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神のふたつの貌
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神のふたつの貌の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.18pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全19件 1~19 1/1ページ
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私も子供の頃から神様はいると 信じていました。 キリスト教関連の本もたくさん読んだし教会にも行った事がありますが結局は見えない神様を信じられるかた達の場であり書籍なんだろうなぁ…という言葉にならない想いを早乙女輝の言葉として語ってくれました。 『折り目』つけた箇所を書き出そうと思っていますがなかなか時間が取れずにいます。 | ||||
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一部と、二部の話がつながらないので、連作短編化とおもったが、三部で見事につながる、ty社お得意のいち冊、「慟哭」ほどではないが、ぐいぐい読み込ませるのは、さすが。 | ||||
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途中で物語に着いていけなくなった。最後まで読んでも、わからなかった。わからなくて正解。読後に調べて、理解が出来るという物語。 | ||||
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宗教的な視点から把握するのは私には難しかったが、ただ家族というテーマは変わらず描いてくるなと思った。表からは正常だが、不自然な重たい父子関係や母娘の関係など、描き方は丁寧で読み応えあるし、厳格な父とそれゆえ寡黙な子とのよそよそしさは痛ましい。一方、トリックのほうには解説を読むまで気付かなかったので、あっと言わされてしまった。ただ、その衝撃は「慟哭」ほどではない。家族の暗く重たいものを抱えている人にはひっかかるのでは。 | ||||
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大掛かりな見事なトリックに驚いた。神に使える神父一家の苦悩と信者達の迷い、神は存在するのか、といった非常に難しい問題をベースに展開されるミステリー。事件が起きる度に疑いが増して行くのだが… 貫井徳郎の『慟哭』『修羅の終わり』などの傑作とはひと味違うミステリー。それにしても、貫井徳郎は変幻自在という感じだな。 | ||||
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謎の男朝倉暁生との出会いをきっかけに、牧師の息子として生まれた主人公早乙女輝が、神の救いとは何なのかについて悩み、神の声を聞こうとするあまり、過激な信仰に心酔していくのがこの話の序盤です。12歳の小僧にあんな思考力があるのか?ってのはあえてつっこまないことにします。 この本は、私が読んだ9作品目の貫井作品でした。小説はあまり読まない私ですが、さすがに8作品も読んでいれば、貫井作品に仕掛けられた「トリック」を見破れるだけの警戒心はついていたようです。詳しくはここには書きませんが、「トリック」に関しては概ね私が予想できたものでした。 読後の感想は、「作中には様々な事件が登場するのに、そうやって登場した伏線がいくつか回収されないまま、謎や単なる事件として終わってるものが多いな」ということでした。 しかし、そんな私の読後の感想が浅はかなものであると思わせてくれるのがあの解説!! 鷹城さんの解説を読んで、トリックばかりに注意を払いすぎて作品全体のテーマである「キリスト教(プロテスタント)における“救い”について」に関しては、あまり深く考えずに読み飛ばしてしまっていたことを少し悔やみました。 とはいえ、あの素晴らしい解説とあわせて評価すれば、作品自体のこの読後の満足感は☆5つです! この作品は、たとえキリスト教の信者の方でなくとも「信仰」と「救い」に関して、何らかのアイデアを与えてくれる作品だと思います。そういった意味では登場人物たちの台詞1つ1つを深く考え、追求ながら、読み進めていかれるとより一層奥深い作品になると思います。信者の方にとっては非常に胸糞悪い作品かもしれませんが… | ||||
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謎の男朝倉暁生との出会いをきっかけに、牧師の息子として生まれた主人公早乙女輝が、神の救いとは何なのかについて悩み、神の声を聞こうとするあまり、過激な信仰に心酔していくのがこの話の序盤です。12歳の小僧にあんな思考力があるのか?ってのはあえてつっこまないことにします。 この本は、私が読んだ9作品目の貫井作品でした。小説はあまり読まない私ですが、さすがに8作品も読んでいれば、貫井作品に仕掛けられた「トリック」を見破れるだけの警戒心はついていたようです。詳しくはここには書きませんが、「トリック」に関しては概ね私が予想できたものでした。 読後の感想は、「作中には様々な事件が登場するのに、そうやって登場した伏線がいくつか回収されないまま、謎や単なる事件として終わってるものが多いな」ということでした。 しかし、そんな私の読後の感想が浅はかなものであると思わせてくれるのがあの解説!! 鷹城さんの解説を読んで、トリックばかりに注意を払いすぎて作品全体のテーマである「キリスト教(プロテスタント)における“救い”について」に関しては、あまり深く考えずに読み飛ばしてしまっていたことを少し悔やみました。 とはいえ、あの素晴らしい解説とあわせて評価すれば、作品自体のこの読後の満足感は☆5つです! この作品は、たとえキリスト教の信者の方でなくとも「信仰」と「救い」に関して、何らかのアイデアを与えてくれる作品だと思います。そういった意味では登場人物たちの台詞1つ1つを深く考え、追求ながら、読み進めていかれるとより一層奥深い作品になると思います。信者の方にとっては非常に胸糞悪い作品かもしれませんが… | ||||
