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森を抜ける道
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森を抜ける道の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.50pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全8件 1~8 1/1ページ
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たまに作品の世界にのめり込みすぎて「いつまでもその世界に浸りたい、終わって欲しくない」と思う作品に遭遇することがあるが、これはその数少ない作品の一つになった。謎解き自身も面白いが、登場人物(特に女性)とモースとの絡みが絶妙で、最初のホテルで同じテーブルになった女性とは、もう一度最初から読み直したほどだ。男性目線で書かれているので、女性読者の見方はまた別かもしれないが。 モースの話はテレビドラマとしても描かれて成功し、最近は若き日のモースとして再び描かれて成功している。同僚のスミスもモース亡き後という設定でテレビドラマ化されてこれも成功している。 | ||||
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すごく好き。 TVシリーズを意識して書き出したのは、どこら辺からか分からないが、ランチアがジャガーに変わるし、ルイスがパブで、オレンジジュースやオレンジエードを飲む。 役者さんの顔を想像しながら書いてたんだろうね。 ただ、本作からシリーズを読み始めるのはやめた方が良い。こんなもんか、で済んじまうから。 ソウさんのモースを観て、愛着が出てからが良い。 5点あげたが、女性観が気に入らんところもある。素晴らしいラストも、その観点からすると大逆転、印象が変わる。ひょっとして、そこまで仕込んでるのかな? | ||||
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プロットが非常によくできていて、感心しました。犯人を当てる気もなく読んでいましたが、(あるいは、むしろそのせいで、)結末に驚きました。 多視点で書かれているので、ドラマ化しやすいだろうな、と思いました。 イギリスには戸籍制度がないせいでしょうが、この小説が書かれた時点(1992年)でも、重婚が可能だと言うことを知って驚きました。 古本を買ったのですが、読んでいる最中にページが剥がれ落ちてきて困りました。早川のポケット・ミステリーの製本の仕方は古本向きではないようです。 | ||||
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「わたしを見つけて、スウェーデンの娘を わたしを蔽う凍った外被をとかして 青空を映す水を乾かし わたしの永遠のテントを広げて」 A・オースチン(1853−87) この詩がキドリントンのテムズ・バレイ警察に届き、1年前のスウェーデン人女子学生事件の再捜査が始まる。 事件担当のジョンソン主任警部にストレンジ警視が言う。 「人はときとして間違った理由から正しいことをすることがある。 しかしモースはどうか? 彼はむしろ正しい理由から間違ったことをすることが多い。 正しい理由とは・・・わかるな? だから彼がときどき飲みすぎるとしても・・・」 「モースに事件を担当させたいということですか?」 「うむ、そのほうがいいと思う」ストレンジは言った。 森を抜ける道」コリン・デクスター デクスターのモース主任警部シリーズ第十作「森を抜ける道」は読者のどんな名推理も追いつかない傑作推理小説です。 本書でデクスター氏は再びゴールド・ダガー賞を受賞しました。 名実ともにイギリスの推理小説家としてコナン・ドイル、アガサ・クリスティのすぐ横の椅子に鎮座することとなりました。 WOWOW8/31(土)午後2:00でスタートする「新米刑事モース〜オックスフォード事件簿〜」が話題なのもイギリスにおけるモース警部の衰えない人気ぶりにささえられています。 「森を抜ける道」エピローグ最後の行 「彼の住所はおわかりですか?」秘書が訊いた。 「いや、キドリントンの警察本部(E・モース)あてに出してくれ、それでいい」 「このイニシャルは・・・なんの略かご存知ですか?」 「”E”か?」 編集長はちょっと考えた。 「うーん、いや、わからん。誰も知るまい」 (完) | ||||
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神田の古書会館で、見つけて買いました。普段は、John Grishamの法廷物、James Pattersonの探偵物をよく読んでいますが、それに比して、モースの会話の遣り取りが、間接的な表現で、ある意味ではsnobbishですが、イギリス紳士の雰囲気があふれています。 物語は教会での懺悔から始まり、最後のEpilogueでは、夢にまで見たDr. Laura Hobsonと一夜を過ごすために、Morseが自分の内の鍵をしっかりと閉める表現で終わっています。なんというコントラストでしょう。 事件は、意図せずに人を殺してしまい、そのSweedish Maidenを助ける為に行った善意のカムフラージュを、一つ一つ剥いでいくという、ある意味では過酷な結果に追い込んでいった。そのままほっとけば良いのに、何も人の人生を穿り返して、不幸にする事は無いのにとも思いますが、それがヒューマニストとしてのモースの葛藤でもあることが伝わってきます。 英語は、snobbishな表現、単語が多く、イギリス紳士の表現を学ぶ良い機会になると思います。 | ||||
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読後感のいい一篇で、このシリーズでベスト3の中には入れたいです。いやそれにしてもモースのもてることもてること。読者はモースに心情的には成り代わっているので、その点でもこの作品の評価は高くなっていると思いますが、それは作者デクスターにとっても同じことでしょう。読者を楽しませる、いやあるいはそれ以上に作者自身が楽しんでいる、そんなニュアンスを持った傑作です。再読に耐えうる密度の濃さも持っています。 | ||||
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「ウッドストック行最終バス」と「キドリントンから消えた娘」の リメイクというべき作品。 デクスターの作風は謎をはっきり提示しない、 何が謎なのかも判らないパターンなので、 本作もそもそも事件が殺人事件なのか、失踪事件なのかというところから始まる。 一年前の迷宮入りした事件に関すると思われる謎の詩が警察署に送られ、 詩の解読とともに、誰が書いたのかと言う事が最初の焦点になる。 罰して欲しいと思う犯人の自白なのか? 誘拐されただけで、殺されてはいなかった被害者からの助けを求める文なのか? 死体が発見されないままで、物語は進む。 やがて、詩は解読され、死体は発見される。 だが、死体は事件とは何の関係もないと思われる人物だった! 犯人は誰というか、被害者は誰だ? 事件のネタは「ウッドストック行最終バス」と「キドリントンから消えた娘」 より小粒であるが、犯人が捕まったあとに明かされる、 物語の謎が素晴らしい! 名探偵は何故、名探偵を必要とする難事件に遭遇するのか? という謎に説明をつけてしまう。 主人公のモースが殺人を犯すわけではないが、 犯人はモースとも言える傑作である。 ラストの驚きも、ギャグのオマケみたいなものなので、 真面目に期待すると脱力します。 モースがギャグで犯人を演じるというのは、別作品でもあったが、 ラストに持ってきたのは凄いよね。 名探偵は難事件を解くのが好きである。 問題を解く楽しみと作る楽しみは似たようなもんである。 難事件が発生しないなら、自分で作ってしまえ! という探偵がいてもおかしくないよな(藁 | ||||
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モース警部シリーズ長編第10作。 行方不明の女子学生の居場所を示すかのような、警察に届けられた詩。クロスワード・パズルの名手でもある(これは作者自身もそうである)モース警部の本領発揮とばかりに、事件は詩の解読に重点を置いて進められる。新聞に載った詩に対して、読者からの投書も届く。そして新たな殺人が・・・ この作品では、モース警部が詩の暗号を解き明かすのが「本領発揮」なのではない。実は・・・ 最後まで読んでのお楽しみ。 ちなみに、モース警部のファーストネームはイニシャルがEであることがこの作品で明かされるが、まだまだ全ては明らかにならない。 | ||||
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