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カラマ-ゾフの兄弟
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【この小説が収録されている参考書籍】
カラマ-ゾフの兄弟の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.26pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全554件 21~40 2/28ページ
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読書・哲学が好きな、40代のサラリーマンです。海外在住です。 カラマーゾフの兄弟は、およそ20年前、20代の中頃に読んで以来の再読となりました。 また、5年ほど前には、サンクトペテルブルクのドストエフスキー博物館等を訪れました。 今回再読し、改めて本書には、お金・男女・親子・犯罪・宗教等、人類の全てが詰まっていると感じました。 私なりの解釈では、本書は、聖書の解説書とも捉えることができると思います。 宗教の経典には、「〜をすべし」「〜をすべからず」という戒めが書かれていますが、それがなぜ必要なのかを、生涯で様々な経験をしたドストエフスキーが解説しているわけです。また、それをただ単に実践せよというのではなく、各人が「自由に」様々な経験することにより、身を持ってその重要性を理解すべきであると主張しているのだと思いますし、更に苦しみの末に罪の意識を自覚し、全てを赦し、愛するということの重要さを訴えかけているのだと思います。 そういった意味では、ドストエフスキーは全ての人の罪を背負う、キリストの様な存在であるとも言えるのではないかとも思います。そしてそれは、本人だけでなく、周囲の人々に希望を与えてくれる存在であると思います。 私は、自分が生きることによって、身近な人達、そして、それ以上に自然や動物に迷惑をかけているのだと、ここ何年かで感じる様になりました。それでも人として生きなくてはならないわけです。 それに対するドストエフスキーの答えが、まさに、罪の意識を持つということであると思います。(それにつけ込んで、資本主義が加速するだとか、教会が権力を持ってしまうという意見もあるかと思いますが、ドストエフスキーの訴えるものは、その様なちっぽけなものと比較できるものではないと思います) 本書の中で、「カラマーゾフだから」みたいなフレーズが何箇所かありますが、それは、「人間だから」とも置き換えることができると思います。また、「罪と罰」でラスコーリニコフが大地に接吻をし、謝罪しましたが、それがなぜ天に向かってではなかったのかが、よくわかりました。 私はキリスト教徒ではありませんが、人知を超えた偉大な存在を認め、相手の事情も汲み取り、赦すということを、今後の人生で少しずつでも実践していきたいです。また、自然や動物への感謝の気持ちと一体感を、更に強く持って生きていきたいです。 本書に出会えて、本当に良かったです。 | ||||
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高校生の時に読んだ『カラマーゾフの兄弟 』を再読したくなって購入。 実は、この前に、高評価の亀山郁夫訳の第1巻を読んだのだが、私の国力が足りないのか、ところどころ日本語に違和感を感じたので、昔から書店に並んでいる原卓也訳の本書に乗り換えた。 (名文とされる「大審問官」については、亀山訳は第2巻に入っているようで読んでいない。) 原卓也訳はもっと古色蒼然とした翻訳かと思って身構えたが、まったく古臭くなく、読みやすかった。好みの落ち着いた素直な文章。 変な言い方だが、作品そのものに集中できるというか。古典(的)作品が好きなら、こちらのほうが読みやすいかもしれない。 内容的に初めのうちこそちょっと読みにくいが、修道院での集会の場面あたりから面白くなって一気に読み進められる。 1巻目の本書から、劇的な出来事がたくさん起こって目が離せない。それにしても、「神かがり」の人も出てくるし、登場人物みんな喜怒哀楽が相当激しい。ロシア人て、みんな、こんな感じなのだろうか。 | ||||
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希望と絶望。愛と憎悪。この壮大な小説には、人が持つあらゆる感情が描かれているのではないかと思わされます。登場人物達はみな生々しいまでに人間であり、一言では言い表せることのできない魂の複雑と深遠さに圧倒されます。 たった一日に起こった出来事だけで数百ページを費やす描写の細かさに、なぜこの人物達はそんなに思い悩み、おしゃべりなのか。物語の進展の遅さと登場人物達のセリフのしつこさに始めはイライラするかもしれません。しかしこの本を読む大きな楽しさは、そうした人間の「複雑さ」を感じることにあります。飛ばし読みなどせず、焦らず、一つ一つの言葉を味わいながら読むとこの本の価値を最大限引き出せるのではないでしょうか。数日で読み切ろうとせず、数週間かけてじっくり読むのがよいでしょう。 | ||||