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貫井さんの宗教を題材に使った作品が印象的で好きです。この作品には牧師さんの息子が出て来ます。彼の内面で起こる考え方の変遷を細かく描写することによって事件の謎を解く、人間の思考を舞台にしたミステリーです。いつもの人間臭い刑事ドラマとは違って、物語全体に荘厳な雰囲気が漂い、人物も洗練されているのに関わらず、人間の内面に迫ってます。こういう視点からも書けるんだという作家さんとしての幅を改めて感じました。“神のふたつの貌”という題名も、かなり深い意味が込められてて素晴らしいと思いました。 | ||||
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貫井さんの宗教を題材に使った作品が印象的で好きです。 この作品には牧師さんの息子が出て来ます。 彼の内面で起こる考え方の変遷を細かく描写することによって事件の謎を解く、人間の思考を舞台にしたミステリーです。いつもの人間臭い刑事ドラマとは違って、物語全体に荘厳な雰囲気が漂い、人物も洗練されているのに関わらず、人間の内面に迫ってます。こういう視点からも書けるんだという作家さんとしての幅を改めて感じました。 “神のふたつの貌”という題名も、かなり深い意味が込められてて素晴らしいと思いました。 | ||||
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小説としても問題提起としてもとても興味深く読みました。キリスト教と神の沈黙を題材に、噂に敏感な田舎町の小さな教会の牧師一家を主人公として、人が救いを求める姿がえぐるような筆致で描かれています。主なテーマが神と救いにつきるので、万人受けするかどうかは別にして、キリスト教の知識があまりなくても、登場人物の口から語られる世界観から登場人物の心情を理解できます。ただ出てくる信者は特殊な設定で、シンクロできる生身に近い存在とはあまりいえないかもしれませんが、裏のテーマとして練り込まれた田舎の町の人間関係はさすがという感じがします。 | ||||
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小説としても問題提起としてもとても興味深く読みました。 キリスト教と神の沈黙を題材に、噂に敏感な田舎町の小さな教会の牧師一家を主人公として、人が救いを求める姿がえぐるような筆致で描かれています。主なテーマが神と救いにつきるので、万人受けするかどうかは別にして、キリスト教の知識があまりなくても、登場人物の口から語られる世界観から登場人物の心情を理解できます。ただ出てくる信者は特殊な設定で、シンクロできる生身に近い存在とはあまりいえないかもしれませんが、裏のテーマとして練り込まれた田舎の町の人間関係はさすがという感じがします。 | ||||
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「慟哭」はもちろん、貫井氏作品にはほとんど目を通していますが、本作品は信仰・キリスト教を軸においていてこれまでのスリラー・ミステリ系とはだいぶ異なる印象。主人公を介して語られる貫井氏の宗教観、単行本刊行時から賞賛の声と同時に「重すぎる」という評もありました。が、いま読み返してもその巧妙なプロットは、オビの文句「最高傑作」「一大叙事詩」が決して誇張に思えない出来。筆致のテンポも見事で一気に読ませますが、確かに「重みがある」テーマであることも事実なので、貫井作品のラインナップにあった軽いスリラーのノリを求める方には不向きかも。襟を正して読みたい一冊。 | ||||
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「慟哭」はもちろん、貫井氏作品にはほとんど目を通していますが、本作品は信仰・キリスト教を軸においていてこれまでのスリラー・ミステリ系とはだいぶ異なる印象。主人公を介して語られる貫井氏の宗教観、単行本刊行時から賞賛の声と同時に「重すぎる」という評もありました。が、いま読み返してもその巧妙なプロットは、オビの文句「最高傑作」「一大叙事詩」が決して誇張に思えない出来。筆致のテンポも見事で一気に読ませますが、確かに「重みがある」テーマであることも事実なので、貫井作品のラインナップにあった軽いスリラーのノリを求める方には不向きかも。襟を正して読みたい一冊。 | ||||
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同じ著者の『慟哭』と比較されることが多いが、個人的にはあまり似た印象は持てなかった。『慟哭』は連続誘拐事件を追う刑事と、新興宗教にのめり込む男、という形で、最初から分りやすい形で「謎」が提示されている。一方、今作は主人公・早乙女が「神の救い」とは何かを求め、悩み・思考し、そして行動する。その行動が「救い」と信じて。と、言った感じで、かなり内容には相違があり、「宗教」が扱われているという部分以外に共通点を見出せなかった。「宗教とは何か?」に関して考えさせられるが、どう考えても万人向けとは思えない。重いテーマであるし、主人公に感情移入をしにくいなどがあり、どう考えても万人向けではない。個人的には好きだが。 | ||||
