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夜啼きの森
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夜啼きの森の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.50pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全22件 1~20 1/2ページ
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この作品は1938年に実際に起こった「津山三十人殺し事件」を題材にしたものと思う。 文中に出てくる辰男とは真の犯人である都井睦雄を描写していると思われる。 作品の最後の方では辰男が村人を殺害する場面が出てくるが、犯行の動機を知る私としては理解できるが、背景も知らず初めて読む人にとっては何故犯行に至ったのかの経緯が分からないのではないかと、ストーリーをもう少し掘り下げて欲しかったと思われる。 | ||||
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本著は1938年に起きた津山事件をもとにした半分ノンフィクションの作品。 事件に至るまでの軌跡(犯人が事件を起こすに至る鬱屈)が 冒頭から9割以上に渡って描かれている。 しかし正直、ここが長すぎる。 そして肝心の事件のあらましがほとんど描かれていない。 たえず、他者への妬み・嫉み・悪口と夜這いなどの田舎の慣習が描かれている。 事件に興味がある方はほとんど参考にはならない作品に思う。 | ||||
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"ぼっけえきょうてえ"が凄かったので、同作者の作品を読んでみた。 とにかく読みづらかったです。 岡山弁がかなりキツくてなってたからなのか 淡々とした話作りのためか は分かりませんが(多分両方) 何度も躓き、スラスラと読める作品ではありません。 | ||||
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事件に至るまでの主人公を中心とした人物の心情を暗くネチネチと志麻子節全開で描いています。 それなりに面白く読めましたが、肝心の事件の描写がほとんど無くあっけなく終わってしまったのが少し残念でした。 | ||||
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('・ω・`) アタシがこの著者を知ったのわかなり昔で 『ぼっけえきょうてえ』がホラー大賞受賞してハードカバー版で本屋さんに並んでた頃。 ホラー漫画大好きだから、その延長でジャケ買いして初めてよむ独特の禍々しい岡山弁の古い時代モノホラーっぷりに感心した覚えがあります◎ でも('・ω・`) このひと そのあと出す本書く本全てが 岡山弁、近親相姦、ジリ貧、などなどテーマや舞台や展開がかぶっていて チョット『あれ?』って感じ。 丸で一個の話を別エピソードから綴ったみたく オノレで己の枠を狭めてる感がありありorz 決して クダラナイ作家でわなく才能を感じるだけに 早くなんとか気付いて建て直した方が いいと思う( '∀`)/~~ ………同じ腐臭ワールドばっか読みたくないし | ||||
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前半200ページは良くも悪くも雰囲気作りだけに使われており、盛り上がりどころもなく 次の視点、次の視点へと変更されていくので読んでいてかなり退屈 そこからようやく雰囲気も出て盛り上がってくるのだが、そんな気持ちに水をかぶせるように 謎のフェイントがかけられ、読むテンションを下げられる 全編に渡るグチャドロスプラッタのような作品ではなく、じっとりとした空気の漂う山村を ねっとりと描写した作品だということを知らずに読むと相当きつい 読むのに覚悟のいる一冊だろう | ||||
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どろどろでいい。すごくいい。お友達になりたい。またこの人の作品を読んでみたい。 | ||||
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きれいな状態で速やかに送っていただきました。この小説のもとになった事件は映画やマンガや小説など幾度となくとりあげられていますが、この物語が岡山弁や風景の描写などが秀逸で一番臨場感があるように感じました。 | ||||
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夏になると必ず読みたくなる本です。 読んでいて訳がわからなくなったりはするけれどそれはそれでまたページを戻ったりと自分なりに楽しめます。 何より描写の丁寧さか読み進めていくにあたって物語の中に迷いこんだかのような錯覚が… | ||||
