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半生の記
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半生の記の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.57pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全43件 1~20 1/3ページ
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松本清張さんの苦労された跡がよくわかりました。 苦労人なので、深みのある作品が書けたのだと思いました。 | ||||
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著者と比べるまでもありませんが、私の様な「負け組」にも共感できる内容でした。 これを書いた時、既に著者は小説家として成功していましたが、全体を通して暗い内容になっているのが強く印象に残っています。 | ||||
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結婚の馴初めなどは一切書いていないが、立派におもしろかった。清張は私小説が苦手で、これも気に入らなかったとしているが、私には十分な私小説に思われる。小卒の人間の苦心惨憺たる半生が、「或る「小倉日記」伝」同様に、端正でくどくどしない文章で瑞々しく語られている。 苦労人で、後半で七人家族を養うことの懊悩がさらりと俯瞰で示されている。達者だと思う。至言と感じた文も多かった。たとえば、兵器廠の片手の管理人のくだりの「世間の人は組織の大きさだけを見る」で、こういう達観したような文が好きだった。 | ||||
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松本清張作品は沢山読みましたが、彼自身の生い立ちはあまり存じ上げなかったので、購入。 読み応えがあります、楽しみです。 | ||||
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雑感1 この本に書かれていることは果して全て事実なのかなぁ?との思いはある。だがたとえ「私小説」だとしても大変面白い。こんな面白い「私小説」を読んだことがない。 雑感2 「あぁこれが清張さんのあの小説の元ネタ、背景だったのかぁ」と何度も膝を打った。「鬼畜」「遠い接近」「黒地の絵」「赤いくじ」「絢爛たる流離」「無宿人別帳(その中の一篇・タイトル失念!)」などが思い浮かんだ。 | ||||
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新潮文庫 松本清張著『半生の記』のレビュー。 この2か月ほど、松本清張の短編集を読んでいた。 その流れで本書を読んだ。 読む前でも、清張がその前半生~しかも40歳過ぎまで~を、かなり不遇の中に生きてきたことは知っていた。 生活のために箒(ほうき)の行商をしていたという事も。 しかし本書を読み、これほどの境遇だったとは思わなかった。 戦前戦後の庶民生活としては珍しくもない平均的な話なのかもしれない。 しかし、後の高額納税常連者の文豪の姿から逆算すると、そのあまりのギャップに驚かずにおれない。 作者名が無ければ、とある中年が犯罪を犯すまでの生活苦を吐露した手記と取られてもおかしくないほどだ。 清張は41歳のときに『西郷札』でデビューした。仕事をしながら二十日ほどで書いたらしい。俺も読んだが、かほどの生活をしてきた人がいきなり書いたものだとは思えないデキだという感想を持った。 本書は貧困や学歴差別などによる心の動きに重きが置かれているので、小説家になるための努力とか文学との関係についての情報は少なめだ。 しかし彼の半生が、のちの作品に反映されている断片は随所に認められる(最終章の「絵具」が『黒地の絵』であるように)。 彼は前半生でマグマのようにため込んだ“思い”を後半生に爆発させ、次々と作品を発表する。 自著の映像作品に時々嬉々として出演もしていたが、それは、過酷な半生からの反動のようにも思えて何だか微笑ましい。 本書は松本清張の原型というだけでなく、同時代の生活者の一典型を映した貴重な記録でもあると思った。 清張には、『岸田劉生晩景』という作品がある。 本書のカバー絵は岸田劉生の『道路と土手と塀』。 清張の半生を知った後にこの絵を見ると、様々想起される。。。 | ||||
