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日蝕
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日蝕の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.11pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全90件 61~80 4/5ページ
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ストーリーに起伏もなく、新しい視点もなく、読み手側が受け取れるものがなにもない。 ただ作者が自分の頭の中身を小説世界に構築するための手すさび、という印象以上のものが出てこない。 三島由紀夫は二十歳前後ですでに起伏もあり新しい視点もあり、読み手をうならせる短編作品を世に出していたので、 この作品だけで言えば、三島とは比較にもならない。 ただし、自分の世界観を紡ぎあげて作品世界に昇華させるという作者の意図は肯定したい。 三島ではなく平野での作品勝負なのだから、三島うんぬんの言及はナンセンスかな。 私はこの作品では、平野氏の作品を今後も追って、 さらなる作者の挑戦を見たいという思いにはさせられた。 やるなら徹底的に。 冀(こいねが)わくば、平野氏がその頭脳内宇宙をさらに自分流に展開してくれることを。 | ||||
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「無」について書こうと思うならどうすればよいか。何も書かなければそれが「無」なわけで、そもそも何を書く必要もないじゃないか。文学に限らず芸術には常にこの問題が付いて回る。真っ白な画用紙が一番美しいのである。 文体や漢字の選び方について意見がわかれるようだが、あまり大きな問題では無い気がする。大事なのは設定の在り方ではないか。この時代を描くことによって作者は世界をある形に限定してみせた。創作とは「限定」することなわけで、この世界観には充分な必然性があると思う。錬金術や宗教といったモチーフが物語の中でどのように機能しているのかを考えると、現代を舞台に同じテーマを扱うのは難しかったのではないか。では、そもそも作者が書きたかった事とは・・・。 主題への取り組み方に真摯なものを感じる良い小説だと思う。 | ||||
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平野氏が「三島由紀夫の再来」というのは、その才能としてはその通りなのですが、書いているものは平野氏と三島由紀夫とでは全く持って違います。 戦中・戦後派の作家には多いですが、三島作品が退廃的ニヒリズムを基盤に有しているとしたら、その一世代後の現代に生きる平野氏は、そこから再び聖性を取り戻す・呼び覚ますということをテーマに、このデビュー作『日蝕』から既に作品を書いています。 この『日蝕』は、ストーリー構成としても面白く、哲学的思考で満たされ、登場人物の些細な心情描写も富んでおり、正に傑作です。また、良い意味で、村上春樹、ホーソーン、カミュなどからの影響を感じました。この作品を読めば、閉塞した精神生活が続く現代社会において、そこを切り開く美しい光が見えることは確実です。 私は、一年前はこの作品が読めませんでした。ひとつには、この懐古的文章に不慣れであったことと、もうひとつは、二十三歳でこの作品を書いたという平野氏に対する先入的嫉妬からでした。しかし、今ではこういった文章も読めるようになり、また、今回の再読にあたり、平野氏に対する幼稚な妬みを感じずに、読者として中立的に読むように心掛けました。そうしたら、なんと素晴らしいことか!・・・皆さんも是非、無駄なジェラシーを捨てて平野氏を評価してあげてみてください。彼は天才です。 | ||||
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神に仕える身でありながら、その威光を使って享楽的な生活をむさぼる者たち。 そんな人々の支配する村の中で、ひそかに新たな神を創造しようと試みる錬金術師…人間。 信仰に迷いを持つ主人公の目を通して、それらの顛末がえがかれる。 はたして、本当に冒涜的なのはどっちのヤツラかな?みたいな。 まあ、テーマはご立派だがそのことと小説の面白さはまた別問題である。 ということがよくわかる小説でもある。 しかしながら、こういうのを我慢して読みきってみるのもまた思い出というか、後になって効いてくる読書体験じゃないかな?と思ったり思わなかったり。 | ||||
