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iisan さんのレビュー一覧
iisanさんのページへレビュー数1360件
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性同一性障害と友情をテーマにした「ミステリー展開」の問題提起小説。男である、女であるというのは、どこで判断するのか? 人間には男と女以外は存在しないのか? などなど、人間存在の根源を問い掛けるテーマを読みやすいミステリー仕立にして完成させたところは、さすがに東野圭吾だと思った。
ただ、殺人犯をかくまって警察の裏をかこうとする「捜査ものミステリー」として読むと、かなり物足りなさを感じたのも事実である。 |
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2011年のMWA賞とCWA賞をあの「解錠師」と分け合ったという、トム・フランクリンの出世作。静かで深い、叙情派ミステリーである。
ミシシッピーの片田舎で育った白人のラリーと黒人のサイラスはローティーンの頃、奇妙な縁に導かれて友達となるが、互いの性格や生来の性質の違いから疎遠になっていく。さらに16歳のとき、ラリーは隣の家の少女が行方不明になった事件の犯人と疑われ、25年後の現在も、町の人々はラリーを犯人視していた。一方のサイラスは有望視されていた野球選手としては挫折し、町の治安官となって戻ってきたが、ラリーとの付き合いは途絶えたままだった。ある日、町の有力者の19歳の娘が行方不明になり、住民は再びラリーに疑いの目を向ける。捜査にかかわっていたサイラスは、ラリーからの留守電への伝言を無視していたが、ラリーが何者かに銃撃される事態になってしまった。物語は現時点での捜査と並行して、ラリーとサイラス、それぞれの少年時代の回顧をはさみながら進行し、やがて25年の時間を超えた全体像が明らかになる。 一見、連続殺人、猟奇殺人ミステリーに見えるがスリルやサスペンスとは無縁で、謎解きの面白さも大したレベルではない。しかし、主役の二人はもちろん、周りの人物も陰影が深い背景を持っており、良心や罪と罰についてしみじみと考えさせられる良作である。 文庫の解説にある通り、「解錠師」にはまった人にはオススメだし、ジョン・ハート、トマス・H・クックなどの愛読者ならきっと気に入るだろう。 |
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スウェーデンのジャーナリストと服役囚支援者という異色コンビ作家の代表作である「エーヴェルト・グレーンス警部」シリーズの最新作。日本でもすでに3作品が翻訳されているというが、初めて手に取った。
本作の主役は、ストックホルム市警にリクルートされた密告屋のパウラ。スウェーデンの刑務所内での麻薬密売の独占を狙うポーランドマフィアを壊滅させる使命を受けて組織中枢に潜入、組織の任務として刑務所に入り、麻薬の持ち込みにも成功する。ところが、組織の信頼を得るために居合わせた麻薬取引現場で、ポーランドマフィアが別の潜入者を射殺するのを目撃することになり、秘かに警察に通報した。この事件の捜査を担当することになったグレーンス警部は「簡単には諦めない男」の本領を発揮し、捜査の手をパウラに伸ばしていく。もしパウラが密告屋であることがばれたら、潜入捜査が失敗し、パウラは刑務所内で間違いなく命を狙われることになる。潜入を指示した警察上層部と政府は、グレーンス警部の捜査を妨害しようとするが不首尾に終わり、ついにパウラを切り捨てる非情な決断をする。正体をばらされたパウラは執拗に命を狙われ、生き延びるために孤独な戦いを強いられた・・・。 物語の前半は潜入捜査と通常の捜査の対立が中心の警察小説、後半は刑務所を舞台にした凄絶なサバイバル小説という趣だが、どちらの面も読み応え十分。密告屋、警察の双方とも人物造形が巧みだし、何よりストーリー展開がスリリングで、さまざまに張り巡らされた伏線も見事というしかない。 シリーズ作品らしく、過去の事件や人間関係が影響しているシーンもいくつかあるが、これまでの作品を読んでいなくても興をそがれることはない。むしろ、日本とはあまりにも異なる刑務所の状況に戸惑うことの方が、読者に違和感を引き起こす要因となるかもしれない。 |