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面白かったです。 | ||||
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もう本当に好きな本です。みなさん仰るように冒頭が多少とっつきにくいですがその後はドラマティックで一気に読めます。イワンが好きでたまらない。 | ||||
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いいと思います。 | ||||
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いい本です。 | ||||
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ゆっくり読み進めた。→ 急に歩き出す。 急に叫び出したり、泣き出したり、本当に面白い。 行動が急だったり、ふいにだったり、落ち着いて何かをすることがほとんどない。実際に思い浮かべると本当に面白い。 | ||||
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この亀山訳は誤訳が多いという。エライ先生方がそう叫んでいるという。この本は売れた。ベストセラーになった。きっとエライ先生は「俺にも金をよこせ」と言わんばかりに妬んでいるのだろう。サモシイねえ。 『カラマーゾフの兄弟』という文学は、今まで読者を跳ね返してきた。それでも、この訳で多くの人が曲がりなりにも、最後まで読み通せたという。これは快挙ではないか。誤訳、誤訳と目くじらを立てる前に、そう称えたい。 それに誤訳といっても、物語が全然別の話になっているわけでもあるまい。『カラマーゾフの兄弟』が『カラマーゾフの姉妹』の話になっているわけでもあるまい。ロシア語が分からないから、何とも言えないが、きっと細かい雰囲気が違うくらいなんじゃないのか。 とにかく、この亀山訳を読んでみよう。その上で誤訳というのなら、他の訳を読んで比べてみよう。きっと文学の世界が広がるに違いない。 この訳に限らず、新訳がでるたびに誤訳だとか、名作に対する冒瀆だとか、そういう批判するヤツが現れる。そういう人ってどうなの? | ||||
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ドリフみたいな場面が続く。このおもしろさがたまらない。 急に泣いたり笑ったり。一生の誓いを急に始める。ツッコミ不在でコントが続く。このやぶれかぶれな感じが出てくると、区切りをつけずに読み進めてしまう。 続きも楽しみです。 | ||||
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最高におもしろい! 「ドストエフスキー」と聞くと多くの人は「難しそうw」と敬遠すると思う。その気持ちはわかる。まず名前が長い(笑)そして、物語全体に、いかにもロシア文学な暗さがある。 本書もたしかに冒頭の50ページぐらいまでは退屈だ。だが「アレクセイ」というイケメン好青年が登場してから、物語は一気におもしろくなるから辛抱して読んでみてほしい。アレクセイがほんとにいい奴で、自然に親近感というか愛着が湧くと思う。 登場人物はみんな個性的なので、「カタカナの名前を覚えるのが苦手」という人でもすっと覚えられると思う。 長男ドミトリー=体育会系オラオラ熱血漢 次男イワン=覇気のあるインテリ陰キャ 三男アレクセイ=博愛的なピュアボーイ 最初はこんなイメージでいいと思う。 「カラマーゾフ家」という破綻した家族が物語の中心となっている。父フョードルがとんでもないクソ野郎なのだが、そこがまた面白い。現代にも通じるエンタメ性があるし、登場人物への感情移入もしやすいと思う。 蛇足だが、実は「カラマーゾフの兄弟」という小説は、「2部構成の物語の第1部」に過ぎないのだ。そう、続きがあるのだ。作者ドストエフスキーは「第1部」である本書を完成させた後、「第2部」を書く前に、なんと亡くなってしまった!これは人類の大損失だと思う。 | ||||
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読みやすくするために、愛称を統一したり、伝わりにくい訳語を簡潔に変えたりされていると知りました。 座右に置いて、毎日2秒触るところから始めて、足かけ5年で読み終えました。 | ||||
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とてもクオリティの高い商品を購入させていただきました。ありがとうございます! | ||||
