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信長の棺
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信長の棺の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.52pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全29件 1~20 1/2ページ
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表現や言い回しが硬い。小説なんだから、そんなに堅苦しくする必要があるんだろうか。上巻を終えたが読み疲れた。笑 | ||||
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本能寺の変後、信長はどこへ消えたか――。日本史最大の謎に挑んだ本格歴史ミステリー。光秀謀反にちらつく秀吉の陰謀。阿弥陀寺の僧侶が握る秘密の鍵。そして、主人公・太田牛一が最後につかんだ驚愕の事実とは。 | ||||
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信長の遺骸消失の謎に、本能寺の地下の抜け穴が絡んでくる。 歴史ミステリーが史実と異なるからといって目くじらを立てる必要はないのだが本書は別だ。作者が"あとがき"で「小説の形で真実を語っているのだ」と自負しているからだ。 「真実を語っている」と豪語するなら、作者がすべきことは、抜け穴もしくは抜け穴の痕跡を調査することだった。こんな空想小説を書くことではなかった! 推理が正しいと主張するなら証拠を提示すべきだ。史料等による裏付けがなければそれは空想だ。歴史ではない。 ただ、もし抜け穴があるのなら、とっくに見つかってるけどね。本能寺が同じ場所に再建されていれば話は別だが、本能寺は別の場所に移転している。そして、残された本能寺跡には小学校が建てられたり、老人ホームが建てられたりしている。 作者は、信長の遺骸が見つからなかったことを簡単に見過ごせるような問題ではないと言うが、それほど不思議なことだろうか、本能寺が焼け落ちたとき(すでに焼け焦げてたであろう)信長の遺骸はその下敷きになったのである。判別出来る状態で見つかったらその方が不思議だ。 それにしても、信長の死は、誰か(犯人は作中で明らかにされている)が抜け穴を塞いだためで、遺骸の消失は明智左馬助が目の前で信長の遺骸が運び出されるのを見ながら何もしなかつたからだ・・・という真相はひどすぎないだろうか? 作者が突き止めたと豪語する"真実"は"妄想"だ。 | ||||
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こんな本を元首相が愛読書だと言ったらしいが読んでがっかりした。 何の感動もなかった。 | ||||
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わざわざ分けたという印象を持った。多少頁はかさんでも1冊で十分だろう。 第一、本の内容が希薄だ。 | ||||
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そうですね、刊行時小泉首相が愛読したとして、話題を賑わしましたね。そのためだけではありませんが、手を出しそびれたままに10年余りが過ぎ、先日偶々行きずりの古書店で上下揃い200円を見付けて、軽くピリオドを打つ積りで購入しました。 桶狭間の戦いにしても、メインである本能寺の変を巡る出来事にしても、傍系の人物の一気の語りで片付けられていて、単なる謎解き小説としても、如何と思いました。増してその内容たるや荒唐無稽に近いとなれば、歴史再評価には全く当たらないですし、小説とすることにさえ、大いに疑問に思いました。序でながら、縄田一男氏の評価が、ここでも著者に寄り過ぎていることが、気になりました。 それに引き換え、「信長記」完成聴講での太閤秀吉介入の辺りには、迫真性があり、一仮説に過ぎないにしても、読み物として価値あるように思えました。 皮肉なことに、信長に関するよりも、秀吉に関するところに、読み応えがありました。 | ||||
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あまりにもつまらなかったので、ハードカバーで買った次の日BOOK・OFFに叩き売ったことを。そう、何か当時小泉首相の愛読書とか言って激賞!とか宣伝されてたんで、あの小泉首相がそこまで言うならと思い買ったんだった。内容は山の民がどうとか、隆慶一郎をちょこ齧りみたいな感じで、その当時において、未だに山の民とか本当にいたと思ってンのかこいつと。最後の信長が死んだ理由もなんじゃそら?てレベルのつまらなさ。これ結構な歳した爺さんが書いたんだよね、アホかと。でね、よく考えたら小泉首相はこれ面白いって激賞してたんだよね。こんな糞つまんない本を面白いだの激賞だの許せるレベルじゃないね、オレの感性が。あいつ(小泉)間違いなく馬鹿だわ。さもなきゃ平気で大嘘つける人間だわ。みんな騙されてたんだよね、あの詐欺師に。今も息子に騙され続けてる地元選挙民にミーハーども。これが日本のレベル。 | ||||
