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後巷説百物語
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後巷説百物語の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.38pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全63件 41~60 3/4ページ
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「巷説」が大好きで、「続巷説」を読んで悲しくて泣いて、この第三作を読むことを躊躇っていたのですが、読んで良かった。感動の余り、号泣しました。又市さんの、京極先生の、ひとつの大きな仕掛けが、やっと完成したというような・・・・感じなのです。 | ||||
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正直この作品に関しては,私の点は辛いです。前ニ作が好きだっただけに,ちょっとこの話は蛇足かもと思ってしまいます。前のシリーズで語られなかったエピソードを,老人の思い出話と言う形で話すと言うストーリーで,それが一応二重底の設定になってはいて,工夫は凝らしてあるんですが,後日談としてもいささか面白みには欠けるような気がします。これでこのシリーズは完結だと思いますが,終わり方としては前作の続巷説百物語のほうが余韻もあってよかったんではないかという気がしてなりません。 | ||||
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物語の舞台が江戸から明治時代になり、 年老いた山岡百介が、困難な事件の助言を求めて 彼のもとにやってくる巡査らに、 御行一味の話を語って聞かせるという内容になっています。物話全体に流れる雰囲気に、もう過ぎ去ってしまった、 そして百介が又市一味と行動を共にした、 ほんの数年だが彼が一番活き活きとしていた江戸という時代に対する 切ない懐古の念が感じられました。前作とは違った形式をとりながらも、 あっと驚く仕掛けで困難な依頼を可能にする 又市一味の魅力は色褪せていません。全三作の中でも最も好きな作品です。 | ||||
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巷説百物語シリーズの第三弾。 扱っている題材が妖怪や物の怪なだけで、 中身は極めて現代的な内容となっています。物語の中で起こる事件の背景が、祟りはそれを受ける方の心持ちが発生せしめるもの、 比較の対象がないと人は自らが置かれた状況を判断するのは難しい、 世の中の不思議の多くは単に私達が知らないことだということ、といった、今にも通じるトリックで実にうまく説明されています。シリーズの三作目ではありますが、本作単体でも充分楽しめる内容です。 京極夏彦作品のファンは無論のこと、 中身の濃い一冊を読みたいという方にはお勧めの一冊です。 | ||||
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様々な時代、全国各地に不思議な話は存在する。それが真実であるのかどうかは、確かめるすべがない。だが、そうした話には必ず裏があると語る一白翁の話は、文句なく面白い。それは人の心の迷い、恐れ、うしろめたさなどが作りだす幻なのかもしれない。 「祟りとは、発する方の意思が及ぼすものではなく、受ける方の心持ちが発生せしめるものなのですよ。」 この言葉が印象深い。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ということもある。本当に不思議なもの、恐ろしいものは、人の心の中にあるのではないだろうか。 | ||||
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長くシリーズを読み進めてきたので、なんだか読了してしんみりしました。三部作のそれぞれが大巻であったことから、直木賞受賞後もしばらく手が出ませんでした。小説世界が広大であるだけに、飛び込んでいくのに覚悟が必要でした。 いやいや、堪能させてもらいました。しかも近代の無粋な世につなげていくところが、この三巻目の仕掛けかもしれません。作り物のはずの小説世界が、なんだか本当に昔あった出来事のように感じられてしまうのです。 人がいてこその「怪し」。されば、かくも人のひしめき合っている現代にこそ、「怪し」はあるのではございませぬか。見ようとせぬだけで…。 ここで「りん」と鈴でも鳴らないものか… | ||||
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相変わらず面白いのではありますが…。 だいぶ人間が描けるようになってきたなあ、と最近感じていましたが、その分、毒が抜けてきたような気がします。 被差別の姿を果敢に描こうとしているところは好感が持てます。でも、『レディー=ジョーカー』ほどの迫力、切実感はないですね。 | ||||
