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相剋の森
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相剋の森の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.12pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全25件 1~20 1/2ページ
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自然との共生、と、生きるとは殺すこと。 それがメッセージのような気がした。 スーパーでは切り身で売られ、日ごろは、殺された命を頂いていることに 思いを馳せることは難しいが、そこから目を逸らしてはいけない。 動物保護もわかるが、クマは殺すな、は、牛は豚は食べることとの整合性はあるのか。 結局、人間はすごく都合よく考える。全ては我が物顔で。 邂逅の森に比べれば、柔らかく、緩い感じがするし、生きることと殺すことへの掘り下げも 浅い気がした。 時代によるマタギの変遷も興味深かった。 「きみは、その豚がどこでどうやって育てられ、誰が殺して解体したのか、そういったことを いちいち考えながら食べてるのかな。」p252 | ||||
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時代が変わり、だんだん色褪せていくのかもしれませんが、少なくとも2021年北海道の田舎に暮らすものには、共感するところがあり、読んでよかったです。 | ||||
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想像した内容のものとは少し違ってましたが、それでも長編ながら飽きる事なく引き込まれる様に読めました。 人間対熊をメインに求めるのならば少々物足りないかもしれません。 どちらかというと人間関係が主軸の様な内容だと思います。 因みにヒグマは登場しません。 ツキノワグマが登場‥然もさほどの恐怖感はなく‥ それでも私的には申し分なく感じました。 | ||||
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前作からの流れもあり勝手な思い込みではあったが「大自然との戦い」的なイメージで読み出した。しかし全く期待外れで、ルーツに触れた所や取って付けたような恋愛話しもそうだが、「熊対人間」「女対男」いずれの描写も何故か中途半端な印象でそこに共感できるものは無かった。面白いとか面白くない、とかの前にこのマニアックな世界に自身が浸ることが出来なかった、没入出来る材料が無かったとしか言いようがない。 「邂逅の森」だけではこの作家の世界観がよく分からなかったので2冊目として読んでみたが、少々残念であった。 | ||||
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マタギに象徴される現在の森の民と、自然を叫びつづける「自然保護団体」との「付き合い方マニュアル本」の体。 テーマがこれであれば「人間も自然の一部であったこと」を「自然は人間に敵対し挑戦していること」をもっと掘り下げてもらいたかった。 | ||||
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マタギと言う全く知らない世界、明治期という時代の流れに押し流される古い世界、生と死と言う普遍的テーマを扱いつつエンタテインメントとして楽しめる良い作品です | ||||
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邂逅の森に引き続き読ませて頂きました。 物語の展開の射程が、空間的にも時間的にも大きく、グイグイ引き込まれるうちに読み終えました。 | ||||
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最高です! こういう作品には評価なんていらない。とにかく読んでみて、とお勧めするのみです。 内容が濃く、またぎの風習がよく描かれていて、男女の微妙な駆け引きも織り込まれていて、 面白く、愉快に、興味深く読める一冊です。 この一冊に巡り会えたことに、ただただ感謝です。 | ||||
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外見も綺麗で、問題ありませんでした。 文庫本として持ち運びできて便利です。 | ||||
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本屋さんに行ってもなかなか見つけられないので助かりました。 すごく面白かった。 | ||||
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後に続く「邂逅の森」にいたるプロローグとしての仕掛けが憎い。 | ||||
