■スポンサードリンク
IN
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
INの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.51pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全37件 1~20 1/2ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
やっと手に入り 早速 読み始めました 大変に満足です | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
内容は 好きな作家の作品なので、楽しめました。ただ、字が小さすぎて 年寄りの私には読みにくかった です。ページを多くすることで 多少 本の厚みが増しても 読みやすい方が良いのでは? | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
OUTが非常に興味深い作品だったので、INは続編かと思い読破。どろどろとした歪んだ恋愛小説なので、全く合わなかった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
小説家のいる二家族の物語が、絶妙にクロスする面白さ、その構成の妙に唯々、感銘する。 推理小説でもないのに、〇子は誰か?の真相に肉薄し迫る面白さ、それが過去の恋愛である 点が、なおさら、この小説を大人の作品に仕上げている。 この本で、心に残った”なるほどの一文”「私たちの滑稽な奔走そのものが恋愛の姿なのです」 確かに、恋愛で起きる様々な出来事をうまく表現していると思う。 やっぱり、桐野夏生は凄い!と心底思った。 桐野小説から随分、遠ざかっていたが、また、読みたくなった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
妻と夫、男と女、子供と家族。人間の原点である愛と嫉妬と憎しみと懐疑がそれぞれの立場で緻密に描かれており、自分自身が物語に入り主人公と重ね合わせてみる。 作者の緻密な人物描写、心の中の葛藤が克明に描かれておりぐいぐい引きこまされて行く。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
桐野夏生の小説に〚OUT〛と言う外国でも評判の高い本がある。「OUT」があるなら「IN」もあるだろうと捜したらこの本があった。だがこれは〚OUT〛と全く関係ない。「IN」とは各章のタイトルである「淫」「隠」「因」「陰」「姻」「IN」の総称である。第三章だけが「〚無垢人〛(作)」となっている。別の漢字の「いん」を当てても良いではないかと思うが判らない。 舞台は2005年の頃。物語は、中堅作家鈴木タマキが1988年に亡くなった著名作家・緑川未来男が1973年に出版した〚無垢人〛の中で書かれている愛人〇子の実相を、フィクションとして追及する過程を追っている。タマキの三人称の語りであるが、すべての視点は彼女のものである。 緑川未來男のモデルは明らかに島尾敏夫であると読める。『無垢人』は島尾の『死の棘』である。〚無垢人〛に〇子とのみ書かれる浮気相手の女は〚死の棘〛でも単に「女」と呼ばれているのみ。〚無垢人〛も未来男の浮気相手が、緑川家に取り付き、破滅させようと計る悪魔の女として書かれている、男性本位の作品だとタマキは読む。 緑川の代表作〚無垢人〛は私小説の最たるもので、登場人物のほとんどが「実名」を与えられている中で、「〇子」のみはモデルも判らず謎に包まれている。タマキはそれを「恋愛における抹殺」と呼び、モデルを掘り起こし彼女の「名誉回復」を計りたい。のんなタマキには、従来の歴史を転倒させずに置かないジェンダー思想を読み取れる。 だがストーリーはそれほど単純ではない。タマキには7年も付き合い、彼女を育て上げた、阿部青司という編集者の恋人がいる。双方とも結婚している。二人の関係は浮世を断った純粋は文学上の交わりだ。作家のタマキは彼と「一線を越える」覚悟はできているが、サラリーマンであり、浮世での出世願望もある青司はそこまでは踏み切れない。次第に「虚構」の世界に飽きてきたことも原因だ。二人はやがて破局を迎え、彼はその後突然死する。タマキが心から愛した青司は彼女の小説に登場することなく「抹殺」されるだろう。ここには緑川と〇子の関係の正反対の現実がある。 こんな背景を保ちつつ、タマキの〇子探しが始まる。各章はその「容疑者」探しで成り立つ。