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出星前夜
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出星前夜の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.21pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全27件 1~20 1/2ページ
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天草、島原観光に行く前にと読んでみました。乱の始まりから終わりまで流れがよくわかりました。ただ天草四郎の登場シーンは少なく、印象にのこることもありませんでした。島原観光に原城跡はマストなスポットですが、何も残ってないので残念に思っていたら、なんと、島原の乱の前から既に何もなく、一揆勢は木で小屋を作って立てこもっていただけと知り驚きました。少々話がくどく、その分ページ数が多いなぁと感じたので★4にしましたが、読みやすく、島原の乱に関心のある方にはお勧めします。 | ||||
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読み応えがありました。 | ||||
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オーソドックスな時代小説である。540ページの大作ながら、文体に著者独自のリズムがあり、それに乗せられていくとスルスルと読み進むことができる。以前に学校の教師を生業とされていたらしいが、確かに歴史に詳しく優しそうな教師(著者)が生徒(読者)に滾々とストーリーを話してくれているような気分になった。前後関係を懇切丁寧に説明する文を適宜挟みながら進行させていくので、ページを後戻りして読み直す必要もあまりなかった。もちろん、史実を元に脚本しているのだから臨場感を読者に伝えるためには、多くの資料の読み込みと、現代にも通じる人間社会のもろさ、身勝手を体験したうえでの想像力を存分に至らせたことだろう。島原の乱という、殺戮がともなう題材に主人公の中に、人を救う医者を二人登場させたことで、数千という百姓の死と、幼子のひとつの小さな生との対峙を描き出すことで、作品に大きな膨らみと、エンディングへのエンターテインメントとしての読後感に持ち込んでいる。すばらしい作品。 | ||||
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大作ですね。歴史の表舞台に立つ、侍大将や芸術家や政治家が主人公ではなく、さらに主要な町での話ではなく、敗者の物語でもあるため、蹂躙された名もなき者たちの背景を書き込むための努力はいかほどだったかと偲ばれます。宗教やキリスト教の素地があると分かりやすく、さらに、城好きな方や戦好きな方も細かい書き込みがあるので、物語の背景として楽しめると思いますが、この物語の主人公は、二人の医師(外崎計恵舟と寿安)と鬼塚監物(歴史上の人物、天草四郎と共に首を晒される)。その三者三様の生き様ー迷いを含めてーその書き込みが、いずれも読み応えありました。残念なのは、末次平左衛門がほんの脇役だったことでしょうか。 飯嶋氏は、世間に阿る作品をお書きにならない。それ故、こういう骨のある男たちを書くと存在感と臨場感を持たせることが出来るのでしょう。自分の器が小さいと書けない男たちばかりを扱われています。次作も楽しみです。 | ||||
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なぜかこの小説が本棚にありました。上製四六判540ページ。島原の乱外史のような内容。大佛次郎賞受賞。力作。 「死こそが実は永遠の本源であり、生は一瞬のまばゆい流れ星のようなものに思われた」537ページ。ほんと、最近よく同じようなことを思いますねえ。それと、時代の流れに抗えない個人というものについても思い知らされました。残念ですが。 裏づけの細かな記述、地理的説明など、ちょっと凝りすぎかなとも思いましたが、飯嶋先生としては、こういうところは省けないのでしょうね。地理や歴史に詳しい方にはたまらないと思います。プロの作品でございます。 | ||||
