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照柿
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照柿の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.99pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全83件 61~80 4/5ページ
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おそらく万人が楽しめる小説ではないと思います。 描写も、ストーリーも、背景も、何もかもがドロリと濃密で、 文章から目が離せなくなるような引力があるわけではなく、どちらかといえば冗長な展開で 読み途中でも置いておけるのですが、 時間をおいて続きを読み出したときに、登場人物や背景や色や音や触感のようなものをすぐに思い出せるほど深い余韻が記憶にこびりつきます。 どこか達観した結末は腑に落ちるものの、登場人物には理解が及びきらず 読後感もあまりいいとはいえません。 そこも含めて濃厚な読み応えがあるとは思います。 あとがきでドストエフスキーに喩えられていましたので、サスペンスよりは人間の精神の彼岸に興味のある方(?)によりお勧めの作品だと思います。 工場の描写は下知識がなくとも想像するに足る描写がされていますので問題ないですが、 美術の知識が多少あった方がとっつきやすくなると思います。 ハードカバーの書評を読んで文庫化を待ちわびていたのですが 大幅加筆をする作家さんだったんですね・・・今度ハードカバーを別途読み直します。 文庫ではだいぶ描写を削いでいるらしいので、理解の及びきらなかった箇所が多少明らかになることを期待して。 | ||||
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高村薫の作品の中でこの作品が最も好きです。警察小説・犯罪小説としても読めるのでしょうが、人間誰しもが持つ心の闇や情念、狂気が織り成す極めて濃厚な青春小説ではないかと思います。この作品で主人公・合田雄一郎のもつ理性・欲望・情熱・狂気・論理が切ないトーンを伴って狂おしく迫ってきます。それは『マークスの山』にはなかった、真の合田雄一郎像です。それもこれももう一方の主人公である野田達夫の描写が極めて秀逸であるがために引き出されたものかもしれません。そしてもう一人、佐野美保子。どこにも救いがなく、暗く、しかし狂気を孕んだエネルギーはタイトルの照柿のカラートーンとなって完結します。全く素晴らしい作品です。 | ||||
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高村薫の作品の中でこの作品が最も好きです。警察小説・犯罪小説としても読めるのでしょうが、人間誰しもが持つ心の闇や情念、狂気が織り成す極めて濃厚な青春小説ではないかと思います。この作品で主人公・合田雄一郎のもつ理性・欲望・情熱・狂気・論理が切ないトーンを伴って狂おしく迫ってきます。それは『マークスの山』にはなかった、真の合田雄一郎像です。それもこれももう一方の主人公である野田達夫の描写が極めて秀逸であるがために引き出されたものかもしれません。そしてもう一人、佐野美保子。どこにも救いがなく、暗く、しかし狂気を孕んだエネルギーはタイトルの照柿のカラートーンとなって完結します。全く素晴らしい作品です。 | ||||
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高村薫の単行本 照柿は1994年に出版された。その際の衝撃は 単行本のレビューに書いたものである。12年を経て 全面改稿されて文庫で本書が出た。 高村は 単行本を文庫化するに際し 書き直すという作業をほぼ毎回行っている。「神の火」「リビエラを撃て」「マークスの山」等。小生は かような作家は 寡聞にして他に知らない。あえて言うなら 村上春樹は 短編を長編に書き直すという作業を行っている。但し 高村のように 同じ作品をリライトするわけではない。今回の「照柿」にしても 8ヶ月もの時間を掛けて 書き直したという。 「発表された以上 その本は作者の手を離れる」という意見もあるが 高村の遣り方はその対極にあるわけだ。 レオナルドダビンチは モナリザを完成させるのには相当年月をかけたらしい。旅先にも常に携帯し 常に手を入れたという話は有名である。高村の姿勢は どこか このエピソードに似ている気がする。そこには「作品に対する誠意」とかいう綺麗事では済まされない 一種の「怨念」のようなものも感じないこともないではないか。 凄い作家だと思う。 | ||||