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生まれて初めて「読み終わらなければよかった」と思った作品。 話によると今後もこのシリーズは続いていくそうだが、これを読んだ時点ではそれを知らなかった。その上でもった感想が「読まなければよかった」である。あちらとこちらの境、その境にあったのが山岡百介でその境にあるのが、境をあらわすのが百物語ならば、この本は私にとってまさに山岡百介であり百物語であった。 少なくとも一度この本を読み終えることによって、私はあちらを覗くすべを失ったように感じた。御行と別れた百介のように。そう感じさせることがどういうことなのかまではまだ考えようと思わないが、あの感覚はそう味わえまいと思う。 入り込めない人は入り込めないだろう。どれだけ否定の文章を見ても驚かない。けれど入り込んでしまう人は、連れて行かれそうになる。 「後」で京極氏は、その落とし前をつけた、ような気がした。 | ||||
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京極夏彦の『後巷説百物語』に収録されている「赤えいの魚」が、良かったですね。 不思議な世界に引きずりこまれ、その中で翻弄され、ドキドキさせられました。読んだあとには、なにやら、現代の文明批評の匂いも感じました。この『赤えいの魚』のイマジネーションには、どこから生み出されるものなのでしょうか。不思議な世界に引きずりこまれ、作者の手の中で振りまわされる感覚は、他の作家では得られない体験でした。彼の一連の作品の延長線上にあり、「おどろおどろ」した作風は変わっていませんが、読みやすく仕上げています。 一般に受けないと支持は広がりません。「京極ワールド」をもっと多くの人に知らしめる良い作品だと思いました。 | ||||
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大人になってから、はじめて本を読んで泣きました。 私は京極夏彦さんの他の本をすべて読んでからこの本を読みましたが、そのおかげで泣けたと思います。 他の本を読まなくても充分に楽しめる内容と感じますが、感動するために少なくても【巷説百物語】【続巷説百物語】を読んでから、この本を手にとることをオススメします。他の本を全部読む必要はありません。 あと、私が泣いたのは、「かわいそう・・」とか、「むごい・・」とかそういった理由ではありません。 人と人が信頼しあえるってすごいなぁ、ってそういう理由からです。 ちなみに、泣けたのはこの本ですが、内容的には【続巷説百物語】の方が面白かったです。(あくまで私個人の感想です) | ||||
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■京極夏彦作品には、昭和30年前後の怪事件を妖怪探偵たちが解明して行く「京極堂」物の他、江戸時代を舞台にした「御行の又市」が登場する「巷説百物語」シリーズがある。■本書はその第3弾。語り部の山岡百介老人が数十年前に遭遇した怪事件を回想する形式だ。巧みな構成に引き込まれ、謎と怪奇が解明される快感を堪能できる。必殺シリーズの味わいもある。本作で京極は直木賞を受賞した。 | ||||
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京極さんの本というのは、装丁や文字組、挿絵(たいていは妖怪絵)にいたる意匠までを含めて、「作品」なんだなあ、と実感。たとえば、この本なんかは、カバーがリバーシブル仕様になっていて、カバーをとってくるりと覆せば、「東京日々新聞」とか「大阪日々新聞」とか、明治初期の「絵入り新聞」に記載された「怪異」がそのまま再録されている。浮世絵の流れをくんだ当時の画風もそれだけで目の保養といものだが、カバー表の妖怪絵のコラージュとの関係までを考えると、本書の二重構造を示唆していることに思い当たる。 この「巷説」シリーズ、既刊分三冊の内容は、刊毎に微妙に異なる。 「仕掛け人たち」の背景にまでは深く言及されず、「仕掛け」の巧みさを強調した最初の「巷説」。 その最初の「巷説」の各挿話と前後しながら、「巷説」では記号化されたキャラクター然としていた各々の仕掛け人の来歴が徐々に明かされ、血肉を持った存在として描かれる趣向の「続」。 そしてこの、隠居した百介が「一白老」と名乗りながら、新時代の若者たちと新旧の「怪異」と戯れる本書、「後」。 一白老が語る旧時代の「怪異」と、新時代の若者たちが一白老に持ち込む新時代の「怪異」との二重構造に目がいきがちだが、「一白老=百介」という軸を通してみると、「あちら側」に憧憬を抱きつつ「こちら側」にとどまり続けた「選択」の重みが、ひしひしと感じられるようになっている。「連作」である以上、終始一貫した枠組みは共通しているわけだが、そうした「縛り」をわきまえつつ、常に新しい面白さを提示する創意工夫ぶりは流石の一言。例えば、本書収録の「赤えいの魚」ひとつとって、なんの予備知識ももたない人に読ませてもスイフト風のディストピア小説として十分に堪能できることでしょう。 これくらいのクオリティであれば、直木賞受賞もむしろ当然かと。 | ||||
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面白いと思います。直木賞・芥川賞受賞作の中でやはり群を抜いているのではないでしょうか。(しかし、シリーズ物で直木賞って取れるんですねぇ。)京極道シリーズは、怪を語らず怪が表出していたのに対し、巷説シリーズは怪を語って俗(現世)が暴き出されるようなそんなお話です。。。同じ人間がこれだけの作品を書き分けられるものかと不思議に思います。(安直ではありますが素直な感想です)尚、本作を読まれる前に「哂う伊衛門」も是非読んで頂きたいと思います。生身の又一に会えますよ。 | ||||