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他の皆様方の中には難解だと仰る方もいるようです。しかし、それは擬古文に馴れていないだけです。ただそれだけ。というか、芥川・漱石・鴎外あたりの作品をある程度読んでいる人間であれば、それほど難しい文章ではありませんし、所々に現代的な言い回しをそのまま旧仮名遣いで表現したような箇所があり、どうしても白々しく思えてしまう。やるのであれば清水義範ぐらいに詐欺とも言うべきレベルにまで文体模倣を昇華できるレベル(清水義範に掛かれば、もはや偽造であるw)でないと読み手としては違和感ばかりが目立つ。 そもそも、本当に「文学的に難解な文章」というのはフォークナーやジョイスのような実験的作風の作家が書く作品のものである。ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』なんて読めないんだから(笑) で、内容のほうでございますが、残念なことに「これって小説なの?」という結論になるでしょうか。あまり文章そのものを楽しむという気分にはなれないし、物語を楽しむというわけでもないので、どうしても首を傾げてしまう。 というか、これって純文学なのか? 純文学ってもっと違うものだと思うんだけどなぁ。 著者は知識量があるので歴史小説家に転進すれば名作を続々と出すかもしれない。読んではいないが、もしかすると『葬送』は面白いかもしれない。 | ||||
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文学界での高評価と京都大学法学部在学中と言う話題性、擬古文を用いた斬新感。 そのすべてを逆手に取られて、世間からはひがまれている、かわいそうな作者である。 しかしやはりただ者ではないのだろう。 深淵な内容であるにもかかわらず非常に読みやすく、どんどんと引き込まれる。 筆力は半端ではないのだと思う。 ストーリーは、キリスト教的なバックグランドを勉強してからのぞめば、かなり楽しく、知識もより深いものになっていく。 試しに、『錬金術』という言葉を百科事典等で調べて頂くとよいと思う。 いろいろ繰り返していくうちに、歴史感覚を無意識に養うことが出来るだろう。 | ||||
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率直な感想を言いますと、仰々しい文体とは裏腹に、「この作者には背負っているものが何もないんだなぁ」という空疎感です。「三島由紀夫の再来」とかいう売り出し文句がついていますが、三島には感じられる或る種の「のっぴきならなさ」が全く感じ取れません。「なぜ、この人は文学をやっているの?」という疑問が湧いてきて仕方ありませんでした。多分、好事家的な「骨董趣味」で自分の好みの世界を書いてみた、というだけなのでしょう。若いながらもその該博な知識には驚かされますが、知識だけでは「作文」は書けても、「文学」は描けない、ということの良い見本だと思います。ただ単に「仰々しい文体に溺れたい」という方は読んでみてもいいのではと思います。「作文」としては良く練られていますから。しかし「文学作品」、「のっぴきならないもの」に本気で触れたいと思っている方は、読んでも失望するだけだと思います。 | ||||
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平野啓一郎は決して泉鏡花のエピゴーネンなどではない。そう言う人がいたならば、私には鏡花を馬鹿にしているようにしか思えない。鏡花のイメージの絢爛さや、どこにどう繋がっているのか分からなくなるような美文は平野には見られない。まあ、漢字の使用は少し似ているかもしないが、『康煕字典』を使って漢字の使い方を練っていた鏡花には遠く及ばない。また、「三島の再来」というのも言い過ぎだろう。二人の文豪にはどう考えても及ばない。 本書は平野の処女作であるためか、技巧に凝りすぎている。古くさい言い回しは時代感を出すためかも知れないが、奇妙な使い方をしているところがちらほら見られた。 だが、平野はそう悪い作家ではないと思う。『葬送』などは構成もしっかりしているし、文章のぎこちなさが全くなくなっていて、平野の著作の中では一番の傑作だと思う。 | ||||
