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出星前夜
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出星前夜の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.21pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全27件 21~27 2/2ページ
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郷士でキリスト教徒の農村の指導者の側に立って書かれた乱の物語である。ディテールがリアル。野呂さんの諫早菖蒲日記の読後感に通じるものがある。読後感すこぶる清明!神を信じた人を助けなくともやはり神は存在するのでしょう。クオヴァディス・ドミネ! | ||||
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今年1月29日付朝日新聞に載った著者の大沸次郎賞受賞スピーチによると、松尾芭蕉が「笈の小文」に書き記した「風羅坊」という<酔狂な情熱>の親戚筋のものが著者自身を物書きにしたという。その酔狂さと情熱の産物である本書(『出星前夜』)は、文字どおり目から鱗が落ちるほどの驚愕と興奮を読者に与えてくれる傑作小説である。単にキリシタン農民の叛乱として歴史の教科書で扱われる「島原の乱」の実相を、あの天草四郎(本書ではジェロニモ四郎)を脇役にして読む者に教えてくれるのだ。 女子供、老人を多数含む農民の集団が依拠したのは城とは名ばかりの城壁など無い城跡だったこと。戦いの素人が二か月近くも幕府(諸藩連合)軍を相手に抵抗できたのは、旧水軍系の荒武者たる帰農武士や清正公所縁の古強者が戦闘集団を率いたからだったこと。何よりも、他藩の二倍を超える年貢を課した松倉藩の圧政搾取と無策無理解に耐え兼ねた結果の蜂起だったことが、「糞侍(ぶさ)」という侮蔑語の繰り返しにより、ひしひしと伝わってくる。困窮疲弊し追い詰められた農民たちには、先祖代々の隠れキリシタン信仰による来世での安寧至福にすがるしか無かったことが判る。死を恐れない蜂起軍の組織立った抵抗に遭い、腰砕けで脆くも敗れ去ったのは日頃威張り散らしていた藩の糞侍達の方だった。戦闘のプロ集団の筈の藩軍、幕府軍をきりきり舞いさせる蜂起軍の活躍には思わず拍手喝采したくなる。騒乱のきっかけとなった若衆蜂起を指導した異相の若者(寿安)が本書の主人公である。寿安は暴徒と化した一部農民が城下町に火を放つのを目にし、理性も統制も失った烏合の衆たる姿に絶望して戦列を離れる。旧知の医師を呼びに訪れた長崎で帰郷の道を閉ざされた寿安は、その地で医師の助手となり西洋医術を学ぶことになる。「戦いで殺した侍の数だけ病気の子供たちをこの長崎で救え!」との医師の教えに諭されて弟子入りを果たす。 本書もまた各章が陰暦の日付で描かれるので、読む者は自然と飯嶋和一ワールドにいざなわれる。読者自身が歴史の証言者のように巻き込まれてしまうのだ。『神無き月十番目の夜』で一所忘村の戦慄の謎に遭遇し、『雷電本紀』では八の字眉の仁王様にこの世の修羅と仏を観る。また、『始祖鳥記』の夢に取り憑かれた者が帯びる情熱の息吹きに当てられ、『黄金旅風』では市井の民人の凄絶な生き様と度胸と男気に圧倒される。本書では、人を生かす道=医術を志すことで生まれ変わった一人の若者を目撃することになる。寝食を忘れた診療と救済の手伝いによって本当に救われたのは寿安自身だったのだ。夜空に光明を灯す地上の星となった寿安が、貧乏医者を貫いた七十余年の生涯のうち一体幾人の病に苦しむ子供たちを救い続けたのだろう…。 | ||||
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今までに書かれた飯嶋和一氏の歴史小説には2種類あるようです。共通するのはどうしようもないほど鬱屈した時代背景ですが、ひとつはそんな中でも勇気と知恵をもって自分の信じる道を切り開いてゆく個人を描いたもの。「雷電本紀」、「始祖鳥記」、「黄金旅風」が代表作です。時代を変えるには至りませんが(それは不可能です)、登場人物は男らしく、魅力的であり、読後感は爽やかであり、感涙にむせびます。もうひとつは、そんな時代あるいは事件が主人公であり、その中で個人・集団は徹底的に翻弄され叩きのめされます。代表作は「神無き月十番目の夜」です。淡々と情け容赦もなく人が殺され死屍累々の描写に圧倒され読後感は重苦しいものとなります。本書は系統としては後者に属するものです。「黄金旅風」の続編とされているので、前者の系統でまたまた末次平左衛門の活躍が見られるのかと期待すると裏切られます。しかし傑作には違いありません。お終いに、重苦しい読後感も、最後の3頁のジュアンのその後の逸話で救われたと記しておきます。 | ||||