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高村薫の単行本 照柿は1994年に出版された。その際の衝撃は 単行本のレビューに書いたものである。12年を経て 全面改稿されて文庫で本書が出た。 高村は 単行本を文庫化するに際し 書き直すという作業をほぼ毎回行っている。「神の火」「リビエラを撃て」「マークスの山」等。小生は かような作家は 寡聞にして他に知らない。あえて言うなら 村上春樹は 短編を長編に書き直すという作業を行っている。但し 高村のように 同じ作品をリライトするわけではない。今回の「照柿」にしても 8ヶ月もの時間を掛けて 書き直したという。 「発表された以上 その本は作者の手を離れる」という意見もあるが 高村の遣り方はその対極にあるわけだ。 レオナルドダビンチは モナリザを完成させるのには相当年月をかけたらしい。旅先にも常に携帯し 常に手を入れたという話は有名である。高村の姿勢は どこか このエピソードに似ている気がする。そこには「作品に対する誠意」とかいう綺麗事では済まされない 一種の「怨念」のようなものも感じないこともないではないか。 凄い作家だと思う。 | ||||
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上下2巻。単行本のときには手がでなかったが、文庫になり、やっと手にした(単行本では持ち運びに重いため)。「文庫化にあたり大幅改訂」ということだが、あまり気にせず、読んだ。結果は・・・一気に読了。ストーリーが面白い、というよりは濃密でドロドロした展開に目が離せなくなった、という感じ。ストーリー自体より、登場人物の非常に克明な心理描写、キーワードである「夏」の「照柿」色、これでもかという猛暑、盛夏の時期設定、これらで物語をぐいぐい引っ張っていく力強さ、さすがである。 一方、登場人物の心象風景で言葉をいたずらに使いまわして弄んでいる、という感じが否めない。もっとストレートに力強い描写ができないか。それだけが残念。 | ||||
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上下2巻。単行本のときには手がでなかったが、文庫になり、やっと手にした(単行本では持ち運びに重いため)。「文庫化にあたり大幅改訂」ということだが、あまり気にせず、読んだ。結果は・・・一気に読了。ストーリーが面白い、というよりは濃密でドロドロした展開に目が離せなくなった、という感じ。ストーリー自体より、登場人物の非常に克明な心理描写、キーワードである「夏」の「照柿」色、これでもかという猛暑、盛夏の時期設定、これらで物語をぐいぐい引っ張っていく力強さ、さすがである。 一方、登場人物の心象風景で言葉をいたずらに使いまわして弄んでいる、という感じが否めない。もっとストレートに力強い描写ができないか。それだけが残念。 | ||||
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単行本出版から12年もかけてようやく文庫化。 「マークスの山」の時もそうでしたが、大幅に加筆修正されてますので、既読の方もぜひ。(以下は未読の方向けのレビューです) 一言でいえば、非常に暑苦しい本です。 狂ったように暑い夏のある日、18年ぶりに再開した2人の男。 心と体をすり減らし、なお歯車にもなりきれない歪んだ刑事と、圧倒的な芸術への渇仰を持ちながら、熱処理工場で汗まみれになるその幼なじみ。一人の女を巡って二人の人生が再び交錯することに。 それそれの人間が背負った過去、家族という名の他人、他者の才能への嫉妬、繰り返される日常の疲労と夏の暑さ・・・そうしたドロドロした何かが重層的に積み重なっていき、ある意味唐突に悲劇が起きて、物語は幕を閉じます。 上巻からうねりのように繰り返される「照柿色」のイメージが、この下巻の終盤には、圧倒的な迫力、現実感をもって胸に迫ります。 現代の『罪と罰』などと評されていますが、文庫版解説にもあるように、ドストエフスキーでたとえるなら、「白痴」や「悪霊」の方が雰囲気が近いでしょう。 | ||||