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スウェーデンの女性弁護士・レベッカシリーズの第3作。前2作で心身に深い傷を負ったレベッカは弁護士を辞めてしまい、故郷キールナで特別検事に任命されるのだが、本作でも弁護士としての知識を活用して活躍するので、弁護士・レベッカシリーズの一冊ではある。
精神科病棟での長い闘病を終え再出発を果たしたとはいえ、まだ自分に自信をもてないでいるレベッカだが、キールナの凍った湖で起きた、地元の国際的大企業の女性広報部長殺害事件の捜査に検察局の一員としてかかわることになる。前2作でもお馴染の地元警察のアンナ=マリア、スヴェン=エリックの両警部が証拠集めや聞き込みを進め、レベッカは専門の金融知識を駆使して企業の実態や関連する人物の経済状態を調べ上げていく。すると、大成功を納めているはずの大企業には隠しておきたいことがあった・・・。 事件が起きたのはスウェーデンでも片田舎のキールナだが、殺害の背景にはグローバル企業による熾烈な経済戦争、アフリカの政治的混乱とそれに伴う資源争奪戦があり、話の舞台装置は前2作とは異なり、国際謀略小説の趣を示す。しかし、ストーリーの骨格を成すのは企業経営陣の古くからの人間関係であり、レベッカの精神の病からの復活の苦闘である。その意味では、前2作と変わるところはない。 本作は、ヒロイン・レベッカを始め、地元警察官、隣人、上司などのシリーズキャラクターがますます味わいを増し、安定してきたのは評価できるが、事件関係者の過去の物語、レベッカの狂気の世界などの書き方にやや違和感を感じた。特に、国際謀略小説的な舞台の派手さと登場人物の重過ぎる内省的態度がアンバランスな印象で、前作ほどには物語に入り込むことが出来なかった。 |
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1950~70年代に活躍した英国本格ミステリー作家の1966年の作品。犯人と動機は最初に提示され、読者は捜査官と一緒に犯行の態様を解明していくという、典型的な倒叙型のミステリー作品だ。
ノルウェーでの休暇を楽しんでいたプレイボーイのアラン・ハントは、ホテルで出会った20歳のグウェンダをたぶらかし関係を持った翌日に、デタラメの住所を教えてイギリスに帰国する。イギリスで交際中の金持ちの娘スーザンとの結婚の準備を進めていたアランの前に、住まいを探し出したグウェンダが現れ、妊娠していることを告げる。スーザンとの破談の可能性にあわてたアランは、グウェンダを丸め込むとともに、彼女を排除する邪悪な計画を進めようとする。そして、アランが犯罪に関与していることを示唆する匿名の手紙を受け取った地元警察は、グウェンダの行方を追うとともに、アランの身辺の捜査に乗り出すことになる。 アランに対する容疑を深めながらも決定的な証拠をつかみきれない捜査陣と一緒に、犯行の動機が分かっている読者も、作品の前半に埋め込まれた伏線を頼りに犯行の実態を探るミステリーツアーに導かれることになる。狡猾な犯人は、いかにして犯行を隠し通すのか? 半世紀近く前の作品だけに、「道徳心や良心といったものが完全に欠落していた」という犯人も、想像を絶するような犯罪者に出会ってきた現代の読者には「凶悪」なイメージは無く、どこか牧歌的な印象を受けることだろう。犯罪者のキャラクターや捜査陣の人間模様より、純粋な謎解きの面白さが本作の最大のポイントであり、英国本格ミステリーが好きな読者にはおススメだ。 |
