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猫鳴り
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猫鳴りの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.92pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全88件 41~60 3/5ページ
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猫を通したオムニバスストーリー。 少しミステリーっぽいホラーぽい要素もあるが、基本的にあまり怖くなく、とくに謎があるわけではなかった。 猫に関する描写が結構しつこく、 個人的にもういいよと思ってしまう。 帯の評判の割にはイマイチな内容だった。 | ||||
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猫を飼って猫が死ぬ話でしょー、よくある話でしょ。と思いつつ読み始めました。 ところが。 結果、動物モノの範疇にはとどまらなかったです。 人の生の断片と、猫の一生を語り口にしていますが、読むうち猫の一生は人間の一生に重ねられていることに気づかされます。 むしろ、描いているのは人間のほうなのですね。 作中には冷徹、孤独、絶望、衝動などさまざまな烈しい情念が闇の中に渦巻いているにもかかわらず、あくまで品があり緻密で、どこか温かさもある。 あからさまなポジティブシンキングはありませんが、きっと、絶望を呑みこむような人の生への愛情が筆者の中にあるからなのだと思います。 絶望と希望をテーマとする同様の作品と比較しても、違和感なく受け入れてしまうものがありました。 ※猫を飼ったことがある人のほうが伝わりやすいのは確かだと思います。 私は子猫からこの世を去るまで猫を飼ったことあります。 | ||||
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とても面白かった。 しかし、一般的な面白さの定義には当てはまらない部分が多い作品であった。 私以外の読者もこの作品が単純に面白いと言えない人は多いだろう。 読む人によっては駄作にもなりえるだろうし、人生で出会った中での一番の傑作となる人もいるだろう。そのブレが大きい。 そういう意味では万人向けでないと思う。 確実に言えることは、私は今まで小説を読んだ中で一番感情を揺さぶられた。 一度読み始めるとページをめくる手が止まらなかった。 そして読み終えた後、この本からたくさんのものを貰ったと感じた。 もう一度読みたいと思った。今も何回目かを読み進めている途中だ。 だからもう一度書く。この本は面白かったと。 この本を客観的に評価するなら、もの凄くリアルな小説だ。 小説というものは、まぁ必ず登場人物がいると思うのだが、 人が人を書くとどうしても現実にはありえない人物像になってしまう(と思う)。 小説というものは起承転結、オチをつければいけないので、 どうしても都合の良い部分が出てきてしまう。 それが悪いと言っているのではない。小説としてはごく自然なことだし、 魅力的なキャラクターこそが魅力的なストーリーを奏でるのだ。 焦点は、私がこの本については現実味を大きく感じたということだ。 しかし、やはり登場する人間については現実との剥離を感じてしまった。 ただ、ギリギリまで真実味があるように描写されていると思う。 芯の部分は猫の描写だ。これがすごい。 実際に猫を飼った人ならわかるだろうが、猫の仕草と感情表現が如実に表現されている。 勿論、猫の感情が理解できるわけはないので、 作中においても登場人物が猫に対して感じ、想像した思いが描写されているのだが、 自分の飼い猫がそうでなくても、こういう猫いるなと共感する人は多いだろう。 目を閉じればその情景が簡単に想い起せた。 ただ、登場する猫が現実と剥離していないかというとそうではなくて、 猫としておかしいところ、立派すぎるところもあるのだが、 作中にちりばめられたなにげない猫の所作一つ一つがリアリティを感じさせるのだ。 さて、本書は3部構成になっている。 おそらく作者の書きかかった部分は、やはり3章でろう。この章を読まなければこの本を読む意味はない。 では1章2章はどうなのかというと、私は1章と2章があるからこそ、この物語のリアリティを強調されていると考える。 3章は特にメッセージ性が強い。 ただそれは狙ったものではなく、人生の折り返し地点を過ぎた後の、 生きるという行為をただただ純粋に見つめ、思うことを淡々と書くことで 読者が日頃無意識に考えないようにしている、非常に重要だが目を逸らしたくなる真実を考えさせるからだろう。 それに比べると1章と2章はメッセージ性が低い。 勿論、3章に比べればという話で、考えさせられる要素はいくつもある。 表面上穏やかに過ぎる日常の裏で、人間の暗く湿ってドクドクと熱く脈打つような感情を生々しく描写しており、 読者の中にも潜む魔物を再確認させるのだ。 だが、日常は得てして1つの価値観で図ろうとした際には混沌としたものであり、 登場人物たちの思惑は、我々の思考が人それぞれであるように、発散する。 そのため、ストーリー上無価値と思える思考や出来事が多く、結果として2章までのストーリーをうまく飲み込めない人もいるだろう。 