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隠花平原
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隠花平原の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点2.60pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全10件 1~10 1/1ページ
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帰宅途中のサラリーマンが撲殺された。警察の捜査は行き詰まり義弟が自ら手掛かりを追っていくと、ほかにも不審な死亡事件があることに気づき、その背後には銀行、新興宗教の影がちらつく。 昭和42〜43年に週刊新潮連載という、50年以上前に書かれた作品なのに,古びた感じが全く無い。 文庫本下巻で解説を書いている森村誠一いわく「これは予見に満ちた恐ろしくも不気味な人間ドラマである」。 | ||||
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暇つぶしには読めるかな。兎に角、同じような内容の展開が多くて間延びする。最後は「え」と思える無理な展開で幕を閉じる。つじつま合わせ感が強かったラスト数ページ。途中から斜め読みで最後に凝縮した所だけしっかり読みました。しかし、お粗末な本だと途中で読むのを止めますが、さすが松本清張作品。やっぱりついつい次が読みたくなるんですね。そういった意味で言えば最後まで読める失敗の無い作品であることは確かです。 | ||||
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義兄が殺されたのは人違いではないと見立てた修二は、義兄の出生の秘密、銀行の地元支店と教団との抜き差しならぬ関係に気づきます。結末はあまりに突然で脈絡のないもの。これまで張り巡らせてきた伏線を回収したとは言えないのではないか、下巻に入って死ぬ人間が多すぎるのではないかなどと読み終えて思うところがありました。表紙の裏には「巨匠最盛期の意欲的長編」とありますが、読み続けるのは厳しい印象のある一冊でした。 | ||||
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1967年に週刊誌に連載され、作者が没した後の1993年に刊行された作品。 殺された銀行員の妻の弟で若手画家の修二。義弟が殺されたのは人違いだったのではという見立てから一旦は迷宮入りした事件の背景に迫ります。 自分の絵を相場の10倍以上の値段で買ってくれる画商、資金繰りに不透明な噂があるとされる銀行、修二の行く先々で偶然鉢合わせる刑事の西東、補陀洛渡海の思想を受け継ぐ新興宗教の教祖、教団に収まった元銀行員の玉野。登場人物が揃った状態で下巻に続きます。 | ||||
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結末には驚きました。 想像を越えたどんでん返しでした。 しかし、そこまでいくまでのストーリーに無理があるとも思いました。 因縁のある子供たちが、そんなに都合よく配置されるの? タクシー運転手って、世の中に何人いるの? などなど 今の世の中とは違う、昭和の娯楽作品だったと思います。 すいません。 | ||||
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結末には驚きました。 想像を越えたどんでん返しでした。 しかし、そこまでいくまでのストーリーに無理があるとも思いました。 因縁のある子供たちが、そんなに都合よく配置されるの? タクシー運転手って、世の中に何人いるの? などなど 今の世の中とは違う、昭和の娯楽作品だったと思います。 すいません。 | ||||
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昭和42年から43年にかけて週刊新潮に連載された作品とありますから、著者の油のノッテいる時期に作品ではありますが、これはいけません。長らく単行本にならなかったというのもうなずけます。「分離の時間」もそうですが、清張さんの作品には時として素人探偵役が登場します。その作品群はどうにも展開が行き当たりバッタリで、間延びしたものが多いようです。「素人がここまで動き、推理出来るかね?」というような現実味のない感想を持たざるを得ないのです。(この作品も画家が探偵役を演じますが、なんともお粗末な魅力の無い主役です。「点と線」や「ゼロの焦点」・「砂の器」などの傑作群とえらい違いです。) 従って当然展開が長くなります。その割には最後にはバタバタした終わり方をします。当然あっけない結末となってしまいます。即ち事件の結末が、犯人の自殺と手紙による告白という体裁をとってしまいます。「描写」でなく「説明」という安易な解決の仕方です。一体上下巻を使って、次々と登場人物を出し、やたらと殺人事件を起こし、だらだらと読者を散々引きずって来たのは何の為ということになります。それまでの色々な仕掛けが全く無理があり、不自然な失敗作と言えるでしょう。多忙な時期だけに濫作の結果でしょうか? | ||||
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昭和42年から43年にかけて週刊新潮に連載された作品とありますから、著者の油のノッテいる時期に作品ではありますが、これはいけません。長らく単行本にならなかったというのもうなずけます。「分離の時間」もそうですが、清張さんの作品には時として素人探偵役が登場します。その作品群はどうにも展開が行き当たりバッタリで、間延びしたものが多いようです。「素人がここまで動き、推理出来るかね?」というような現実味のない感想を持たざるを得ないのです。(この作品も画家が探偵役を演じますが、なんともお粗末な魅力の無い主役です。「点と線」や「ゼロの焦点」・「砂の器」などの傑作群とえらい違いです。) 従って当然展開が長くなります。その割には最後にはバタバタした終わり方をします。当然あっけない結末となってしまいます。即ち事件の結末が、犯人の自殺と手紙による告白という体裁をとってしまいます。「描写」でなく「説明」という安易な解決の仕方です。一体上下巻を使って、次々と登場人物を出し、やたらと殺人事件を起こし、だらだらと読者を散々引きずって来たのは何の為ということになります。それまでの色々な仕掛けが全く無理があり、不自然な失敗作と言えるでしょう。多忙な時期だけに濫作の結果でしょうか?解説で森村誠一氏が褒めまくっているのがなんとも不思議です。 | ||||
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松本清張の推理小説の特色の1つは、名探偵が登場しないことだ。たまたま事件に巻き込まれた人が真実への好奇心や義憤により、真犯人や真相に迫っていく。中には、刑事がそのまま名探偵ぶりを発揮するものもあるけれど。 不思議なのは、たまたま事件に巻き込まれた人は、活動費は全部自腹なのに、費用の心配をせずに、各地を飛び回り、急ぎの場合はタクシーを使う。仕事も中断だ! では松本清張は生活感をまったく描かない作家なのかというと、そんなことは全くなくて、名探偵以外は舞台設定から言動まで、昭和30〜50年代の風俗研究にも使えるのではないかと思えるくらい、精密な描写になっている。つまり、探偵訳は、透明人間というか黒子なのではないかと思っている。 隠花平原の探偵役は最初の被害者の義弟、若手画家の山辺さん。 真相に近づくことは出来るが、解明は出来ない。最後は犯人から手紙をもらって真実は明らかに。 松本清張のときどき使う手だが、「禁じ手だよ」と思っている。 | ||||
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松本清張の推理小説の特色の1つは、名探偵が登場しないことだ。たまたま事件に巻き込まれた人が真実への好奇心や義憤により、真犯人や真相に迫っていく。中には、刑事がそのまま名探偵ぶりを発揮するものもあるけれど。 不思議なのは、たまたま事件に巻き込まれた人は、活動費は全部自腹なのに、費用の心配をせずに、各地を飛び回り、急ぎの場合はタクシーを使う。仕事も中断だ! では松本清張は生活感をまったく描かない作家なのかというと、そんなことは全くなくて、名探偵以外は舞台設定から言動まで、昭和30〜50年代の風俗研究にも使えるのではないかと思えるくらい、精密な描写になっている。 つまり、探偵訳は、透明人間というか黒子なのではないかと思っている。 隠花平原の探偵役は最初の被害者の義弟、若手画家の山辺さん。 真相に近づくことは出来るが、解明は出来ない。最後は犯人から手紙をもらって真実は明らかに。 松本清張のときどき使う手だが、「禁じ手だよ」と思っている。 | ||||
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