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単行本出版から12年もかけてようやく文庫化。 「マークスの山」の時もそうでしたが、大幅に加筆修正されてますので、既読の方もぜひ。(以下は未読の方向けのレビューです) 一言でいえば、非常に暑苦しい本です。 狂ったように暑い夏のある日、18年ぶりに再開した2人の男。 心と体をすり減らし、なお歯車にもなりきれない歪んだ刑事と、圧倒的な芸術への渇仰を持ちながら、熱処理工場で汗まみれになるその幼なじみ。一人の女を巡って二人の人生が再び交錯することに。 それそれの人間が背負った過去、家族という名の他人、他者の才能への嫉妬、繰り返される日常の疲労と夏の暑さ・・・そうしたドロドロした何かが重層的に積み重なっていき、ある意味唐突に悲劇が起きて、物語は幕を閉じます。 上巻からうねりのように繰り返される「照柿色」のイメージが、この下巻の終盤には、圧倒的な迫力、現実感をもって胸に迫ります。 現代の『罪と罰』などと評されていますが、文庫版解説にもあるように、ドストエフスキーでたとえるなら、「白痴」や「悪霊」の方が雰囲気が近いでしょう。 | ||||
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前回のマークスの山に引き続き、刑事 合田雄一郎が活躍する話… なんですが、今回は、合田刑事の私情も色々入ってきて、面白いです。前作の、あくまでも刑事としての立場から、犯人を追い詰めていく感じとは違って、職務を離れた所での気持ちが、描かれています。 高村作品の、設定の細かさがまた良く分かりました。前回の山の描写に続き、今回は熱処理工場に関する膨大な説明描写。。。 読み飽きるほどに熱処理工場に付いての知識が得られたようにも思います。 でも、さすがに高村薫の本だな〜と言う感じ。読み応えがありました。 500ページもあるのですが、文字も細かくて、一気には読めませんでした。 テーマは照柿色の『熱』です。 実際の暑さの熱、夏の熱気、人間の熱、心の熱。。。 いわゆるミステリーを期待して読むと期待外れになるかもしれません。あくまでも小説(文学作品)として、また、マークスの山の後に読む事をお勧めします。 | ||||
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物語全編を通して感じられるのはうだるように暑く、熱い「熱」である。熱処理工である野田の持つ炉の「熱」、合田雄一郎の持つ過去への後悔でも贖罪でもない精神の「熱」、美保子の持つ情念の「熱」。そして、照柿色に染まる空の炎のような「熱」。それぞれの熱病に魘され続けた三人が一人の女性の飛び込み自殺に関係したのを切欠に複雑に引き寄せられる事になる。この過程をある意味では淡々と、ある意味では嵐の前の静けさで書ききった中盤までの心理描写は秀逸で特別大事件が起こるわけでもないのにぐいぐいひきつけられるように読み進められる。 そして、殺人は起こった・・・。人を愛したいと願い欲する、人を排除し消しさりたいと思う、この二つの熱は相反するようで実は背中合わせの感情であろうか、ゾッとさえした。そして背中合わせであると同時に愛する事も罪、人を殺す事も罪・・・では罰は誰が与えるのか?宗教的世界観を得意とする高村氏ですが、罰を与えるのはいつも神ではない。人が自ら地獄の業火に飛び込んでいくのである。ラスト、等しく壮絶な罰を引き起こす(あえて受けると言わず。)三人の魂に再生はあるのか?ミステリーでは無く、人間と人間の魂の炎の壮絶な絡まり合いであり、切な過ぎ、哀し過ぎる慟哭の物語です。再生と鎮魂を祈る読者の心すら容赦無く打ち砕く静かなる文章は、一流の文学作品という勲章すら最早必要無い。秦野組長、森巡査部長、相変わらず脇役もよくたっている。軽い気持ちで読み始めると、濃密な心理描写に胸を抉られる事でしょう。読書馴れした方にも覚悟を決めてから読んで欲しい一冊。(「マークス」の後、読むことをお薦めします。)不幸にも私は、真冬にこの本を読んでしまった。次はうだるような暑い夏にじっとりと汗を浮かべながら読み終わりたいものだ。こんな本に出会いたくなかった、でもこの本に出会わない読書人生は考えられないのも事実である。 | ||||