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企業広報誌編集者・杉村三郎シリーズの第2作。前作があまり面白くなかったので期待していなかったが、いい意味で期待が裏切られた。
今回、杉村が巻き込まれるのは、自分の編集部のアルバイト女性の常軌を逸した嫌がらせと、通り魔的な連続毒殺事件。経歴詐称の疑いがあり、仕事が出来ず、協調性がないために辞めさせた女性からの執拗な会社に対する嫌がらせの対処を任された杉村は、対処方法を模索している内に、毒殺事件の被害者親族と知り合い、持ち前の人の好さから犯人探しの「探偵ごっこ」を請け合うことになる。もとより警官でもなく、何の捜査権もない杉村だけに犯人探しはもたもたするが、それでも警察とは違った視点から犯人に到達する。一方、バイト女性の嫌がらせはエスカレートする一方で、警察に指名手配される身になりながらも杉村個人に対する攻撃を止めようとしない。人が好いだけが取り柄の杉村は、狂気の刃から愛する家族を守ることができるのだろうか? どちらの事件も、その背景には常識では解釈できない、「人間の毒」とでも言うしかない邪悪さが隠されていた。そうした邪悪に、人は、社会は対抗できるのだろうか? 解決のためのヒントとして、杉村は「毒に名前を与えること」によって実体化し、抑制できるのではないかと語っている。 ミステリーとしては「甘い」部分が多く、スリルやサスペンスとは無縁だが、誰もがどこかで巻き込まれてしまうかも知れない「人間の毒」の不気味さを描いており、優れた社会派作品としてオススメしたい。 |
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アダム・ダルグリッシュ警視シリーズでは4作目にあたり、初めてシルバーダガー賞を受賞した、P.D.ジェイムズの出世作。閉鎖的な人間関係の中に潜む愛憎を冷徹に暴いていく、P.D.ジェイムズの真骨頂といえる作品だ。
ビクトリア朝時代の遺物のような外観の看護婦養成所・ナイチンゲールハウスで発生した、2件の看護学生変死事件。明確な動機は不明ながらどちらも殺人を疑われ、しかもナイチンゲールハウスに関係する誰もが事件に関与する機会を持っていた。ダルグリッシュ警視は緻密な聞き取りを重ねていくことで、濃密な人間関係の中に隠されていた醜悪な人間性を暴き出し、驚くべき事件の真相を解明する。 白衣の天使の裏側に邪悪な小悪魔が潜んでいるというのは、ありがちな話ではあるが、P.D.ジェイムズの非凡な観察眼は人間性の小さなヒダを克明に描き出し、登場人物ひとりひとりの個性を際だ立たせて、非常に厚みのある物語となっている。ダルグリッシュの捜査が進むほどに疑わしい人物が増えていき、謎解きの面白さはぐんぐん加速する。さらに、犯人と動機の解明部分では、それまでに張り巡らされていた伏線の巧みさに舌を巻くことになる。犯人が分かったあとの事件処理については、様々な異論があるだろうが、イギリス本格派ミステリーの王道を行く作品であることは間違いない。 |
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未解決事件を再捜査する警視庁特命捜査対策室・水戸部警部補シリーズの第2弾。人手をかけられない特命捜査対策室の水戸部が、対象となる事件捜査に関係していたベテラン捜査員の助けを借りながら、事件が起きた街と住民の暮らしを粘り強く掘り起こし、地道な聞き込みと鋭い捜査感で謎を解いて行く、というシリーズとしての骨格が見えてきた気がした。
