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猫鳴り
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猫鳴りの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.92pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全88件 21~40 2/5ページ
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「ユリゴコロ」で沼田まほかる作品に興味が湧き購入しました、三部作構成になってますが物語は全て繋がっています、三部作とも主役は猫の「モン」だと感じました、しかしストーリーは全く違います、相容れない3つの話の中に作者のメッセージが込められていて、読み終わった後に何かを得られる物語だと思います、が、一度読んだ感想ではそのメッセージがよくわかりませんでした(読解力無さすぎ!) しかしまほかるさんの表現力の豊かさと細かい描写は感動ものです、どの描写も目を閉じれば光景が浮かんできます、特に三部では「モン」が天寿をまっとうしこの世を去りますが第1部で生まれたばかりの子猫で登場する「モン」が年老い、そして次第に弱り身体の自由が効かなくなる中で飼い主の心の葛藤とその飼い主の気持ちを分かっているかのような「モン」の行動、そして「モン」が静かに息をひきとる所で物語は終わりますが、猫を飼ったことの無い私でも最後は涙が出ました、それほど描写が細かく繊細でわかりやすいのです、ただ最後までこの物語のメッセージがわからなかった点が残念に思います、猫を通し我々人間に何を伝えたかったのか、この世はなんなのかもう一度読んでメッセージを受け取りたいと思います。 | ||||
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たまたま読んだに引き込まれ、映画化されたを手に取ったが、登場人物がどうしても生理的に受けつけなかったので、断念。 猫好きでもあるので、本書で再チャレンジ。 なんで3部構成?主人公は一体だれ?結末は?と、物語的に色々気になるところはあるが、読者を惹きこんでいく作者の描写的文章力はすさまじい。 それまでのストーリーでモヤモヤしたものを緻密な描写で一気に取り払っていく。 なんというか、強引ともいえる筆力。 「どんな話なの」と問われてもなかなか説明しきれないが、この本で語りたかったことは突き刺さるように伝わってくる。 この作者の独特の描写に引き込まれるかどうかで、この作品の評価は大きく変わる。 | ||||
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これは猫や子供が好きな大人が読む本じゃない。生命の奥の何かが欠如しているか根底が畜生界の人間が書く文章。私はとても読めなかった。平気で人を殺せる人の文章です。 | ||||
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結局何が言いたかったのか良く分からず。ユリゴコロを先に読んだ当方としては、この作者は緩やかなストーリーモノより、エッジの効いた作品の中にシュールで無感情な描写を散りばめる方が魅力が際立つのでは?と感じました。 | ||||
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主人公の清蔵と猫のモンに感情移入してしまいます。ちょっと不思議な物語です。 一気に読みました! | ||||
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自分で動物を飼い最後まで見届けたことのある人はこの本を読んだ時に胸をしめつけられる部分が共通する気がします。 猫と共にすることで生き方を考えさせられたり、大事なきっかけをもらう主人公達の物語。 言葉を話せない動物達の方が自分を愛してくれた人間を観察し気を使わせないように生き、強く潔い生き物なのではないかと深く考えさせられました。 | ||||
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好みの問題だと思いますが私はあまり好きな本ではありませんでした | ||||
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本作は三部に分かれている。一種のオムニバス形式になっており、それぞれ視点が異なる。ただし時系列的には連続しており、通奏低音のように「モン」と名づけられた一匹の猫が登場する。 第一部の主人公は信枝という名の四十歳の主婦である。五十二歳の亭主藤治とのあいだにようやく授かった初めての子どもを流産した信枝は、家のすぐそばに捨てられた仔猫の鳴き声が不愉快でたまらず、古新聞に包んで近くの畑に捨てに行く。しかし仔猫は戻ってくる。信枝はもっと遠くの森の奥まで仔猫を捨てに行く。帰宅すると見知らぬ少女が家の前にいた。「猫、見にきたん」と関西弁で話すアヤメという名のこの少女が、あの仔猫を捨てたのだという。結局藤次が仔猫を見つけて家に連れ帰り、アヤメが名づけた「モン」という名前で飼うことにする。 第二部はガラリと場面が変わる。行雄という名の十三歳の不登校少年が主人公である。