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岩井は岡山の「貧」を「これでもか」というくらい描く。「ぼっけえきょうてえ」や「岡山女」もそうだが、岩井の年代でなぜこんなに「おばあさんの時代の岡山の貧」を知っているのか不思議だ。 というのも私は岡山出身の両親を持つが、「岡山の貧」など全く感じたことがなかったからだ。私の知っている「岡山」とは、気候がよくて、食うに困らなくて、人はみなバカなぐらいゆるい、時間の流れがおそーいところ。 ところが、岩井の描くおばあさんの時代の岡山は、全然違った。 貧乏なのだ。 それも、「おしん」とか「赤貧当たり前で娘を売っていた東北のイメージ」に負けずとも劣らない貧しさだ。 例えば、私の母方の祖母は、明治生まれだったが、女子師範を出て一時教職に就いていた。その祖母の若い頃というのが、ちょうどこの物語の時代であろう。祖母がこの物語に登場するなら、「とうてい手の届かない憧れの師範出身」ということになるではないか。女性の名前とて、ひいばあさんまで遡らないとカタカナやひらがなの名前が出てこない。なんだなんだ、この私の知る岡山との違いは。 どうもこれは地域性ということが大きいようなのだ。だいたい、父母の育った中南部では雪が降らない。気候が温暖で、作物もよくとれる。大和朝廷の時代から、「吉備」地方は、その余力を子弟の教育に振り向けてきたため、多くの役人を朝廷に送り込んでいた。と、司馬遼太郎も言っている。よって、岡山は教育県と言われ、私の近親者とて、大した家でなくともなぜだかみな高学歴。子供が5人いれば、男も女もみな大学へやる。…という私の認識は、岩井との出会いによって打ち砕かれ、「海側のやつらばかり得をしやがって」という山側の農民の怨嗟の声に度肝を抜かれたのだった。そんなことだったとは。思わず謝りたくなってしまうのだった。ごめんなさい。山側じゃないやつの子孫で。得したやつの末裔で。…というほどすさまじい「岡山の貧」を描いた傑作。 | ||||
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かの有名な松本清張の「闇に駆ける猟銃」、そして筑波昭の「津山三十人殺し」に詳しい大事件をもとに、彼女独特の世界を繰り広げた作品。貧困と無知とそして閉鎖的な村の、インモラルでなおかつ「伝統的な」淫靡な日々。そこから生まれた「鬼の子」のたどらざるを得なかった道のりを、ネチネチとした岩井ならではの岡山弁でつづっている。 読むにつれ、不幸せな人々の、汚れた、それでいて必死な毎日が、読んでいるこちらにも重く澱のように積もってくる感じだ。最後の破綻は、この小説内ではそれほど詳細にふれていない。しかし、全て「清算」が済んで気持ちがよいような気にさえなった。 それにしても、作者の、この暗くて重くてネチネチした感じは貴重だとあらためて感じました。 | ||||
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プロローグとエピローグを除いた5つの章のうち、第一章のみが、ほかの4つと文体が異なる。二人の人間が書いている気がする。 | ||||
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本作は長く世界記録であった短時間同一犯人による大量殺人事件を題材にした伝奇ホラー「小説」である。プラスの材料としては、惨劇の舞台となった農村が著者の得意分野である岡山弁が使える場所であったこと、著者の敬愛する松本清張もまたモデルとなった事件を、こちらはドキュメンタリーとして扱っていること、マイナスの材料はモデルの事件の形を尊重したため、いつものホラー小説世界とやはり多少の味わいの違いがあることだ。 しかし、事実を極力いじらず、記録に残らぬ部分に目に見えぬ恐怖をたっぷりと塗り込めて奇怪な全体像を再生してみせたやり方は「実話に材を取る小説」という形式である以上、バランス的に正解だ。 ただの悲しく怖い小説として読んでもちろんかまわないのだろうが、前述の松本清張の「闇に駆ける猟銃」、また物語の導入に本事件を埋め込んだ横溝正史の「八つ墓村」、事件そのものの詳細な記録として筑波昭の「津山三十人殺し」などへ伝奇から事実へと辿って読むのもおもしろいだろう。本書と実際の事件、その差異の中に著者の才能を再確認することができるだろう。 | ||||
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この作品では、「三十三人殺傷事件」の犯人である辰男の姿が、辰男の周囲の人物の目から間接的に描かれている。そのせいで、辰男自身のことを読者が正確に理解することはないが、そもそも、人間関係というのはそういうものである。主体となる人物を読者が客観的に評価できるという点で、新しい小説だと思う。 ちなみに、私は辰男に少しばかり惚れてしまった。女たちの視点から見た厳しい評価の後でも、辰男のか弱く、狂気的で、艶めかしい姿には誘惑される。これを美と呼ぶかどうかは人それぞれだろうが、美少年・美青年が好きな方はぜひ一読して欲しい。 | ||||