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島原の乱ほどの陰鬱な戦いはないように思う。 最終局面、海岸の断崖上にあった廃城跡に集結した3万前後の農民を中心とした蜂起軍を、諸藩の兵からなる幕府軍十数万人が幾重にも包囲し、最後はほぼ全員殺しつくされた。村々から人がいなくなり無人の土地が延々と残された、と伝えられている。 本書はこの島原の乱の発端からその終焉まで描いているのだが、乱が勃発するのはストーリの半分を超えたところになる。そこまでじっくりと当時の島原の農民たちのおかれた過酷な状況が描かれる。領主松倉家の悪政の元、火山灰による痩せた土地にも関わらず、実際の石高の2倍以上もの年貢を懲取され続け農民たちが貧窮していく様子が淡々と、じっくりと描きこまれていく前半部はひたすらに重苦しい。 後半にはいるころ、耐えに耐えた農民たちがふとした事件がきっかけに蜂起する。 鎮圧にあたろうとした松倉藩軍は農民たち(少なくない数は元有馬藩などの侍出身層だった)に逆襲され、逆に島原城下まで乱入されていく・・。 実際には記録にはあまり残っていないという、原城での攻防戦がじっくりと描かれている点も本書の魅力だろう。 文書は派手なところはなく、前半の陰惨な圧政と疲弊する農民たちの生活を淡々とある種残酷なまでに詳述していくのだが、このスタイルが後半の戦闘シーンで見事に結実する。 ラストの原城はじめ、蜂起軍が攻撃した複数の城郭に対する攻城戦をここまで詳細に描いた歴史小説も珍しいかもしれない。 実はこの小説、主人公の選択にひとつの仕掛けが施される。 蜂起した農民だけの視点であればそのストーリーは原城の落城と皆殺しという結末で終わってしまうところを、長いエピローグにつながる仕掛けになり、本書の感動要素となっている。 | ||||
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第一部から第二部へ移った瞬間、鬼塚堅物の心情が一気に蜂起へ移っているので、第一部のジワジワ迫る展開を引きずると、そのまま置いてゆかれてしまうところに戸惑った。 陳継光の台詞も、良い台詞なのにぎこちなく、どこかで拾ってきたような感じがする… こんな言葉を言える人が、今の世の中には何より必要だというのに。 小説としては欠点もあるのにグイグイ引き込まれてゆくのは、「浮かび上がった事実」そのものに語らせるからか。 「神無き月十番目の夜」といい、僅かな史実に肉付けをするのは相当勇気が要ることで、下図なしの彫像を一から作るのと同じ恐怖だ。 本を手にする人に「島原の乱についてもっと知りたい!」と思わせるのに、十分すぎる説得力で彫りあげた世界。 田植えの苗を堅物が一本一本植えてゆくのは、日当たりの良さこそ生育の要と見抜いたから(従来は何本かのまとめ植え)。 陰口を叩かれながらも水温管理に溜池を作り、村人への目配りも忘れない。 その篤農家としての生活ぶりが第一部には長く描写される。だからこそ、夢見たささやかな希望を土足で踏みにじる人災に鉄槌を下さんと、彼は立ちあがった。 教会の意志に背いてまで事を成し遂げようとする心情は、痛ましくも雄々しい。 だが、「良い仕事は無言のうちに説得力を持つ」と信じた監物が裏切られてゆく、その過程を読むのも、また辛い。 寿安が別の道を見出し、成長してゆく過程も勿論素晴らしいが、その道は戦乱の虚しさから始まった。 あまり前面に出ない総大将・天草四郎には「すでに此処ではない世界を見ている」かの描写が目立ち、その意味で二人はほんの少し、似ていたのかも知れない。 改易の憂き目を見た加藤家の加藤・下川両名の壮絶にも打たれるが、小説中で一番驚いたのは、松倉家からの離反者が50名弱、蜂起軍に加わっていたこと。これには本当にびっくりした。 いつのタイミングで各自が離反したのか、それは史実に疎い私には分からなかった(単なるリストラに遭った人も交じっているかも)。 しかし、これだけの人間が見切りを付ける「ブラック大名家」がはっきり異常だということは分かる。 「仁政」が高邁過ぎるとしても、せめて普通の政治と算数の出来る人間が揃わなければ、大勢の人を死なせてしまうのだ。 今となっては「そんな人たちも居た」ということ以外知りようがないけれど、どこかにこの人たちの資料も眠っていないものか。 | ||||
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歴史に教科書にのっている,いわゆる島原の乱(島原・天草一揆) を描いたものですが,そこに至る背景に注目し,様々な視点から 描いています. . キリスト教は支配者層からは圧力の道具にされましたが, 被支配者層にとってはそれに耐える心のよりどころでした. しかしながら,皮肉にもそれが支配者層の圧政を助長させて しまいました. 本書を読んで,毎日のようにテレビで報道される,宗教の名のもとに おきている争いも,結局は同じような構図でおきているのではないかと 感じました. つい,「悪いことをしているひとがいる宗教」を「悪い宗教」ときめつけ てしまいがちですが,ほんとうはそうではないと思います. 宗教を悪いように利用するひとがいるから,そういうことが起きるんだと 思います. 本書でも,蜂起側の人間の中から宗教という名のもとに私利私欲に走り, 暴徒と化す場面が描かれています. そのシンボルのひとつが天草四郎として描かれているあたりは,教科書に 出てくる人物像とギャップがあり,非常に面白かったです. 本書は舞台となった,天草・島原の地図がのっています. 古い地名などは現在の地図ではなかなか追うのが難しいので,非常に 助かりました. | ||||