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久しぶりに何か読もうと思ってたまたま買ったのですが、純粋に面白かったです。私は文学作品をすごく読んでいる方ではないのですが、私のような人たちが楽しんで読め、なおかつ人の業の深さや世の中の真実について深く考えさせられました。好き嫌いはあるかもしれませんがエンターテイメント性が高く活字離れの人たちを呼び戻せる作品だと思います。 | ||||
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いやはや。このヒトは本当にスゴイ。このヒトの所謂「妖怪モノ」‥巻が進むにつれ、タテ・ヨコ・ナナメと張り巡らされた複線の緻密さには唖然とさせられる。そもそも複線はその物語の中で張られるのが常套なのだが、彼の場合は違う作品・シリーズにまでそれが及ぶ。当然、それが及んでいる本は読まずにはいられなくなってしまう。まして発表順をも超越しているのだから、新規・継続の読者を問わずハマってしまうというわけ。最近の「京極堂モノ」は何だかノウガキが多くテンポも悪いので、むしろ僕はこの「巷説シリーズ」(必殺シリーズみたい)くらいのほうが好きだ。 | ||||
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直木賞受賞作! ……だそうだが、なぜこの凡作が。 他に受賞に値するのがあっただろうに。 何度も候補に挙がっているからそろそろ受賞させてやろう、これでいいか、「ハイ、受賞! あめでとうございます!」 ……て感じ。 | ||||
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このような小説でも直木賞を授章できるとは・・・。 いやはや、京極夏彦の小説の魔力には感服せざるをえない。 著者の筆力、構想力、知識、いずれをとっても他の作家とは一線を画するものがある。 「巷説百物語」、「続巷説百物語」、「後巷説百物語」と続く一連のシリーズはこれからも続けるつもりだと記者会見でも述べていた。これらの小説は読んだ者にしか価値が分からない。 読めば即、直木賞にふさわしい作品だ、と思うようになっている事だろう。 | ||||
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その名の通り、「巷説百物語」「続巷説百物語」の「のちの」話。しかし既に時代は江戸から明治へと移り変わっており、世に溢れていた怪異は近代化の名の元にだんだんと駆逐されていく... 。そんな中、諸国を巡り様々な怪異に遭遇しながら、また一方で又市らの仕掛ける大きな仕掛けの一部となりながらも、あてなく過ごしてきた百介も、一白翁として九十九庵を結び、既に隠居している。そんな中、剣之進、正馬、惣兵衛、与次郎の4人は世の中で起きた不思議な話を、あれやこれやと話しながらも、最後には物知りの一白翁に話し、そして相談しに来るのだ。老人は過去を懐かしみながらも、かつて遭遇した不思議な話を語り始める... 。「世に不思議なし、世凡て不思議なり」と。現代(ここでは明治)の怪異の解き明かしを、昔の不思議な話をヒントに行っていく。そして最後に、語られなかった昔の不思議な話、つまり又市らの仕掛けたカラクリが明らかにされる、といった作りの短編集で、最後の一編を除いて、雑誌連載のもの。時代の移り変わりと、百介による語りという形でこれまでの2作とは一味違う。鮮やかさはないが、味わい深い作品だと思う。「赤えいの魚」などは「陰摩羅鬼の瑕」で語られた奇妙な世界に非常に近い印象を受けた。尚、本作最後の2篇は「陰摩羅鬼の瑕」とも非常に密接な関係がある他、随所にこれまでの作品との関連も見られる。じっくり、何度も読みたい作品だと思います。 | ||||
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シリーズ3作目、舞台は江戸時代から明治に移って、旧メンバーの一人が昔語りをする構成でストリーは進行します。 1作目「小豆洗い」の「音響効果」が優れていました。2作目「お前は必殺か?」と思わせ、これで終わりか?とおもいましたが、3冊目まで引っ張っていくとは、想像すらしていませんでした。他のメンバーの意外なその後も報告されています。 | ||||
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怖い。 京極氏の全作品の中で、私は「赤えいの魚」が一番怖い。本書の冒頭を飾る作品だ。 「風の神」の幕引きは見事だと思うし「狂骨の夢」や「陰摩羅鬼の瑕」への流れを感じるような「五位の光」も面白いが「怖い」と思ったのは本章だけだ。「笑い」というものは「恐怖」が去った安著の表情から派生したものだという。その「笑い」だけ切りとり固定したものが、本章の恐怖の根本にある。残酷に殺されて行く人々の描写よりも、既に形骸化した「掟」を忠実に守ることを当然の理であるとする者よりも、私は彼等の「笑い」が怖い。 「愉快」だからでも「絶望」からでもなく「掟」故に笑う。「嘲笑」でも「哄笑」でもない、最後の顔の形状として笑う。 この「恐怖」は普通ではない。 | ||||
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