今回の「コールドケース」は、17年前に代官山のアパートで発生した女性殺害事件。警視庁は被疑者死亡で処理したのだが、新たに発生した川崎市での強姦殺人事件の現場で採取された精液のDNAが代官山事件で現場に残されていたDNAと一致したことを、神奈川県警から知らされる。川崎の犯人が、警視庁が終わらせた事件の犯人だったら、取り逃がした犯人が二度目の犯行を犯したことになり、警視庁の面目は丸潰れになる! 警視庁上層部としては、何が何でも、神奈川県警より先に犯行の実相を解明したいのだが、一度終結させた事案を公式に再捜査することはできず、従って組織的な再捜査は不可能だった。そこで、特命捜査対策室・水戸部に「偶然による解決」の依頼(実質的には命令)が持ち込まれることになった。専従で捜査できる相棒は朝香千津子巡査部長、ただひとりという心細い状況から水戸部の捜査がスタートした。 17年前と現在の強姦殺人に、さらに西日暮里での女性看護士殺人事件を加えた三つの事件が細い糸でつながれていく捜査のリアルさと面白さは、まさに警察小説の醍醐味。最後までだれることなく読み応えがあり、一気読みだった。 おしゃれな街に憧れる若者と周辺の大人たちが作り上げてきた「代官山幻想」の底部には、何が隠されていたのか? 街の再開発と絡めながら、表向きの華やかさと対照的な人間模様が明らかにされてゆく過程は実に味わい深く、シリーズとしての完成度が高まっていると感じた。 |
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最近の北欧ミステリーブームは、ついにノルウェーまで到達した! フィンランド、アイスランドまでは体験していたが、おそらく初めてのノルウェーミステリーの読書体験だ。
で、その感想はというと「う~ん、ちょっと・・・」。凶悪な犯罪者対素人探偵の生死を賭けた戦いがメインテーマなのだが、犯罪者の動機付けに多少の無理を感じて、最後まで?マークが頭から離れなかった。ヘッドハンティングビジネスと絵画泥棒という設定は非常に面白と思ったが、サスペンスと警察の捜査にリアリティが感じられず、ちょっと物足りない印象だった。 作者はジャーナリスト、株式仲買人、サッカー選手、ロックミュージシャンとして活躍してきたという多芸で多才な人のようで、シリーズ作品「ハリー・ホーレ刑事」シリーズは本国はもとより欧米では高く評価されているとのこと。たぶん、他の作品を読んでから再評価するべきなのだろう。 |
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33年間、海外諜報活動に従事してきた元CIA局員の著者が、自身の体験をベースに冷戦後の米ロスパイ活動の実態を描いたスパイアクション小説。近々映画化されるというが、ヒットすること間違いないだろう。
主役は、類い稀な美人のロシア諜報員・ドミニカと若きCIA局員・ネイト。ハニー・トラップ要員の養成学校「スパロー・スクール」を卒業したドミニカは、ロシア諜報機関の中枢に浸透しているスパイ「マーブル」の正体をあぶり出すために、「マーブル」の連絡員を務めるネイトに接近する。ところがネイトは、ドミニカをCIAのスパイにリクルートする指示を受けていた。お互いに腹のうちを探り合いながら接触した二人は、各々の使命や立場とは裏腹に徐々に惹かれあって行く。しかし、二人を取り巻く環境がそんな感情を許す訳はなく、二人の関係は過酷な運命にほんろうされることになる・・・。 諜報員同士の駆け引きと恋愛を軸に、米ロそれぞれが抱える大物スパイの正体追求合戦、ロシア諜報機関内部の権力争いが加わった、スパイ小説の王道を行くスリリングなストーリーだけでも十分に楽しめるが、それに加えて著者の実体験に基づくリアルな(に思える)スパイテクニック、神経戦の描写が一層の面白さと迫力を加えている。 ポスト冷戦のスパイ小説はル・カレを始めとして「対テロ」を描く方向に向かっているが、本書は久々に大国同士のスパイ合戦をテーマにした、オーソドックスなスパイ小説として高く評価したい。 |