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作者の作品は初読だが、充実感溢れるその内容には圧倒された。所謂「島原の乱」に題を採ってはいるが、従来の天草四郎を主人公としたヒーロー(悲劇)譚とは全く一線を画した本格的時代小説である。敢えて主人公を挙げれば、蜂起軍の中心人物である鬼塚監物と、蜂起のキッカケを起こし、藩士の数名を殺めながら、改心して長崎で名医恵舟から医学を学び、後に自らも名医となる寿安であろうか。表題の「出星前夜」の「星」は"北斗七星"の近くに見える「星」の事であり、これが寿安のメタファーになっている事から、作者としては、寿安の精神的成長過程を主題とする意図だったと思われる。いずれにせよ、蜂起軍の奮戦振り(討伐軍のお粗末振り)を縦軸に、寿安の成長過程を横軸にして、「島原の乱」の模様が非常に精緻かつ写実的に描かれる。 上述の主題に関して言えば、寿安に関する記述量が少ない点が気になるが、「島原の乱」を題材にする以上は合戦シーンが多い点は止むを得ないだろう。そして、キリシタンである農民の一揆であると思われがちな「島原の乱」の原因が他にある事を懇切丁寧に教えてくれる。元々の原因は、藩政、ひいては幕藩体制の欠陥による、農民への苛酷な年貢要求や稚拙な藩統治施策であり、蜂起軍には改易させられた加藤(清正)一族等の子孫(勿論、キリシタンではない)も混じっていたと言う。 何時の世でも、政治を司る人間の"無能"が民衆を苦しめるという主張が全編を通底しており、これが読む者の共感を呼ぶ。民衆の中でも、子供、老人、女性といった弱い人間が一番苦しめられるのは当然の理である。蜂起のキッカケを起こした際には、自らに理があると思った寿安が、いざ戦が始まってみれば、そこには理も統率もなく、ただ死と混乱があるのみと悟る辺りが縦軸と横軸との巧みな交差である。相手を殺すより、出来る限り多くの人間の命を救いたいと願う気持ちが寿安の精神的成長に繋がる辺り上手く出来ている。現代にも通用する読み応え充分の力作だと思った。 | ||||
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圧倒的な小説世界に浸りきって、堪能した。島原天草の一揆の真実がよくわかった。圧倒的なリアルさで、一揆に立ち上がるまでの、もとは海の武人であった名主や農民たちの生活のありさまや思いが理解できた。監物や安寿が過ごした南家の村や長崎の街がなにか懐かしい。原城の発掘など近年の歴史学の成果を豊富に取り入れて、原城の攻防がリアルに描かれている。今、原城跡に行きたくてたまらない。歴史の真実と人の思いの両方がころよくブレンドされた飯島さんの小説世界は、司馬遼太郎や吉村昭の歴史小説を凌駕する絶品だと思う。 | ||||
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時間の経過を忘れてしまうほどのおもしろさだった。 それ以外の感想などあろうはずがない。 | ||||
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戦国の世が終わったと思われた時期の大乱、島原の乱 しかし日本史の教科書でもどこかよそよそしく、 巧みに隠蔽された戦争ではなかったでしょうか。 同じ九州で生まれ育ちながらも、私は何も知りませんし、 周囲の人々も無関心です。 新書版の「島原の乱」を読みましたが、幕府側の事情は少し 理解できるものの、その経緯、戦闘の実際はわかりませんでした。 きっと日本史のタブーの一つなのでしょう。 作者の「十三夜・・」では、埋もれた郷土史を掘り起こし、 凄惨、驚愕の史実を淡々と、そして清明な記述から 大いに感銘を受けたことがありました。 よく言われる有馬晴信旧臣、所謂地方の国人らの統一政権に対するレジスタンスという説明。 その国人らの生き様、生活、処世観、経済的基盤等々、さっぱり解りませんでした。 この小説を通じて決起、反乱に及んだ経緯がかなり理解できました。 実際の戦闘、一揆衆、特に鬼塚甚右衛門の冷静絶妙な戦いぶり。 難攻不落の城塞に釘づけになる諸侯、 戦国きっての老いたる猛将立花宗茂もお手上げ、 鍋島藩、有馬藩、黒田藩のズタボロの負けっぷり、 これまでなかなか知ることができませんでした。 惜しむらくは、前半の寿庵の遍歴エピソーがやや冗長、 主人公ともいえる鬼塚甚右衛門の卑屈とも言える忍従から決起に至る微妙な心境の描写、 これがこの作品のキモですが、やや早足であったという点です。 郷土史の範疇を超えた大乱を通じて、 日本人の暗部を照らし出す恐ろしい光でもある、そのような作品です。 | ||||
