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薬指の標本
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薬指の標本の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.31pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全70件 21~40 2/4ページ
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映画を見たので 本を探した。 ストーリーは感動になりました。 発送も速い | ||||
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読んでいてすごく不思議な感じがしました。 レトロな雰囲気でフィルターをかけてその場面を見ているような・・・ 薬指の標本はたまにどことなく妖しいにおいが漂うところがあり、なんとなくドキドキしました。はっきりと恋だの愛だの書かれていないのに、とても不思議でした。 六角形の部屋も最初から危うい雰囲気でしたね。なんだかあるのにない。消えてしまいそうな・・・ 二つとも何かが「消える」ような錯覚をしてしまいました。 今まで読んだことのない雰囲気の話しで思わず一気読みしてしまいました。その様子は浮かんでくるのに、どこかベールで包まれているような、不思議な本。 | ||||
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恋という言葉も愛という言葉も使わずに、ここまでの表現ができるなんて。大切なものを標本にすることで、自分を解放するという発想もすごい。 | ||||
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「お義父さまの形見ですの」 隣でそう言ったのは家内だ。先日、銀座の時計修理専門店でのこと。この店、小さな雑居ビルの9階にあるやはり小さな店なのだが、ネットで探し当てた客が他所では手に負えなかった依頼品を、次々に持ち込んでくる。 どこどこで何十年前に買った。誰から贈られた。どんなに愛着があるか。聞き耳をたてると、客たちはだれもが、依頼内容よりも「思い」を滔滔と語っている。店が混んでいるのは引きも切らぬ来店よりも、どの客も話が長いせいであるようだ。 私たちの依頼品は年代もののラドー。羽振りの良かった頃の叔父が父に贈ったスイス土産だったもの。大ぶりなサイズなのだが硬質ガラスのカットがきらきら宝石のようであり、ベルトはエレガントなステンレスで、なぜだか彼女が気に入ってブレスレッドのように愛用してくれていた。 オトウサマと呼ばれた父は25年前に他界した。家内は1日だけその父に会ったことがある。学生だった私たちはスキー帰りに実家に寄った。家族と一緒にすき焼きを食べた。父は上機嫌だった。翌朝出張に出かける父を2人で見送った。なにげない朝であった。 その日出張先で父は亡くなった。前触れもなくあっけない「突然死」だった。 あの時どうして。いったいなぜ。常には封印され意識の奥底にしまいこまれた「思い」が、カタミというひと言を皮切りに溢れ出そうになる。「はっ」と強く意識することでそれを押しとどめる。 家内はどうしてラドーを愛してくれているのだろうか、それもまた定かではない。 モノに付随した思い、込められた思いはひと通りではない。 消し去りたいものがある。密かに葬りたいものもある。愛おしくて常に身近にありたいものもある。「フェッチ」などというひと言で括り得るものじゃない。 この物語の舞台は「標本室」である。 さまざまな依頼人がさまざまな「思い」を標本に封じ込めるためやってくる。 例えば依頼人のひとり、3人の家族全員を火事で失った少女は、焼け跡にそれだけ残って生えていた「3本」のキノコを持ってくる。 深い悲しみ。つらい思い出。消せぬ心の傷。それらを遠くに葬り去るために、あるいは優しく送るために、依頼人は標本室を訪ねる。かれらの思いに耳を傾けるのが主人公の仕事である。 この物語を原作とするフランス映画がある。原作を読むのと同時進行でDVDを観た。フランス映画の性(さが)と割り切って苦笑するしかない。登場人物は1人残らず病んでいて、男女はもちろん同性でも老人と子どもでさえ、エロスを避けて通れる人間関係は存在しない。何十本観たか知れぬこの国の映画に、ひとつの例外もなかった。小川洋子の原作は、それとは異なる。遥かに深く底が知れない。 そこが怖ろしいところなのか、あるいは安らぐところなのか決して判然としない。だが、抗することはできず、なぜか穏やかにそこに吸い寄せられていく。物語の終盤、底知れぬ深みに自ら落ちてゆく感覚を、読むものに追体験させてくれる。 「フェッチ」、「病んでいる」、「倒錯」などと、ひと言で簡単に言い捨ててしまうことなどできない。 心の奥底に無数にある襞、その中に間違いなくある一断面を、暗示的であるにも拘らず、極めて明快に描ききっていて、もはや見事というほかない。 | ||||
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『薬指の標本』と『六角形の小部屋』の短編集。 (六角形の小部屋は割愛) 『薬指の標本は』標本技師(男)とそこで働く事務員(女)との恋を描いている。 この恋愛、一言でいうと『究極の束縛』。 縛る男と縛られる女。 閉じ込める男と閉じ込められる事を望む女。 話の中で男は女に「毎日履いてほしい」と靴をプレゼントする。 その靴は女の足にぴったりで、女は男の言う通り毎日履き続けた。 靴は女の足を侵す。 逃げられない様に。 まるで中国の纏足の様に。 標本技師は女を封じ込める。 足を留め、体を留め、心を留める。 なんて歪んだ恋愛だと思うけど、人の気持ちなんて大概歪んでいる。 どこかでこの話に惹かれるのは、心の湾曲にこの話の歪みがぴたりと添うからなんだと思う。 | ||||