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長編なので、時間がある学生時代に読んだ方がいい。ドストエフスキーの作品の中では他より印象に残っている。 | ||||
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上巻のレビューは書いたが、中巻は書かず、下巻まで読み終えた。全部で約二カ月掛かった。仕事をしていたら(勤めていたら)、三カ月は掛かったのではないか。新潮社版を中心として、ほかに訳を3種類手元に置いた。今まで世界文学を読む場合、良いと思う解説書を参考にしていたが、今回はほとんど翻訳だけで済ませた。さて、具体的な筋は書くべきではないと思うので、全体的な印象を言うと、最初から最後まで、張り詰めた内容であった。どのページを開いても文学的な表現にすぐ出合う、と言うよりも、文学的表現のみでこの小説が成り立っていると思えたほどである。この小説を読んで本当によかったと思う。時間と関心がある人はぜひ読むべきだ。最後に、具体的箇所をあげて、私がどう受け取ったかを書いてみたい。今回はさすがに私が内容を正しく受けとっているか自信はない(が、この本を読んだ後、ある解説書に目をとおすと、いっそう理解できなかった)。 第四部第11編 兄イワンの十「あいつがそう言ったんだ」の最後の箇所である。無神論者イワンが病的な状態で、自分の部屋で幻覚(自分の分身)と議論をしていると、そこへ謙虚で信仰心の篤い弟アリョーシャが訪ねてくる。イワンはまもなく意識を失って、眠り始めた。アリョーシャは、明日の裁判でイワンが正直に証言するか、それともふてくされた態度をとるか、気になっている。そしてアリョーシャは思う。 「もはやイワンの証言なぞ、だれも信じないだろう。でも兄はきっと行って証言してくれる!」……「神様はきっと勝つ!」彼(=アリョーシャ)は思った。「真実の光の中に立ちあがるか、それとも、自分の信じていないものに仕えた恨みを自分やすべての人に晴らしながら、憎悪の中で滅びるかだ」 私が思うに、自分の信じていないものに仕えてしまうと、それに気づいたとき、自分に対して、また周囲の人すべてに対して恨み(憎悪の感情)が生じ、復讐したくなるのだ。それは、自分が主体的に行動していなかった、誰かに操られていた、と思うから。たぶんイワンは、意に反して、無神論を信じてきてしまったのではないだろうか、本当は神を信じたかったのに。 | ||||
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キリストも知らないロシアも知らない時代背景も何も知らないで読みました それでも全然理解はできます キリストを絡めて描かれているストーリーですがおそらく全人類にとって普遍的なことが描かれていると思います 取り憑かれたように読んでいて視力が激落ちして後日メガネを買いに行きました 夢にまで登場人物が出てくる始末です 仕事中も気になって手につかなくなりました 世界の見方が変わります 正直これが面白くないんだったら何が面白いんだ?って言いたいです 文学にハマって有名どころを漁ってますがこれ以上のものに出会える気がしないです 内容については伝えられません 伝えられるだけのものを僕はもちあわせていません ただ間違いなく読んだら何かは変わります 文豪はもちろん哲学者、心理学者、あらゆる偉人に影響を与えているのも納得できるはずです ちなみに村上春樹さんは「世の中は2種類の人間がいる。カラマーゾフを読んでいるか読んでいないかだ。」と言っていました おすすめです | ||||
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長い間読んだ方がいいと思いながら、なかなか踏み切れなかった作品の上巻を漸く読み終えた。中、下巻はまだなので、上巻のレビューを書くのは早すぎるかと思ったが、区切りを付ける意味で書くことにした。どうか気楽に読んでいただきたい。 まず、主要登場人物は、異常なほど生命力の旺盛な父親、そして3人の子供(年齢は、20歳、24歳、28歳くらい)であるようだ。テーマは、どうやら女性とか財産あるいは信仰を巡る、父親と二人の子(長男と2男)の争いであるらしく、その仲を取り持つのが、正直者でかつ考え深い3男アリョーシャだと思えた(アリョーシャは仲裁をせずにはいられない性格なので、すでに自ら前途の苦労を予感している)。ちなみに、父親とは、「わたしゃね、過ぎ去った青春に、私の嘗めたあらゆる屈辱に、仕返ししてやるんだ!」と言ってテーブルを拳でたたくような男である(218頁)。 次に、この作品の文学性について述べたい。とりあえず、3男アリョーシャに関する次の一文(42頁)を読んでほしい。 