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「神無き月十番目の夜」で「絶望」を描き、「黄金旅風」で「希望」を著した飯嶋氏の続編は「誕生」でした。夢やロマンといったエキゾチズムを一切排し、善も悪も、エゴも無知も裸にして並べた上で、圧倒的ともいえる登場人物(氏名の羅列)の量による実在性と(いつもながらに見事な)精緻な描写による実証性で求めるものは、時系列的にも異種となる「始祖鳥記」と共に、小説を通じて日本人的な中庸を刺激する作業なのだと感じます。重複、反復の多さに、いささか書き急いだ感も否めないものの、個人的には実験小説ではないかと思っていますので、活殺自在の精神を主人公に与えてくれたことに、長崎の一子孫としてただゞ感謝しています。(次はもっと分かり易く聖徳太子あたりがいい) | ||||
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黄金旋風を読んでからよろしく。教科書で天草四郎がキリシタンで島原の乱を起こした。なんて一行でおわらさられる事象の中の本当の物語。何の問題も無く一致団結して武装蜂起したわけでもなく、あらゆる因果の末の結果。その一つ一つが人の命の必至の道筋。江戸の日本の島原に神は見えたか? | ||||
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感動的なふたつの場面がある。 ひとつ目は第1部のはじめ、外崎恵舟の夢に宣教師マグダレナが現れ、啓示を与える場面。もうひとつは第2部、島原の乱終結後、復讐を決意する寿安に、町の人々が救いを求める場面。いずれも登場人物のその後の生き方を決定する出来事として描かれているが、決してキリスト教の奇跡を讃えたものではない。 むしろ作者は、島原の乱が、無知蒙昧な民衆の信仰の極みとして起こったのではなく、身分制度にあぐらをかく理不尽な為政者に対する民衆のやむにやまれぬ反乱であり、ひいては幕藩体制そのものへの批判として勃発した内戦としてとらえている。 したがって、作者の目線はこれまでの作品同様市井におけるヒーローにあり、権力者たちはちっとも英雄にふさわしくないところが痛快であり、現代社会にも通じる反骨精神がたまらないのである。 | ||||
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この著者の作品は本書を初めて読む、という人はいないと思いますが、とりあえず前著『黄金旅風』を読んですぐとりかかることをおすすめします。『黄金〜』の主人公が登場しますし、いくつかのエピソードが『出星〜』では大きく取り上げられているからです。さて本書。著者のこれまでの著書では『神無き月〜』にいちばん近しい、と思いました(ちなみに両著とも亡きご友人にささげられています)。雷電(『雷電本紀』)、幸吉、源太郎、伊兵衛(『始祖鳥記』)、平蔵、才介(『黄金旅風』)といった、非常に魅力的人物の生き様によって、生きていく力をもらえるのが、この著者の作品の特徴だと思います。「小説」と呼ばれるものがあまたあるなかで、この著者の作品を再読、再々読してしまうのは、その「力」を借りるためなのです。そういう意味では、今回は「人」ではなく「島原の乱」という事象が主人公なので、いささか物足りなさを感じました。寿安、監物らにもっとスポットを当ててほしかった。それから、後半、本丸や二の丸の位置関係がわからなくなって迷子になってしまい、かみしめた奥歯で顎の線が浮き立ってしまいました。ですから、あるいは図を描きながら読むといいかもしれませんよ。それでも、読んでいると「今そこにいる」ような気になるのは、群を抜く描写力のせいですか。ああ、次回作まで今度は何年待たされるのか……。いつままででも待ちますが!! | ||||
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