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マークスの山
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【この小説が収録されている参考書籍】
マークスの山の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.77pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全59件 1~20 1/3ページ
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とにかく無駄な心理描写全てが気取っていて、登場人物が多い割に個性があまり見えず魅力的な人物が皆無 著者だけが自分の書いた文に酔ってるような感じだけは伝わる 最後まで読んでもつまらなかった | ||||
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刑事系の物語は、人がコロコロと死ぬと漫画のような安さを感じる。安さを感じてもコンセプトがわかっていれば楽しめるが、権力に立ち向かうのか、ヒューマンドラマにしたいのか、隠蔽ものなのか等、全て中途半端であまり楽しめなかった。 | ||||
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確かにこの人でないと表現できないような文章なんだろうけど、半分くらいでまとめてほしい。 | ||||
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精神疾患を患っている人が犯行に及ぶ。精神分裂病は、その名が与える誤解を避けるため2003年に統合失調症と改名された病気である。昭和初期までは治りにくい病だったが、少なくとも1970年代以降は薬で治療が可能な病である。この本のように一家心中するような深刻な病ではない。犯人は計画的に冷静に何度も犯行を実行しているが、この病の患者ではあり得ない事である。また、劣性遺伝という言葉を「劣った性質の遺伝」という意味で使用しているが完全な誤用である。劣性遺伝という言葉は生物学の用語であり、全く別の意味である。精神疾患をテーマにするなら精神科医に徹底的に取材し、このような症状、犯行はあり得るか、作中に記す予定の内容を具体的にあげて確認すべきである。この病は100人に1人の割合で発症する。珍しい病気ではないし、恐ろしい病気でもない。この本を読んだ人が誤った知識、偏見を持ちそう。多数の人が読む出版物なのだから、精神疾患を扱うなら細心の注意をするべき。精神疾患を持つ人を犯人と設定すること自体が驚き。もしどうしてもそうしたいなら病名を明記するべきでない。この作者の「リヴィエラを撃て」が素晴らしかっただけに今回は本当にがっかりした。警察内部の描写も険悪な部分をことさらに強調することによって緊迫感を表現しようとしているようで不快。登場人物にあだ名を付けているのも不要に感じる。 | ||||
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長い | ||||
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無駄が多く、上巻は読むのが苦痛だった。下巻の半分くらいから、興味が湧いてきた。 しかし、犯人の真の動機がはっきりせず、文体も、無理して男性的ハードボイルド調にしている感が否めない。 この程度の作品が、直木賞受賞したのは、どう考えても納得出来ない。 ミステリーとしても中途半端。 | ||||
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ハードカバーの単行本で購入し、本がボロボロになるまで読み倒した、名作です。事件の始まりのモノローグ、醜悪極まりない警察という男たちの世界、時折みえる、愛憎、別れた妻の兄との関係、そして、年増の看護婦と精神を病んだ青年との純愛。ただ、何も持ってないマチ子にあげたかった。本の単純なことが大きい事件に発展してしまった。 犯人に感情移入などしないがこの小説に限り、この純愛、マチ子への青年の思慕は心を揺さぶる悲しみに満ちていた。 単行本で上下買い直し読んだが、冒頭のモノローグが僕と一人称から始まっており、勢いがいきなり削がれ、刑事と別れた妻の兄との関係が加筆され、最初読んだ荒削りだが、臓腑を鷲掴みにされる勢いが失われていた。 男の世界にロマン見過ぎ。 初版本は間違いなく⭐️5です。 | ||||
