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マイナス・ゼロ
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【この小説が収録されている参考書籍】
マイナス・ゼロの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.22pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全98件 61~80 4/5ページ
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始めて広瀬正を読む人にもお勧めです。 昭和初期のモダンな雰囲気。めまぐるしい展開。 パズルの足りない部分がどんどん埋まっていく快感。 SFを読まない方にもお薦めです。 | ||||
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タイムマシンというパラドックスを使ってパズルをはめこむようにストーリが展開する作品。 長年連れ添った妻は時間を遡った自分の娘であり、妻自身が産んだ子供であるという 斬新な切り口は新鮮。この複雑なストーリを前向きに終わらせた作者のまとめ方も感服。 機会があれはぜひご一読を。 | ||||
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わずか47歳にしてこの世に別れを告げた不遇の作家・広瀬正。 彼の経歴や作品群の書評は著名な作家などによって、また広瀬フリークとも呼べる人々によって語られているので、ここでは彼の処女長編であり日本SFのタイム・トラベル物の金字塔である「マイナス・ゼロ」に対する私見をとりとめもなく綴っていこうかと思う。 SFの中にタイム・トラベルと呼ばれるジャンルがある。 SFが誕生して以来、数多くの名作が生まれてきているが、なぜかくも多くの作家がこのジャンルに惹かれたのであろうか。 文字通り、現在を軸にして過去に遡ったり、また未来に行ったりと、時間という次元を背景にした、ようは 「たら・れば」の世界における歴史小説 だからなのだ。 文学のジャンルを問わず作家とは、元来歴史が好きな生き物なのである。 歴史に対する関心度合いにより、それに溺れる者は歴史小説をメインに書くことになり、そうでない者は半ば無意識のうちに無視を決め込む。 いずれにせよ作家たるもの一度くらいはタイム・トラベル物の作品を書こうと試みるのではなかろうか? 正統な歴史小説や時代小説は史実に基づき時代考証をなされた上で書かれるものである。 だからせいぜい「〜かもしれない」という想像は働かせても構わないが、「もし〜だったら」とか「あの時〜してれば」のような要素を入れてしまうとそれはもはやSFになってしまう。 「マイナス・ゼロ」は昭和初期の2度に渡る世界大戦前および戦後の経済成長期の東京に住む市井の人々の日常生活や当時の風俗が主人公・俊夫の目を通して、広瀬の調べに調べ上げられた緻密な取材をバックボーンとしてじつに生き生きと描かれている。 銀座や日本橋の街並みの風景描写にある種のノスタルジーを感じる読者は多いであろう。 このごく普通の世界を舞台にした中に「もしこうなったら、どうなっていたであろうか」 と言う極めてSF的な要素を投入したら必然的にこういう作品が出来上がってしまったと言う見方も出来るかもしれない。 このジャンルの作品のストーリーを紹介するのはネタばれをしてしまう危険性を伴うのでここでは一切触れないでおく。 ただ、もし自分が主人公の俊夫だったらこれだけ時間や時代に翻弄されると言うのがいかにスリリングなものであるか、ということを共感できるに違いない。この作品はSF界(広瀬正)から歴史小説界に対して尊敬と愛情を伴った彼なりの挑戦状とも言えよう。また昭和と言う今や遠くに行ってしまいつつある時代が持っていた、人々の暖かさを素直に感じられる極上のラブ・ストーリーとしても必読の傑作である。 | ||||