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杉村三郎シリーズとして知られる一連の作品の第一弾。文庫本の表4にある「心揺るがすミステリー」を期待して読むと、多くの読者は裏切られることだろう。ただ、その前文の「稀代のストーリーテラーが丁寧に紡ぎだした」の部分は当てはまっており、十分に読み応えのある人情話になっている。
主人公は、大コンツェルン会長の娘婿で、同コンツェルン広報室に勤務するサラリーマン編集者・杉村三郎。会長専属の運転手が自転車に撥ねられて死亡し、犯人は逃走。運転手の娘二人の「事件の犯人を追求する目的で父の半生記を出版したい」という要望をかなえるために、会長が杉村に協力を指示するところから物語がスタート。杉村は犯人は誰かという謎と、運転手の秘められた過去という、いわば2つの謎の解明に取り組んで行く。経験がある私立探偵ではなく、ましてや捜査関係者でもない杉村はさまざまな人々の善意に助けられながら、徐々に事件の背景を明らかにし、真相にたどり着いたときには、ひとりでは抱えきれないほどの重荷を背負うことになる。 運転手を撥ねて死亡させた犯人探しはミステリーとしては出来が悪く、引き付けるものは何もない。運転手の隠された過去の方がミステリー要素が強いが、こちらも純粋なミステリーとして読むといまいち。それより、作者の重点は平凡に見える人々が背負っているものの多様さと、それが互いに影響し合って生じる「生きることの喜び、悲しみ、難しさ」を描き出すことにあるようで、その点では非常に良くできている。登場人物がみんな生きていることで、さほど面白くもないストーリーも最後まで読むことが出来た。 |
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2001年に発表されたダルグリッシュ警視シリーズの第11作。サフォーク州の人里離れた海岸沿いに建つ神学校を舞台にした殺人事件をきっかけに、限られた人物間の歴史的かつ複雑な関係を紐解いて真犯人に到達するという、徹頭徹尾、P.D.ジェイムズ・ワールド全開の本格ミステリー。英国国教会の歴史と現状を背景にした物語なので、読み通すには少し骨が折れるが、その労苦に十分に応えてくれる読み応えたっぷりの大作だ。
海沿いの崖の下で砂に埋もれた神学生の死体が発見され事故死として処理されたが、死因に疑問を持った神学生の父親がロンドン警視庁に乗り込み、非公式の捜査を依頼する。その神学校で何度も少年時代の夏休みを過ごしたことがあり、ちょうど休暇でサフォーク州を訪問する予定だったダルグリッシュ警視長が捜査を担当することになり、神父、神学生、関係者らの聞き込みを開始した。ところがその翌日、神学校に付属する教会内で殺人事件が発生し、ケイト、ピアースの両警部、ロビンズ部長刑事らおなじみのメンバーが呼び寄せられて事件を捜査することになった。 教会内で殺された人物は神学校の閉校を画策している国教会の大物(大執事)で、当然ながら神学校関係者からは憎まれており、殺害の動機を持つ人物は何人もいた。さらに、学生の事故死、大執事の殺人で学校が閉鎖されれば、莫大な学校の財産を誰が受け継ぐかを巡って様々な憶測が渦巻いていた。物的証拠が乏しい中、ダルグリッシュとチームの面々は関係者のささやかな証言を基に複雑なジグソーパズルを組み立て、ついに真犯人と動機を解明する。 P.D.ジェイムズ、81歳時の作品とあって「このシリーズがまだまだ続いていくのかどうかがファンの関心を集めている」と訳者の解説に書かれているが、その後も新作が発表されてきたのは、ご存じの通り。なんせ、ダルグリッシュが恋に落ち、高校生のようなぎこちない告白をするという、続きを読まないではいられないシーンで本作を終わらせているのが、作者の決意を示す何よりの証拠だろう。 |
