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燃える部屋



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【この小説が収録されている参考書籍】
燃える部屋(上) (講談社文庫)
燃える部屋(下) (講談社文庫)

燃える部屋の評価: 8.67/10点 レビュー 3件。 Aランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点8.67pt

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(10pt)

そして刑事魂は受け継がれていく

コナリー作品25冊目で作家生活20年目の記念碑的作品『ブラック・ボックス』からミッキー・ハラー物の『罪責の神々』を挟んで、前作から2年経った本書では色々とボッシュの身の回りに変化が訪れていた。

既に前作のパートナー、デイヴィッド・チューと目の上のたん瘤だった上司クリフ・オトゥールもいなくなり、ボッシュは新人の刑事メキシコ系アメリカ人のルシア・ソトを相棒に迎えている。ボッシュにとっても定年延長制度最後の年であることもあって、残り少ない刑事人生をルシアに自分の経験と知識を十分教え込むことを使命として良きパートナーかつ良き師として彼女に接している。ボッシュのこの対応は一匹狼で単独行動ばかりしては上層部の悩みの種となっていた彼からは隔世の感を感じさせる。

また変化と云えば前作まで付き合っていたハンナ・ストーンとの関係も既に終わっていた。彼女の息子ショーンはレイプの有罪判決を受け、刑務所に入っていたが、仮釈放審査でボッシュが彼の味方をするのを拒んたことがきっかけでそれで関係がすっぱりと終わったことが知らされる。前作でも彼女の息子の件がボッシュの出張費を私用目的で使ったと疑問を与えたのが母親との仲を嫉妬したショーンからの訴えであったことから彼女との関係は険しいものになると予想されたが、意外にもあっさりと幕を閉じたようだ。

さて刑事生活最後の年を迎えるのは前作から引き続いて未解決事件班で、10年前に起きた射殺未遂事件の真相を追うというもの。しかし事件は10年前に起きたが、被害者が亡くなったのはつい前日。被害者であるオルランド・メルセドは銃弾を体内に残したまま一命をとりとめ、下半身不随になり、更に体内に残った銃弾の影響で両脚と片手をも失いながら、10年間生き長らえた人物で、世間では英雄視された人物、つまりちょっとした有名人だったのだ。

彼の死後、ようやく解剖によって彼の背骨に埋まっていた1発の銃弾を手掛かりに事件の再捜査が始まるという実にドラマチックな幕開けを見せるのである。

しかしコナリーは銃弾がよほど好きなようで人の運命を決定付ける絆を例えるにも使っている。そして本書もその銃弾にて10年前の事件が再度幕を開けるのだから。

ただ追う事件はそれだけでなく、もう1つある。
それは1993年に起きたボニー・ブレイ放火事件だ。当時大半の子供を含めた9名の死者を出した放火事件で、なんと被害者の1人がボッシュの新相棒ルシア・ソトだったのだ。彼女はこの事件で亡くなった保母と5名の仲間たちのためにこの未解決事件を解決するために刑事になったとも述べる。

但しこの事件は他のチームが扱っており、通常ではそれはテリトリー侵害に当たるため、そのチームから横取ることをしないのだが、ボッシュはかつて自分も母親殺しの事件を単独で捜査した過去を思い出し、ルシアの意図を組んで自ら事件の通報者に模してメルセド襲撃事件とボニー・ブレイ放火事件2つの事件に関係があると仄めかせてボッシュ達に捜査を当たらせるように仕向ける心憎い配慮を示す。

本書のタイトル『燃える部屋』、原題“The Burning Room”はルシアがこのボニー・ブレイ放火事件で生き長ら得ることができた地下の無許可託児所のことを示す。
火災によって煙が充満していく部屋の中、濡れたエプロンを鼻と口に当てて、しのぎながらも更に進入してくる煙を避けるためにクロゼットに入り、助けを待っていた彼女。クロゼットに入れずに外でひたすら助けを求め叫び続けながら死んでいった保母のエスター・ゴンザレス。

そしてもう1つの意味は事件の核心に近づいた時、それが思わぬ権力者や社会的重要人物に突き当たった時には慎重に物事を当たらなければならないことを云い表す際にボッシュが火事で燃えている部屋はドアを決して開けてはならないと表現したことによる。