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信長嫌いが、ただ信長を貶めたいという個人的願望を満たすためだけに書いた本であり、読むに堪えない。 話の元ネタになっているのは、史実とは言い難い阿弥陀寺にまつわる伝説である。(京都の北区に実際に存在する寺であり、信長が埋葬されているという伝説で有名、伝説によれば清玉上人が持ち出すことに成功した信長の首ということになる。清玉上人は、この寺の開祖で、織田家との関わりを示唆する伝説がいくつか残っているが、信長の兄弟というのは絶対ありえない。清玉上人に関する史料は非常に少ないが、きちんとした史料を検証すればそれは明らかである。) 本能寺から信長の遺骸が消えた謎を追う太田牛一(信長のお弓衆、つまり今風にいえば、親衛隊の一人で、最も信頼できる信長の一代記とされる「信長公記」の執筆者)、そこに、本能寺の変の背後にうずまくさまざまな黒幕の陰謀がからみ、さらに、信長の生涯を伝える「信長公記」の”決定稿”を残そうとする太田牛一の渾身の努力が加わりなかなか盛りだくさんである。さながら「本能寺の変をめぐる謀略説」の集大成の感がある。 しかし、信長の死体が見つからなかったことがそれほど不思議なことだろうか、本能寺が焼け落ちたとき(すでに焼け焦げてたであろう)信長の死体はその下敷きになったのである。まともな形で見つかったらその方が不思議である。 作者は、”歴史上のミステリー”にかこつけて、桶狭間をはじめとする信長の”功業”を、根拠のない、そして作者の妄想としか思えない陰謀説で壊していくことに快感を感じているようだ。(私には、これがこの本の目的としか思えない)しかし、しょせん、ただのマスターベーションだ。 公表を前提としない日記かなにかで勝手にやってくれ、読者を付き合わせるんじゃないと言いたい。 この本で信長がどう描かれているか、それは、この本の「信康殺し」のエピソードがすべてを語っている。信長は無法にも家康に、嫡男信康を殺すよう命ずる。ところが、信康は家康の子ではなく、今川義元と家康の正室築山御前の間に生まれた子で、家康はこれで徳川家は安泰、しかも自分は悪名を着ずに済むとばかりあっさり殺してしまう。 つまり、この本の信長は、冷酷な独裁者だが、結構お間抜けなのだ。何故かというと、作者が信長をそういう人物として描きたかったから、としかいいようがない。 ここで、信康が今川義元と家康の正室築山御前の子というのが作者の妄想なのだ。どうもこの作者は自分が想像で史料の穴を埋めたり、ひどいときは史料を無視して自分勝手な話をでっちあげているという自覚が無いみたいなので、あえて妄想と言わせてもらっている。 それにしても、この本は歴史小説としては、比較的最近書かれた本なのに、今の歴史学の世界では、「信康殺し、家康なり」(徳川家のお家騒動で、信長は関係ない)というのが主流の説、要するに、通説であることを知らないのだろうか。いろいろ新しい史料(家康の手紙など)が出てきた結果、安土日記(今風にいうと「信長公記」の初稿)の記述が正しかったことが証明されたのだ。 読後、作者に聞きたくなったことがある。それは・・・ 仮にも”歴史”作家なら、太田牛一の「信長公記」には、無数のバージョンがあることくらい本当は知ってますよね、だから決定稿など存在しないことも、そして「信長公記」が太田牛一の私的記録であって公的記録ではないことも知っているはずです。(太田牛一自身が「信長公記」の奥書に、そう書いているのですから)、こんな出鱈目な本を書いて、小説という形で真実を語っているのだという自負(本書あとがき)はいったいどこから出てくるのですか。答えてほしい。 こんな本の主役を務めさせられた太田牛一が気の毒だ。 | ||||
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これを読んで思ったのは、 主人公の太田牛一に, 作者が、自分を重ね合わせた出来上がった,一種の妄想物語だと言うこと。 さりげなく重ね合わしている分には,読んでいても気にならないのですが 自分との重ね合わせが, 執拗なほどに説明をされているので気持ちが悪い ・老齢だが,まだまだ若い者には負けない体力 ・若い頃から,文章を書くのが好きで、隠居後に物になる ・老齢だが,まだ女を抱ける って部分などが, ことさら助長に、言い訳のように何度も説明されることが繰り返されます 特に、物語上必要が無い、 若い女と結ばれる・・・・って、 なんでそんな話が必要なわけ?って感じです まぁ、文章は読みやすいのでスラすら読めるから人気があるのかな? | ||||