『緑川全集』に作家と共に写っている謎の美少女・石川茂斗子、緑川の文芸誌の「同人」で文才がないと言われた三浦弓美(故人)の師匠だったプロレタリア作家の村上禎子(故人)の娘静子へのインタビュー、新橋で文壇バーを開いていたという浦霞治子の息子からのたれこみ電話。そんな探訪は読者を飽きさせないが、すべては空振りに終わる。不思議なのは桐野の同様なモデル小説、林芙美子が陸軍報道部報道班員として南方を歴訪した様を描いた『ナニカアル』では、登場人物のほとんどが実名のままであるのに対して、この作品では全員が仮名で登場することだ。本名を類推できそうだが、誤りを恐れて止める。 最後に緑川の未亡人千代子を北海道に訪ねる。〇子は存在しない。すべてはフィクションだと明白に拒否する夫人だが、退去間際に、書かないという条件で、タマキだけに、緑川に宛てた三浦由美の「遺書」を見せる。〇子は実在した。千代子の存念が陽気迫る場面である。 〚ナニカアル〛で示唆されていた軍国日本批判とは異なり、ここから何かの明らかな批判を読み取ることは難しい。『死の棘』に興味がない読者には退屈な本でもある。本書の本当の面白さはそこではなく、作家鈴木タマキの、したがって作者桐野夏生、の普段は語らない創作上の秘密が満載されているところにある。私の場合はこれらに感嘆し、納得したと言っても過言ではなかった。以下はその抜粋である。数字は単行本の掲載頁 〇作家の本性―恐ろしいほどの冷たい視線。自分のことを他人ごとのように見る第三の目[を作家は持っている。従って作家は善人でありえない] 〇真の作家は、負の部分を原動力にして、前に進んでゆく51 〇しかし小説とは、そもそも不公平で不公正なものではないだろうか……夫の真実、妻の真実、愛人の真実、子供たちの真実、各々が真実と信じるものの集合が、真実と言う名の、過ぎゆく時間である130 〇作家は恐ろしいほど愚直に自分の感情を信じている190 〇確かに自分の書いたもの小説が密かに現実を切り崩していくと気がある。そんな時は小説家である自分が悪魔に見えたり、虚構が恐ろしいものに思えたりするが、現実を切り崩すほどの虚構は、現実よりも厳密に作らねばならないのだ204 〇小説とは皆の無意識を拾い集めて、物語と言う時間軸とリアリティを与え、さらに無意識を再編することだと気づく240 〇小説として立ち現れる幻……自分が書いてきたのは、現実を凌駕するほどの虚構でなくてならなかった。優れた虚構には現実を買えるほどの力があるはずだと243 〇なぜ自分はこのように現実と幻が混沌と混じり合う仕事をしているのだろう245 〇だから書くという仕事が見せる夢と幻は、タマキ[作家]の周囲を知らぬ間に変えてきたはずだった。淡く薄い交情を書けば、淡く薄い世界に、激しい感情を書けば激しい人間に。濃密な人間関係を書けば……濃密に246 〇真実は真実ではないからです。真実と思えるものを書いた時点で。それはフィクションになります。それを知っている作家は、真実と思えるものを魅力的に、そして面白くします。そのためには真実に間違われるフィクションが必要なのです。ですから作品はすべてフィクションなのです275 〇どこかの誰か[の読者に]に、自分のことが書かれていると勘違いさせて、居ても立ってもいられない境地にさせ、密かに人生の針を狂わせる[のが]小説というもの286 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
大好きな人と数十年に渡り、恋愛→拒絶→邂逅→恋愛というループを繰り返している身としては「恋愛の抹殺」というテーマにある種救いを求めて手に取りました。 読後の感想は「何か、違う」。登場人物のエピソードが散漫で、肝心な「恋愛の抹殺」の核心がぼやけてしまったような、そんな印象です。 「許せない」というフレーズは少しヒントをもらえた気もしましたが、そんな泥泥したところとはまた違うような…。やっぱり自分で考えようと思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
桐野ファンを自認している私だが、なんとも頂けない。 この本だけはどうしても駄目。 全体像はつまらなくても部分的にはハッとする記述が普通はあるのだが…。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
なんかどこかで読んだことがあるような気がする…と思って読み進めていったら、物語の後半はやや帳尻合わせ感がある。この作者が同じようなテーマで書いているような気がする。浮島の森だったか。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