バックドラフト。内部で燻ぶり続けた炎は部屋の中の空気を全て使い果たし、次の空気を待っている状態だ。迂闊にそのドアを開けようものなら急激に入り込んだ空気によってドアを開けた者は一瞬にして炎に包まれる。
パンドラの箱は無暗やたらに開けてはならない。慎重に動かないと自分たちが怪我をするという意味だ。

本書では刑事事件の捜査に各種の検索エンジンが活用されていること、容疑者との尋問はスマートフォンの録音アプリが使われており、グーグルマップで行き先を検索したり、はたまたウェブ新聞の勢いに押され、閑散としたLAタイムズの事務所の様子が描かれていたりとIT化による利害がやたらと目に付くようになっている。そしてウェブ上では自分の意見を自由に発言できるようになったことで注目が増し、多くのシンパを得てムーヴメントが巻き起こしやすくなる一方で、リテラシーを理解しない人間がその発言で世界中から袋叩き状態になる、いわゆる炎上することも多くなってきている。

つまり本書の『燃える部屋』とは我々ウェブを活用する人々が持っているブログやSNSのアカウントのことを示しているのではないかとまで考えるのは少し穿ち過ぎだろうか。

そうそう、忘れてはならないのはボッシュシリーズのもう1つの関心事、娘マデリンの成長だ。既に彼女は17歳になり、警察官になるための準備を着々と整えているようで、ハリウッド分署で行われている警察体験班に参加し、更には身体の不自由な老人へのボランティア活動を行って大学進学の申請書に箔を付けるのに勤しむ毎日。しかも警察体験班の連中との付き合いも出来、ボッシュは嬉しい反面、娘に悪い虫がつかないかとハラハラしている状況だ。

しかし何といっても本書の一番の読みどころはボッシュと相棒の新任刑事ルシア・ソトの師弟関係だ。

上にも書いたようにボッシュは定年延長制度最後の年でルシアにそれまでの刑事生活で培ってきた自身の捜査技術とノウハウ、そして刑事という生き方とも云うべき心構えを教えるべく良き師となって彼女に付き添う。そこにはもはや一匹狼として単独行動が常であったボッシュの姿はなく、去り行く老兵が手取り足取り若者に戦い方を教え、歩むべき刑事の道へと導く先達の姿があるのみだ。恐らくボッシュはルシアに警察官志望の将来の娘の姿を見出していたのではないだろうか。

そしてボッシュの教えを頂くルシアもまた自分が将来刑事の道を歩む強い意志を示し、ボッシュの期待に応える。もし自分だったらそうするであろうことを云わずとも行うルシアにボッシュは自分に似た部分を感じる。

そしてルシアもまたある信念をもって警察官になった女性だった。
彼女は1993年に起きたボニー・ブレイ共同住宅放火事件の被害者の1人で当時7歳だった。彼女はそこの地下にあった無認可託児所におり、大半の子供を含む9名の人命が亡くなった陰惨な事件で奇跡的に生き残った児童の1人だった。彼女を助けて亡くなった保母のエスター・ゴンザレスとその他5名の友達の無念を晴らすために警官になり、そして未解決事件班でこの事件を独自で捜査しようと決意したのだった。

そしてボッシュは次第にこのルシアの信念と刑事の資質に感心するようになる。
誰よりも早く出勤し、そして誰よりも遅く退社する。休日であっても署に出向いて事件について調べる。
それはボッシュがいまだに行っていることだが、いつもそれを先んじて彼女が行っている。最後の方はボッシュがついていくのがしんどくなってきたと吐露するほどだ。

更に彼女はラッキー・ルーシーの異名があるように運にも見舞われている。まだ市警に入って5年目にも関わらず、酒屋での武装強盗の事件で、4人を相手にし、彼女のパートナーは撃たれて死亡したものの、彼女は2人を倒し、残り2人をSWATが駆け付けるまで釘付けにしたことで有名になった。その功績を買われ、彼女はいきなり刑事となり、未解決事件班に配属され、ボッシュの相棒となった。

ボッシュはこのルシアの話を聞いており、彼女が相棒となることを喜んだ。彼は若くして職務遂行中に人を殺し、相棒を喪った彼女の気持ちが同じ境遇を経験した自分には解ると思ったからであり、それを知っているからこそ彼女を上手く育て上げることができるだろうと思ったからだ。