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上巻は雑人事件が多発して、これがどう解決に向かうのかワクワクしたのだが、 下巻はテンポ悪くグダグタで読みづらいし、結末も納得がいかず、はっきりいって時間の無駄だった。 | ||||
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話を膨らませすぎて全てがまとまってないよーな???終盤に水沢側からの事件の真相を、見たかった!きっとこうなるんだろうな…まさかまさか??やっぱりな感じが否めない!文学がスゴイ分、勿体無い気がしてならない。 | ||||
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何とか上巻を読み終えたが、読書がこんなに辛いもんだと初めて知った。とにかく個人的に文体が私には全く合わない。 ほとんどページ半分くらいだらだらと無意味な説明、描写が続き、句読点が無意味なところで打たれている。 かと思えば長い文章の途中で前半と後半で主語が入れ替わっていたりして、何度か読み返さないと、あるいは何度も読み返しても意味がわからない。 私の頭が悪い所為とは思いますが、これほど支離滅裂な文体の小説にはついて行けません。著者は上辺の文体の重厚さはただの悪文に しかならないことを理解していない。小説の文体はあくまで散文です。詩を目指しては読者には(というか私には)苦痛でしかありません。 多分下巻は読まないと思いますが、この小説を読んで奥田英朗や東野圭吾、重松清や横山秀夫が如何に文章がうまいか よくわかりました。 | ||||
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普通に書けば上下巻にはならないのでは?と思えるほどなお話です。下巻の途中で遂に挫折しました。「黄金を抱いて翔べ」も読みましたが、とにかく暗い!通勤途中や休日に読むには不適格な作家だと思いました。古本屋で100円だったので諦めもつきます。 | ||||
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これが直木賞・・・これがベストセラー・・・どうなる日本語。 知人に薦められ、今頃になって、初めて高村薫さんの作品を読みました(市内の図書館にあった単行本・75版です)。まず、内容云々以前に、日本語としての間違い・不適切があまりに多すぎて仰天しました。11ページで「もうやだ」と思ったのですが、感想を求められていたので我慢して最後まで読みました。読み終わって、「一体高村さんと言う方は日本で生まれ育った生粋の日本人なのだろうか?ありえない状況も多い。熱意に常識や教養が追いついていない独学の人なのだろうか?偏執狂的に細かい描写を延々と畳み掛けてくるかと思えば突然ろくな説明もなくスルーしてしまう穴のような箇所がある。このアンバランスさはもしや正気の人ですらないのでは・・・」とつい思ってしまったくらい、ある意味「物凄い」文章でした。これをマスコミはひたすら絶賛。政治家の言葉遣いには過敏に反応するのに、この「小説」の日本語の誤りにはしっかり口を閉ざしているのは何故なのでしょう。 熟語や術語を最大限に駆使した、堅苦しく仰々しい文章は、言葉の間違いが多すぎるために、私は滑稽な印象をうけました。作者の記憶違いなのかブンガク的野心のせいなのか、慣用表現は微妙に形を変えて意味が通らなくなってしまっているものが散見され、繋がらない形容が無理に繋げられ、(狂人でないはずの)登場人物たちの会話や思いいれたっぷりの独白も、言葉のつながりが所々でちぐはぐなため、発言者の真意や思考の流れをはかりかねるものが多く、読んでいて釈然としません。また、10歳の少年が一酸化炭素を吸った直後に、真夜中から未明にかけて4時間以上も吹雪の山道を薄着で歩きとおしたり、そんな奇跡を成し遂げた後で「一酸化炭素中毒による昏睡」におちいったり、「稜線にガスがかかって」いるのに「前夜からの強風が続いて」いたり、逆光で真っ黒に見える人の額が光を受けて雪渓のように白く輝いたりといった、超常現象まがいの状況が描かれたりもしています。理科がよほど苦手な人なんでしょうか。というより、普通に生活していて身の回りの事故や自然現象などを正確に観察する力があればこういう書き方にはならないと思うのですが。緊急出動中の救急車が寄り道して心中死体を発見したりもします。こうした違和感は最初から最後までとどまるところを知りません。