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本書は、’04年上半期「第131回直木賞」を受賞した『邂逅の森』とほぼ併行して書かれ、3ヶ月ほど先行して発表された姉妹編である。 『邂逅の森』が、大正年間を中心とした東北の旅マタギ(クマ猟師)の青年、松橋富治の波乱の半生を描いた作品だったのに対して、本書は現代の東北地方における、彼の曾孫に当たる世代のマタギたちと自然との葛藤を描いている。 仙台のタウン誌の編集長をつとめる佐藤美佐子は秋田県で開催された「マタギの集い」に取材で参加して、「今の時代、どうしてクマを食べる必要性があるのでしょうか」と、素朴な発言をして参加者たちから冷たい視線を浴びる。そして閉会後、彼女はあるフリーの動物カメラマンから「山は半分殺(の)してちょうどいい」と告げられる。それは何を意味しているのだろう・・・。やがて恋人と破局してタウン誌を辞め、フリーのライターとなった美佐子は、この言葉を理解しようと本格的な取材を始める。 里におりてきたクマを捕獲し、発信機を取り付け再び山へ戻す活動をしているNPO法人、一方でそうして捕獲したクマを「有害駆除」の名目で射殺せざるを得ない役場の立場、「有害駆除」の許可が下りなければクマ狩りができないマタギたち、動物愛護・自然保護団体からの抗議。取材を重ね、答えを模索する美佐子は、やがて新潟県の山奥の集落でマタギの頭領をつとめる滝沢を訪ねる。 現代のマタギたちの生活を肌で取材するうち、美佐子の内に、彼らに対する親近感がわいてくる。クライマックスは彼女が実際に春のクマ狩り「巻き狩り」に同行し、マタギたちと共に猟場である過酷な自然に身を置く場面である。ひとり道に迷い、山中に取り残された美佐子が見たものは・・・。 タイトルの『相剋』とは、「両者が互いに勝とうとして相争うこと」(広辞苑)であるが、本書は、美佐子の目を通して、現代に生きるマタギたちの姿を描き、今、東北の森で実際に起こっていることを活写することにより、「自然との共生」などとは簡単に言い切ることのできない人間とクマ・森・自然との関わりを問いかけている。 | ||||
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現代に生きるマタギたちを題材にした作品。 「山は半分殺(の)してちょうど良い」 「クマを食べなくても今の時代は生きてゆける。 飽食の時代に、なぜクマを追い、クマを食うのか」 ツカミは強烈だった。 しかし、けっきょく尻すぼみになってしまった。 理由は、ツカミにたいして、物語の中でじゅうぶんに答えを示して いないからだ。 おそらく、答えは「山に暮らす人々が自然に対してどういう意識を 持って暮らしているか」を深く描くことによって、もたらされるような 気がする。が、ざんねんながら浅い。描ききれなかったようだ。 読者が期待する事、いちばん読みたいと思う事から逃げないで、 正面から取り組んで欲しいと思った。 | ||||
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「邂逅の森」「ウエンカムイの爪」に続く物語のようです。邂逅の森は読んだことはないですが。 生と死、そして自然保護の在り方について考えさせられる小説だと思います。 物語の中で「共生と言う言葉が嫌いなんです。(中略)胡散臭さとまやかしを感じてしまう。(中略)はじめに『共死』ありきなんです。」と語っています。 うさんくさいとは思ったことはないですが、「共生」という言葉に対しては偉そうだなと思っており、そこに「共死」という発想を持ってくるところがおもしろい。 「邂逅の森」を読んでいないためか、いまいちしっくり来なかったのでもし読まれる方は順番に読んだ方がよいかもしれません。 | ||||
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里へ下りてくる熊とどう向き合うか。 それを国の林業行政の貧しさだと、評論家的に片づけてしまうのは簡単だが、それではあまりにに安易です。 登場する動物愛護団体も、マタギの村の人々も、動物写真家も動物学者も、それぞれがそれぞれの立場で、自然の中で生きるというのはどういうことなのか、ということを真剣に問いかけています。 最後のマタギの熊狩りの描写は読んでいると息苦しくなるほどの迫真性です。 主人公の最初は生硬だった考えが崩されていく課程は、多くの日本人にとって共感できるものではないでしょうか。 もちろん、一朝一夕に結論の出る問題ではなく、作者も結論について語ってはくれません。自らの頭で、いや、自らの手足を駆使して全身全霊で考えるしかないのだと言うことを訴えます。 自然と切り離されて都会に生きる人こそ、読んでいただきたい、もう一歩進んで読むべき作品だと思います。 | ||||
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本の中で物語の起点となっているのが、 「山は半分殺してちょうどいい」という、現代に生きるあるマタギの言葉でした。 自然の中から必要なものだけを受け取るために、 自分自身も自然と渡り合い、本当に必要なものだけを受け取る。 それは文字通り自分自身の手で動物の命をとることであり、 その生き物の死をまっすぐに見つめ受け止めることも意味します。 すべては与えられているものであり、なにひとつ無駄にしないという、 人間の側の覚悟を感じました。 本の中では、マタギの熊狩りに対して 強硬に反対する姿勢をもっていたある若い女性雑誌記者が、 熊を保護しようとする環境保護家たち、 また、熊狩りを今も行っているマタギたちとの交流から、 次第に想いの変化させ、「山は半分殺してちょうどいい」という言葉の 意味を受け止めるに至るまでを描いていました。 