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信長の棺
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信長の棺の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.52pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全115件 21~40 2/6ページ
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わざわざ分けたという印象を持った。多少頁はかさんでも1冊で十分だろう。 第一、本の内容が希薄だ。 | ||||
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小泉純一郎氏の愛読書ということで,存在は知っていたのですが,はじめて読みました。 本能寺の変における,信長の遺骸はどこにあるのかという最大のミステリーを解き明かす内容になっています。 前回読んだ「空白の桶狭間」で設定されていた,秀吉の出身〈山の民〉が少し掘り下げられていた感じがしました。 「信長公記」の著者大田牛一の視点で描かれる信長像は新しく,そして面白く読めました。 特に,安土城を築城した信長の真意が本能寺における警備の手薄さにつながるあたりは頷けるものがありました。 | ||||
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小泉純一郎氏の愛読書ということで,存在は知っていたのですが,はじめて読みました。 本能寺の変における,信長の遺骸はどこにあるのかという最大のミステリーを解き明かす内容になっています。 前回読んだ「空白の桶狭間」で設定されていた,秀吉の出身〈山の民〉が少し掘り下げられていた感じがしました。 「信長公記」の著者大田牛一の視点で描かれる信長像は新しく,そして面白く読めました。 特に,安土城を築城した信長の真意が本能寺における警備の手薄さにつながるあたりは頷けるものがありました。 | ||||
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そうですね、刊行時小泉首相が愛読したとして、話題を賑わしましたね。そのためだけではありませんが、手を出しそびれたままに10年余りが過ぎ、先日偶々行きずりの古書店で上下揃い200円を見付けて、軽くピリオドを打つ積りで購入しました。 桶狭間の戦いにしても、メインである本能寺の変を巡る出来事にしても、傍系の人物の一気の語りで片付けられていて、単なる謎解き小説としても、如何と思いました。増してその内容たるや荒唐無稽に近いとなれば、歴史再評価には全く当たらないですし、小説とすることにさえ、大いに疑問に思いました。序でながら、縄田一男氏の評価が、ここでも著者に寄り過ぎていることが、気になりました。 それに引き換え、「信長記」完成聴講での太閤秀吉介入の辺りには、迫真性があり、一仮説に過ぎないにしても、読み物として価値あるように思えました。 皮肉なことに、信長に関するよりも、秀吉に関するところに、読み応えがありました。 | ||||
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アマゾンで買った本のみ備忘録がわりに採点しています。物語・作り話が好きなので小説しか読みません。リアリテイー等は関係ありません。事実と違うなどと言ってる人がいますが、なぜ事実じゃないと知っているのでしょうか?学者が書いているから?不思議で仕方がありません。物語では信長は本能寺で死ななくてもいいのです。面白いか面白くないかのみが判断基準です。それではよろしくお願いします。 | ||||
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小泉総理が「今読んでいるのは」と言ったのが、いつしか「愛読」になり、ついには「絶賛」に変わったいわくつきの小説。70歳過ぎての初小説ということで、それがいきなり日経に連載されたのも驚きだが、著者は五年くらいかけて調べに調べ、五千枚くらい書いてから太田牛一を主人公に書き直したそうで、彫琢した上で完成したものを日経に渡したのだろう。 さすがにそれだけのことはあって、初小説にしてはうまい。何しろトンネルのことまで調べたというのだから。まあ最後のほうで謎解きになると、ややばたばたした上にわりあいあっけないが、太田牛一を描いた小説はほかにないようだからいいんじゃないか。 | ||||
