和感を覚えた。 表現力も素晴らしく、世界観も魅力的なものがあるのに、 どこかアンバランスなのである。 この感覚は読んで頂ければ、少しは感じていただけるのではないだろうか。 そこを振り払って読むことで、次第に独特の世界に入っていくことができたが、 惜しいという感情が常に付きまとうことになってしまった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
文章から素材・内容に到るまでツウが好みそうなものをふんだんに盛り込んだにも拘らず、逆にヒンシュクを買ってしまった典型例。 特に文章が虚飾で、小難しい語句を不必要にベタベタと貼り付けただけの悪文にしか見えない。仰々しい文章で埋め尽くされているがその必然性は希薄で、キザな表現ばかりが鼻につき美文にまで昇華されていない。 一文一文に全霊を込めて書いたのは認めるが、そもそもこんな大仰な文章で綴るような話でもなかったし・・・ 当初の"三島由紀夫の再来"という触れ込みは主にこの文章表現のことを指していたのだろうが、三島氏の場合、難解語を駆使せざるを得ないほど深遠な美学の世界を構築するのが真骨頂だったからであり、なにも必要も無いのに小難しい語句や言い回しを使っていたわけではない。 それに三島文学の場合、そういった難解語でも不思議と理解できるような臨場感が醸し出されていたが、この本にはそれを可能にするほどの文章構成力も無く、結果的に無味乾燥な難読・難解語の羅列に終始してしまっている。 こういう作品に対してかような宣伝文句が適用されるというのなら、小難しく衒学的な表現だらけの作品はみな"三島由紀夫の再来"で売り出せることになってしまう。 それ以前に、文学に精通しているはずの出版側は、本心からこの宣伝文句どおりの作品だとみなしていたのだろうか? もしそうだとしたら、この人たちの見識を疑ってしまう。 本作は三島由紀夫の模倣にすらなっていない、難読・難解語が多いのが共通しているだけである。 amazonの内容説明文にもまだ使われているようですが、著者自身もこのキャッチコピーには否定的なようだし、もう封印したほうがいいと思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
普通、こういう文体で小説を書くと必ず何処かで息切れするものなのだけれど、これを最後までやりとおせた作者の体力はやはり凄いと素直に認めざるを得ない。 ただ、若さゆえか幾分冗長の感がある。 アンドロギュノスが登場するまで、もう少し短く出来たように思う。 それでも、この凝った文体で描かれた中世ヨーロッパの耽美的世界は、十分に魅力的だった。 確かに三島由紀夫の再来は言い過ぎかも知れないが、少なくとも自分は久しぶりに三島の『仮面の告白』を読み返したくなった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
平野啓一郎さんの一月物語には、近くの図書館で今から15年前に出会いました。それはまさに私が 探していた本そのものでした。1ペイジめから身震いするような感動をおぼえ、あっというまに 読み終えてしまいました。それからは、平野さんの本に夢中になり図書館の彼の本すべて読みました 私は詩を作りますが、彼の本は、とても情景が美しく私の心情にぴったりの本でした。 その後、その図書館で一月物語ばかり何ども借り、何度読んでも飽きませんでした。そうしたいきさつで、ネットで 販売しているのを知り飛びついた次第です。とても大切に宝物のようにそばに置いています。彼の新刊が出たらどんどん 読もうと思っています、ちなみに、彼の今までの本はすべて読みました。最後に立派なことは言えませんが彼は日本の 言葉をとても大切にしていると思います。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!