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従来のクールな高村ミステリーとは毛色が異なり、書き出しを読むだけでじりじりと「暑さ」が伝わってきた。 それぞれ精神的に追い詰められた状態にある男女3人の、絡み合い、縺れ合う情念の克明な描写には、「これが高村か?」と驚きつつも、一人の人間が壊れていく過程の克明な描写は「やはり高村だ」と納得。いつものことながら彼女の圧倒的な筆力には素直に脱帽してしまう。 告悔を連想する雄一郎の尋問を受けるシーン、達夫と美穂子の哀しい末路には、ただただ引きずり込まれてしまう。そして、物語は雄一郎が各方面に書いた手紙で締め括られるが、手紙の内容とそれを書くに至った雄一郎の心境を想像すると、胸が締め付けられる思いがする。 また一見すれば義弟を思い遣る心優しい義兄だが、手紙の行間からも窺える、雄一郎への人には言えぬ思いを胸に秘める加納との関係を含め、雄一郎の葛藤は次作のレディ・ジョーカーへと受継がれる。雄一郎を軸に物語を捉えたら、本書が「罪と罰」、レディ・ジョーカーは「魂の救済」と喩えたら過言か。 人は、他人を傷つけ、人に傷つけらずには生きられず、そして誰もがその罪を背負い、罰を恐れながら生きるものだという、キリスト教の原罪主義が物語の根底に流れているのを感じた。読み終わって数日たった今も、登場人物の心境や物語の各場面は脳裏から離れることなく、思い出すごとに物語へと引き戻される、「凄い本」である。 | ||||
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損得ではない、本人にも説明し難い暗い情念を抱える男、というのは著者の作品に頻繁に登場する人物像だが、本作でも情念に捕われる男たちが描かれる。さらに本作は題名とおり火に炙られているような焦燥感が全編を包み、異様な雰囲気の中でストーリーが進行する。 前作、「マークスの山」の警視庁捜査一課刑事合田雄一郎。雄一郎の幼馴染の工員野田達夫、達夫の元恋人美穂子・・・。偶然、鉄道飛び込み自殺に居合わせた美穂子とそれを見た雄一郎・・・。 季節は署夏、工場の高炉の火、不眠症、人手不足、不良品の発生、生産管理、整備不良の設備、仕事に追われる達夫。一方の雄一郎も強盗殺人の捜査に肉体と精神をすり減らし、捜査のために暴力団の主催する賭博場に顔を出したことで身内から脅されながらも、情報を獲るというギリギリの生き方・・・。陰のあるヒロイン美穂子の描き方もまた印象的。濃密な描写の独特な文章魅力。 | ||||
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うだるように暑い。爽やかさなど一片もなく、じくじくと苛むような暑さが本作品全体を包み込んでいる。 熱い情熱のほとばしりではなく、ほの暗く心の内で燃える炎。少しずつ狂い始めた歯車が、男の心をじりじりと追い込んでいく。読んでいてとにかく重たい。そして暑苦しく息苦しくなる。鈍い赤色が自分を包み込んでいくようだ。熱帯夜がつづく日の夕方に西日に焦がされながら読んでみてください。 | ||||
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読み始めるなり,ネチネチした,『青年の環』の野間宏ばりの文章に,辟易しそうになった。登場人物たちそれぞれが生きる世界が,かれらの五感にからみついてくるものとして,執念深くやや偏執的なまでに詳細に描かれる。それは,ねっとりと暑苦しく,呼吸のしづらいような世界で,己と世界にたいする根深い不快感と愛憎が,とぐろを巻いている。 おそらく人並み以上に理性的な作者は,刻苦のうえに,こうした描写を成し遂げたのであろう。作者は,テーマを大上段に観念的な形で提出しない。厚塗りの点描画のように,具体的な情念描写,情景描写を積み重ねることによって,描き出していく。作中人物たちにおいて,知性の働きはごくまれにのみ,キラリとかいま見える。意識的に,情念に偏向しているようだ。 読むのに抵抗感を覚えさせるこうした世界の提示に,あえて作者がこだわったのは,作者の資質によるものではなく,それをあえて選んで大切にしている証拠である。不快な情念にまとわりつかれた日々の些事にこそが,現実だからであり,またそれは,腰を据えて観想すべき「荒れ野」だからである。 人を愛せない,殻から抜け出すことができない,孤独に気づくとき,人は荒れ野にいる。あるいは,みずからの情念の暴走を知性が制御しえずに,苦しみのたうちながら流された果てに,呆然と荒れ野にたたずむ自分を見出す。そして,旧約聖書の昔から,人が神に出会うのは,荒れ野においてなのである。荒れ野にあってこそ,慈愛や善といった超越を,はるか彼方に求めることができる。それを,気晴らしや多忙でごまかしていては,人間の救済はありえない,というのが作者の思いなのではないだろうか。 作者の底力を見せつけられような,重厚で胸に残る作品であった。読後感は不思議にさわやかである。 | ||||