私はこの部分にこそ、本書のリアリティの土台があると考える。 本書は猫の一生を書いたものである。ストーリーテラーはそのときに猫と交わる人間だが、 彼らは主人公のようであり、ある意味では脇役のようでもある。 一生は長い。後で記憶に残るのは楽しかったことや悲しかったことだが、 残りの大半は雑多で無価値なものではないだろうか。 逆に言えば、その大半のものがあるおかげで、記憶に残るエピソードはより印象的に感じるのだ。 本書にも同じことが言える。 雑多で意味があるのかわからないエピソードがあるからこそ、 悲しいこと、楽しいこと、憤ること、嬉しいことが際立って観えるのだ。 それが人工的な盛り上がりではなく、自然に心を打つリアリティを作品に与えているのだろう。 さて、最後になったがもう一度書かせてもらう。 この本は人を選ぶ。 まず、最低限ペットを飼って愛を注いだ経験のある人間でなければ、登場人物の感情についてはいけないだろう。 さらに言わせてもらうならば、 ペットを含む家族の最後を見届けたことのある人、または人生が変わるくらいの挫折を経験した人間は 本書を最も楽しむことができるだろう。 だが最も重要なのは、家族への愛である。 その意味の片鱗でも実感し、噛み締めている人は、本書を読んで損はないだろう。 興味のある人はぜひ一読してみることをお勧めする。 | ||||
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「お前,それ『絶望』っていうんだぞ。」二章で父が息子に言う。でも父の背中にも絶望が張り付いているように見える。この前に「九月が永遠に続けば」を読んだときはなんかネバネバした話だな位にしか思わなかったけど,このネバネバ感が絶望から来ていることにようやく気付いた。気持ち悪い中年オヤジが,いつのまにか心の支えの(ほんの)一部になったりとか,よく考えると絶望だよな。一章の母親が子猫の首を絞めるのも何か絶望の香りがする。圧巻は三章で一人残ってしまった父が猫の最後を看取るのだが,描写が上手くて読んでいるこっちが絶望的な気持ちになっていく。もう苦しくて見ていられなくて,「頼むから早く死んでくれ」と思う。でも,子猫の時にお気に入りだったかごに入れてただ淡々と猫を回すシーンを読んでしまうと,「ああ,やっぱり死なないで」と思ってしまう。第3者的にみると,このお父さんは今まさに絶望の真っ直中なのに,本人がそれに気付いていないのがまた悲しい気分にさせられる。でも,結局どんな人間でも見る人が見れば絶望の真っ直中なのかもしれない。二章の子供も一章の母親もまるで気付いていないように,実は自分がとてつもない絶望の中にいるのにそれに気付かないという恐怖。猫を見に来てくれたお医者さんを死んだ自分の息子だと夢想する場面は泣ける。この夢想自体が絶望なのに・・でも,これを否定できる強い人間なんて誰もいない。否定しているのはただ猫だけだ。猫は一つも絶望しない。最後まで生きて死んでいく。去年読んだ中で一番心に残った作品だった。 | ||||
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まほかるさんの本は中毒になります。 まほかるさんが壮絶なじんせいを送った方だからかな・・ 文章に引き込まれます。 | ||||
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登場人物が重なってはいるが、三つの全く別な物語が展開する。 第一部は、高齢で流産した女性と、捨て猫を巡る物語。 第二部は、父子家庭で放任され、荒れる少年の物語。 第三部は、老猫と老人の死期を巡る物語。 それぞれにテーマも味わいも全く違う。それぞれに読みごたえがある。 私たちは希望などという根拠のないあやふやなものを頼りに生きている。果たして希望などというものが無くても、人間は生きていくことができるのだろうか。そんな問いかけになっている。 | ||||
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本書は、三部からなるが、第一部は拾われてきた猫が、捨てられても捨てられても生き延びるさまを描く。著者の描写は冷徹であり、捨て猫に向ける信枝の憎悪の眼は、頁を進めるのをためらわせる。 第二部は、一転して猫を捨てた少女が、中学時代のエピソードである。生き延びたモンは、大猫となっている。ここでは、別の捨て猫の死と、猫の死を経験して揺れる少年の心のひだが描かれる。 第三部に入ると、老齢期に入ったモンと飼い主の主人藤治との関係が描かれる。ここでは死にいたるモンの様子が必要に描かれる。ここにきて、第一部と第三部は、対になっていて、第二部は間奏曲的な役割であったことがわかる。 全編猫の日常のしぐさが、丹念に描写されており、猫をかったことがある人は思わずほほえんでしまうであろう。「猫鳴り」が、猫の喉をならすしぐさだとは思わかった。 | ||||
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野良猫だった猫を飼ってるので読んでみようと思いました。 猫を捨てようとする部分に共感できず読み進みませんでした。 | ||||