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松本清張の人と作品に興味はあっても、これまでは手に取って 読むことは極めて少なかった。 ところが最近テレビ番組で清張は文章が短くてわかりやすいことが 指摘された。これが読んだことの動機だった。 そして、とりあえずは「半生の記」からはじめた。 実際に、文章が短くて読みやすかった。 | ||||
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ありがとうございました。 | ||||
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戦前の本当の下層であった清張さんの育ちが語られる。父親がどうしようもなく、何をやっても失敗するし、母親と父親はいつも喧嘩している。いつも貧しい。しかしどうも二人は清張さんを愛すること、ひととうりではなかったと、私は拝察した。父の腕枕で、一の谷の合戦の話を聞いたり、一時別居して父が学校の前で、貧しい身なりで現れ、木賃宿へ連れて行く、そしてお菓子を買ってくれる。母親は字が読めないけれど、盲目的に気にかける。息子を頼りにするだけではない愛情がそこに感じられた。そんなことは一つも書いていないけれど、この半生記には芯に明るさが在るのだ。愛されることがどんな境遇に在っても人を救ううと、改めて思いました。 | ||||
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昔、読んだことがあるが、確か小説に応募しょうとして原稿を書くのに使う、無くしてしまったなけなしの一本のチビタ鉛筆を探して夜の線路をさまよい歩く著者の苦労話には泣けた。学歴も財産も家柄もなにもないドン底から這い上がった偉い人だ。 | ||||
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大作家 松本清張の軌跡、半生。 あとがきの「所詮、どこでもよそ者にすぎなかった。」という言葉は清張さんの文学でも表現されていたと思います。 意外だったのは元から作家志望ではなく長い期間、単に読書好きだったこと。記者になる儚い夢を持ったこともあるが、貧しさで小卒だったため叶わなかった。 生活の安定を求めて入社した朝日新聞社の学歴差別。 新聞も週刊誌も作っている者の人間性は同じというのは、年を取ればわかっていることだが、あからさまな学歴差別には読んでいると腹が立った。 清張さん達、雇員の給料日はわざわざ社員、準社員の一日遅れ、そして 「紀元節や天長節または社の祝日の集りには社員、準社員だけが講堂に呼ばれ、雇員は参加の資格がない。これが雇員たちの劣等感をどれほど煽ったかしれなかった。」 「朝日新聞社では、どうもがいても、その差別的な待遇からは抜けきれなかった。歯車のネジという譬はあるが、私の場合はそのネジにすら価しなかったのである。」 最後から2番目の章、「泥砂」が特に生々しい。 「砂を嚙むような気持とか、灰色の境遇だとか、使い馴らされた形容詞はあるが、このような自分を、そんな言葉では言い表せない。絶えずいらいらしながら、それでいて、この泥砂の中に好んで窒息したい絶望的な爽快さ、そんな身を虐むような気持ちが絶えず私にはあった。」 「天頂には三角形に白鳥座と鷲座とがある。私は子供に「あれがデネブだ」「あっちがアルタイルだ」と指さして教えたが、そんなことでもするより仕方なく、私の心には星は一つも見えなかった。」 「どこに行くあてもなかった。家にいてもいらいらし、外に出ても空虚さは満たされなかった。人の集まる街なかを歩いても、わけもなく腹が立つだけだった。将棋や麻雀をしても、仕事をしていても、私の額からは冷たい汗が流れ、絶えずタオルが必要で、仲間に笑われた。神経衰弱になっていたのかもしれない。夜もあまり睡れなかった。」 どうにも出来ない困難、状況のために生きがいがなく鬱屈した思いを抱えるのはどの時代でも、誰の人生にも起きると思いますが、44歳で芥川賞受賞 、47歳に朝日新聞社退社後から始まるマグマの大爆発のような猛烈な執筆活動に繋がっていると思います。 自伝は面白味がないという理由で執筆は不本意だったようですが、偉大な作家 松本清張にもそんな時代が長くあったと知る貴重な記録になっています。 | ||||
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松本清張は随分前に読んだが、今回この「半生記」を読み、偉大な作家の辛苦の反省を知った。 人は諦めてはならないということを知った。 | ||||
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松本清張のつねにおやをあんずるこころねに打たれます。彼の苦労、努力の全てが作品に反映されている。一行一行におの重みを感じながら読みました | ||||