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わずか47歳にしてこの世に別れを告げた不遇の作家・広瀬正。 彼の経歴や作品群の書評は著名な作家などによって、また広瀬フリークとも呼べる人々によって語られているので、ここでは彼の処女長編であり日本SFのタイム・トラベル物の金字塔である「マイナス・ゼロ」に対する私見をとりとめもなく綴っていこうかと思う。 SFの中にタイム・トラベルと呼ばれるジャンルがある。 SFが誕生して以来、数多くの名作が生まれてきているが、なぜかくも多くの作家がこのジャンルに惹かれたのであろうか。 文字通り、現在を軸にして過去に遡ったり、また未来に行ったりと、時間という次元を背景にした、ようは 「たら・れば」の世界における歴史小説 だからなのだ。 文学のジャンルを問わず作家とは、元来歴史が好きな生き物なのである。 歴史に対する関心度合いにより、それに溺れる者は歴史小説をメインに書くことになり、そうでない者は半ば無意識のうちに無視を決め込む。 いずれにせよ作家たるもの一度くらいはタイム・トラベル物の作品を書こうと試みるのではなかろうか? 正統な歴史小説や時代小説は史実に基づき時代考証をなされた上で書かれるものである。 だからせいぜい「〜かもしれない」という想像は働かせても構わないが、「もし〜だったら」とか「あの時〜してれば」のような要素を入れてしまうとそれはもはやSFになってしまう。 「マイナス・ゼロ」は昭和初期の2度に渡る世界大戦前および戦後の経済成長期の東京に住む市井の人々の日常生活や当時の風俗が主人公・俊夫の目を通して、広瀬の調べに調べ上げられた緻密な取材をバックボーンとしてじつに生き生きと描かれている。 銀座や日本橋の街並みの風景描写にある種のノスタルジーを感じる読者は多いであろう。 このごく普通の世界を舞台にした中に「もしこうなったら、どうなっていたであろうか」 と言う極めてSF的な要素を投入したら必然的にこういう作品が出来上がってしまったと言う見方も出来るかもしれない。 このジャンルの作品のストーリーを紹介するのはネタばれをしてしまう危険性を伴うのでここでは一切触れないでおく。 ただ、もし自分が主人公の俊夫だったらこれだけ時間や時代に翻弄されると言うのがいかにスリリングなものであるか、ということを共感できるに違いない。 この作品はSF界(広瀬正)から歴史小説界に対して尊敬と愛情を伴った彼なりの挑戦状とも言えよう。 また昭和と言う今や遠くに行ってしまいつつある時代が持っていた、人々の暖かさを素直に感じられる極上のラブ・ストーリーとしても必読の傑作である。 | ||||
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SFのあまり良い読者ではない自分ですが、面白く読めました。 正直あまり期待せず、昨年刊の川本三郎著『ミステリと東京』で、 絶賛されていたから、手にとった次第。 一言で言えば、本書は昭和前期前の東京(特に銀座)へのオマージュで、 そこに関心がないと、やはりSF作法論に傾いた評価になるでしょう。 関東大震災後の急速な復興計画で、明治以来の15区が拡張され、 東京市に35区制が敷かれたのが昭和7年(1932年)。 合併人口は500万人を超え、東京がニューヨークに次いで、 世界第2の都市になった年だそうです。 この東京史のエポックの年にタイムスリップして、著名な事件や、 事象、風俗を巧みにストーリィの展開にシンクロさせているのが、 本書の最大の見せ場です。 シンボルである「和光」の時計台がこの年に出来、 都市の訴求力で戦前のピークを築きつつあった「銀座」と、 この年に「東京市」に編入された「世田谷村」との対比も見事。 1924年、東京京橋生まれ、日大工学部卒、ジャズミュージシャン出身。 作者の経歴のとおり、粋で、新しいもの好きで、ほんのり寂しい描写も、 程がよいです。月並な言い方ですが、小説に何を期待するかによって、 評価が変わるでしょうが、私は楽しめました。 | ||||