少年時代と青年時代の彼は、ほとんど感情を表にあらわさず、口数さえ少なかったが、それはべつに猜疑心とか内気のせいでもなければ、気むずかしい人見知りのためでもなく、むしろまるきり反対に、何か別のもの、つまり他人には関係のない、もっぱら個人的な、内心の悩みとでも言うべきもののためで、それが当人にとってはあまり重大なことなので、そのためにほかの人たちを忘れるような形になってしまうのだった。 これはまるで筆者のことでもあるような気さえしたのだが(そして筆者は、これほど鮮やかに自分を表現できずに半世紀以上を生きてきたのだが)、この作品には、このような心理描写がざらに見られる。と言うか、ほとんどがこのような深さの連続である。やはりドストエフスキーは、かねて予想していた通り、世界文学史上の巨人だなという印象だ。 最後に、(上)巻の終わりの第二部第五編 プロとコントラ における三~五について述べたい。ページ数では上巻659頁の内の96頁を占める。この箇所に来るまでは、確かに内容と言い、登場人物の関係と言い、複雑極まりないものであったが、内容自体がドラマチックであり、思いがけない展開が続くのでどうやら読み進めて来られた。ところがこの箇所ではいきなり思想的な問題が出てくる。難解そうだなと思ったのだが、落ち着いて読み返すと、なんとか意味が分かり始めた。さて、この部分の内容は、キリスト教に関する、2男イワンと3男アリョーシャの討論であるが、ほとんど一方的にイワンがしゃべる。イワンは果てに、自分の作った叙事詩『大審問官』を披露する。その内容を概略的に示そう。「舞台は十六世紀のセヴィリヤ。悪魔が、突然現れたキリストに対して、三つのことを要求する。――石ころをパンに変えよ、神殿から飛び降りよ、ひれ伏して俺を拝めば全世界をお前に与えよう。そうすれば、民衆は奇蹟に驚き、お前に従い、お前は民衆を幸せにする(パンを与える)ことができるだろう。キリストは、すべてを拒否する。それは、ただ民衆を自分の奴隷にしたくないから(民衆から、『個人の自由な決定』権を奪いたくないから)。しかし、その結果民衆の心は一つにまとまらず、調和のある世界は生まれなかった」 イワンの考えは、ある宗教社会においては、『少数の支配者』がつつましい大多数を服従させ、そうして幸福を存分に施す形態がいいのではないか、ということのようだ。このイワンの主張を読みながら、筆者は幾多の独裁者を連想した。筆者としてはイワンの主張に全く同意できない(つつましい大多数も、少数の支配者と同様、心の中は苦悩している)。ドストエフスキーもある面では時代の子であったのだろう。 | ||||
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ロシアの長編小説 貴族である3人の兄弟と破天荒な父親の物語である。本書は長男と父親がひとりの女性をめぐって心理的な争いが繰り広げられるが、著者が伝えたいメッセージは他にあると推察される。それはキリスト教信仰に覚える信者と社会への批判である。著者が生きた時代は、キリスト教指導者が絶大な力を得ており、多くの百姓は指導者に特別な力が宿っていると信じ込んでいた。 多くの市民は信ずることによって、報われることに何ら疑問を厭わず、指導者にひれ伏し、苦悩を解決する手段を乞いていた。 しかし、教会が人々を救う役割を果たしているかについては、いささか疑念であり、知恵のない者は神にすがり、信仰を深めることで生活の安定を拠り所としていた。 著者はこれらの行いについて警鐘を鳴らしたものだと思われる。本書では、親子間で起きた一部始終に焦点を当てることで、キリスト教への直接的な批判を避けている。 しかし、信仰者が真実に目を向けず、富が教会に集中することで、知恵のない者は力のある者に吸収される世の中に、著者は憂いな目を向けていたのではないか。 | ||||
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最初に原卓也訳の罪と罰を読んでからドストエフスキーが好きになったのですが、この訳はなんとなく読みにくいと感じました。 図書館で原卓也訳を読んだのですが自分はそちらの方が読みやすかったです。 おじぎの描写で [指を地につけて何とか~] とするよりも | ||||
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世界的に有名な文学作品。これを読まずに死ぬのは惜しい 今後何百年数千年も残るであろう作品 光文社のとか読んだけどこれ(原 卓也 さん訳)が個人的にはオススメ 古本で買う場合よく評価とか吟味しないと古いバージョン(文字が小さくて読みにくい)が送られてくる事があるので注意 上中下巻新品で買うと3000円超えるから安くはないけど、この作品なら定価で新品を購入する価値は大いにあると思う とにかく読んで欲しい | ||||
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