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この作品は読み進めるには大変難しいです。文系で、世界史を学んだ方しか分からないのではないか?とさえ思われるかもしれません。 しかし、現代よく出版される本は非常に読み応えに欠けると思いますし、感動する話とは誰かがどうしようもない病気で亡くなったりという展開で涙を誘うものが多いです。 それに比べ、この作品での常用漢字外の表現法も歴史上の出来事の重みをだすことに一役買っていると思いますし、 宗教、錬金術など非科学的なものについて言及するという作品は少ないです。 何も考えずに読むのであれば、面白くないのですが、理系の私などは知らない世界に魅了され大変勉強になった作品です。 文学とは単に面白い面白くないという一言であつかえる学問ではないのだと、身にしみました。 | ||||
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平野は衒学者でかなりのナルシストだが、許せる。 山田詠美の後に平野を読むと大笑いしてしまうが、作者は少なくとも、頑張って書いている。文化庁から派遣されて仏国へ行ったそうだ。 平野はどういった批評家に受けて芥川賞を受賞したんだろうか。 浅田彰か?高橋源一郎か?兎に角、活字中毒者である私は彼の文体を好んでしまうので、悪評はおそらくこういう文体に「疲れ」を感じてしまう人間の「嫉妬」か「浅はかな拒絶」だろう。 私は本屋で書店員をしているが、店長曰く 「平野は全然うれてねー。」である。 読む人を選ぶ作者なので、マゾヒストは不快感を味わう為に一読するのも良いだろう。 ちなみに、ストーリーは全く面白くない。 純文学でもなく、レトリック辞典や漢検辞書を捲りまくって必死になった大学生の幻想文学と言える。 平野よ、お前は冨樫義博を読め。 一部の批評家から関心を惹くだけでは、お前が狙うノーベル賞は絶対に取れないぜ? | ||||
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他のレヴューでみなさんがおっしゃっていることですが、この方の文章はそんなにうまくないです。あくまでも「擬」古的。三島の擬古文とも天と地との差です。うがった見方をすれば、現代的な日本語が下手だからわざとそれっぽい表現でごまかしているのかもしれない。 ストーリーはすごくコンセプチュアルです。多分バタイユとか好きな人なんじゃないでしょうか。最近の芥川賞作家のなんとかひとみさんの作品よりはよっぽどバタイユ的です。僕の推測ですが、この人は小説を書く上で思想から入っているのではないでしょうか。なんでも思想に合わせるから、ストーリーの展開がほとんど力技になって、背景やら文章表現にもアラが出る。そのせいでなんだか物語に入っていけないような感じ。言わば読み心地が悪い。この感覚、何かに似てるなあ、と思ったら、ラース・フォン・トリアーの映画を観ているときの感覚と同じでした。内容は全然違いますけれど。 要するに、色んな意味でぎこちない。普段思想や純文学に触れない人には単にとっつきにくいだけの作品であり、思想や文章のエキスパートからすると物足りないし、鼻に付く。 但し、何を言っても現代の若手の作家の中では悪くないと思います。きっと頭の良い人なんだろうし。芥川賞は早すぎたと思いますけどね。三島ほどの美文は書けなくとも、ずっと小説を書き続ければ、十年後には真っ当な芥川賞作家になっているのではないでしょうか。一皮向けるとホームランを打ちそうなタイプなので、真摯に小説を書き続けて欲しいし、この先を追っていくのは面白い作家だと思います。 | ||||
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期待して読んだのだけれど、結論から言うと期待はずれ。 やたらと使われる常用外漢字、リズムを生み出さないダラダラとした文体。 話自体もそれほどのものではなかったと感じた。 この作品もも含め「芥川賞受賞作品」この言葉に何度だまされたか?「蹴りたい背中」「蛇を踏む」「ダイヤモンドダスト」「太陽の季節」...幾度も失望を味わった。 しかし、圧倒的な衝撃を与えてくれた作品も「芥川賞受賞作品」。 「限りなく透明に近いブルー」「妊娠カレンダー」... このようにして私は「芥川賞受賞作品」をよみ大抵失望を、たまに衝撃を受け続けるのだろう。 | ||||