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SFのあまり良い読者ではない自分ですが、面白く読めました。 正直あまり期待せず、川本三郎著『ミステリと東京』で、 絶賛されていたから、手にとった次第。 一言で言えば、本書は昭和前期前の東京(特に銀座)へのオマージュで、 そこに関心がないと、やはりSF作法論に傾いた評価になるでしょう。 関東大震災後の急速な復興計画で、明治以来の15区が拡張され、 東京市に35区制が敷かれたのが昭和7年(1932年)。 合併人口は500万人を超え、東京がニューヨークに次いで、 世界第2の都市になった年だそうです。 この東京史のエポックの年にタイムスリップして、著名な事件や、 事象、風俗を巧みにストーリィの展開にシンクロさせているのが、 本書の最大の見せ場です。 シンボルである「和光」の時計台がこの年に出来、 都市の訴求力で戦前のピークを築きつつあった「銀座」と、 この年に「東京市」に編入された「世田谷村」との対比も見事。 1924年、東京京橋生まれ、日大工学部卒、ジャズミュージシャン出身。 作者の経歴のとおり、粋で、新しいもの好きで、ほんのり寂しい描写も、 程がよいです。月並な言い方ですが、小説に何を期待するかによって、 評価が変わるでしょうが、私は楽しめました。 | ||||
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SF色控えめの 非常に読みやすいタイムトラベルもの。 本当にSF要素はほとんどタイムスリップのみと いっていいほどありませんから安心して読めます。 しかしながら最後の真相には きっと驚かれることでしょう。 なぜならばとんでもない事実が 明かされてしまうからです。 それに真相に行き着く前にも 俊夫のほうはいろいろ苦労を していますしね。 偽名時代にはある人に 偽者だと看破される描写も… ちょっと古臭いけれども そこがまた雰囲気を出しているのです。 彼が死語読まれるのがわかった気がします。 | ||||
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この本の”現代”は昭和38年(1963年)である。 昭和20年(1945年)東京大空襲が始まっていた5月のある日から、タイムマシンは飛んできた。 だから、現代の平成22年(2010年)の読者は、すべて「むかしはこうだったんだ」という 高見から小説を読めて楽しい。 タイムマシン物のすべてのアイデアが入っていると言っても過言ではないこの小説を 基礎知識として読んでおくのは悪くない。 | ||||
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SF小説を読みなれた人には少し物足りないかもしれません。私自身は、それほどSFを読んでいませんが、それでも途中で何となく見通しがついてしまいました。 ただ、それだけが本作の魅力ではないと思います。時代ごとの風俗描写などは楽しいですし、それぞれの時代を誠実に生きた人びとの姿には、ある種の感慨を覚えます。 記憶では、戦時中のラジオ番組のところで、村岡花子さんという名前が出てきたと思いますが、この人は実在の人で、後に『赤毛のアン』を日本で最初に翻訳した人です(邦題も彼女がつけました)。 | ||||
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タイムマシン物であり、日本SFの名作という評価である。 厳密さを求める輩からは、タイムマシンやパラドックスについての説明不足などの指摘もありそうだが、タイムマシンによって与えられる偶然の、もしくは計画した「未来である過去」の不思議さ、人と時間が交錯するややこしさが楽しめる作品だ。 主人公が戦争をまたいで行き来する、昭和ひと桁と戦後の経済成長期での人物関係の複雑さが醸し出すミステリアスな感じも良いが、何よりも随所に現れるディテールの記述が楽しい。タイムマシンの操作盤に始まって、昭和初期のオーディオやラジオ、黎明期のテレビジョンという電子機器類。さらには自動車や汽車、そして日常生活の描写である。主人公のとまどいや驚きと共にノスタルジーと物珍しさが伝わってきて楽しかった。それは当時のことを調査した著者も同じ気持ちであったのだろう、なにせ著者までもが文中に登場するのだから。 改めてページを繰ると、扉の裏に「この本を少年時代の自分に送る」と献辞があるではないか。そういえばあとがきでは「タイムマシン製作」を始めると言っていた。そうか、著者のタイムマシンは完成していたに違いない。 | ||||