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圧倒的なボリュームを一気に読む時間もなく、のんびりをした気持ちで何ヶ月もかけて 読んでみました。 当初は学生の時に出会った遠藤周作『沈黙』のイメージ゙を抱いていたのですが それほど凄惨でもなく、淡々と進む内容は全体のトーンをうまく調和し、 終焉に導いていると思います。 原城の件が、これまでは救世主に強く根付いた宗教ものだと思っていましたが そうではなく、腐敗した政治と虐げられた民衆の構図が底辺にあり、 珍しくこの国で発生したクーデターなのだということを認識しました。 またその攻略に数ヶ月を要したという部分が最も興味を持って読んだ部分です。 | ||||
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圧倒的なボリュームを一気に読む時間もなく、のんびりをした気持ちで何ヶ月もかけて 読む。 当初は学生の時に出会った遠藤周作『沈黙』のイメージ゙を抱くも、さほど凄惨でなく、 淡々と進む内容は全体のトーンをうまく醸し出し、終焉に導いている。 原城の件が、これまでは救世主に強く根付いた宗教ものだと思っていたが、 腐敗した政治と虐げられた民衆の構図が底辺にあり、 珍しくこの国で発生したクーデターなのだということを認識。 またその攻略に数ヶ月を要したという部分が最も興味を持って読んだ部分。 | ||||
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飯嶋和一の小説は読んだあとで読んでよかったと思わせる小説ばかりであるが、この「出星前夜」もまた、読後感が壮絶な小説を読み切ったという満足感に満たされる。長崎を題材に取った小説では著者の「黄金旅風」があるが、「出星前夜」はその後編のようなものである。黄金旅風に出てくる末次平左衛門がこの小説にも出てくる。学生時代に日本史の授業で学んだ島原の乱がどうして起きたのか、幕府の権力者とはどういう人間なのか、民衆・キリシタンがどうして死んでいったのか、という深い部分をこの小説によって理解し得た気がする。この小説には時代の権力にさいなまれる民衆の苦しみと、権力者という化け物の化けの皮がすべて書かれている。当然、疫病に冒される弱者や年貢の苦しみに泣く百姓の姿、それを救済する宗教の力とは何か?そういった種々のテーマがこの小説には含まれている。苦しく悲しい気分で読み進めるのだが、著者の筆致はそれを越えていくように書き込まれているように思われる。暗く悲しい主題の中で、ただ一つの希望が結末で提示されて行く。それが「出星前夜」という表題の答えとなっている。権力とは何か、民衆の苦しみとは、宗教の救いとは?それらに関心のある方には必読の書と思う。 | ||||
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長編で読むだけでかなりのエネルギーがいる。これが天草四郎が指揮した島原の乱の別バージョンかとしばらく気づかなかった。登場人物も多く、だれが主人公かと思うほど。だからいろいろな角度からの読み方ができる。また印象に残る人物も異なるだろう。私が一番印象に残ったのは、蜂起した住民たちを鎮圧しようとする武士階級の知恵や判断能力のなさである。時代の変化も読み取れず、古い観念に固執する者。自分たち藩の利益だけ考えて、行動する者。たたき上げた実戦力を持つ者に、対抗する策を持たない指揮者。農民たちの反乱にオタオタする姿は、いつの世にあってもお上の禄を食む階級の気楽さを思わせる。現代の公務員の姿と重なるのが、悲しい。 | ||||
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小説の中の登場人物”寿安”。彼が全くのフィクションなのか、史実に似た人物がいるのか全く知りませんが、読み進めるごとに何度も、僕は彼が”チェ・ゲバラ”のイメージと重なりました。飢餓と圧政、流行病に二十歳をいかぬ若者が”狂った現実に生き存えるより意思を示して死を選ぶ”ことから話が展開していきます。史実では島原の乱は”南目の百姓が代官を打殺す”ところから始まったという説がありますが、何にしろ、当時の島原には、似たような現実があったんでしょう。飢餓、圧政に耐えかね、理想を掲げて反乱を起こす。そして、結局、反乱軍は暴徒と化す。今まで人類が世界中で行って来た”愚行”。たとえそれが宗教の名の下であっても・・・。 歴史小説というよりは、全く別のものを強く心に残す小説でした。この小説は2部に分かれていますが、僕は”寿安”に沿ってストーリーが流れる1部が好きです。2部は歴史小説的な戦渦のやりとりにちょっと退屈しました。 でもこのボリュームを一気呵成で読ませるのは凄いな、と思います。今の世の中、”経済”という名の金の話ばかり。 ある意味スピチュアルに読める今時珍しい本かもしれません。 | ||||
