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半生の記
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半生の記の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.57pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全47件 41~47 3/3ページ
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わたしはいま、 探しております。 アイデン&ティティを。 | ||||
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松本清張のあのテンポが良くて、ズシリズシリとくる、それでいて要点をわかりやすく伝えるあのなんともいえない文章はきっと、40すぎて作家としてデビューするまでの、今の人間(自分も含めて)では、絶対にありえない苦労、そして40年なかで考えたであろう様々な事が土台になっているんじゃないのかなぁ・・と思いました。 | ||||
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■ 【芥川賞受賞 】 著者は、44歳で芥川賞を受賞。その後3年経過した47歳 の時、朝日新聞出版局を退社して作家活動に専念。 ■ 【55歳頃の半生記 】 本著書は、作家生活に入ってから凡そ10年経過した 頃、出版社の勧めで「小説家になる迄の半生を」との元 に著されたもの。作者によると、はじめから小説家志願 ではなかったし、そもそもの始まりは、生活費稼ぎの懸 賞募集の応募だと言う。(1992年82歳で没) ■ 【詳細を極める貧乏記 】 確かに、この著書で自らの半生の中身、それは作家生 活に入る前までが本当に詳しく書かれている。そしてそ れは、天下の三大全国誌の朝日を堂々と退社し、と言う 有様ではないのである。彼は、朝日のエリートではな い。朝日が九州進出時に、彼自らが版下職人として売り 込んで給仕として雇われたのである。故あってか、貧し い両親のもと、小学校を卒業しただけで、そこから版下 職人として腕を磨き、結婚して3人の子供を抱え、かつ、 両親と同居し、挙句、33歳の時に稼ぎ主(町の零細事業 主)、かつ、一人っ子であるに拘わらず召集され南方派 遣の召集の赤紙を受けて、軍隊に入り韓国で敗戦を迎 えるのである。「私には、面白い青春があるわけではな かった。濁った暗い半生だった。」と清張は白い絵本の 章で著わしている。 ■ 【幸運の女神は微笑む 】 清張は、半生の記を見る限り、決して要領のいい方でも 無い。軍隊でも南方送りにならずに済んだのは、運とし か言いようがない。敗戦を韓国南部で迎えたのも幸運だ ろう。帰国して、朝日の社員でいながら内職のホオキの 仲介が商売と旅行という一石二鳥を彼に与え、生来の 好奇心(多分に、父親の影響か?)を掻き立てている。 誠に、若い時の苦労が、作品に花開いている。 | ||||
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松本清張は推理作品のみならず、古代史や政治の世界にも通じ、それらにかかわる大量の作品を著すなど、まさに学研肌の大作家であった。その無尽蔵な博識はどこから得られたものであろうか。それとも生まれながらの素質があったのであろうか。 父親の人生も不遇だった。その貧しい家庭に生まれた。貧困は戦前と戦中の日本全国に及んでいとはいえ、清張は町工場での工員を転々とし、学歴が低かったがゆえに新聞社での勤務も閑職に甘んじざるを得なかった。また敗戦直後の一時期は勤務のかたわらに副業として、ほうきを売り歩くなどの苦労を重ね続けた。作家として本格的にデビューするまで貧しさから解放されなかった。 しかも、厳しい労働の合間に、いつど、こで、いかにして膨大な知識を身につけ、ひとかどならぬ博学の大作家として名を成すまでになったのであろうか。だが、本書を読んでいても少年時代から始まり年齢を重ねていく過程において、いつまでたっても作家になる様子が見えてこないのだ。なんとも不思議だ。その秘密を深く知りたくなる衝動に駆られる彼の自伝的な逸品だ。 | ||||
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少年時代から始まり年齢を重ねていく過程において、いつまで経っても作家になる様子がなく、不思議に思いながら読み進みました。第二次大戦前後の日本の厳しい生活環境もあってのことだと思いますが、松本清張氏が作家になるまでの度重なる苦難は想像以上だという印象を受けました。また、そんな境遇にもかかわらず、作家になってからあれ程多数の著書を残し、またそれらに関する知識も膨大なものであったことを考えると、ただ驚くばかりです。 | ||||
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松本清張の有名な自叙伝。「濁った、暗い半生であった」という一文は有名です。今回、新しい版で再読しました。「暗い半生であった」の前の文は「私に面白い青春があるわけはなかった」だったと記憶していましたが、再読すると「私に面白い青春があるわけではなかった」になっていました。随分印象が違います。私の記憶違いだったのでしょうか。ともかく、本書は巨匠の苦い回顧録として永遠に読者をつかむ作品でしょう。最近、文芸春秋で長い間清張担当の編集者であった藤井康栄氏の回想録『松本清張の残像』が出ました(文春新書)。藤井氏の回想によると松本清張は「半生の記」を書いたことを後悔していたようですし、親族もあれは小説であろうと思っていたということです。そう指摘されて本書を冷静に再読してみると、松本家は極貧というほど極貧ではなかったようです(日本全体が貧しい時代だった)。だから「極貧伝説」は考え直す必要があるのかもしれません。しかし、これほど才能のある人が、大学を出ていないというただそれだけのことで朝日新聞社で冷遇されたのは事実です。そのルサンチマンが巨匠を育てたことはいうまでもありません。事実がどうであれ、何回読んでも本書から得る感動は変わりません。最後の一文「それが、その頃の私の道であった」は今でも鮮烈に記憶しています。 | ||||
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松本清張の私小説です。 数奇な運命の元に生まれ、学歴という劣等感に強く悩まされ、自己嫌悪に落ちながらも極貧の中で、8人の家族のためにと身を犠牲にして道を歩む清張。 文学志望ではなかった清張が40を過ぎて小説デビュ―するまでの凄まじい人生が描かれています。想像を絶する試練の過去、清張を知るのには、必読です。 | ||||
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