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織田信長が安土城を発つ前夜、太田牛一に五つの木箱を預け、「こたびのこと、決まれば即刻、早馬にて伝える。直ちに持参の上、京へ駆けつけよ。すべてのこと、他言無用ぞ」(10頁)と命じた。本能寺後、牛一は木箱を持って安土を脱出する。従うのは、元甲賀忍びの直助とその息子、16歳の小弥太。…この物語が面白くならないはずがないと、わくわくしながら読み始めた。脱出までにモタモタして、変調を感じはしたが、まだ我慢できた。ところが、牛一は捕らえられ幽閉されて10ヵ月後に開放されるが、なんと、ここから別の物語が始まってしまう。それでも、早く信長公記を書き終えて死んでしまえ、とイライラしながら読み続けたが、前久・光秀の白昼夢でギブアップ。あとは流し読み、下巻は飛ばし読み。近衛前久と明智光秀の密談を知る人物を創造できなかったらしい。それとも、そんな人物ばっかりが都合よく出てくるから白昼夢になったのだろうか。定説とか根拠とか言っても、もはや白昼夢と大差がないとすれば、いっそのこと前久を主人公に仕立てた方が面白かったろうに。レビューを拝見すると、どうやら遺骨に関しては語られたようだが、五つの木箱は忘れられているようだ。当方、本能寺初心者のため五つの木箱に関する知識もないが、この本は不良品だと思う。返品したい。 | ||||
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主人公の牛一が、信長より受け取った木箱を巡るサスペンスのような展開から始まるこの作品。 受け取った物は何なのか? 本能寺の変の真相とは何なのか? そんないかにも面白そうな疑問を提示しておきながら、途中からその件とは別の展開である信長記執筆が始まってしまうなど、理解しがたい構成をしており、中だるみ、いまひとつのめりこめない作品。 また全体的に説明不足で、どの部分が史料を元にしているのか、推測なのか良くわからず、そのせいで納得するという気持ちが物凄く少ないのが大きな問題。歴史に詳しければ関心する部分が多いのかもしれないが、そうでもない読者である私には胡散臭い読み物という印象しか抱けなかった。 おそらく歴史に照らし合わせれば面白い解釈なのだろうが、牛一の信長記執筆の姿勢もキャラクター性も、主人公にしては物足りず、なんだかいま一つ感情移入しきれない。 話の展開もなんだか唐突で、新たな情報を得る場面に偶然性が高く、ぼけっとしていると何故こんな事になったのか理解出来ない事もしばし。 真相があきらかになる終盤も中々本題にうつらない退屈さで苦痛以外の何物でもなかった。 歴史に詳しく、何処が史実に基づいており、何処が作者の空想なのかが良くわかればもしかしたら面白いのかもしれないが、普通の読者には辛い独りよがりな作品という印象。 私が読んだ限りでは、面白くなりそうで、最後まで面白くなる事は無かった。 | ||||
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まだ歴史小説をほとんど読んだことがなく、知識も乏しければ通説もわからない時に読みました。 そのせいか、こんな見方もあったのか!と思えるところが少なかった。 ストーリーも躍動感がなく、主人公に魅力もなく、物語全体に爽快感や痛快さがなかった印象です。これの前に、司馬遼太郎の新史太閤記を読んだばかりで秀吉熱があったのも原因かもしれません。 主人公が本を書く人ということで、地味に感じ、時代の担い手が活躍するようなものを読みたかった私は本選びを間違ったということでしょう。 知的好奇心というよりは娯楽感覚で読み始めた私には、面白く感じられませんでした。 読むのに忍耐が必要で時間がかかりました。 今読んだら、もう少し面白く感じるかもしれません。また読んでみようかな。 なぜか金平糖のくだりが印象に残ってます。 (日本史もの感想 3作品目) | ||||
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本能寺の謎を扱った作品で、歴史好き、信長好きにとっては惹かれるテーマです。 太田牛一の実直な人物像も魅力的でした。 序盤まではとても引き込まれました。 しかし、中盤からの安っぽいラブシーンで一気に興ざめ。 老人と若い娘のそんな場面見せられても困るだけです。 物語の展開上必要だったのかもしれませんが、 牛一のストイックなかっこ良さを潰す残念な展開だったと思います。 | ||||
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織田信長の伝記「信長公記」を著した太田牛一という実在した人物を主人公に据え、この人が信長の死の謎ーー具体的には本能寺で殺された信長の遺体はどこに消えたのかーーに迫るミステリー仕立ての物語。太田牛一が信長公記を書き上げる部分と、遺体の謎を追う部分に大別できる。単行本の刊行当初、当時の小泉純一郎総理が愛読書と述べたこともありベストセラーになったうえ、75歳のデビューということもあり話題を集めた作品。きっと面白いんだろうなぁと期待していたのに、イマイチだった。 信長の死体の所在という「戦国期最大のミステリー」(解説)に迫ろうという着眼点と、それに関わる物語(主に下巻)は一定の面白さがあった。ただし、読み終わってみれば「なあんだ、そういうオチか」と思えなくもない。少なくとも遺体(遺骨)の所在自体は「なるほど、そうだったのか!」と驚くような結末ではない。うまく纏まってはいるが。。。 しかし、いかんせん上巻を中心とする信長公記の成立までの話がつまらなすぎる。あまりに退屈で読み進まず、上巻を読み終えるのに1ヶ月弱もかかった。(ちなみに、ようやく面白くなってきた下巻は1日で読了)というのも、物語全体に臨場感が足りない。読んでいて興奮するような場面がほとんどなかった。