恋愛の「抹殺」がテーマのお話。 作中に登場する『無垢人』は、島尾敏雄の『死の棘』をモチーフに していることがわかる。 『死の棘』、高校時代に昭和最高の文学と現国の先生にいわれ 薦められていたのだが、なかなか手が出ず、最近ようやく読んだ。 読んだといっても、圧倒的な閉塞感に苦しくなり 途中で読むのをやめてしまったのだ。 恋愛における抹殺とは、なんだろう。 作家である主人公のタマキは自身の終わった愛に思いを馳せながら このテーマを掘り下げていく。 最後に登場する愛人とされた○子からの手紙の下りに この物語の本質はあると思う。 死んでゆく者こそが無垢であり また、タマキの愛人も作中で死ぬ。 ただ、私は思う。 死んでゆく「者」ではなく、死んでゆく「恋愛」つまり、 その瞬間の思いこそが無垢なのではなかろうかと。 あとは、経年とともに腐敗していくだけで、 それを示唆した下りが作中に存在する。 「その時はそう思った」とは、恋愛の本質でもある、とタマキは 思った。恋愛は時間の経過に堪えられずに、密かに変質していく。 腐敗と言ってもいい。ガスがたまり、一気に爆発する。 爆発後は、二人とも、てんでばらばらに投げ出され、 周囲を見回すとまったく違う荒野が広がっている。」 しかし、その時はそう思ったという思いは 永遠になくならない。 存在したという事実が、肉体が滅びてもなくならないのと同様に。 その思いこそが、無垢なのだと思う。 変わらない思いなんて嘘だし だからこそ美しい(醜い) 変わらずにいる努力が大切だというけれど 努力になんの意味があるのだろう? そもそも恋愛は、恋愛したくてするものではなくて 不可抗力的にしてしまうものなのだ。 不可抗力で始まるものは 不可抗力で終わるだろう ただ、「その時はそう思った」ものから 醜いものも美しいものも生まれ、それこそ無垢な魂の発露である。 桐野さんも、それを本書で描きたかったのではないだろうか? | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
私にとって桐野夏生は江戸川乱歩小作家で女探偵「村野ミロ」シリーズの著者。 その後はテーマが変わってしまったので、あまり読んでいません。 久々に読みましたが、私はすっかり引き込まれ、一気に最後まで読みました。皆さんそうでもないのに逆に驚きを禁じえない感じ。 不倫という形の2つの結末。主人公の女流作家の私生活とその女流作家が紐解こうとしている故大作家の私小説に登場する名の明かされない愛人の謎が絡み合って話は進みます。謎に迫りたくて読み進みました。 ひとつ気持ち悪いのは。。。この方が推理作家としてデビューしていながら、謎解きのエピソードがすべて使われず中途半端にぶら下がったままで話が終わることでしょうか? ここで、星マイナス1.5くらい。 星3.5。四捨五入で4とおまけしておきましょう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「OUT」の関連の話かと思ったら全然違った。 独りよがりの作者のマスターベーションを 見せられてるような感じでつまらない。 どうしちゃったのよ、桐野さん。 ○子の正体をずいぶん引っぱったけど、意外性もなければ収束感もない。 「20世紀少年」で二人目の“ともだち”の正体がカツマタくんだと 明かされたときと同じ雰囲気。 「OUT」のような話を期待してる人は読む価値なし。 これに★5つつけてる人ってひょっとして工作員の方? | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
多くの桐野夏生ファンの方とおなじように、僕もあの名作「OUT」の裏面を描いた作品だろう、とタイトルを見てダイナミックでパワフルな内容を期待して読み始めた。〜著者は「OUT」以降、エンタテイメントと純文学をランダムに書く作家に転身した。おそらく本作も純文学の範疇に入る作品だろう。その範囲のものとして「グロテスク」は非常に高い完成度を誇っている。しかし、本作の出来は・・・。主人公の作家の恋愛と作中の緑川という作家のエピソードを連動させることによって、恋愛の果てをうかびあがらせようという仕掛けになっている。だが、それがうまく連動していない。かつ、書き出しから緑川と奇妙な関係にあった少女のモノローグの部分と、緑川の小説が挿入されているところまでは比較的モチーフがしっかりしている。しかし、その後の鈴木タマキと青司という人間の恋愛関係を書いた部分があまりに凡庸かつ冗漫すぎる。その上、純文学にする上での鉄則だが、テーマを具象化して書くことができておらず、前述した恋愛関係の描写の中に桐野夏生女史が言いたいことがそのまま書かれてしまっている。さらに執拗になるが、緑川の「無垢人」以降のその部分が、まったくおもしろくない。〜僕は桐野女史の熱心な読者ではないが、こういう作品を読んでしまうと「グロテスク」の頃と比較して、著者の才能の枯渇を疑わざるを得ない・・・。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