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面白かったです。 時代や登場人物も、ざっくりとは理解していましたが、こちらで「そーだったのか」と、スッキリした部分をたくさん発見しました。 上下2巻と量はありますが、どんどん読めてしまいました。 上では全く繋がらないことだらけで、じっと我慢ですが、下になると満足。 無駄なく、美しい言葉や描写の多い、推理時代小説だと感じました。 | ||||
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あまりにもつまらなかったので、ハードカバーで買った次の日BOOK・OFFに叩き売ったことを。そう、何か当時小泉首相の愛読書とか言って激賞!とか宣伝されてたんで、あの小泉首相がそこまで言うならと思い買ったんだった。内容は山の民がどうとか、隆慶一郎をちょこ齧りみたいな感じで、その当時において、未だに山の民とか本当にいたと思ってンのかこいつと。最後の信長が死んだ理由もなんじゃそら?てレベルのつまらなさ。これ結構な歳した爺さんが書いたんだよね、アホかと。でね、よく考えたら小泉首相はこれ面白いって激賞してたんだよね。こんな糞つまんない本を面白いだの激賞だの許せるレベルじゃないね、オレの感性が。あいつ(小泉)間違いなく馬鹿だわ。さもなきゃ平気で大嘘つける人間だわ。みんな騙されてたんだよね、あの詐欺師に。今も息子に騙され続けてる地元選挙民にミーハーども。これが日本のレベル。 | ||||
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迅速対応を頂き、短時間に入手できました。 上質の古本、内容も至って面白く満足です | ||||
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主人公は織田信長の旧臣太田牛一が『信長公記』を執筆するプロセスを再現している。『信長公記』は日記をもとに編纂された一級史料である。しかし本書を読むと、史実と言えど著者の主観により何をどの程度取り上げるかの判断が入り、信長の全体像を描いたものではないことがわかる。それに加え時の権力者の介入もあることも考慮しなければならない。 しかし本書のテーマは史実を突き詰めるものではなく、むしろその対極と言える。史料を読み込みつつ、史料にない謎の部分を大胆な創作で答えを出している。史料が残っていないのであればそれが有りえないということも証明できない。桶狭間の合戦、本能寺の変までの光秀の心情、秀吉の関与、信長の目指したものなど創作ではあるがパラレルワールド的な歴史小説はポスト司馬遼の手法の一つの答えなのかもしれない。 | ||||
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信長嫌いが、ただ信長を貶めたいという個人的願望を満たすためだけに書いた本であり、読むに堪えない。 話の元ネタになっているのは、史実とは言い難い阿弥陀寺にまつわる伝説である。(京都の北区に実際に存在する寺であり、信長が埋葬されているという伝説で有名、伝説によれば清玉上人が持ち出すことに成功した信長の首ということになる。清玉上人は、この寺の開祖で、織田家との関わりを示唆する伝説がいくつか残っているが、信長の兄弟というのは絶対ありえない。清玉上人に関する史料は非常に少ないが、きちんとした史料を検証すればそれは明らかである。) 本能寺から信長の遺骸が消えた謎を追う太田牛一(信長のお弓衆、つまり今風にいえば、親衛隊の一人で、最も信頼できる信長の一代記とされる「信長公記」の執筆者)、そこに、本能寺の変の背後にうずまくさまざまな黒幕の陰謀がからみ、さらに、信長の生涯を伝える「信長公記」の”決定稿”を残そうとする太田牛一の渾身の努力が加わりなかなか盛りだくさんである。さながら「本能寺の変をめぐる謀略説」の集大成の感がある。 しかし、信長の死体が見つからなかったことがそれほど不思議なことだろうか、本能寺が焼け落ちたとき(すでに焼け焦げてたであろう)信長の死体はその下敷きになったのである。まともな形で見つかったらその方が不思議である。 