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生きるものの死。 これがゆっくりと、しかし確実に歩み寄ってくる様には臨場感があった。 しかしそこに恐怖や焦燥というものは感じられなかった。 寧ろ読み終えたあとにはどこか安堵があった。 死んでしまう、というよりかは、生き終えるということについて考えさせられる。 それにしても猫の様子がうまく描かれていたと思う。 猫のうごきのひとつひとつが頭にの中に浮かび上がってきた。 | ||||
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読ませていただきましたが、ねこ好きとしては少しリアルあまり感情移入できませんんでした。 いい年して子供な私でごめんなさい。 | ||||
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猫らしくない猫のモンと、その周りの人々の人生を綴った作品といった感じだろうか 二章のラストの父親の行動や、三章の人生の終わりを感じさせる淋しげな雰囲気など、 悪くない部分も多いのだが、一章と三章はモンとその家族の話なのに二章だけ別の親子の話、 一章、二章で不思議な雰囲気をかもし出していたアヤメが三章で全く出てこない、 二章の主人公も三章で出てこないと、一つの話としてまとまってるとはどうにも言い難い作りに なってしまっており、作品のできとしてはいまいち 三章はただ猫の介護をするだけの内容だけじゃなく、もう少し何か変化をつけて欲しかった そこそこは楽しめたが、満足はできない一冊だった | ||||
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猫が何かをするわけではなく、人目線で話が綴られます。我が輩は猫である的な話ではありません。 それだけに、とても自然にストーリーに入ることが出来ます。 健全なお涙頂戴です。実家で飼っていた犬を思い出しました。ペットが亡くなるのはやはり切ないですね。 | ||||
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「沼田まほかる」という妙なペンネームからして、若い人かと思いきや、実は60代のの女性だった。 裏表紙の惹句(これはあまり良くないと思う)より、よくあるペットロスストーリーだろうなと読み進めたところ、さにあらず。 結果、今年出会った小説ベスト1はドリアン助川さんの「あん」だろうと思っていたのに、この作品は、アッサリとそれを抜いた。 という具合に、こちらの予想を裏切られ続ける快感を、存分に味わうことができた。 作中で終始極めて重要な役割を果たすにも関わらず、猫はいわば小道具というか、人の心の奥底の機微を映し出す触媒のような存在であり、邪悪な部分まで含めた人間というもの、また、「生きる」ということについて、執拗なまでに描ききった傑作だと思う。 「生きる」ことの終わりがすなわち死であると、私は単純に考えているのだが、きっとそれでいいのだろうなとも感じた。 それに、どんな小さな生命にも、それなりにそれぞれ「生まれてきた意味」、更に言えば、「そのタイミングで生を終える意味」のようなものがあるのではないかということも。 僧侶の経験があるという作者も、そのような気持ちでこの作品を書いたのだとしたら、「それでいいのだ」と言われたようで、なんだかホッとする。 オムニバス風の三部構成なのだが、第二部の半ばまでは、とりわけ動物好きの優しい方々にとって、読み進むことがかなりキツく感じられることだろう。 けれどもどうか、第三部まで頑張っていただきたい。 そうすれば、生を終えつつある老人と猫との、不思議に平和で幸せで充ち足りた世界を知ることができる。 そこでやっと明かされる、「猫鳴り」という奇妙な造語の巧みさにも感服。 この言葉を信じて最後まで読んでみたけれど、もうひとつピンと来なかったという方がいらっしゃるとすれば、それは、その方のヒトとしての経験値が少ないためだと断言したい。 | ||||
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題名と読者評価に誘われて読みました。皆さんが文章力の凄さを評価していたことは大賛成。細描写がとても素晴らしく、1章は何だかイライラしながら読み、2章の途中で「作者の術中に嵌った」と思いました。 ただ、後半の老猫に対する飼い主の心のひだを表現するページが余りにも長くて、前半の結末もはっきりしないまま終わったのは残念。第1章の女の人が最後まで登場したら猫との関わりがどうなったのだろうかと思い、不完全燃焼で終わりました。 | ||||
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本屋で見かけて買うか迷っていました。今回Amazonで安かったので購入しました。 猫を通して、猫と共にある生活。切なさもあり、温もりもある。読み終えた時には、猫が側に感じます。 | ||||
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私なりに盛り上がって行ったんですが、最後の方はなんか消化不良みたいに終わっちゃった感じ。 | ||||
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まわりの猫好きに、少しばかりの違和感を覚えてきた私ですが、この物語に登場する猫と人間とのかかわりには、涙が止まりませんでした。まほかる本のなかで、私的にはナンバーワンの本です。 | ||||