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著者の本を初めて読みました。 ひとこと「不思議で靄がかかったようなお話」でした。 ちょっぴりファンタジックな要素もあって、 登場人物に良い意味で生命力を感じないと言いますか、 軽く触れただけで崩れてしまいそうなモロさを帯びていながらも、 芯の強さは感じさせる。収録されている2編とも、同じことを感じました。 次は「博士の愛した数式」を読んでみますが、 どんな世界が広がっているのか楽しみ&興味が湧いてきました(笑顔) | ||||
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標題の「薬指の標本」は勿論すばらしいのですが、 (ドラマチックなので分かりやすいです) 「六角形の小部屋」もなんともいえない不思議な風情を湛えた快作でした。 現代社会に生きるわたしたちが必要としている「場」を見事に描いています。 小川洋子さんの本領が見事に発揮されている二編です。 | ||||
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「薬指の標本」と「六角形の小部屋」の二編を収録した短編集。単行本は94年の発売だから著者の初期の作品となる。著者の医大秘書室勤務の経験が生かされている作品だ。 前者は、頼まれた(、そして2度と顧みられることがない)ものを何でも標本にする標本室の受付係の女性が、標本技師に徐々に吸い寄せられ(恋といっていいだろう)、身体を侵食されることを受け入れる話。後者は、外界と隔絶された持ち運び可能な六角形の、その中にこもってただ独白するための小部屋が近所にやって来たことを知り、その不思議な心地よさにやみつきになり、ある日小部屋が消え去ったことにとまどう女性の話。 現実には存在しないが、いかにもありそうな、現代人の思いをすくい取るサービス業の想定が奇抜で面白い。二編とも主人公の女性がそのサービス業およびサービス提供者に依存していく、心の揺れが繊細なタッチで描かれる。行間に漂う静謐・透明な雰囲気は著者のファンにはたまらない。 どちらも「ここまでたどり着けたことが大事」な物語。私は「博士の愛した数式」からの、新参者のファンだが、これら現代の伝奇小説にめぐり合えたことを大切に思いたい。 | ||||
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最近の本は面白くないと言われていますが、この人の作品は面白い。 最近は連載を始めていますが やはり面白かった。 これが文学だと思いました。 | ||||
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たまたま、書店でもらったチラシでこの本が映画化されたことを知った。しかも、フランスの映画監督で。 小川洋子の作品を読むのは、『博士の愛した数式』以来だが、あの作品よりも、彼女らしい、万人受けしない作品だ(?)。 耽美的でフェティッシュで、マジカルでリリカル。日本映画ではなくフランス映画が似つかわしい。 ちょっとグロい話も、彼女の抑えた筆致がかえって、想像力を書きたてる。この作品がどう映画化されたのかな。映画も見てみたい。 | ||||
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この小説は「博士の愛した数式」を読んでから、手に取りました。この物語はホラーっぽいです。なので「博士の愛した数式」のような泣ける感じを期待していた僕は見事に裏切られました。でもその裏切りは良い方の裏切りでもありました。僕はこの本を購入しないで立ち読みでしが、読んでいると周りの雑音が消し飛びました。それだけこの小説にはなにかしらの引力があるってことですね。こんなに本に夢中になったのは久々でした。ページも少ないので、軽く読めると思います。でも内容は深い。 | ||||
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ある人の日記で、SMシーンの一切無いSM小説だと紹介されていて、興味を持って読んでみた。確かに、ここに描かれている世界は紛れも無いSMワールドだと思う。 標本と赤い靴という小道具が、とても妖しく世界を形作っていく。何度も何度も読み直してみたくなる、不思議な小説だ。 | ||||
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小川さんの作品は博士の愛した数式しか読んだことがないので、てっきり温かみのあるストーリーを主に描く方かと思いきや…。いやはや、こんなサイコパス風味なモノも書ける方だとは。 情景を美しく描き出した文体に魅せられて読み進めていたら、何時の間にか「薬指の〜」の主人公のように日常から異世界へと切り離されていくような感覚に陥っている自分に気がついて、この方の持つ世界観にただ驚嘆するしかなかった。「六角形の〜」の方も、切ないストーリーの中に二度と覚めない夢の中に引きずりこむような怪しさを漂わせていてインパクト大。博士の愛した数式でファンになった方には、次にこの「劇薬本」を読むことはおススメしかねる。他作品で耐性を身に付けてからご賞味あれ。 | ||||
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評判とおり透明で静謐な作品。どこかを突付くと、そこからこなごなに壊れてしまいそうなくらいに繊細で、微妙なバランスで保たれた世界。ディテールはリアルでありながら全く現実離れした世界。 「標本」という、いわば時間を閉じ込めた小空間。その中で、そこに収められたモノは永遠に残ったとしても、それを包括していた全体としての存在は消えているということ。存在の消失と永続性、モノに対するフェティシズムとエロティシズム。非常に雰囲気と香りを伴った、確かにフランス人好みの作品かもしれません。 | ||||