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アイスランド発のベストセラー、エーレンデュル捜査官シリーズの邦訳第二弾(シリーズとしては4作目)は、前作「湿地」以上に重苦しく、読者に強烈な印象を残さずにはおかない作品だ。
レイキャヴィク郊外の新興住宅地の家で開かれた子供の誕生パーティーで、床をはい回っている赤ん坊が口にしているのが人骨であることを、たまたま居合わせた医学生が発見する。その骨は、子供が近くの住宅建設地から拾ってきたもので、発見現場にはさらに多くの人骨が残っていた。通報を受けた警察は捜査を始めるが、60〜70年も昔のものと判明し、同僚は乗り気ではなくなるが、エーレンデュル捜査官は捜査を諦めることが出来なかった。遠く、第二次世界大戦当時の記憶と記録を訪ねる捜査の末に発見した人骨の身元は、そこに埋設された理由は・・・。 古い人骨のなぞを解く捜査を本筋に、サイドストーリーとして、エーレンデュル捜査官の家庭状況と子供時代の記憶の物語、第二次世界大戦時のアイスランドでの家庭内暴力の物語が絡んできて、物語は重厚で味わい深く展開される。「私は殺人事件が起こる背景に焦点を当てたい」と語るインドリダソンらしく、人骨が埋められるまでの経緯を丁寧に描き、エーレンデュルの現在と重ね合わせることで、ミステリーの枠を超えて、人間を破壊する暴力の本質に迫る作品となっている。 シリーズはすでに12作まで書かれているそうで、今後の邦訳出版が楽しみだ。 |
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「点と線」と同時期に発表された、松本清張初期の長編。いわゆる「社会派推理小説」分野を確立することになった記念碑的作品のひとつと言える。
時代は1950年代後半、日本は経済の成長が著しく戦後の混乱から脱すると同時に、復古の動きもみられるようになっていた。某企業会計課次長の萩崎竜雄は、勤務先が手形詐欺に合い、尊敬する会計課長が責任を取って自殺したことに衝撃を受け、報復のために犯人探しに乗り出す。しかし、素人ひとりでは思うに任せず、友人の新聞記者の助けを得ることにしたが、なかなか真相にたどり着くことができなかった。一方、別の殺人事件から捜査を始めた警察も、捜査を進めるうちに手形詐欺の背景に迫ることになっていた。素人探偵二人は、警察より早く真犯人をとらえることができるのか? 経理部門の企業人、新聞記者、闇金融業者、バーテンダー、弁護士、黒幕の右翼などの登場人物も、東京駅、銀座や新宿の夜の街、競馬場、中央線沿線や信州の片田舎などの舞台もきわめて強い存在感を持っており、読み進めるにつれて引き込まれていった。 トリック中心のマニアックな推理小説からリアリティのある推理小説へ、そのための人間性と社会性の重視へという、松本清張の主張が十二分に発揮された構成とストーリーで、半世紀を過ぎた現時点の基準で見ても非常に高く評価できる。 ただ、当時の社会状況を知らない、若い世代の読者には理解しにくいというか、良さが分かりにくいだろうと思う。 |
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中学受験を控えた子供たちの夏合宿のために湖畔の別荘に集まった、並木俊介・美奈子夫妻を含む4組の家族と塾講師のもとに、若い女性が訪ねてきた。ところが、彼女は並木俊介の部下で愛人だった。その晩、彼女と会うための時間を無理矢理捻出した俊介だったが、結局会うことが出来ず別荘に戻ってみると、自分たち夫婦の部屋には殴殺された愛人の姿があった。驚愕する俊介に、美奈子は「あたしが殺したのよ」と呟いた。警察に連絡しようとした俊介だったが、子供や家庭への悪影響を心配する他の2組の夫婦に説得される形で犯行を隠蔽することになる。果たして、彼らは殺人事件を無かったことにすることが出きるのだろうか?