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この事件の本は色々読んだことはあったが、この「夜啼きの森」では村人たちの5人のそれぞれの目線から辰男の人物像が見えてくる。そして村人たちはきょうてえことを辰男が近いうちにするだろうということもわかっていてその不安な心理も書かれていてとてもおもしろくてぞっとした。霊界の森という世界に、それぞれ住民たちの思いにスポットをあてていて今までの本になかった観点から読むことができてよかったと思う。 | ||||
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1938年に岡山県で実際に起こった津山33人殺傷事件を題材とした作品である。史実に即して書かれているため、ノンフィクションとフィクションの中間のような、中途半端な作品になっているが、私はもっと著者ならではの主観を入れるべきだったと思う。この事件の起きた村の状況は良く描写されているが、犯人の描写は常に第三者の視点からで、彼の心の中は読者が想像するしかない。そのため、彼をこの様な犯行に駆り立てたものが何なのかが掴みきれず、大した盛り上がりもなく読み終えてしまう。史実の検証よりも、著者の想像力に期待していた私は完全に裏切られてしまった訳である。よって☆は2つ。 | ||||
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軍国主義色濃い昭和初期、まだまだ土俗的な習慣の残る貧しい農村。 人々の楽しみといったらまぐわいと悪口をいうこと。ほとんどが縁続きの小さな村の中では噂はあっという間に広まり、窒息しそうな閉塞感が満ちている。 誰もがなにか起こらないかと思い、だれもがこの村に何かが起こることを期待している。 そこへ現れたのが辰男。頭はいいが怠け者。仕事をするでもなく家でぶらぶらしている。跡取りだからと祖母に甘やかされ、娯楽小説を読んで暮らしている。女と寝ることだけが自己存在の証しのよう。世間が悪い、運が悪いと周囲を恨み、その恨みが史上最大の殺人事件へと結実する。 辰男は21歳だったそうだが現在の少年犯罪に通じるものを感じた。 | ||||
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テーマとして扱っている事件は、著者の故郷で起きたことである。その辺りを含めて読んだが、展開が淡々としていて、感情移入がし難かった。というのも、元の事件の主人物を中心にすればシンプルに読み易かったと思うけど、膨らみを出そうとしてか、その周りの視点が織り交ざっているのが余計だった。これは読み手の構え如何ですな。事件を読むか、それを抜きにして岩井作品を純粋に読むか。それと、いくつか岩井作品を読んだが、これまで以上に岡山弁がかなりキツくて読み辛かったです。 | ||||
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老婆が静かに語り出す、過ぎ去った日々のこと。それは故郷の、怖い森の記憶。彼女の弟の物語とはいったい? 「岡山」「姉」「弟」というキーワードででオヤ?と思い、続く「夜這い」「肺病の母」でハタとひざを打つことうけあい。ああ、あの有名なアレですね。一夜での、岡山大量××事件。横溝正史や島田荘司、山岸凉子など当代一流の語り手がもうすでにこのモチーフを語りきっている気がしないでもない。それゆえか、本作は主役ではなく、彼をとりまく人々の目からあの事件を語っているのである。工夫なのだろう。しかし、外堀から埋めて主役の人となりを浮き彫りにするまでは至っていないようだ。ひなびた貧しい農村の閉鎖された雰囲気、閉塞感はよく出ているものの、やはり事実をそのままなぞった!箇所と、著者の想像の描写との間に乖離を感じずにいられない。下手にあの事件を知っていると、現実との差異にとらわれて楽しめないようだ。しかし、フィクションとして読もうにも、あまりに実際の事件とディティールが似ているんだもんなあ。何が狙いなのかイマイチわからない小説。 | ||||
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岡山県の山村、極貧困で濃い血縁関係の村での怨みの成就が殺戮。横溝正史の八墓村でも取り上げられた津山事件を岩井志麻子が彼女らしく、辰夫の心情をこと細かく、時間の経緯とともに写し出している。幼い頃、大好きな姉とともに親戚に預けられ、姉が性的虐待をうけていても、見ていぬふりをする大人のあさましさを知り、貧しさから教育も受けさせてもらえず、潜病質から徴兵制からも落ち、疎外感、劣等感からだんだんと心の中の鬼が頭をもたげてくる。鬼が大きくなるにつれ、周りの人の心の中の鬼もこれに呼応するかのように、加担していく。楽しみは、交わることとでもいいたげに、夜這い、姦通が行なわれる。確かに日本の農村には、明治時代まで、今の倫理観では、推し量れない風習があったのは、確か??。今の私たちには、異常とも思える交わり方だが、時と所がかわれば、これも当たり前なのかもしれない。今の夫婦制度も未来永劫変わらないとは、いえないし、正しいものともいえないのだとも思ってしまう。 | ||||
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