物語の主人公も地味な人物で魅力を感じなかったし、伝記の成立に個人的に興味を持てなかったということもあるだろう。純粋に信長の遺体を探すだけのミステリーにした方が面白かったんじゃないか? また細かいことを言えば、物語は三人称で進んでいるはずなのに、信長のことはいつも「信長さま」と表記され、まるで太田牛一が回想しているようである。これは太田牛一による一人称の物語なのか、三人称なのかきちっとしてほしい。何となくごちゃ混ぜになっている印象があって、作品にのめり込めなかった一因だ。下巻だが70歳を超える老人である太田牛一が若い女と臥所を共にし、何度も契り、しまいには子どもまで授かってしまうという現実離れした内容も、興ざめだった。 下巻の解説で縄田一男氏が「〜伏線の張り方は見事という他はなく、本書は読者が再読された時にこそより一層の真価を発揮するのだ、といえるのではあるまいか」と述べているように、もう一度読んだら面白さがよくわかるのかもしれない。そういう僅かな期待も込めて、星は2つ。ただし、私自身は当分再読するつもりはない。 | ||||
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導入部分の上手さから謎へと導かれる前半部分は見事だが、後半の息切れもまた見事で最後は大半が告白シーンに終始するというのはいかがなものか。考えた結末ではあるが、どんでん返しというほどの意外性は感じられずちょっと期待外れ。切り口は新しいが行き着くところはほぼ同じという感じ。 | ||||
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上巻の途中までは物凄く「面白い!」と思いながら読みました。 信長の側近から見た信長像というのが新鮮で。 なぜ光秀が本能寺を起こしたのかとか、すごく興味津々で夢中になって読んでいました。 しかし…途中しのびの女が出てきたあたりから、もう気持ち悪くて気持ち悪くて。 若い娘と主人公である老人の恋愛模様がもう頻繁に作中に出てきて、歴史ミステリーが台無し。 だいたいその娘の叔父が本能寺の真相を知っているとかってもう出来すぎじゃないの?! とにかく気持ち悪くて途中で本をびりびりに破りたくなりましたが、結末が知りたかったのでかなり飛ばし飛ばし読みました。 作者の妄想願望を垣間見たようで最高にイヤな気分になりました。 次の「秀吉の枷」はすっかり読む気が失せました。買わなくてよかった… | ||||
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確かに、続きが早く知りたくてついつい読み進んでしまう内容ではあった。また、そうして辿り着いた「結論」も、まず面白いと言えるものだろう。 だけど、これだけのページ数を費やす意味のあるものだったかといえば……。 とにかく、歴史ミステリとして見たときに、主人公(=探偵)があまりに活躍しなさすぎだと思う。動き回ってはいるものの、発見も中途半端なら推理も中途半端。重要な新事実は基本的に、偶然や他人によってもたらされる。あまつさえ、最終的な「真相」までも。 また文体も、文意はよく伝わるのだが、小説としてはこなれない雰囲気で、ちょっと稚拙さすら感じる。有り体に言うと、おっさんくさい。 構成も、時系列上をあちこちに跳び回るところが多く、もどかしい。新聞連載だから仕方ない部分もあるだろうけど、通して読むとやや辛い。 『歴史読本』かなにかの一記事として「結論」だけを発表してくれれば、丁度よかったのに。 | ||||
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作品の着想および、筆者の文章に関してはいうことはありません。 しかしながらストーリー展開が今一つでした。 作品全体で本筋から離れたシーンに割かれているページ数が多く、 読む時間が無駄になるのみならず、作品の流れを失念しそうになります。 上巻を読んでいる間は伏線かと思っていたのですが・・・。 また、最後の方の展開もやややっつけに感じました。 どちらかといえば小説より新書で読みたい本です。 | ||||
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読み出したらとまらず、一日で読んでしまいました。 ただ、これは内容的にちょっと。 司馬遼太郎のような、実証歴史小説を読みなれた人間には読後感がイマイチだったかな。 異聞物として読むのにはいいと思います。 信長ファンであるレビュアーにはちょっとこの内容は受け入れられないものがある。 しかし、秀吉ファンやその他歴史もの入門者には優しい内容であると思われる。 | ||||
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歴史ミステリでは断じてない、ここで展開されている「お話し」には何の史料的根拠もない。そういう意味では、歴史妄想小説の典型である。 それにしても、目線の低い小説である。ミミズの目線で書かれた歴史妄想小説で、こんな目線で書けば信長の偉大さは絶対捕まらない。 「秀吉の枷」も同様、ある意味、妄想度がパワーアップしていると言う意味で「信長の棺」よりいただけない。 | ||||
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