子供が受験生仲間というだけの4組の夫婦が、子供のためとは言え、殺人事件を隠蔽するという設定が、まずはあり得ない。と思うのだが、さすがは東野圭吾、読み進める内に「そういうこともあるかも」と渋々納得させられてしまう。前半は隠蔽工作のあれこれのサスペンスが中心だが、後半では事件の真相に疑問を持った俊介が真犯人を探すというミステリーが中心となり、読者の意表を突く犯人と動機が明らかになる。 非常に緻密な構成で、全体を通してフーダニット、ワイダニットのミステリーにふさわしい緊張感がありながらとても読みやすく、幅広くオススメできる作品だ。 |
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カーソン・ライダー刑事シリーズの第5弾。巻末の「解説」にもある通り、カーソンが実兄・ジェレミーの呪縛から解放され始めた、シリーズの転回点となりそうなモニュメンタルな作品だ。シリーズ作品なので第一作「百番目の男」から読み始めるに越したことはないが、本作だけでも十分に楽しめる上質な社会派ミステリーである。
自宅前で早朝の釣りを楽しんでいたカーソンとハリーの刑事コンビは流されてきたボートの中で瀕死の赤ん坊を発見し、救助する。ボートがどこから流されてきたのかを探していた二人は、ボートが海に押し出されたと思われる場所で住宅の焼け跡と銛で刺殺された焼死体を発見するが、自分たちの管轄外だったため、地元警察に捜査をまかせることになる。 一方、救助された赤ん坊が病院から誘拐されそうになり、犯人はその場で射殺されるが、背景には何らかの組織の存在が疑われた。また、過激な人種差別発言で人気を集めていた極右の有力説教師がSMプレイ中に変死しているのが発見され、カーソンとハリーが捜査を担当する。無関係に見えた二つの事件だが、捜査を進めるに連れて、同じ根から発生していることが明らかになって行く。 事件の背景となっているのは、今なおアメリカの病巣といえる人種差別で、それを育み維持しているディープサウスの原理主義キリスト教を基盤とする保守主義に対する作者・カーリイの激しい怒りがヒシヒシと伝わってくる。ヘイトスピーチが取り上げられることが多くなった日本の現状を考えると、作者の怒りは他人事ではない。 そうした社会的な評価は別にしても、ストーリー展開の早さ、最後のどんでん返しなど、サスペンスフルなミステリーとして非常に優れており、多くの人にオススメできる作品だ。 |
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「カッコウの卵は誰のもの」というタイトルから連想できるように、生みの親と育ての親というか、遺伝や血縁は人生にとってどれだけの価値があるのかを問い掛けた作品。amazonのレビューでは結構厳しい意見が散見されるが、それも仕方がないかなと思わせる。並みの作家ならもっと高い評価になるのだろうが、どうしても「東野圭吾だから」という期待が先行するので・・・。
日本を代表するトップスキー選手だった父と、日本を代表するスキー選手に育ちつつある娘に、遺伝子研究に基づく選手の発掘・育成をめざす企業から研究への協力が要請される。ところが、父の方には、娘には絶対に打ち明けられない秘密の疑問があり、簡単に協力する訳にはいかなかった。ところが、娘に対する脅迫状が届き始めたことから、父は否応なく疑問の解明に乗り出すことになる。そんな中、娘が乗るはずだったバスが事故を起こし、乗り合わせた男性が重態に陥ったが、警察の調べで、事故は仕組まれたものであることが発覚する。狙われたのは娘ではなかったのか? 犯人探しの謎解きと娘の出生に関する謎の解明が並行して進み、それなりの厚みのある話なのだが、謎の構成が分かりやすいことと、予定調和的なエンディングに落ち着いてしまうことで、きわめて軽い読後感になってしまったのが残念。犯人探しの主役が警察ではなく素人探偵なので、どうしても偶然に頼った、ご都合主義的な展開になっていることにも不満が残る。 最後まで読み終えても母親が自殺した背景や真相が不明で、足掛け5年の雑誌連載中に作者の心変わりがあったのかなとも感じた。 |
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「野蛮なやつら」の三人、が主役だが、今回は彼ら三人の家族史と南カリフォルニアのヒッピーから現代に至る反体制的気質および大麻から始まる麻薬戦争の歴史が絡む、40年の物語になっている。