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セックス、ドラッグ、自殺といったテーマを扱えば、「現代人の喪失を描いた」などと評されて人気作家になれそうな今のご時世で、その一つも登場させていないという点で好感が持てる。難解な漢字とルビの多様は、確かにやりすぎだと言えなくもないが、ここまで徹底していると、これも作者の表現方法の一つなのだと納得がいく。漢字の形ってこんなに美しかったのか、と、ページを眺めながら改めて思わされた。錬金術や異端審問など、オカルト小説みたいだ、と非難する声もあるが、中世キリスト教史をかじっている者からすると、むしろ、作者の時代考証の綿密さに驚かざるを得ない。言葉の使い方、言い回しも、ちょっとがんばりすぎた感もするが、さらさらっと軽く書いたのではない、丁寧さが伝わる。ストーリーも同様。淡々、ひたひたと進んでいくが、きちんと計算されていて、最後のクライマックスで「ああーー、そうだったのか!!」と、それまで読んできた意味が初めて明かされたような、目からうろこのような感覚に襲われた。まじめにまじめに、時間をかけてじっくり書き上げた、一つの「作品」だと感じた。 | ||||
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三島由紀夫の小説や、ここから盗作したと言われている佐藤亜紀の『鏡の影』を読んでいない私の感想 ①文体 巴黎(パリ)里昂(リヨン)仏稜(フィレンツェ)維奄納(ヴィエンヌ)等の地名・基督(キリスト)等の人名・錬金炉(アタノオル)両性具有者(アンドロギュノス)等の専門用語...等の、一部の難しい漢字とルビが必要不可欠な単語以外の一般単語まで、難しい漢字とルビが有るのは如何なものか。カタカナだらけにしてしまった方が、イメージし易いと思う。 難しい漢字や語彙・回りくどい表現等を多用しているが、文章の流れを悪くしているし、音読した時の聴覚的・ページを捲ってパッと目に付いた時の視覚的な効果が全く無く、読みにくい。しかも、難しい漢字や語彙・回りくどい表現を覚えた中高生が、喜んで使い捲っている格好悪さが有る。 ②人物描写 主人公の人物造形に厚みが無く、薄っぺらだ。主人公以外の登場人物は、主人公の心中にしか存在していない様な印象が有る。 ③物語 ストーリーに起伏が無く、出来損ないの幻想ファンタジー系のライトノベルを読んでいるみたいだ。後半、物語がギャグマンガみたいな展開になってきて破綻してしまった。読み終わった後、「錬金術師」「両性具有者」「唖の少年」「巨人」とは、何者なのかという疑問が残る。「錬金術」「両性具有者」「異端審問」等のオカルト好きには面白そうなキーワードを扱っているが、これらのキーワードが全然著者の物になっていない為、この作品に昇華されていない。RPGの小説版でも、これ程陳腐ではない。 何故、この作品が、第120回芥川賞受賞作品なのかが理解出来ない。選考委員が、難しそうな文体に惑わされて受賞させてしまったとしか考えられない。 40万部売れたそうだが、本の内容の質ではなく、作者の茶髪にピアスという外見・作者自身の「三島由紀夫の再来」というキャッチコピー等の話題性で売れたのだと思ってしまう。 | ||||
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三島由紀夫の再来と言われたこの著作。賛否両論というか、解説をみると非難の方が多かったのかしらん、と思ってしまいますが私は面白かったと思います。何が三島由紀夫風なのかと問われましても私、金閣寺すら読んだことないので判りかねますが、文体と内容は確かに純文学的ではあると思います。とにかく難しい漢字が多い、それこそキーボード変換も出来ないような昔の漢字に熟語。カタカナ語もほとんど漢字。広辞苑なしでは読めないです。 それでも慣れれば十分に読みやすいし(それこそ中島敦や森鴎外よりは遙かに)この作品について文学的探求が出来るほど内容の深いものでもないと思うので、三島由紀夫の再来と評されようと、紛れもない現代文学である事には変わりないと思います。純文学特有の一種の堅苦しさというのが感じられないので誰でも気負わないで読めると思います。内容も少しの西洋史と錬金術を知っていれば解ります。ただ、まぁ普段読書をしない人にとっては受け付けられない類の本でしょう。 また作者のやりたかった事残したかった事というのは内容云々というよりも別のところにあるようなので、これはこれで良いんじゃないでしょうか。彼も、自分の中の整理とか準備体操とか言ってますし。 芥川賞を受賞したにもかかわらず、評価が厳しいのは仕様がないかもしれないけど、私はこの人のこの若さでの語彙力と豊饒な知識に敬意をはらいたいと思いますね。 | ||||