これを上梓した早川書房はこの本に「徹底した取材による細部の真実性」と解説をつけていますが、私はこの「小説」のどこにも真実性を感じることはできませんでした。(水溶きセメントを飲み込んだ青年に「解毒剤」をかけないでください。)もし高村さんが「徹底取材しました」とおっしゃるなら、私が思うのは、高村さんと言う人は勘違いの多い人なのだろう、ということです。「本格警察小説」と銘打たれてはありますが、私は間違っても、ここに書かれていることを読んで安直に「警察ってこうなんだ・・・」とは思わないようにしよう、それだけじゃなく、この作者の言っていることはなにひとつ鵜呑みにしないようにしよう、と心に誓いました。作者は「(私らは)一枚嘘のカードが出てくると、残りも全部嘘だと考えます」と合田刑事に言わせていますが、私も常日頃そう考えています。 言葉の不適切さや状況のありえなさはひとまず全部棚上げにして、物語の流れだけを根気良く追ってみても、人の心情としても論理の筋道としても、流れが不自然ではないかという違和感が常に付きまといます。そもそも出だしの一家心中からしておかしい。子供を道連れにしようとしている親ですよ?子供が生き残ったらかわいそうとだ思うから道連れにするんでしょう?なのに、子供に睡眠薬も飲ませずに排ガスをひきこみますか?それを「どういう経緯であったのか」とさらりとごまかしてしまう作者。無駄に残虐な部分も気になる(何故岩田の子供は「胴体を真っ二つ」にされなければならないんですか?「急病であっけなく死んだ」だけだって親にしてみたら十分狂気に追い込まれる悲劇ですよ)。たぶん作者が一番「ノリノリで」書いていると思われる捜査員たちのあれこれも、警察や検察の不快な人々による不手際や手抜きの言い訳や責任転嫁、情報の隠蔽や功名争いや保身の泥仕合がこれでもかこれでもかと続き、一体お前たちは何のために仕事をしているんだ、と叫びたくなってしまう。唯一、合田が掲載予定記事の矛盾を指摘して記者からニュースソースを脅し取るくだりがかすかに「建設的な手ごたえ」のある痛快な箇所ですが、他はすべて後手後手で不発。まるでこちらの忍耐力の限界が試されているかのようでした。愛着どころか取り立てて好感の持てる人物さえ出てこず、読んでいる時は「どいつもこいつも」という呪詛しか浮かばず、イライラを極限まで募らせながら延々つき合ったあげく、クライマックスで「猟奇的恐喝殺人」の元ネタになった手紙を読んだ時には、内容のあまりのくだらなさ情けなさに、思わずばったりと倒れそうになりました。そして、誰一人として、何も報われることなく、救われもせずに終わるのです。それまで、事件の裏についてほとんど全てを察していながら友人の合田刑事に情報を小出しにちらつかせるだけだった加納検事が、合田に犯人の死を知らされて絶望の吐息をついた、という最後の偽善的言い草には殺意すら覚え、「ふざけるな!」と本をたたきつけたい気分になって、ああ、旧約聖書の神がソドムとゴモラを滅ぼしてしまった気持ちはこんなものであったのかもしれない、と思い、心が鎮まりました。そして、「所詮これは一人の人間の頭が紡ぎ出した妄想ではないか。そんなものに最後まで付き合って感情を乱される自分は、本当に愚かな暇人であることだなあ・・・」とつくづく思いました。また、はっきりと再確認したのは、私は読書に「現実の人生に向っていくための知恵と力(癒しと救いと愛)」を求めているのだ、ということです。虚構の世界でわざわざ「仮想苦労」しなくても、対処すべき問題は現実のフィールドにいくらでもあります。私は余興としての不幸や苦悩を求めるほど平和で退屈な日常を送っているわけではない。むしろ、そうした「仮想苦労」によって「アリバイ作り」をすることだけはやめよう、恵まれた環境から一歩も出る気がないくせにひと時虚構の中の苦悩にひたることで「なにもしない自分」の罪悪感をごまかしたりすることだけは慎まなくては、と思いました。 とはいえ、私が問題にしたいのは、「この本は私にとっては到底いただけなかった」という事実ではありません。私は、この「小説」が誰でも知っている出版社から上梓され、誰でも知っている文芸賞をうけ、ベストセラーとなって人々の絶賛を博し、今もなお高い評価を得ているという事実が心底恐ろしいのです。その上、これを薦めてくれた知人によれば、様々な報道メディアが高村さんに「有識者」としての意見を求めているとか(私は震災以降テレビを見ていないので知らないのですが)。この国は大丈夫なんでしょうか。 いえ、誰だって小説には好きなことを書いていいと思いますよ。自分の気の済むように何をどう書いてもいいんです。