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旅先で偶然見つけた。清張はほとんど読んだつもりだったが、本書は知らなかった。 印刷所や新聞社の下働きとして苦しい生活を送っていた若いころの記録である。 清張は「ストーリーを作ってこそ小説家だ」という考えで、私事は基本的に書かない。 この考えに大いに賛同するので、著書を網羅するほど愛読しているのだ。 が、これほどの達人ともなると、過去の思い出話だけでも充分に説得力と読みごたえがある。 清張は作家デビューが40歳を過ぎてからで、若いころは両親を養うためにひたすら働いていた。 彼にとっては家族はぬくもりでもやすらぎでもなく、扶養せねばならない重荷だったのだ。 結婚してからも負担が増えただけで、幸福になったとは言い難い。 こういう視点で家族を描いた作家は珍しいのではないか。周囲に人がいるのがわずらわしい。 俺に依存するな、邪魔だ消えてくれ。「人間地獄」というユニークな表現が出てくる。 現実には大いにありそうなことだが、正直に書いた文章は初めて読んだ。やはり清張だなあ。 下積みの経験が社会派小説の基盤になっている。それも重要だが、綺麗ごとでごまかさず突き放した客観性で自分と周囲を眺める視点こそが、清張作品の核心だと思う。 | ||||
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稀代の流行作家が五十代の半ばを過ぎて雑誌『文藝』に連載した自叙伝。 41歳の作家デビュー以前の半生を回想する。淡々とした乾いた筆致で。至極つまらなそうに。しかし、内容はすこぶる重い。 些末な事柄を克明に記憶していることに感心した。それほど怨念の闇が深いということか。昭和の日本の下層社会を知るための貴重な資料でもある。 ちなみに、松本清張は太宰治と同じ年に生まれた。太宰は東北の名家のお坊ちゃんで女にモテて飲んだくれて妻子を泣かせて39歳で心中自殺した。その頃、九州の小学校卒の清張は職を転々としながら大家族を養っていくために夜遅くまで働いていた。どちらも日本文学史に名を遺した小説家であることは云うまでもない。 | ||||
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一人っ子で一家を背負い、小卒で、戦争に行き、四人の子供を持ち、と、大変な暮らしでした。 でも貧しく働きながらも好奇心旺盛で努力されてます。よく旅してます。 立野町、上石神井、浜田山と、楽になっていかれました。やれやれでしたね。 怖く険しい顔とは違う読みやすい文章で、万人の方にお勧めです。昔の貧しさを勉強して下さい。 | ||||
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清張先生の作品では「昭和史発掘」シリーズで感銘を受けました。古代史シリーズも読みましたが、素人くさいというかハッタリくささがして、余り好きにはならなかった。しかし不合理に対する切り込み方は尋常ではなく、迫真に迫る迫力、、、それもこの本の半生があったからですかね。親にまとわりつかれるのもほんとうにいやですが、この孝行人はそれに負けずに素晴らしい本群を送ってくれました。このせんせいの本を読めるって、手塚先生の漫画を読めるくらい幸せです。 | ||||
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清張が小説を書き始めるまでの話です。 興味津々で読みました。 ・生まれてすぐ、貧しかった松本夫妻 に養子に出された父親 ・文盲の母 ・小学六年生の時、担任の先生が進学 の説得に来たがナメクジのはう土間 にびっくりし、それきり受験せよと は言わなくなったこと ・小学校を卒業し社会に出てからのい いろな体験、同級生とすれ違う時の みじめな思い、将来への絶望感 ・不衛生極まりない留置所へ入れられ たこと ・戦中戦後の貴重な体験、苦労等 後に作品の題材となる体験が随所に見られます。清張ファン必読の書です。 | ||||
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幼少期からの恵まれない家庭環境の中、自らの中に秘めたDNAと努力研鑽により、日本を代表するに至った優れた作品を数多くこの世に生み出したこと尊敬してやみません。清張文学のルーツを勉強させてもらいました | ||||
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松本清張のリアルな出自経験が書かれており、自分には、とても面白く読めた。いろんなことが割とストレートに小説に使われていたりして、自分の場合は、この本を読むことで清張さんへの親近感が増したように思います。 | ||||
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