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同じ著者の『慟哭』と比較されることが多いが、個人的にはあまり似た印象は持てなかった。 『慟哭』は連続誘拐事件を追う刑事と、新興宗教にのめり込む男、という形で、最初から分りやすい形で「謎」が提示されている。一方、今作は主人公・早乙女が「神の救い」とは何かを求め、悩み・思考し、そして行動する。その行動が「救い」と信じて。と、言った感じで、かなり内容には相違があり、「宗教」が扱われているという部分以外に共通点を見出せなかった。 「宗教とは何か?」に関して考えさせられるが、どう考えても万人向けとは思えない。重いテーマであるし、主人公に感情移入をしにくいなどがあり、どう考えても万人向けではない。個人的には好きだが。 | ||||
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本書は、神父を父に持つ、ある少年の物語である。”神は”というテーマを中心に、少年が成長する物語だ、と簡単に書いてしまえばそうなる。その物語が途轍もなく面白かった。前半のまどろっこしいながらも、不思議と緊迫感を与えてくれる設定。後半から流れるように進み始める決意と物語。それまでの過程が綺麗なまでに無駄がない傑作。 | ||||
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慟哭の続編、というのではないが展開は似ているものがある。テーマは今回も宗教。怪しい新興宗教じゃなくクリスチャンとして、なのだが。好き嫌いは分かれるだろう。それは慟哭もそうでだったように。 第一部から三部まで。早乙女輝の幼少期から大人となり、親子三代で牧師を次ぐまでのストーリー。無痛症の彼は痛みを感じることがないまま生きてきた。一心に神の福音を信じつつ。神の存在を認識するまでにはいかないものも、早乙女は存在を肯定し続ける。神とは結局なんなのか。何故そこまで一心に信仰し続けたのか。 牧師として早乙女は人を救うということを父から学んでいる。だからだろうし、色々あったからだが変に勘違いすることになる。人を救うからと言っても間違いにもほどがある。間違いと言っても本人の認識はかなり薄い。そ自分を肯定してしまっている。そういう人は少なくあるまい。道を外す人というのはそういう人なのだろう。人物像としては分かりやすい、かな。深く探ると逆に分かりにくいが。 二つ目の慟哭。まあ、近いところまではいっているしこっちのほうが嫌いじゃない。素直に読める。登場人物にネガティヴにしか感情移入できないのは似たようなところだが。単純にエンターティンメントとして書いたのだろうとは思う。慟哭はその部分もあったが、本作とは違うように思った。あくまでも類似点が多いということ。二つ目の慟哭と書いたが、別物として読んでも全く構わないと思った。 慟哭を読んだ方はそうであったように本作でも思わぬところで騙されてしまう。嘘は書いていない、何一つ。 宗教をマイナスにして書いているのは冒険ともとれる。反感も買うだろう。しかしあくまでもネタに過ぎないと思うからそれは単純に受け流して欲しい。どろどろしたストーリーだが純粋にストーリーそのものを味わって欲しい。 | ||||
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本書は、神父を父に持つ、ある少年の物語である。”神は”というテーマを中心に、少年が成長する物語だ、と簡単に書いてしまえばそうなる。その物語が途轍もなく面白かった。前半のまどろっこしいながらも、不思議と緊迫感を与えてくれる設定。後半から流れるように進み始める決意と物語。それまでの過程が綺麗なまでに無駄がない傑作。 | ||||
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慟哭の続編、というのではないが展開は似ているものがある。テーマは今回も宗教。怪しい新興宗教じゃなくクリスチャンとして、なのだが。好き嫌いは分かれるだろう。それは慟哭もそうでだったように。 第一部から三部まで。早乙女輝の幼少期から大人となり、親子三代で牧師を次ぐまでのストーリー。無痛症の彼は痛みを感じることがないまま生きてきた。一心に神の福音を信じつつ。神の存在を認識するまでにはいかないものも、早乙女は存在を肯定し続ける。神とは結局なんなのか。何故そこまで一心に信仰し続けたのか。 牧師として早乙女は人を救うということを父から学んでいる。だからだろうし、色々あったからだが変に勘違いすることになる。人を救うからと言っても間違いにもほどがある。間違いと言っても本人の認識はかなり薄い。そ自分を肯定してしまっている。そういう人は少なくあるまい。道を外す人というのはそういう人なのだろう。人物像としては分かりやすい、かな。深く探ると逆に分かりにくいが。 二つ目の慟哭。まあ、近いところまではいっているしこっちのほうが嫌いじゃない。素直に読める。登場人物にネガティヴにしか感情移入できないのは似たようなところだが。単純にエンターティンメントとして書いたのだろうとは思う。慟哭はその部分もあったが、本作とは違うように思った。あくまでも類似点が多いということ。二つ目の慟哭と書いたが、別物として読んでも全く構わないと思った。 慟哭を読んだ方はそうであったように本作でも思わぬところで騙されてしまう。嘘は書いていない、何一つ。 宗教をマイナスにして書いているのは冒険ともとれる。反感も買うだろう。しかしあくまでもネタに過ぎないと思うからそれは単純に受け流して欲しい。どろどろしたストーリーだが純粋にストーリーそのものを味わって欲しい。 | ||||
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