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最初に読んだのは、広瀬正氏が亡くなった直後でした。それから40年近く経ちますが、常に私の愛読書のベストにありました。日本のSF長編の中で、これに匹敵する長編と言えば、小松左京氏の「果てしなき流れの果てに」と思っています。もちろん内容は異なりますが。 何度繰り返し読んでも陳腐化しない、広瀬氏の構想力、そしてそれを支える緻密な時代考証には頭が下がります。 私はこの小説の中に流れる「愛」を感じました。 未読の方がいらっしゃるので詳細は避けますが、戦争当時中学生であった主人公が、隣の家に住んでいた高校生の伊澤啓子さんに初恋をする。 ところが、東京大空襲の後から啓子さんは行方不明になってしまう。主人公は啓子さんのことが忘れられず、戦後18年を経て30歳を過ぎても独身である。そして、18年のブランクを経てその恋を実らせることができる。しかし、それもつかの間で、タイムトラベルと戦争という時代の奔流に流され、二人は引き裂かれる。主人公にとっては、中年としての2度目の戦後となり、啓子さんの面影がある映画女優と結婚し、子供もできる。ただ、主人公には何か忘れてきたもの・満たされない気持が残っている。 そしてそのときがやってくる。そのとき主人公の愛が、ある完璧な形で満たされていたことがわかる。 主人公は、戦後からそのときまでの18年間を二度体験するのですが、その間の一途な想い・切なさがこの作品の重要な背景をなしています。 是非一読を勧めます。そして広瀬正ワールドを堪能してください。 | ||||
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最初に読んだのは、広瀬正氏が亡くなった直後でした。それから40年近く経ちますが、常に私の愛読書のベストにありました。 日本のSF長編の中で、これに匹敵する長編と言えば、小松左京氏の「果てしなき流れの果てに」と思っています。 もちろん内容は異なりますが。 何度繰り返し読んでも陳腐化しない、広瀬氏の構想力、そしてそれを支える緻密な時代考証には頭が下がります。 私はこの小説の中に流れる「愛」を感じました。 未読の方がいらっしゃるので詳細は避けますが、戦争当時中学生であった主人公が、隣の家に住んでいた高校生の伊澤啓子さんに初恋をする。 ところが、東京大空襲の後から啓子さんは行方不明になってしまう。 主人公は啓子さんのことが忘れられず、戦後18年を経て30歳を過ぎても独身である。 そして、18年のブランクを経てその恋を実らせることができる。 しかし、それもつかの間で、タイムトラベルと戦争という時代の奔流に流され、二人は引き裂かれる。 ※10年ぶりに一部補筆します(2020年3月3日) 主人公も、啓子さんと別れてから、啓子さん一筋という訳ではありません。 レイ子という(病弱かつ知的、勿論、魅力的な)女性と出会い、交際もします。 しかし、レイ子は主人公に啓子への思いがあることに気付いています。 そして、レイ子に悲劇が襲い、また主人公は一人になり、そして戦争に駆り出されます。 主人公にとっては、中年としての2度目の戦後となり、啓子さんの面影がある映画女優と結婚し、子供もできる。 ただ、主人公には何か忘れてきたもの・満たされない気持が残っている。 そしてそのときがやってくる。そのとき主人公の愛が、ある完璧な形で満たされていたことがわかる。 主人公は、戦後からそのときまでの18年間を二度体験するのですが、その間の一途な想い・切なさがこの作品の重要な背景をなしています。 是非一読を勧めます。そして広瀬正ワールドを堪能してください。 | ||||
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昭和20年、東京大空襲のさなかに浜田俊夫少年は息絶えようとする隣人の伊沢先生から不思議な頼みごとをされる。昭和38年のこの日にこの同じ場所へ来るようにと。 18年後、成人した俊夫は約束を果たすべく同じ場所へやってくるが、そこに現れたのは伊沢先生が開発したタイムマシン。そして中から姿を現したのは…。 昭和45年に発表された時間旅行SFということで、日本のSF文壇がまだ黎明期にあった時代の作品といえるでしょう。ですから物語は500頁を超えるとはいえ洗練されたタイムトラベルSF巨編というよりは、ユーモアあふれるファンタジーといった趣の作品です。 