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相剋の森
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相剋の森の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.12pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全6件 1~6 1/1ページ
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マタギに象徴される現在の森の民と、自然を叫びつづける「自然保護団体」との「付き合い方マニュアル本」の体。 テーマがこれであれば「人間も自然の一部であったこと」を「自然は人間に敵対し挑戦していること」をもっと掘り下げてもらいたかった。 | ||||
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本書は、’04年上半期「第131回直木賞」を受賞した『邂逅の森』とほぼ併行して書かれ、3ヶ月ほど先行して発表された姉妹編である。 『邂逅の森』が、大正年間を中心とした東北の旅マタギ(クマ猟師)の青年、松橋富治の波乱の半生を描いた作品だったのに対して、本書は現代の東北地方における、彼の曾孫に当たる世代のマタギたちと自然との葛藤を描いている。 仙台のタウン誌の編集長をつとめる佐藤美佐子は秋田県で開催された「マタギの集い」に取材で参加して、「今の時代、どうしてクマを食べる必要性があるのでしょうか」と、素朴な発言をして参加者たちから冷たい視線を浴びる。そして閉会後、彼女はあるフリーの動物カメラマンから「山は半分殺(の)してちょうどいい」と告げられる。それは何を意味しているのだろう・・・。やがて恋人と破局してタウン誌を辞め、フリーのライターとなった美佐子は、この言葉を理解しようと本格的な取材を始める。 里におりてきたクマを捕獲し、発信機を取り付け再び山へ戻す活動をしているNPO法人、一方でそうして捕獲したクマを「有害駆除」の名目で射殺せざるを得ない役場の立場、「有害駆除」の許可が下りなければクマ狩りができないマタギたち、動物愛護・自然保護団体からの抗議。取材を重ね、答えを模索する美佐子は、やがて新潟県の山奥の集落でマタギの頭領をつとめる滝沢を訪ねる。 現代のマタギたちの生活を肌で取材するうち、美佐子の内に、彼らに対する親近感がわいてくる。クライマックスは彼女が実際に春のクマ狩り「巻き狩り」に同行し、マタギたちと共に猟場である過酷な自然に身を置く場面である。ひとり道に迷い、山中に取り残された美佐子が見たものは・・・。 タイトルの『相剋』とは、「両者が互いに勝とうとして相争うこと」(広辞苑)であるが、本書は、美佐子の目を通して、現代に生きるマタギたちの姿を描き、今、東北の森で実際に起こっていることを活写することにより、「自然との共生」などとは簡単に言い切ることのできない人間とクマ・森・自然との関わりを問いかけている。 | ||||
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現代に生きるマタギたちを題材にした作品。 「山は半分殺(の)してちょうど良い」 「クマを食べなくても今の時代は生きてゆける。 飽食の時代に、なぜクマを追い、クマを食うのか」 ツカミは強烈だった。 しかし、けっきょく尻すぼみになってしまった。 理由は、ツカミにたいして、物語の中でじゅうぶんに答えを示して いないからだ。 おそらく、答えは「山に暮らす人々が自然に対してどういう意識を 持って暮らしているか」を深く描くことによって、もたらされるような 気がする。が、ざんねんながら浅い。描ききれなかったようだ。 読者が期待する事、いちばん読みたいと思う事から逃げないで、 正面から取り組んで欲しいと思った。 | ||||
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「山背郷」を熟成させたのが「邂逅の森」。「相克の森」は純粋なオリジナル。 「地球を守れ」等といったスローガンを好み、植林の林の中を四駆でやってきてバーベキューをしてゴミは持ち帰ろうなんていうような都会人的自然保護。 この本では、都会人的自然保護の危うさを登場人物の会話で語らせすぎているように感じる。 エピソードやユニークな人物が散りばめられていて縦糸が用意されているのに、それを有機的に結ぶ横糸が少ない。ストーリーの全体の展開によるメッセージ性が弱い。 「相克の森」そのものが都会的な語りという手法で著者のメッセージを伝えることになり、邂逅の森の重厚さを失っているように感じた。 主人公の女性心理を描写するのには苦労したのだろうなぁ。でも冗長では・・・ こういった問題はルポとして直截に描いた方がもっと伝わるのではないだろうか。 | ||||
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本書は、’04年上半期「第131回直木賞」を受賞した『邂逅の森』とほぼ併行して書かれ、3ヶ月ほど先行して発表された姉妹編である。 『邂逅の森』が、大正年間を中心とした東北の旅マタギ(クマ猟師)の青年、松橋富治の波乱の半生を描いた作品だったのに対して、本書は現代の東北地方における、彼の曾孫に当たる世代のマタギたちと自然との葛藤を描いている。 仙台のタウン誌の編集長をつとめる佐藤美佐子は秋田県で開催された「マタギの集い」に取材で参加して、「今の時代、どうしてクマを食べる必要性があるのでしょうか」と、素朴な発言をして参加者たちから冷たい視線を浴びる。そして閉会後、彼女はあるフリーの動物カメラマンから「山は半分殺(の)してちょうどいい」と告げられる。それは何を意味しているのだろう・・・。やがて恋人と破局してタウン誌を辞め、フリーのライターとなった美佐子は、この言葉を理解しようと本格的な取材を始める。 里におりてきたクマを捕獲し、発信機を取り付け再び山へ戻す活動をしているNPO法人、一方でそうして捕獲したクマを「有害駆除」の名目で射殺せざるを得ない役場の立場、「有害駆除」の許可が下りなければクマ狩りができないマタギたち、動物愛護・自然保護団体からの抗議。取材を重ね、答えを模索する美佐子は、やがて新潟県の山奥の集落でマタギの頭領をつとめる滝沢を訪ねる。 現代のマタギたちの生活を肌で取材するうち、美佐子の内に、彼らに対する親近感がわいてくる。クライマックスは彼女が実際に春のクマ狩り「巻き狩り」に同行し、マタギたちと共に猟場である過酷な自然に身を置く場面である。ひとり道に迷い、山中に取り残された美佐子が見たものは・・・。 タイトルの『相剋』とは、「両者が互いに勝とうとして相争うこと」(広辞苑)であるが、本書は、美佐子の目を通して、現代に生きるマタギたちの姿を描き、今、東北の森で実際に起こっていることを活写することにより、「自然との共生」などとは簡単に言い切ることのできない人間とクマ・森・自然との関わりを問いかけている。 | ||||
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「漂泊の牙」で開花し、「邂逅の森」で完成した熊谷文学が何故に…? 残念な作品です。「…半分殺してちょうどいい」というテーゼを一心に、なぜ著せなかったのであろうか。多くを語らんばかりに、話がボケてしまったように感じました。 松橋富治の話は、別の場を設けて欲しかった。 | ||||
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