つまりボッシュは自分を彼女に投影し、そして彼女を自分と同じような刑事、いやもしくは自分を超える刑事に育てようとしているのが文面からひしひしと伝わってくる。そしてそれを理解し、ボッシュの期待に応えようとするルシアの姿もまた健気に映り、なんともこの2人のやり取りが今までにない爽快感をもたらす。
なかなか相棒に恵まれなかったボッシュが退職間際でようやく自分と同じ価値観を持つ相手を得たことが読んでいるこちらも嬉しく思わされてしまう。

そしてそんな刑事の運はボッシュにも働く。捜査令状は自分に好意的な当番判事だったことで容易にもらえ、出張先のタルサでは地元警察に協力的で有能な捜査官に恵まれ、帰りのフライトはファーストクラスにアップグレードされるという幸運を得る。

私はしかしルシア・ソトが幸運の星の下にいるのではないと思う。
人は努力をすれば報われることを単に証明しているだけなのだと思うのだ。信念をもって何事にも取り組めば自ずと運はついてくることをルシアとボッシュの2人の捜査を通じてコナリーはメッセージとして載せているのではないか。
それは常に作品に真摯に向き合い、上質なミステリを読者に提供し、楽しませることに心を砕き、ボッシュという刑事を中心にして緻密な作品世界を描いてきたことが現在のベストセラー作家の地位まで自分を押し上げることになったことを作者自身がそれとなく述べているように思える。

メルセド襲撃事件。ボニー・ブレイ放火事件。この2つの事件は結局結び付きがないまま終わるがどちらもボッシュ×ルシアのコンビで真相に行き着くがその結末はいつものように苦いものだった。

どれも完全に割り切れない。特にその後の続きを読むに至っては。

悪はきちんと裁かれなければならないと云う信念をこの男は決して曲げない。それはルシアに告げることで彼は自分の信念を、刑事としての魂を引き継ごうとするかのようだ。

今回の結末は前途ある有望な刑事ルシア・ソトに事件解決の現実を教えるための物だったように思う。

ボッシュ2人が辿り着いた事件の結末についてルシアは複雑な思いを描く。彼女は自分を含め友人と保母を悲惨な目に遭わせた放火犯を何年経っても自分の手で探し出し、そして罪を償わさせること。それが彼女が警察官になった時に描いていた図だった。

悪は暴かれ、裁かれなければならない。

しかし物事はそんな単純に割り切れる物ではなかったことを彼女は悟らされる。胸の中に燃えていた思いの行き先は一気に燃え立ち、そして消失する者だと思っていたが、燻ぶり続け、心に熾り続けていくことを彼女は経験した。たとえそれが事件を解決したことになっても。

我々読者がミステリや物語に求める物は何か。
それはその時その人によって違うだろうが、明らかに大きな1つの共通項としてあるのは物事が解決し、爽快感をもたらされることだろう。

事件が起き、そこに謎があり、もしくは主人公がのっぴきならない境遇に陥って先行きが読めない状態にあり、それが主人公たちの行動によって見えなかった部分が明らかになり、収まるところに収まって物語が閉じられる。

それは我々の日常生活において起こること、世間で起こる現実の事件が物語で語られるようにすっきりとした形で終わらないからだ。

小説とは、物語とは率直に云えばその中身にどんなにリアルが伴っても、作り事、虚構に過ぎない。
しかしだからこそそこに割り切れる結末を求め、読者は日常生活で抱える鬱屈を解消するのだ。

しかしコナリー作品は決して100%の結末を我々に提供しない。なにがしかのしこりを常に残して物語は終わる。それはある意味リアルであり、もしくはある意味イーヴンであれば申し分ないと云う妥協、いや物事への折り合いをつける着地点を示しているかのようだ。

それが逆に読後感に余韻を残し、しばらく読者の胸に留まるのだ。言葉を変えれば読者の胸の中に物語が、登場人物たちが生き続けるのだ。

ボッシュがこの後も登場するのは我々は判っている。どのような形で我々の前に姿を現すのかは不明だが、再会するボッシュは、頭の先から爪先まで変わらぬボッシュであることだろう。


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