作者は、”歴史上のミステリー”にかこつけて、桶狭間をはじめとする信長の”功業”を、根拠のない、そして作者の妄想としか思えない陰謀説で壊していくことに快感を感じているようだ。(私には、これがこの本の目的としか思えない)しかし、しょせん、ただのマスターベーションだ。 公表を前提としない日記かなにかで勝手にやってくれ、読者を付き合わせるんじゃないと言いたい。 この本で信長がどう描かれているか、それは、この本の「信康殺し」のエピソードがすべてを語っている。信長は無法にも家康に、嫡男信康を殺すよう命ずる。ところが、信康は家康の子ではなく、今川義元と家康の正室築山御前の間に生まれた子で、家康はこれで徳川家は安泰、しかも自分は悪名を着ずに済むとばかりあっさり殺してしまう。 つまり、この本の信長は、冷酷な独裁者だが、結構お間抜けなのだ。何故かというと、作者が信長をそういう人物として描きたかったから、としかいいようがない。 ここで、信康が今川義元と家康の正室築山御前の子というのが作者の妄想なのだ。どうもこの作者は自分が想像で史料の穴を埋めたり、ひどいときは史料を無視して自分勝手な話をでっちあげているという自覚が無いみたいなので、あえて妄想と言わせてもらっている。 それにしても、この本は歴史小説としては、比較的最近書かれた本なのに、今の歴史学の世界では、「信康殺し、家康なり」(徳川家のお家騒動で、信長は関係ない)というのが主流の説、要するに、通説であることを知らないのだろうか。いろいろ新しい史料(家康の手紙など)が出てきた結果、安土日記(今風にいうと「信長公記」の初稿)の記述が正しかったことが証明されたのだ。 読後、作者に聞きたくなったことがある。それは・・・ 仮にも”歴史”作家なら、太田牛一の「信長公記」には、無数のバージョンがあることくらい本当は知ってますよね、だから決定稿など存在しないことも、そして「信長公記」が太田牛一の私的記録であって公的記録ではないことも知っているはずです。(太田牛一自身が「信長公記」の奥書に、そう書いているのですから)、こんな出鱈目な本を書いて、小説という形で真実を語っているのだという自負(本書あとがき)はいったいどこから出てくるのですか。答えてほしい。 こんな本の主役を務めさせられた太田牛一が気の毒だ。 | ||||
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本能寺の秘密と信長の遺骸の行方が解き明かされる物語です。 三部作の第一作目の主人公は、語り部として、本能寺の変の謎を 追いかけています。 信長の遺体はお墓に葬られていたというミステリーです。 主人公の太田牛一が、後世に残した「信長公記」に、 なぜ、自筆本と写本に相違があるのか、その経緯が明かされる物語にもなっています。 第二作目は、本能寺の秘密に関わった人物の後半生がユニークな視点で描かれた作品です。 第三作目は、本能寺の変の他方の当事者への新しい歴史解釈が下敷きになっています。 本作品は登場人物が多彩で複雑ですが、 第三作まで読み進めると、多くの事が繋がる大河小説です。 なお、第三作目では、著者のあとがきに、 信長の死の真相を着想したヒントと思われることに触れています。 連作は、かならずしも、奇想天外な思いつきでないことを知りました。 | ||||
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これを読んで思ったのは、 主人公の太田牛一に, 作者が、自分を重ね合わせた出来上がった,一種の妄想物語だと言うこと。 さりげなく重ね合わしている分には,読んでいても気にならないのですが 自分との重ね合わせが, 執拗なほどに説明をされているので気持ちが悪い ・老齢だが,まだまだ若い者には負けない体力 ・若い頃から,文章を書くのが好きで、隠居後に物になる ・老齢だが,まだ女を抱ける って部分などが, ことさら助長に、言い訳のように何度も説明されることが繰り返されます 特に、物語上必要が無い、 若い女と結ばれる・・・・って、 なんでそんな話が必要なわけ?って感じです まぁ、文章は読みやすいのでスラすら読めるから人気があるのかな? | ||||