正直…読みながら涙が流れました。 それは、熊がかわいそう…とか、自然を大切に…とか、 地球にやさしくとか…そういったよく耳にするものとは少し異なって、 自分を含めて今の消費社会に住む現代人は、 ただ受け取るだけで、そこに間違いなく存在しているはずの犠牲とプロセスに、 いかに無知・無頓着になっているかを思い知らされたような気がしたからでした。 食品となった生き物を口にする時、 僕らはほとんどそのプロセスを見ようとしません。 そのプロセスのすべてとはいいませんが、目をそむけつづけるならば、 そこに「感謝」は生じないでしょう。 僕自身も含めて、人はもっともっと、 日々受け取っているものの意味と重さと貴重さを見つめるべきですし、 そういう観点を培い、日々養うべきなのだろうつくづく考えさせられました。 | ||||
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熊谷さんの作品は、『漂泊の牙』『ウエンカムイの爪』に続き、個人的には3冊目になるのですがこれは面白い。久々に自然保護とか環境保護のあり方を真剣に考えさせられつつ、それでいてストーリーの展開も引き込むものがあり分厚い文庫本ながら一気に読み終えました。 自然との共生ではだめなのだというあたりを、是非とも読み取ってもらいたい作品。自然保護や環境保護は白か黒かを決めることではなく、生きていくことを考えるとグレーにならざる得ないといったことを考えさせられます。 個人的には、限りなく白に近いグレーでありたいとは思うのですが。 | ||||
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「山背郷」を熟成させたのが「邂逅の森」。「相克の森」は純粋なオリジナル。 「地球を守れ」等といったスローガンを好み、植林の林の中を四駆でやってきてバーベキューをしてゴミは持ち帰ろうなんていうような都会人的自然保護。 この本では、都会人的自然保護の危うさを登場人物の会話で語らせすぎているように感じる。 エピソードやユニークな人物が散りばめられていて縦糸が用意されているのに、それを有機的に結ぶ横糸が少ない。ストーリーの全体の展開によるメッセージ性が弱い。 「相克の森」そのものが都会的な語りという手法で著者のメッセージを伝えることになり、邂逅の森の重厚さを失っているように感じた。 主人公の女性心理を描写するのには苦労したのだろうなぁ。でも冗長では・・・ こういった問題はルポとして直截に描いた方がもっと伝わるのではないだろうか。 | ||||
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本書は、’04年上半期「第131回直木賞」を受賞した『邂逅の森』とほぼ併行して書かれ、3ヶ月ほど先行して発表された姉妹編である。 『邂逅の森』が、大正年間を中心とした東北の旅マタギ(クマ猟師)の青年、松橋富治の波乱の半生を描いた作品だったのに対して、本書は現代の東北地方における、彼の曾孫に当たる世代のマタギたちと自然との葛藤を描いている。 仙台のタウン誌の編集長をつとめる佐藤美佐子は秋田県で開催された「マタギの集い」に取材で参加して、「今の時代、どうしてクマを食べる必要性があるのでしょうか」と、素朴な発言をして参加者たちから冷たい視線を浴びる。そして閉会後、彼女はあるフリーの動物カメラマンから「山は半分殺(の)してちょうどいい」と告げられる。それは何を意味しているのだろう・・・。やがて恋人と破局してタウン誌を辞め、フリーのライターとなった美佐子は、この言葉を理解しようと本格的な取材を始める。 里におりてきたクマを捕獲し、発信機を取り付け再び山へ戻す活動をしているNPO法人、一方でそうして捕獲したクマを「有害駆除」の名目で射殺せざるを得ない役場の立場、「有害駆除」の許可が下りなければクマ狩りができないマタギたち、動物愛護・自然保護団体からの抗議。取材を重ね、答えを模索する美佐子は、やがて新潟県の山奥の集落でマタギの頭領をつとめる滝沢を訪ねる。 現代のマタギたちの生活を肌で取材するうち、美佐子の内に、彼らに対する親近感がわいてくる。クライマックスは彼女が実際に春のクマ狩り「巻き狩り」に同行し、マタギたちと共に猟場である過酷な自然に身を置く場面である。ひとり道に迷い、山中に取り残された美佐子が見たものは・・・。 タイトルの『相剋』とは、「両者が互いに勝とうとして相争うこと」(広辞苑)であるが、本書は、美佐子の目を通して、現代に生きるマタギたちの姿を描き、今、東北の森で実際に起こっていることを活写することにより、「自然との共生」などとは簡単に言い切ることのできない人間とクマ・森・自然との関わりを問いかけている。 | ||||
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「漂泊の牙」で開花し、「邂逅の森」で完成した熊谷文学が何故に…? 残念な作品です。「…半分殺してちょうどいい」というテーゼを一心に、なぜ著せなかったのであろうか。多くを語らんばかりに、話がボケてしまったように感じました。 松橋富治の話は、別の場を設けて欲しかった。 | ||||
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