ベンとチョンが運営している大麻製造販売組織が商売敵から妨害を受け、反撃に出たところ、麻薬取締機関をも巻き込んだ、組織の存亡をかけたトラブルにまで発展してしまう。ストーリーのメインはベンとチョンによる戦いだが、その背景にはベン、チョン、Oの家族の歴史が隠されていた。 ヒッピー文化に陰りが見え始めた1960年代後半からの40年、南カリフォルニアでは、反体制の象徴だった大麻はLSD、コカインへと変化し、それを扱う者もヒッピー崩れやサーファーから犯罪集団、メキシコのカルテルと組んだ国際麻薬密売組織へと変化して行く。その過程で、かつてのヒッピーやサーファーがどのような変貌をとげてベン、チョン、Oにつながって行くのかが読みどころ。ボビーZ、フランキー・マシーンなど、ウィンズロウの他の作品の登場人物が友情出演で顔を見せるのも、ウィンズロウ・ファンには楽しめるポイントだろう。 |
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某有名作家の別名フィリップ・カーターのデビュー作。その作家名は公表されていないが、ロバート・ラドラムとの共通点を指摘する声(ラドラムは2001年に死亡しているため、ありえない話だが)も多いそうだが、さもありなんという疾走感あふれるアクション小説だ。
サンフランシスコでホームレスの老女が殺害された事件。その一年半前にテキサスで、ある男が死んだこと。1937年シベリアの強制収容所からの男女の脱走。一見、何の関係もなさそうな三つの出来事が、殺害されたホームレスの孫娘・ゾーイを軸にして縒り合され、アメリカからヨーロッパを縦断してシベリアに至る壮絶な追撃戦が展開されることになる。その中心となるのが「骨の祭壇」で、ゾーイは殺された祖母からの手紙で「骨の祭壇の守り人」に指名されていた。「骨の祭壇」とは、何か? どこに存在するのか? 何も分からないまま「骨の祭壇」を探し始めたゾーイに、ロシアンマフィア、元KGB、謎の富豪などさまざまな背景を持つ殺し屋が、次々と襲ってくる。果たしてゾーイは無事に「骨の祭壇」の謎を解き、在り処を発見できるのか? ゾーイと、彼女を助ける元特殊部隊員・ライの獅子奮迅の働きによって、シベリアの少数民族が守り続けてきた秘密が明らかにされるだけでなく、現代アメリカ史の謎になっているケネディ大統領暗殺、マリリン・モンロー死亡の真相までもが明らかにされる。まあ、はっきり言って非常に出来が良いB級アクション作品で、ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーとかで映画にすれば受けそうな感じがした。 気になる作家の正体だが、ダン・ブラウン、スティーブン・キングなどの超大物の名も取りざたされているという。読後の直感に従えば、ジェットコースター的な展開はジェフリー・ディーヴァーかと思うし、ヒロインの気性の起伏の激しさを考えるとデニス・ルヘインも候補に挙げておきたい気がする。 銃撃戦やカーチェイスがお好きな方におススメする。 |
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フィンランドではシリーズ開始以来20周年を迎え、すでに12作品が発表されていて知らぬ人のいないという人気ミステリー「マリア・カッリオ」シリーズ。元シリーズでは5作目、日本では第2作目(第1作は未読)となる本書は、フィギュアスケートのスター選手殺人事件という、いかにもフィンランドな作品だ。
ショッピングセンターに駐車した車のトランクから、若手のホープとして期待されている女子フィギュアスケート選手・ノーラの死体が発見された。かつてノーラの母親と同棲し、現在ではストーカー行為を繰り返している男が有力な容疑者と目されるが、捜査を進めるにつれて、ノーラを取り巻くスケート関係者にも容疑がかけられてくる。本シリーズのヒロイン・マリア巡査部長は妊娠7ヵ月の身重にもかかわらず、全身全霊をかけて捜査に取り組んでいく。 殺人事件の真相はそれほど複雑なものではないが、フィンランドのフィギュアスケート界の事情、ロシアとの関係、警察内部の人事を巡る駆け引きなど、バックグラウンドの構成と描写が巧みなので、最後まで飽きることなく読めた。エピローグでマリアが女の子を出産したため、シリーズは今後さらに人間味にあふれた展開になっていくことが予想されるが、果たしてどうだろう。 それにしても、最近の北欧ミステリーブームはとどまるところを知らず、ついにフィンランドのミステリーまで紹介されるようになった。その最大の理由は、物珍しさではなく、すぐれた作品が続々と出てくるところにあると、改めて確信した。 |
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