縞模様の霊柩車
- リュウ・アーチャーシリーズ (19)
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縞模様の霊柩車の総合評価:
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愛に飢えた人々が家族という一番小さな、そして身近な社会集団を形成した時、こんなにも哀しい事件が起こるのか。 | ||||
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ハメット、チャンドラーの系譜を継ぐ正統派ハードボイルドの巨匠の、長編通算16作目、アーチャー・シリーズとしては10作目になる。ただしシリーズ8作目あたりからは、肉体的、あるいは社会派的な意味の「ハード」さは薄れて、より内省的になってきていることは、この手のミステリ・ファンならば当然ご存知のこと。 ラスト・シーンでアーチャーが犯人と一緒に歩きだす時に犯人に対して思うことは、次作『さむけ』の最後の1文と同じだ。しかし本作では日没の赤い光の中にシルエットが浮かび上がる女乞食との対比により、より哀しみを痛切に感じさせてくれる。情景が絵として目に浮かぶこのシーンが素晴らしい。 ところで、早川ポケミスの表紙にはたいてい抽象的イラストが使われているが、本作のは、「雲のようにもやもやしたマッス」「そのなかにいくらか明るい部分があり」という作中の絵を思わせるものになっている。 | ||||
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ロス・マクドナルド円熟期の傑作といわれるのが「さむけ」「ウィチャリー家の女」、そして本書「縞模様の霊柩車」である。 私立探偵リュウ・アーチャーは、退役軍人であるブラックウェル大佐から娘の交際相手の素性を調べて欲しいと依頼されるところから物語がはじまる。 いつもながらのロス・マク十八番の設定ではあるが、真犯人が判明する後半のどんでん返しの連続はハード・ボイルドの枠を超え、ミステリー作品とも警察小説とも言える色が濃いのが特徴である。また、アーチャーは冷静な目で社会を見つめる観察者であることに変りは無いが、本作でのアーチャーはシニカルに社会を、家族の病を観察するだけでなく、己の人間性をも露わにしている点も興味深い。 結末だけを見ると、前作である「ウィチャリー家の女」に類似しているような気もするが、ミステリーとしてのプロットは本作のほうがより練られており、読み応えもある優れた作品に仕上がっている。個人的には「さむけ」に優るとも劣らない傑作であると思う。 2016年11月現在、本書は絶版となっているため中古でしか手に入らないのであるが、ロス・マクファンであれば「さむけ」の次に読んでいただきたい作品である。 | ||||
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登場人物は心に傷や影を持つ者ばかりであることが主人公の探偵アーチャーとの会話で明らかになっていく。中盤まではそのような会話劇がゆっくりと進む。手がかりを根気よく一つ一つたどっていく中で2つの殺人事件(1つは過去のもの)や失踪事件等が明らかになっていく。終盤からはそれらが一気につながり真相へと急展開していく。特に第26、27章は会話する両者の揺れ動く内面が見えて見事なサスペンスとなっている。 全体的にアメリカ社会の病みが描かれているが、その中で人間として理想とも言える清らかな人物像が何人か現れる。それは希望の光のようでもあり作者のひそかな祈りを表わしているのかもしれない。 「ウィチャリー家の女」や「さむけ」と並ぶ名作と思う。 | ||||
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私立探偵リュウ・アーチャーは、退役軍人から娘の交際相手の素性を調べて欲しいと依頼を受ける。娘は近く伯母から多額の遺産を相続することになっており、相手の男は売れない画家だった。男は財産狙いで娘に近づいたのではないかと疑われたが、アーチャーが調査に乗り出した直後、男は娘と一緒に失踪してしまう…。 原著は1962年発表の “The Zebra-Striped Hearse” で、アーチャー・シリーズ11作目。代表作『ウィチャリー家の女』(1961)、『さむけ』(1964)の間の作品だけあって、社会派要素のある濃厚ミステリに仕上がっています。結末までの展開はおなじみのドンデン返しの連続で、いつもながら少しやりすぎじゃないないのかとも思いますが、著者の持ち味でもあるので仕方ないところでしょうか。 1950年代、グレゴリー・ベイトソンは「ダブル・バインド」理論で、統合失調症の要因として幼児期における親とのコミュニケーション不全を挙げました。本作でも同様に、「母性」というのは捏造された幻想であることが暴かれ、その幻想を共有できなかった母親たちが登場します。そうして母の「不在」を埋めるかのように「父」という存在が強権的なかたちで描かれます。 こうした要素は「アメリカの病」と指摘されて終わりですが、おそらく核家族化と女性の社会進出が進み、「ご近所」というコミュニティが機能しなくなってきつつある、現代日本においても当てはまる病でしょう。「親」であることの意味が変質し、その重圧が増すなか、「親」になりきれなかった者の末路が本作で描かれる人々の姿なのであり、決して本作の出来事は対岸の火事ではないのだろうと思いました。 | ||||
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「さむけ」、「ウィチャリー家の女」と並ぶ作者の代表作。この三作は通常のハードボイルドの域を越え、高い文学性を誇ると共に、本格ミステリの味も加えるという、まさに円熟期の作品である。 突然大金持ちになった若い女性の失踪事件の捜査をアーチャーが依頼されるという、一見ハードボイルドそのものの設定。アーチャーが事件の真相に辿り付く過程で、アメリカ家庭の悲劇・病巣が浮かび上がって来るというパターンは円熟期〜後期の作品に共通のものだが、本作は(本格ミステリ的に)プロットが良く練られているので、マンネリ性は感じられない。アーチャーが車中で見かけた「縞模様の霊柩車」が本事件の悲劇性・狂信性を暗示しているというのが題名の由来である。従来からアーチャーは事件の「観察者」だと作者自身が強調しているが、本作ではそれが更に徹底されている。時には「哲学者」だとさえ呼ばれる。アメリカ社会の病巣に対する作者の諦観だとも言えるが、アーチャーと作者自身との区別が次第に曖昧になって来ている印象を受ける。 アメリカ社会の奈辺の病巣に対する作者の諦観にも似た「観察」と、本格ミステリの趣向が同時に味わえる円熟期の傑作。 | ||||
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