うまく書けた、と思えたときは見知らぬ人の反応が知りたくなるのは人情ですから、それを懸賞に応募したりもするでしょう。そこまではいいんです。でも、それが日本語として劣悪なものなら、良心と良識をそなえた出版社は、それを採用・上梓してはならないと思います。まして文学賞・文芸賞を与えるなど言語道断です。なぜなら、それによって、間違った言葉に「こういう使い方もあり」という市民権を与えてしまい、誤用を蔓延させてしまうからです。こういう事を言うと、今現在流通している日本語の中には、誤用が普及して定着してしまったものが少なからずあるとか、そもそも万葉時代の言葉と今の言葉は全く違うじゃないか、言葉は生きて流動しているものなのだから「正しい」という事にこだわるのがナンセンスなんだとか言う人が必ずいます。でも、基本的に、言葉の変化というものは、状況や心情をより正確に相手に伝えるための「新しい表現」を獲得することでもたらされてきたのであって、決して「誤用の蔓延」の連続だけが今の言葉を生み出したわけではないと思うのです。新しい表現を獲得しようとすることと、旧来大切にされて生き残ってきた言葉を誤用によって捻じ曲げることは、根本的に違います。出版の使命には、常に「美しい標準」を示すことによって、無言の規範として、誤用の蔓延に歯止めをかけ、私たちの文化を守り発展させることも含まれるのではないのですか?でも、本屋に行ってみれば、間違った言葉でつづられた本はまったくめずらしくありませんよね。「売れればそれが正義」という臭いでいっぱいです。これでは就学中の青少年がまともな日本語を使えなくなるのは当たり前です。いつの時代も「最近の若者」が日本語を崩壊させている張本人のように言われてしまいますが、私は、出版社の方がずっと罪が重いと思いますし、そう思い始めて久しいです。また、青少年に限らず、「正しい日本語を身につけていない大人」だって本は読みます。(実際、まともな日本語が使えない大人は老人も含めて少なくありません。)そういう、正誤の判断ができない(確立していない)人たちほど、「大きな出版社が出している本だから」「賞をとった本だから」「売れているから(みんながいいと言っているから)」良い本なのだ、と思い込んでしまう。誤ったものをあたかも正しいものであるかのように誤解してしまう。そして、その「ご立派な本」の中で行われている間違った言葉の使い方が、「ゲイジュツ的表現」として大手を振ってまかり通るようになってしまう。それが「売れる本」であればあるほど、日本語の崩壊速度にはさらに拍車がかかってしまうでしょう。間違いだらけの日本語でつづられた本になるために、一体どれほどの木々が死んでいるかと思うと、気が遠くなります。書きたい人には好きにさせればいい。でも、それを世に出すべきかどうかの判断には、大きな責任があると思います。書いたご本人に間違いの自覚がないのは当然として、一体、出版社をはじめとするマスコミの人々や、彼女を直木賞に推した人々は、この文章に含まれる、無数とも思える間違いや不適切表現、描かれる状況の物理的ありえなさや不整合の数々に、本当に気づかないのでしょうか?(だとしたら、義務教育なんてお笑い種ですね・・・)漢字だらけのいかつい文章なら「知的」だとでも?みじめで不幸な人間を、耐えられないほど暗く重く描けば「文学的」だとでも?ど素人じゃあるまいし、しっかりしてください。 | ||||
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推理小説ではなく、広義のミステリー、サスペンスといった感じ。 心理描写は一人一人を深く掘り下げていく。 ただ、どうしても陰湿になりがちになってしまうのは、作者の世界観がそうだからなのか。 イメージ的に言うと、僕の好きな小説はアメリカタイプ。著者が描く小説はフランスタイプ。 合田シリーズ全編に言えることだが、ジメジメしすぎている。と僕は感じてしまう。 知人にいる警官や警察官僚とかけ離れているからだろうか。 しかし、エンターテインメントとしてみると、爽快感が足りない。 そう考えると、著者に「合田対犯人」1対1で描かれた小説を書いていただきたい。 果てしなく深い闇を抱えた小説を。 | ||||
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ぬらぬらとしたマグマのような文章で、画面上の塵ばかり描いているような感じがします。 終わり方も何とも素っ気なく、人物描写も字面ばかりで書き分けのできない漫画家のようです。 著者が楽しみながら描いてたんだろうなぁという感じはしましたが、読み終わった後に感じるのはそれだけで、時間を無駄にした気分だけが残りました。 | ||||