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いや、なかなか斬新な手法で面白かったです。 信長、秀吉、光秀・・・もう多くの著者が手掛けてきた題材ですし、特に山岡荘八や 吉川英治・司馬遼太郎と巨匠の作品が読み継がれている中、これら著名な戦国武将モノ は比較されるのが分かっているだけに、テーマとするのは勇気がいると思います。 それを「太田牛一」という、よく聞くけれど、なかなか主人公にはなりそうもない人物 にスポットを当てて書き進めるという手法と視点設定には脱帽です。 信頼するメルマガで紹介されていたので、あまり先入観なく読み始めたのですが、「ああ、 これは歴史「ミステリー」なんだ」と分かって、さらに楽しく読むことができました。 歴史モノって、例えば司馬作品など断定調がとても多いので事実なのかな?と勘違いする ことも多いのですが、実は史料と史料の狭間の事実ってほとんど分からないことだらけなん ですよね。 だから色んな解釈があって当然で、それを史料を題材にどう料理するかが作者の腕の見せ どころなわけですが、「いや、これはあり得るよな〜」と思わせる、その発想と筆致が良かった。 個人の内面など誰にも永遠に分からないのですから、フィクションならフィクションで、 どう「もっともらしく」表現するか・・・それが面白ければ良いと思います。 物語であり、小説なのですから。 この作者、なんと70代に入ってから物書きを始められたそうで、なんだかその点にも希望 の光を感じました。 レビューの中には、「途中から登場するくノ一(女忍者)の存在が気持ち悪い」とお書きに なっているものもありましたが、確かに出だしは私も少し違和感を覚えました。 これは、艶っぽいシーンに作者が不慣れであったことと、ご年齢が関係しているのかもしれ ませんが、違和感は当初だけで後は全く気にならなくなります。 むしろ、くだんのくノ一に憐憫の情が湧いてくるくらい、感情移入できる大切な存在だと思います。 なお、最後に申し添えますと、さすがに文章自体の洗練度は冒頭に挙げた巨匠方には及び ません。 ですが、本作の続編『秀吉の枷』では、中盤から作者の筆致がさらに向上しており、何やら 突き抜けた感を覚えます。 そのぶん、ミステリー度合は減衰するのですが、今度は歴史小説として非常に秀逸な作品に 昇華しており、秀吉の内面であるとか、大変考えさせられるものがありました。 本作をお読みになって少し興味が湧いた方は、是非次作もお読みになってください。 | ||||
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予想以上にきれいな本でした。とても気持ち良く受け取りました。 ありがとうございました。 | ||||
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織田信長が安土城を発つ前夜、太田牛一に五つの木箱を預け、「こたびのこと、決まれば即刻、早馬にて伝える。直ちに持参の上、京へ駆けつけよ。すべてのこと、他言無用ぞ」(10頁)と命じた。本能寺後、牛一は木箱を持って安土を脱出する。従うのは、元甲賀忍びの直助とその息子、16歳の小弥太。…この物語が面白くならないはずがないと、わくわくしながら読み始めた。脱出までにモタモタして、変調を感じはしたが、まだ我慢できた。ところが、牛一は捕らえられ幽閉されて10ヵ月後に開放されるが、なんと、ここから別の物語が始まってしまう。それでも、早く信長公記を書き終えて死んでしまえ、とイライラしながら読み続けたが、前久・光秀の白昼夢でギブアップ。あとは流し読み、下巻は飛ばし読み。近衛前久と明智光秀の密談を知る人物を創造できなかったらしい。それとも、そんな人物ばっかりが都合よく出てくるから白昼夢になったのだろうか。定説とか根拠とか言っても、もはや白昼夢と大差がないとすれば、いっそのこと前久を主人公に仕立てた方が面白かったろうに。レビューを拝見すると、どうやら遺骨に関しては語られたようだが、五つの木箱は忘れられているようだ。当方、本能寺初心者のため五つの木箱に関する知識もないが、この本は不良品だと思う。返品したい。 | ||||
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続編の『秀吉の枷』『明智左馬助の恋』と共にセットで手に入れて読み始めた。信長の死を巡るミステリーという設定ながらフィクション特有の史実からの乖離を感じさせない緻密な描写に読ませられる。 が、この『信長の棺』ひとつだけを物語として取り上げると、ちょっと肩透かし感が否めないかな。秀吉の陰謀を匂わせるところで盛り上がりが出てくるけど、全貌は明かされずに物語は終わる。文庫二冊使ってまだ『秀吉の枷』につながる長いプロローグでしかないの?という印象。ひょっとしたら『秀吉の伽』が面白いという前評判を耳にしていたから、自分が勝手に前置きとして読んでしまったのかもしれないけれど。 『秀吉の枷』に期待。 | ||||