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中盤からようやく深いドラマなのだなあ、と思わされた。ストーリー性はほとんどない気がした。でもここに小説として存在する。言えば異色かもしれない。 駅のホームで男と女が絡み合い、一人の女が線路に転落。それを見た合田雄一郎は逃げた男を追いかけた。もう一人いた女を見ていた野田達夫は、久しぶりに見る自分の昔の恋人佐野美保子だった。合田と達夫は20年ぶりの再会を果たし、ここから達夫と美保子を中心とした人間ドラマが始まる。そして、出くわせてしまった合田も。 もう大分メジャーになった合田雄一郎シリーズ第2弾。この読み物に筋はあるのだろうか。淡々と2人の男女に焦点を合わせるだけ。その日々を順を追って綴られている。日記とも言えなくない。合田は別の事件で2人の被疑者を見極めていた。そのときに遭遇した3人。相変わらずのディティールで乃南アサ以上に酷な心理描写。それに前半つまずいた。しかし中盤から面白さを知ってからは一気に読めた。浅いかと思っていたんだが深い人間ドラマなのだ、と。その面白さに作家はなかなか気付かせてくれないのが憎い。 美保子は美保子で、ホームにいた夫の敏明を女性関係で憎んでいた。達夫は仕方なく結婚した今の妻より確実に美保子を愛してしまった。そして6年前に離婚を経験した合田さえもが。愛することとは果たして罪なのだろうか。どこまでが罪なのだろうか。問いかけのように思えた。書きたかったのはその罪と、愛したことの罰なのだろうか。この罰はあまりに痛くないか。このテーマを出すために長々と読んできた。十分面白いと思った。前作と比較は出来ないがこれは面白い。 タイトルの照柿は、達夫が工場で熟処理をしているときの色である。子どもの頃の図工の時間に書きたくて書けなかった色。そして、壮絶なラストで垣間見た故郷大阪での色。切なすぎた。 | ||||
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この冬「マークスの山」を文庫版、単行本の順に読み、合田刑事シリーズにはまってしまった私である。合田と森のコンビが、8月2日の電車で、偶然轢死事故を見るところからこの物語は始まる。女を弾みで電車の前に突き落としてしまった男。その男を亭主だという白いブラウスの女。合田は轢死した女を別れた妻貴代子ではないかと疑ったりしている。今回の合田は単行本版の合田の続きである。断じて文庫版の合田ではない。貴代子のことをこんなに女々しく思いつづけているのだから。この作品は表面は犯罪小説ではあるがそう思って読むと消化不良を起すこと必死である。「罪と罰」を探る暑い暑い夏の数日間であり、自分自身の「暗い森」の中で「呼び止めるべき人の影」を見出す物語なのだ。「罪」というは、法律の条文に現れた事象のみを意味するのではない。「罪」の自覚無しには「罰」は現れない。なんて自分かってな「恋」だったのだろう。自分を追い詰めるだけの「仕事」だったのだろう。いわばそういう私にもある自分自身の「罪」を自覚するまでの物語。実は私はこの作品をドフトエフスキーの「罪と罰」と並行して読み、読書ノートにまでとって読んだ。しかしそれてでもいまだにどう整理していいのか分からないでいる。今年100冊近く読んだ本の中でベスト3に残る作品になった。 | ||||
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じっとりとした夏の暑さの描写と工場の炉の暑さが見事にミックスして犯罪を盛立てる。この物語の中心をなすのはやはり炉の中で焼かれ、油冷で仕上げられる金属のあの色だろう。まるで熟した柿のような赤は人を狂わせるには十分な色だ。狂赤は夕日の色でもある。カミュの異邦人のごとく、暑さと視界の悪さが人を犯罪に駆り立てるのであれば、人生のあい半ばにして絶望の淵に追いやられた男は皆犯罪者になるのであろうか。 | ||||
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人間のどろどろした情念をのぞかせられる作品。 しかし、読んでいるうち、気が付くと、その情念は自分が日頃抱き、目をそむけているものだったりする。 少しずつ、心に何かが侵入してくる、そんな本です。お勧め。 | ||||
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まさしくマグマの如く、内より吹き上げてくる人間の性。 43時間の不眠の後に殺人を犯す主人公の一人。 たった3分の逢瀬をこの小説の中に凝縮してしまう著者のすごさ。 | ||||
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