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私の読解能力が低いせいか、私の中で謎は解明されませんでした。水沢は何で精神を病んでしまったのかまずわからない。 マークスが水沢の中に存在し始めたのはなぜか?マークスの望みは何だったのか?わかりませんでした。 そもそも、水沢は一家心中するときに一人だけ生き延びる中で、その死体遺棄シーンを見てしまったがため、変になってしまったのだろうか。精神を病んでいる割には用意周到な犯罪ができたということは実は、精神は病んでいなかったとか。 おそらく私の読解能力の低さのため、謎が解けず、しかも時間ばかりかかり、すっきりしない後味でした。 | ||||
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犯人を追いつめる過程を、長〜〜〜〜〜〜く書いた割には、 あっさり謎解明、みたいな。。。 しかも、途中からマークスの部分が全く出てこなくなったし、 事件は解決したけど、謎は謎のままみたいな。。。 なんか途中面白かっただけに、すごく消化不良です。 しかも、林原=りんばら、って読めませんけど・・・ 警察主体の話なら、中途半端に水沢部分を入れてきて欲しくなかった。 | ||||
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「太陽を曳く馬」に興味をもって、今まで高村薫は全く読んだことがなかったので手始めに読んでみました。 そもそも私が純文学が好きだからかもしれませんが、警察内部の陰謀や保身話が多すぎて辟易しました。 また、3つのストーリーが絡み合い最後に合流しますが、あまりにも無理な偶然の連発も腑に落ちない。 最後の事件の真相を、公開するのもやっつけな気がします。 作者のイメージからもっと重厚で、緻密なものを期待していたので、ちょっと期待はずれでした。 胸を締め付ける、切ない描写はうまいですね。 女性らしいと思います。 | ||||
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推理小説だと思って読んだので期待はずれでした。大胆なトリックもなければ、あっと驚く結末もありません。終盤は「そんな偶然ありか?」と呆れました。唯一犯人の壮絶な死に様だけがいい感じですが、長くて読むのに根気がいるのに頑張って読んで損をした気分です。 | ||||
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先に「つまらない」というレビューを書いた人も言っていますが、警察内部の登場人物をいちいち逐一あだ名つけてまでピックアップしすぎ。欄丸=お欄は肌が弱いから人がつけている整髪料でも肌が荒れている…みたいな描写をいちいちいちいち出てくる警察人物ほとんどにやるもんだから読んでるこちらは退屈するし、個々の人物の印象が薄い。警察メイン人物の合田ですら薄い。んなこたどーでもいーから、早よ事件の展開を見せてくれ!と思います。逆に、そんな警察関係人物描写がやたら多いから飛ばし読みでも、ある程度話についていける有り様。飛ばし読みも含めて「頑張って」上巻は読みましたが時間の無駄でした。なぜなら苦痛だから。ただ当時、ベストセラーで大げさに騒がれていたから我慢しましたがもうムリ。どちらが先か知らないが踊る大捜査線ごっこがしたいなら小説じゃキツいだろ。 | ||||
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先に「つまらない」というレビューを書いた人も言っていますが、警察内部の登場人物をいちいち逐一あだ名つけてまでピックアップしすぎ。欄丸=お欄は肌が弱いから人がつけている整髪料でも肌が荒れている…みたいな描写をいちいちいちいち出てくる警察人物ほとんどにやるもんだから読んでるこちらは退屈するし、個々の人物の印象が薄い。警察メイン人物の合田ですら薄い。んなこたどーでもいーから、早よ事件の展開を見せてくれ!と思います。逆に、そんな警察関係人物描写がやたら多いから飛ばし読みでも、ある程度話についていける有り様。飛ばし読みも含めて「頑張って」上巻は読みましたが時間の無駄でした。なぜなら苦痛だから。ただ当時、ベストセラーで大げさに騒がれていたから我慢しましたがもうムリ。どちらが先か知らないが踊る大捜査線ごっこがしたいなら小説じゃキツいだろ。 | ||||
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