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ここのところ小川洋子さんにどっぷりはまっている。解剖学者養老猛司の愛弟子である布施英利も巻末に書いているように身体の消失感がこの本のメインテーマ。他者への依存から生まれる自己消失感。この「感じ」を、本来の精神的なものとしてではなく物理的、身体的なものに少しずつシフトさせながら描く。病は気から、ではないが精神的なものはいずれ身体へとおりてくる。ボディビルという身体への変質的こだわりから最終的に生首に至った三島由紀夫のように。静かに淡々と進むストーリながら読み終わってみると肉体的にどっと疲れている。これも身体へ強いのこだわりを描いた故なんだろうか。 | ||||
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いかなる場合でも自分のペースを崩さない、他人の迷惑に鈍感な、こういうタイプの人はどこにでもいる。 あの時の感触ははっきり覚えているのに、感情はよみがえってこない。 本人の意思や努力によって運命を切り開けると信じている人もいるかもしれません。 けれど、意思や努力がすでに運命なのだと、わたしは感じます。決して人生を否定しているのではありません。 次の瞬間何が起こるか、わたしたちは少しも知らされていないのですから、やはり常に自分の力で選択したり判断したり築いていったりしなければならないでしょう。 いくら運命が動かしがたいものだとしても、すべてをあきらめてしまうなんて愚かです。 誰にとっても運命の終着は死ですが、だからと言って最初から生きる気力を失う人は、たぶんあまりいないはずです。 なるほどなあ〜〜と思った作中の文章であります。 | ||||
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表現の一つ一つがとても繊細で言葉をすごく丁重に扱っている作家さん 彼女の作品の中では、日常にありふれているはずの物まで 不思議な雰囲気をかもし出します。 文章から伝わってくる雰囲気は、とても寡黙。 でも、どこか生ぬるく独特の緩やかな時間が流れています。 最近の作品も好きですが、この頃の作品が一番好きです。 | ||||
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私がまだ、“昆虫ハカセ”だった頃身近な昆虫達を捕まえて標本にしていた。先端恐怖症の私は柄付き針を使わない、もっぱらホルマリン漬け標本家専門であった。しかも、殺生ができない子供らしくない子供だった私は屍(しかばね)専門で、 息を止めて全神経を集中させ、その「屍」=「物体」と二人きりの時間を楽しんだ。 標本作りには、たっぷりの時間が必要だ。 足の欠けたダンゴムシやメスに頭部を半分齧られ悶絶死したハラビロカマキリやらが宝物だった。 幸い、大人になった私は多忙な日々を送る商社マンだが、隙あらば、弟子丸になっていたかもしれない。 つぎは、 あなたの番だっ。 | ||||
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「封じ込めること、分離すること、完結させることが、ここの標本の意義だからです」。技術士の弟子丸氏は言った。彼が標本にできないものは何一つない。様々な品物が持ち込まれ、標本化によって依頼者は安堵を得る。その「標本室」に、「わたし」は事務員として採用された。 二人きりの「標本室」。弟子丸氏という不思議な人物に、いつしか「わたし」は侵食され、絡め取られていく・・・このような設定は、小川作品ではしばしば目にするが、本作品は印象深いもののひとつだ。弟子丸氏が突然露わにする「わたし」への執着。いたぶりに近い行為。それに「わたし」が飲み込まれ、自らを差し出すようになっていく怖さ・・・ 浴場(「標本室」は女子専用アパートだった建物を利用している)でのデートの場面など、映像的な魅力にも富んでいる。 ふと思う。いつから侵食が始まっていたのだろう。「わたし」が弟子丸氏に初めて浴場に案内され、靴をプレゼントされた時か。いや、事務員募集の貼紙を見て標本室を訪れた時すでに、ひょっとするともっと前から運命づけられていたことではなかったか。・・・その線引きの難しさ、境界の曖昧さに怖さを感じる。境界のあやふやさは小川作品のひとつの個性に違いない。現実と非現実、安らかさと危うさ、甘さと痛さ、穏やかさと烈しさ、正気と狂気・・・両者の重なり合う地点から静かに語られる物語には、しばしば不安な気持ちにさせられつつ、魅了される。 「標本室」と似た機能をもつ場を描いた作品に『沈黙博物館』がある。あちらも特殊なものを収集、保管する物語だが、味わいはまったく異なる長編。合わせて読まれると興味深いのではと思う。 | ||||
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『薬指の標本』、映画の印象が強烈で、観たすぐに、 原作を読んでみました。 登場人物、プロット、台詞、イマジネーションは、 映画でもそのまま活かされていて、変な感じですが、ちょっと 安心しました。読みながら映画のシーンが、ガンガン、頭に 現れてきて、それは奇妙な体験です。 でも、映画も原作もどっちもよかった。独特の世界観とエロス、 タナトスの世界。 もう一方の『六角形の部屋』も、奇妙な世界観と後味で、 不思議な小説でした。文章や描写は平易なのですが、その分 描かれているお話、語り小部屋や主人公が遭遇する人々は なんか、シュールレアリズムな感覚に捕らわれる、読んでいて 不思議な空間時間間隔になる一篇です。 | ||||
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