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読後は、素晴らしく小さな劇場で舞台を見終えたような感じである。芥川賞作品としては、今時の芥川賞作品などよりも、文学の意を多大に含んでいるので、星三つは下らなかったが、帯の三島由紀夫の再来という文字に妨げられ、どうしても過小評価となり得てしまう。 三島由紀夫の初期作品と比べても、この作家が生まれた瞬間から文学の恩恵を授与していたと言い難いし、また、三島由紀夫の中期から後期の作品に影響を受けているのか、妙に小難しい。常用漢字ではない、やけに難しい漢字の乱用には、読者に対して言葉からイメ-ジの想起を試みた三島とは違い、まずこう描いてみれば、文学に見えるであろう、という安易な発想が見え、およそ文学者の威厳もない。この作家は、三島作品によって造られた作家でしかない。誰しも様々な作家の影響を受けるが、どうも作家から伝わってくるものがなく、文学を気取った小説としてしか見れない。 どうして、もっとすっきり描けなかったのが。スト-リ-は、なかなかおもしろいので、もっと文体をすっきりさせて描いてみれば、読者だって小ざかしい文に惑わされることもない。また、自然描写も少なく、作家の脳で繰り広げられている舞台を、読み進めてゆく感は否めない。 三島作品を気取りたいのなら、もっと文章を華麗に、自然の美を描ききり、尚且つ最後の1行を、奔馬の1行に似せるのではなく、自分なりの装飾を試みてみるべきであろう。 | ||||
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騙された。 私はてっきり、正字正仮名で著されたものだと思い込んでいた。 ただ徒に難しい漢字が乱用されているだけである。 文体自体は現代仮名遣いであり、バランスが悪い。 著者は中世ヨーロッパや幻想文学に詳しいのであろう。 好んでその手の話を盛り込んでいるが、はっきり言って無意味な場合が多く、しかもくどい。 詰め込みすぎである。 「澁澤龍彦好きの田舎の文学青年が、勘違いして同人誌に投稿した作品」程度の出来である。 内容の陳腐さを難解な語彙と中世ヨーロッパ的意匠とで糊塗した姑息な作品といえる。 ルックスの悪さを茶髪とピアスとブランド物のスーツで誤魔化している著者自身と重なり合う。 皮肉である。 | ||||
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正直、読めない漢字がかなりありましたが、 読めなくても美しい情景描写が伝わってくるのは、 漢字ならではだと思いました。 前半は淡々と物語りは進んでいきますが、 4割ぐらいのところからは急展開、夢中になって読んでしまいました。 オカルト嫌いの人は良さが分からないかも、、、。 | ||||
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文章の仰々しさには、確かに、うんざりさせられるというか、カッコ悪いんじゃないかと思いました。 内容は、作者の知識である程度の時代を設定しているわけですが、古すぎる外国の話ですから、そうですか、としか思えませんでした。 友達にこの本を紹介するとしたら、読むだけ無駄の睡眠促進用、と言ってあげると思います。 しかし、芥川賞を取ったのは事実。 それにしても面白くない。 本は売ったり捨てたりしないんですが、どちらか(確実に後ろ)を選ばねば気が済まないとすら思える。 | ||||
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最初の1ページだけで一日目は終わった。 僕は級友と共に同じ本を読み、感想を語り合っていたが、出てくる言葉は皆「難しい」という言葉ばかりで、内容をあまり語ったことはなかった。 しかしその文体の中には、広大な世界が広がっていたことを気付かされた。 大学生でこのような文章を書き、最年少で芥川賞受賞の彼は、私たちとはまるで異世界にいるような感覚に襲われる。 特に両性具有者のところでそれを感じた。 これからに期待したい作家である。 | ||||
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