何が言いたいのかよく分からない。作者自身が不倫をしていたらしいが、それにとくに興味もない人間にとってどう読めばいいのか。作家と編集者がたくさん出てくるのも、楽屋ネタっぽくていや。漫画家が漫画家を主人公にしているような…。 東京島、メタボラ、OUTで桐野ワールドに惹かれたが、この作品にはがっかりした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
過去の私小説「無垢人」の真相を究明していく話と 現実の不倫関係にあった男との再会 そして死。 不倫が与える影響が本人達以上に周りに与えることなのだと。 女は怖い。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
私小説のモデルを探す作家と、作家自身の不倫体験が合わせ鏡のようになって進むのかなあ、と思っていました。 でも、なんだかよくわからないうちに両方とも終ってしまった。 作中の「小説」も、なんかぱっとしないし。 何が言いたいのか、何を語りたかったのかよくわからない。 この本を理解するには、私はまだまだ人生経験が不足しているのでしょうか。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
桐野さんの「OUT」と反対の題名の「IN」という小説を読んだ。 桐野さんを思わせるような女流小説家と編集者との7年間に渡る不倫の話だった。 設定があまりにも現実と似ているので、私小説なのかな思ってしまった。 だが、実際には、ほとんどがフィクションで書かれたようだ。 作家の鈴木たまきと編集者の阿部青司の恋愛の涯を見たいという感覚や恋愛を抹殺しようとしている鈴木たまきの言葉は心に響いた。 二人の未来がなければ別れると言った鈴木たまきに対して、結局未来を与えることが出来なかった阿部青司だが、鈴木たまきよりも阿部青司の方がその恋愛を必要としていた。 鈴木たまきの方は、恋愛が終わったらその恋愛を抹殺し、何事もなかったように小説を書き続けるが、阿部青司は小説の編集の仕事を離れ、失意のまま不治の病で死んでいく。 女性と男性の恋愛の違いをまざまざと見せられた。 「OUT」は外に向かっていく小説だったが、「IN」は心の内面に向かっていく小説だった。 桐野さん得意の、この恋愛の崩壊による、心の崩壊が今回も書かれていた。 なかなか考えさせられる傑作だった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
2009.7OUTは好きだったけれど INはパッとしませんでした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
言葉の繰り手或いは狂言回しである小説家は、個人の修羅場でさえ華麗かつグロテスクなミステリーとして変容させる。 かつて自分は『柔らかな頬』で、幻滅の極みに追いやられたトラウマがあり、彼女の著作は二度と読むまいと思っていたが、本作への評価を見るにどうやら桐野女史の本来の力量ではないと言うことを知り、恥じ入りながらも再び女史の紡ぎだす生々しい世界観へと足を踏み入れた。 果たしてそれは、確かに『恋愛の抹殺』を真摯に描いた群像型サスペンスと言っても良い巧妙精緻な出来栄えであった。人の心の内面を描くという普遍的かつマクロなテーマから、幾度も転調を繰り返し、読者の興味を煽っていくのだから素晴らしいとしか言いようがない。 ここ最近中身があるようで無い小説ばかり読んでいた自分にとっては衝撃であり、まさに驚天動地な作品であった。内容についてはあまり詳しくは書きたくないが、女性の持つ本能的恐ろしさ、或いは執念深さと言う、ステレオイメージを読者が嫌気がささぬ程度に調整し、一個の作品として昇華せしめた手腕は素晴らしいの一言だ。 最後にあえて言及させて貰えれば、主人公があの結末から生み出す「淫」がいかなるものであるのか、私の興味はつきない。 女流作家はあまり読まないのだが、傑作と言わしめるに十分だろう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この作者の本は全て読んできました。 ファンだったのだけど、ここ最近出す本をどうしても面白いと思えない。 本を出せば出すほど面白くなくなってきている気がします。 なぜでしょう。 桐野ワールド復活して欲しいです。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!