俊夫は思わぬかたちで昭和7年という時代に放り出されてしまいますが、作者・広瀬正は徹底的に過去の資料にあたったとみえ、当時の社会状況や街並みなどを事細かに再現してみせます。時代の空気までふくめて綿密に描く腕はなかなかのものです。 白木屋火災の場面では小学1年生だった自分自身を物語の中にちゃっかり登場させるなどお茶目な筆遣いがほほえましく感じます。 NHKラジオで昭和7年にすでに「カレント・トピックス」という英語時事ニュース番組が放送されていたという記述があります。私が昭和50年当時、英語の勉強のため毎週末聴いていた番組が戦前から続いていたものだと初めて知り、驚きました。 タイムトラベルSFはタイムパラドックスをいかに読者が納得できる形で収束させられるかがカギですが、この物語がそれに100%成功しているようにはみえませんでした。 しかし、それでも今や世知辛くなってしまった平成の世から眺めると、昭和初期の隣人たちがゆったりした助け合いの精神にあふれた暮らしを営む姿が全編にあふれていて、それは大いに私の好むところです。その一点がこのSFを楽しい佳品にしている気がします。 | ||||
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昭和20年、東京大空襲のさなかに浜田俊夫少年は息絶えようとする隣人の伊沢先生から不思議な頼みごとをされる。昭和38年のこの日にこの同じ場所へ来るようにと。 18年後、成人した俊夫は約束を果たすべく同じ場所へやってくるが、そこに現れたのは伊沢先生が開発したタイムマシン。そして中から姿を現したのは…。 昭和45年に発表された時間旅行SFということで、日本のSF文壇がまだ黎明期にあった時代の作品といえるでしょう。ですから物語は500頁を超えるとはいえ洗練されたタイムトラベルSF巨編というよりは、ユーモアあふれるファンタジーといった趣の作品です。 俊夫は思わぬかたちで昭和7年という時代に放り出されてしまいますが、作者・広瀬正は徹底的に過去の資料にあたったとみえ、当時の社会状況や街並みなどを事細かに再現してみせます。時代の空気までふくめて綿密に描く腕はなかなかのものです。 白木屋火災の場面では小学1年生だった自分自身を物語の中にちゃっかり登場させるなどお茶目な筆遣いがほほえましく感じます。 NHKラジオで昭和7年にすでに「カレント・トピックス」という英語時事ニュース番組が放送されていたという記述があります。私が昭和50年当時、英語の勉強のため毎週末聴いていた番組が戦前から続いていたものだと初めて知り、驚きました。 タイムトラベルSFはタイムパラドックスをいかに読者が納得できる形で収束させられるかがカギですが、この物語がそれに100%成功しているようにはみえませんでした。 しかし、それでも今や世知辛くなってしまった平成の世から眺めると、昭和初期の隣人たちがゆったりした助け合いの精神にあふれた暮らしを営む姿が全編にあふれていて、それは大いに私の好むところです。その一点がこのSFを楽しい佳品にしている気がします。 | ||||
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1973年、NHKラジオの「文芸劇場」で小林昭二さんが浜田俊夫と中河原伝蔵を、加藤道子さんが伊沢啓子を演じていました。ラジオで何回か続けて聞いたあと、街の本屋で河出書房版の単行本を買って、読み始めるなりやめられなくなるはずでしたが、戦時中の出来事や、時間が前後するSFの世界は当時中学生の私にはむずかしかった。むずかしいながらも最後までなんとか読み終えました。 時がたって、大学の2回生になり、後進の下宿に遊びに行ったところ、本棚に河出書房版の単行本『マイナス・ゼロ』が並んでいました。後進と本の内容について「おもしろいSFだね」「タイムマシンはどんな形なんだろうね」などと話したことがあります。 一気に読めたのは80年代で改訂前の文庫版でした。読んでから主人公の浜田俊夫が及川邸にあるドームに入ったら、青銅製のタイムマシンの影に防空頭巾とモンペ姿の伊沢啓子が立っている、というイメージをイラストにしたことがあります。 その後、何度か読むうちに小松左京さんや光瀬龍さん、平井和正さん、星新一さんなどのSFとともに手放せない一冊になっていました。 改訂新版は活字のポイントが大きくなって読みやすくなっています。 | ||||