母親に逃げられた父親との関係は冷め切っているが、どことなくユーモラスでもある。そんな行雄は信枝以上に子どもが嫌いで、殺意すら抱いている。ペンギンのビデオを観たのがきっかけで、父親に欲しくもないペンギンをねだると、父親は拾ってきた仔猫にペンギンという名前をつけて行雄に渡す。行雄は小遣いを余計にもらえるのをいいことに仔猫を飼うことにするが、その「ペンギン」はあっという間に死んでしまう。死んだ仔猫を埋めようと連れて行った公園で、同級生有山アヤメの巨大な飼い猫(モン)に「ペンギン」を食べられてしまう。 第三部では二十年後の藤治が登場する。信枝は亡くなっており、藤治はモンとの二人(?)暮らしである。年老いてゆく一人と一匹のかたわらを、時間がゆっくりと流れてゆく。食事を摂らなくなり、ろくに動くこともなくなり、迎えが来るのを待つだけのモンは、しかし苦しそうには見えない。むしろ延命治療を嫌がっているように見える。子どもの頃から死におびえていた藤治に、モンは死に方の手本を見せているかのようである。やがてそのときが来て、モンは静かに動かなくなる。 特別なことは何も起こらない。第一部と第二部に較べて、第三部は拍子抜けするくらいストーリーの起伏がない。前二部のエピソードが巧妙な伏線を張っていて、第三部で結実するというわけでもない。しかしこの第三部こそが本作のクライマックスであり、第一部と第二部が前置きに過ぎなかったことは読めば分かる。再読に耐える名作だと思う。 | ||||
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買って読み通した直後に投げ棄ててしまった。 とても強い憤りを感じた。 もう一度読みたいとは思わない。 文体こそ柔軟で読みやすいといった感触があるものの、取り上げられている内容が受け入れがたい。登場人物の人間性の不完全な部分ばかりが誇張され、相対するように猫の神聖さを前に押し出してくる。 人間であるが故に醜い人間と人間から見た猫であるが故の、猫の神秘性。 エゴスパイラルじゃないか。 それ自体はいいんです。今の私だってそうであるわけだし認めなくてはいけない部分です。 だけどこの作品の場合、それをずっと表面化している。 邦小説はその機微を奥ゆかしく、いじらしくさせるほど含みを持たせるべきではないのか。 まず新しいもの、異質と感じるものはなんでもすんなり受け入れられる自分だと思っていたが、ちょっとこれは高校生が背伸びして書いたくらいにしか思えず受け入れられなかった。 全体的にも文学的とも思わない。本当に目を向けるべきは別のところにあるのではないかと疑問を持つことは必至だと思う。 | ||||
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出だしから泣きました。 人にはなかなか言えない心の闇みたいな物を素直に表現してしまっている部分に共感してしまったり。 動物好きじゃない人でもグッとくる部分はあるはず。 | ||||
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この作者の本は暇つぶしで選ぶ事が多かったのですが『ユリゴコロ』で不覚にも所々で少し感動してしまい ユリゴコロより『猫鳴り』の方が好きだとレビューに書いている人が何人かいたので本書も読んでみました。 真ん中の青年期は何ら印象に残りませんでしたが、最初の猫を執拗に捨てる描写、 最後の猫が段々老化して弱り他界するまでが、実にもう丁寧に執拗に執拗に執拗に描かれているので薄い本なのに読むのが大変苦痛な作品でした。 私は長年飼っていた猫と両親を看取っているので、そのせいかもしれませんが読まなきゃよかったと思う大変苦痛な作品でした。 連続殺人鬼の荒唐無稽な話の方がスラスラ読めて楽しめました。『ユリゴコロ』は読書好きな人には勧められるけど猫鳴りはムリ! 悪かった訳ではないですが、とても読む人を選ぶ作品かと思います。 | ||||
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猫鳴り・・がゴロゴロと鳴らす喉の音とは、表現でこんなにも???と思いました。 最後は死んでしまうのでしょう?と家族の誰も読まないのですが、その時、その折の描写が「猫の生き方、生活の仕方、性格の違い、人間への猫からの表現・・・その他」的確で、猫大好き人間に取っても今まで気づかなかったことも有りで、読み応えがありました。 | ||||
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三部構成なのだが、二部でモンが子猫の死骸をさらって食べる?のはどういう意味を持たせているのか。 行雄がどうだというのか?作者がここで何を言いたいのか理解できなかった。 一部で猫を捨てにいき、三部で飼うことになった猫の死を看取る。 アリヤマアヤメに関しては素っ気なさすがすぎと感じた。 でも猫に感情移入していないところに好感を持てたし、全体として気持ちよく読ませてくれました。 | ||||
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評価の解説がありましたが、私にはまだ理解は出来ないです。 読んでて、余りいい気分にには、なりませんでした | ||||