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続編の『秀吉の枷』『明智左馬助の恋』と共にセットで手に入れて読み始めた。信長の死を巡るミステリーという設定ながらフィクション特有の史実からの乖離を感じさせない緻密な描写に読ませられる。 が、この『信長の棺』ひとつだけを物語として取り上げると、ちょっと肩透かし感が否めないかな。終盤になってやっと秀吉の陰謀を匂わせる盛り上がりが出てくるけど、全貌は明かされずに物語は終わる。文庫二冊使ってまだ『秀吉の枷』につながる長いプロローグでしかないの?という印象。ひょっとしたら『秀吉の伽』が面白いという前評判を耳にしていたから、自分が勝手に前置きとして読んでしまったのかもしれないけれど。 『秀吉の枷』に期待。 | ||||
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主人公の牛一が、信長より受け取った木箱を巡るサスペンスのような展開から始まるこの作品。 受け取った物は何なのか? 本能寺の変の真相とは何なのか? そんないかにも面白そうな疑問を提示しておきながら、途中からその件とは別の展開である信長記執筆が始まってしまうなど、理解しがたい構成をしており、中だるみ、いまひとつのめりこめない作品。 また全体的に説明不足で、どの部分が史料を元にしているのか、推測なのか良くわからず、そのせいで納得するという気持ちが物凄く少ないのが大きな問題。歴史に詳しければ関心する部分が多いのかもしれないが、そうでもない読者である私には胡散臭い読み物という印象しか抱けなかった。 おそらく歴史に照らし合わせれば面白い解釈なのだろうが、牛一の信長記執筆の姿勢もキャラクター性も、主人公にしては物足りず、なんだかいま一つ感情移入しきれない。 話の展開もなんだか唐突で、新たな情報を得る場面に偶然性が高く、ぼけっとしていると何故こんな事になったのか理解出来ない事もしばし。 真相があきらかになる終盤も中々本題にうつらない退屈さで苦痛以外の何物でもなかった。 歴史に詳しく、何処が史実に基づいており、何処が作者の空想なのかが良くわかればもしかしたら面白いのかもしれないが、普通の読者には辛い独りよがりな作品という印象。 私が読んだ限りでは、面白くなりそうで、最後まで面白くなる事は無かった。 | ||||
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日頃、ほとんど歴史に触れることのない、あまり知識のない人間の感想であることを、お断りしておきます。 時代ものでさえ、池波正太郎や藤沢周平、山本周五郎くらいしか、読んでないもので… 歴史の「なぜ」の部分に関しては、非常に練られた「可能性」「真実ではないかもしれないが、あり得る話」という感想を持ちました。 これまで腑に落ちなかった部分が、見事に埋められた感があります。 それに対し、主人公が「真実」にたどり着くまでのストーリーは、少々(かなり)都合が良すぎるのではないか? たまたま関係した「女」の絡みから、謎の真相が他力本願的に もたらされていくという展開です。普段、ミステリーを中心に読んでいるので、その辺りの構成に物足りなさが残りました。 また、「女」も若いといっても「30代後半〜」というイメージで読んでいました。20代だとすると、やっぱり、なにか「壮年の願望」みたいな嫌らしさが、払拭できない気がします。 先に挙げたような「時代物」と比し(個人的には池波『その男』などが好きです)、人物の魅力・人間味、彼らに対する共感という部分で物足りなさを感じたのも、事実です。 とはいえ、そうした不満も読後しばらく経ち、冷静に振り返ってからのものでありまして… 読書中、特に全体の4分の3を過ぎる頃からは、劇中の「真実」に対する欲求が強まり、ページが進みました。 「娯楽作」として、NHK『タイムスクープハンター』的なノリで楽しむ分には、面白いと思います。 | ||||
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