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本書の舞台になる有家では、藩の悪政のため貧困がきわまり、子供が傷病にかかってバタバタと死んでいく背景が描かれています。そんな中20年間刀を捨て、ひたすら耐えてきた元水軍の庄屋の甚右衛門(鬼塚監物)が立ち上がって、ゼス・キリストの名において立ち上がります。農民たちを侮っていた藩家老を慌てさせます。何とか江戸表に知られないよう事実を隠蔽、被害の過少申告は責任回避を図る偽装商品企業を思い起こさせます。当初蜂起の首謀者鬼塚監物は最終的には首を差し出して藩の悪政を明らかにすることでしたが、蜂起勢が島原に入った際、実行部隊がコントロールを失い、火付け、略奪を始めてしまいます。 本書では信仰について考えさせられます。当時のキリスト教の終末思想と活火山を擁する島原がリンクして蜂起を助長していきます。しかし、途中から掠奪に走る農民、神の名のもと戦国水軍衆に戻って戦う鬼塚監物、神の奇跡を信じ散っていく天草四郎、そして聖なる戦いを目指して立ち上がったものの、理想と現実のギャップに耐え切れず戦線を離脱し長崎で医療活動をすることで自分の救いを見出す矢矩鍬之助(寿安)に胸を打たれました。どんなに信仰心が強くとも自分を超えるような結果はめったに起こらない。信仰は心の支えにはなるかもしれませんが、人がその人以上になることはできないのだということを語っているように思いました。 | ||||
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あの飯嶋氏が島原の乱を書く、というのは、著者の他の作品を読んだことのある人間にとってはとても納得感のある話だった。ただ、読む前に懸念していたのは、史実としての島原の乱があまりに凄惨なため、どれだけ重苦しい読後感を植えつけられてしまうんだろう、ということだった。そんなこんなでなかなか手を付けられずにいたが、読み始めればやっぱり一気に読了。読後感も「いい意味での重さ」という感じで、読む前に思い描いていたものとはずいぶん違っていた。内容的には、島原の乱のクライマックスとも言える原城攻防戦よりも、そこに至るまでの過程の方が丹念に描かれている。そのため、結局は重苦しくならざるを得ないストーリーではあっても、多少のカタルシスを感じられるものになっている。こういった取り上げ方はもちろん、著者も計算してのことだろう。もう一つの舞台装置としての「長崎」もまた、印象的だ。絶望的な状況の原城と、それほど離れているわけでもないのにやけに静かな長崎の夜。このコントラストが強く心を打つ。やっぱり飯嶋氏の本、期待通りです。ぜひ。 | ||||
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恥ずかしながら、飯島和一の作品は初めて読んだ。そして歴史小説家としての著者の力量に圧倒された。 特に島原の乱の発端となる傷病による子どもたちの死亡の原因が、違法ともいえる悪代官のベラボーな年貢取り立てにあると見たイスパニア修道士の直弟子恵舟の慧眼が著者のものであったしたら、小児科医である読者として驚きというか畏敬を禁じ得ない。戦場の兵士が鉄砲で撃たれたり、刀で切られたりして死ぬのではなく、戦場物資不足の栄養不良で免疫力が低下し、その結果としての感染症で死ねこと、そしてそれは軍隊組織の官僚主義に起因すると見抜いた知られざる一面をもつクリミア戦争のナイチンゲールと重なる。ただ恵舟は、やはり医師であった大村益次郎やチェ・ゲバラのように、根本原因の治療とも言える革命には加わらなかった。悩みつつ中途半端ながらハーフの若者寿安がその役割を担おうとしたが、荷が大き過ぎたのか、歴史には名をとどめていない。実在のモデルがいればの話ではあるが。 決して安くはない大作だが、前半のみから得られる感動だけでも対価を払う価値は余りある。というか、正直言えば後半の戦闘の記述が長々と続くのにはやや退屈した。私的にはこれらを削り3分の2くらいの分量で切り上げた方が感慨深い作品となったように思う。それでも五つ星にしたのは前半が圧巻だからである。 飯島和一の作品を読んだことのない人にはこんな作家がいるんだとおこがましい限りだがお教えしたい。きっとこの小説からすばらしい映画が生まれると思うが、感動が薄れ、場合によっては失望につながるので、映画ができる前に読むことを是非お勧めする。小児科医の左門 新 三つ星レストランには、なぜ女性シェフがいないのか 女はなぜ素肌にセーターを着れるのか | ||||
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