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人に薦められて読んでみましたが何がいいたいのかわからず面白くなかったです | ||||
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この方、ご自分で本当に体験されたのではないかと錯覚して しまうくらい、重い物を感じました。 | ||||
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猫と人の人生の織り成す彩りが何とも切なくて美しい。 最終章の数行は涙が止まりませんでした。まほかる作品の中で、ホラー要素はなくともこれだけ良い、珠玉の一作だと思います。 | ||||
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猫鳴りとは、猫がごろごろとのどを鳴らす状態のことでした。 モンと名付けられた猫にまつわる、三者三様の世界なのですが、 とにかく重いです。 重いというよりも濃いのかな? 濃いというより達観? 後半のモンの死に至るまでの時間の濃さは・・・ たぶん、猫と暮らさないとわからないかもと思います。 たかが猫、されど猫。 ちょっと消化するまで時間のかかりそうな小説でした。 | ||||
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好き嫌いはばっくり分かれるだろうし、理解できる、できないもまたばっくり分かれるだろうけど、私には最高としか言いようがない。 三章最高、と思いつつ、一章も二章もすごく好き。 伸枝の、失ったわが子を猫で上書きしてしまいたくない、というなまなましい傷。幸せな母子をおぞましく思う心境。 行雄のやり場のない感情。自分より小さなものが総じて疎ましいわけではなく、さも当然の権利であるかのごとく(まあ当然なんだけど)愛情を要求する子供の傲慢さが、殺したいほど疎ましい、という吐き気にも似た思い。 藤治の、ことさらに猫をかわいがる気質でもなく、モンが喜ぶと知りながら籠に乗せて回すこともあまりない、その距離感。 ほのぼの、ほんわか、愛情あふれる展開ではない。 スリルもない。サスペンスもない。ドラマもない。 じっとりと重く、倦むほどに暗く、人によってはとりあえず不愉快なだけになりそうだとわかっていながらも、つい、おすすめを聞かれたら猫鳴りと答えてしまう。 正直に言えば、登場人物の薄情さ、残酷さ、身勝手さ、そんなものにやたら共感してしまうからなのだろうけど。 何かの存在を何かで上書きするのは不誠実に思うし、ずうずうしい子供はしゃくにさわるし、べたべたと甘ったるくて幸せなものも不愉快だし、えんえんと動物と戯れる人間の気が知れない(でも犬その他をけっこう飼ってきた。学校では飼育委員だった……)、という、あの三人は完璧、私。 そんなものだから、文章の裏まで読めた気がして、言葉にならない共感が確かにあって、でもそのまま生きていってはいけないのもわかっていて(反社会的になりかねない)、どうしようもなく惹かれてやまない。 万人向けじゃないのはわかりすぎるほどにわかってる。でもあんまりにも好きなものだから、つい薦めてしまう。 猫鳴り、最高です。 | ||||
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沼田まほかるさん『猫鳴り』は、このタイトルの響きからして猫愛を感じてしまう。 しかし、読んでみるとそう単純ではないことがわかる。著者の猫愛はあからさまではない。無条件にただ猫の美しさを愛でるのではなく、猫独特の醜さをも執拗に描いているのだ。清濁併せ呑むとでも言おうか、そこに包み込むような暖かさを伺い知ることができるのは、著者の筆力が高いからなのだろう。 第一部は、子を流産し打ちひしがれていた信枝と、捨てられた仔猫との出会いから物語は始まる。亡くした子の代償として、仔猫に感情移入していく様が描かれるのであれば、読み飛ばしても良い作品だ。本作品の信枝は、幾度も仔猫を捨て去り、残酷さをともなった眼差しでその様子を見つめる。仔猫を亡くした子と重ね合わせるのを潔しとしないのだ。淡々と流れる夫 藤治との二人の時間。闖入者への信枝の行為には、ヒリヒリするような悲しみの深さが表れている。仔猫を飼うようになるのは想像に難くないのだが、そこに辿りつくまでの話しの運びに引き込まれていく。 第二部は、不登校の少年 行雄の暴力衝動をともなった心の闇が描かれている。第一部とのつながりは、モンと名付けられた仔猫と、モンに心を寄せる少女アヤメが、行雄とささいな関わりを持つだけだ。 第三部は、信枝に先立たれ六十になった藤治が、モンの最期を看取る姿が描かれている。第一部から第三部までが、連続したひとつの物語を形成しているわけではない。しかし、第二部で行雄の父親が口にした<絶望>は、全編に通底しているように思える。人には決して折り合いがつかず、受け止めざるを得ないものがある。 第三部で、モンの魂が消えるとき、気持ちにぽっかり穴があいたような感覚に陥るのは、諦念を読み取ってしまうからなのだろう。<絶望>を乗り越えるとは言うは易し。安直な光明を提示しないだけ、心に迫るものがこの作品にはある。ただ、猫を見つめる著者の視線からは、<絶望>をも織り込んだ人の生きざまに対する暖かさを同様に感じることができる。 | ||||
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