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大切なことは猫が教えてくれる。 本作は三部構成で、一部はようやく授かった子を亡くし内部に虚無を抱えた女が仔猫に出会うところから始まる。 何度捨てても戻ってくる猫。信枝はついに、執拗にまで生きようとするその命を迎え入れる決心をすると共に、我が子を失った悲しみをこれからも抱えて生きていくことを決意する。 二部は親子関係が希薄で、衝動的かつ攻撃的な行き場のない絶望を内包する少年の話。 小さな他者への破壊願望を募らせ、ブラックホールと名付けた絶望を抱える行雄は、一匹のか弱い命と向き合うことによって静かに確かな変貌を遂げる。 ペンギンの死と直面した彼は思う。 こんなに小さいまま死ぬくらいならなんでわざわざ生まれたのか。と。 その答えはきっと見つかったことだろうと私は思う。 三部は、一部で信枝の夫に救われた猫が晩年になり最期の時を迎える話。 信枝はとうに亡くなり、残された夫が一人で猫と暮らしていた。 死を恐れる藤冶はモンの死をもまた恐れるが、懸命に死に向かって生きていくモンを見て、全てを受け入れる覚悟を固める。 この死へ向かっていくモンの描写とそれを見届ける藤冶の葛藤、心の揺れが繊細かつくっきりとした輪郭をもって書かれていて素晴らしいです。 「モンのヤツが行けたんだから俺だってちゃんと行けるだろう」 「ダイジョウブ、スベテ、ダイジョウブ」 「見事な別れを果たしきった猫をやんやと褒めそやしてやりたい」 心に残る言葉がたくさんあります。 人を救うのは哲学書でも宗教でもない。 ただの一匹の猫である。(猫や動物を飼っている人なら、彼らに学ぶことがどれほどたくさんあるかご存知のことでしょう) 動物であればすべてのものがごく自然に成し遂げていることなのに、人間には到底受け入れがたい苦悩がつきまとう死(生) 死というものに人は特別な感情を持つ。おそらくそれは生物の中で人間だけが持つものだろう。 それに反し、死ぬことをいとも軽やかに見事にやってのけるのは言葉を持たないただの小さな猫。 死が決して特別なことじゃないことを猫は知っているのだ。 その猫の死にざま(生き様)を見て人は教えられる。 ただ生きてただ死んでいくことがどれほど素晴らしいことなのかと。 (ただそれだけのことに意味を見出そうとする人間はやはり滑稽かもしれない) 治療を施され自然とは言えない死に方をした妻の死に際して藤冶が気付きえなかったことを、猫のモンは教えてくれたのだ。 これは希望という光を失った人々が再生する物語だ。 | ||||
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たまには違った傾向の、新しい作家の本も読んでみようかと、本屋で手に取ったこの本。「女子ブンコフェア」の帯になんとなく手を出したのだが、正直言って買ったのを後悔。新しい本を開拓するのなら、もっとリサーチしておくべきだった。まず、特に猫好きでもない私がこんな題名の本を選んだこと自体間違いだったのだ。しかし、こんなにもストーリーがなく、ここまで読者を不快にさせる小説は珍しい。ストーリーではなく、全体として描写に重きが置かれている感じだ。これが、文学的、ということになるのだろうか。1部は猫を拾った経緯、3部は老いたその猫が死んでいく様で、途中にあまり関係のない、暗い少年についての話が挟まっている。全体を通して雰囲気が暗く、淀んでいる。感情移入できる登場人物もなく、最後の第3部に至ってはだれが老猫の介護や死に様について延々と読みたいものかと思ってしまう。 さんざんこき下ろしてしまったが、文章自体は悪くない。特に、心の負の部分を表現・描写するのがとても巧みだと思う。ただ、それが延々と続いたために、私は辟易してしまったが、これでメリハリのある、希望のあるストーリーが展開するならば、この文章をまた読んでみるのも悪くはないかと思う。 | ||||
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タイトルも猫、あらすじを書いたとしても猫、内容も猫の描写ではあるが、これは猫の話ではない。 ある程度の年齢(それは老人期まで迎えていなくても、多分大人びた子であれば高校生くらいか)からは時々考えることがあると思う人生の終焉の時期を、これほど書ききっているのは本当にすごい。さみしいとか怖いとか、そういうものを超越した、静かな、静かな人生。 動物を飼ったことがあればよりこの手法で書かれると胸に迫るものがあるとおもうが、それだけではない。 他人にこの本を薦めるとき、なんの本と言えばいいだろうか。青年期特有の狂気?女性の怖さ?違うとおもう。この本の全てはこの第3章にあると思う。人生の様々なできごとは、スパイスでしかないと、いつか歌で聞いた歌詞が思い出された。 人生の先輩が、人生のある年齢でいたるであろう境地を、若輩者にわかるように伝えてくれたように思う。私の両親は、沼田氏より年上であるが、でも多分このように人生をとらえているのだろうな、と考えさせられた。怖い、怖い本。年上の方の心の深層を覗いたような読後感。 | ||||
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