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主人公が、昭和38年から昭和7年にタイムトラベルする本作。 不測のアクシデントで、昭和38年に戻れなくなったにもかかわらず、あわてず騒がず、 地に足のついた実際的な対応をしていく、実に理系らしい主人公の姿が印象的です。 ところで、本作では「運命は変えられない」ということを前提とした、タイムパラドックスの 処理が行われており、かりに過去で、自分と出会っても、消滅したり存在が許されない といった事態は起こりません。 作者が本作で提示したタイムパラドックスの解答は、倫理的、あるいは科学的に難があると 考える向きもあるかもしれませんが、破綻なく時の円環を閉じる論理の辻褄合わせとしては、 成功していると思います。 | ||||
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主人公が、昭和38年から昭和7年にタイムトラベルする本作。 不測のアクシデントで、昭和38年に戻れなくなったにもかかわらず、あわてず騒がず、 地に足のついた実際的な対応をしていく、実に理系らしい主人公の姿が印象的です。 ところで、本作では「運命は変えられない」ということを前提とした、タイムパラドックスの 処理が行われており、かりに過去で、自分と出会っても、消滅したり存在が許されない といった事態は起こりません。 作者が本作で提示したタイムパラドックスの解答は、倫理的、あるいは科学的に難があると 考える向きもあるかもしれませんが、破綻なく時の円環を閉じる論理の辻褄合わせとしては、 成功していると思います。 | ||||
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ラジオの本の紹介番組で取り上げられていたので、早速買い求めました。 書かれた時代が既に40年以上も昔、さらにそこからタイムマシーンに乗って・・・ どの時代の風景も匂いまで漂ってきそうで、ヒョウキンな文体は親しみやすく 古臭いというよりも、温かく懐かしいものでした。 ラストは辻褄合わなかったり、未消化感が残るとこもあったものの、 それよりも、登場人物とお別れするのが淋しいくらいでした。 | ||||
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司馬遼太郎が直木賞選考委員だった際に、何度も候補になったSF作家・広瀬正の作品を、候補になるたびに高く評価し、特に『マイナス・ゼロ』を大絶賛していたと知り、我先にと飛びついた本作品。特に、タイムトラベルを扱った話に必ず付いて回るパラドックスにどうやって取り組んだのかに注目して読んだ本作品であったが、物語の大団円で主人公浜田俊夫とヒロイン伊沢啓子にまつわる謎はほぼ破綻なく解明されたものの、物語の最初からずっと解明されるべく提示されていた浜田俊夫のお隣の大学の先生で伊沢啓子の父親でもあった男の正体について何ら回答が出されていなかった。 その他、駐在所の巡査の顛末であるとか、そもそもタイムマシンがどこからやってきたのかについてもどこか宙ぶらりんな形で話が完結していた。物語の最後の1ページで、これら残された諸疑問がこれから解決されるような予感を読者に与える形で話は終わってはいたものの、是非著者自身の手でもう少し明確な決着を付けて欲しかったというのが、正直な感想である。 それにしても、最初から最後まで、タイムマシンは無機質でひたすら不気味な存在だった。 | ||||
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30年以上前の中学生の頃でしょうか、市立図書館で読んで面白かった記憶に従い購入。 戦中、戦後を巡るタイムパラドックス作品で、やはり面白い。 人物の絡みと日本人ならではの思いやりと人情がとても嬉しい。 英語に訳してハインラインに読ませたかった。 しかし子供の頃は、この面白さがわかっていなかったことも理解。 僕は、タカシだったのでしょう。 | ||||
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