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ファミリーポートレイト
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ファミリーポートレイトの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.69pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全58件 1~20 1/3ページ
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本当に大好きです。知らない人にはわからない。 | ||||
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私の男(溶け合った親子関係)+赤朽葉家の伝説(とくに第2部)=この小説。 | ||||
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ここ数年の読書でいちばんよい、大傑作にめぐりあった。物語に捕まえられてなすすべもなく遠くまで連れていかれた。読み進むにつれて書き手の熱量と集中をひしひしと感じ、読み手としてそれに巻きこまれ、どんどん没入していった。作中で語られる読書についての思いやその昏さは共感できることばかり。詩情にも溢れていた。主人公の生きていく姿から目がはなせなくなり、まるで渦に巻き込まれたようで、久しぶりに読書に時をわすれ、残りページの少なさに辛い思いをし、読後はしばし呆然として、うつつに帰ってこられなかった。ひさしぶりに味わった強烈な読書体験。こういうことがあるので、まだまだ生きていたいと思えるのだ。 | ||||
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桜庭一樹さんの本です。 前半は、親子で逃避行をしていて、その子供目線から語られます。 マコは親で、コマコは子供、マコはすごい美人で、どうやら人を殺して逃げているらしい。 コマコはマコとは似ていないが、お母さん大好き。 お母さんは逃避行中なので、ろくな商売にありつけず、水商売だのなんだので、男を連れ込んだりしているわけです。 読んでて、「あー、虐待ネタかぁ、きっついなぁ」なんて思っていたのですが、そういう流れにはちょこっとしかいきません。 というのも、とにかく逃げまくっている=場面展開が多いので、そういう暇がないというか。 あ、といっても、途中からマコがコマコを殴るようになります。 こういう「逃避行篇」が前編で、中編ではマコが死に、コマコが父に引き取られて、高校生になるという話。 ただ、その高校が24時間営業みたいな雑な展開で、家に帰らないコマコは高校に住んでいたりします。 やがて、後編になると、コマコが小説家になります。小説家として才能を開花するものの、途中逃亡。しかし連れ戻され、小説を書き続ける…。 前半からの後半の展開とか、めくるめくというか、「おいおい」という感じですよ。 おもしろい展開ですよね。予想がつかん。 ただ、意地悪な言い方をすると、現実味はないというか、そこが雑なんですね。 リアリティは皆無です。ここが弱いのかな、とは思いますが、ただ、とりあえず物語はぐいぐいと進んでいくし、その筆力の強さが、その弱点を消しています。 ですから、読者は、そのリアリティの弱さは気にしない人は気にしないでしょう。 とりあえず、物語に溺れたい人は、この本を読んでみることをおすすめします。 | ||||
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桜庭一樹を読破中。初期の鮮烈なイメージを期待して裏切られ続けたが、やっと桜庭らしい作品に出会えた。 五歳のコマコは、二十五歳の美しい母親マコに連れられて逃亡の旅に出る。 マコは売れない無名女優だったから、人目を引く容姿の持ち主だ。 コマコはそんな母を敬愛している。 生傷が絶えないほどDVを受けているが、嬉々として服従する。 世をはばかる逃避行なので、世間に認知されない裏街道を渡り歩く。 老人のコミュニティ、寂れた漁村の色町、養豚場の街、場末の安アパート、そして貴族(実態は単なる成金)の庭園で飼われるモブキャラ。 後ろ暗く心を病んだような人々と母娘の関りは、危うく生臭い。 泥絵の具で描かれた因果物の看板さながらだ。 九年が過ぎるうちに、コマコの成長と相反してマコの美貌は衰えていく。 当然のことだが、切ない。 第二部は十四歳のコマコが母と離別して定住するところから始まる。 放浪中のコマコは、読書が唯一の楽しみだった。 文壇バーで客に即興の「お話」を聞かせるようになる。 様々な人と出会い、小説を書いたりする。 第一部ほどの異様な緊迫感はないが、作者の自伝的要素が入っているようで、味わい深い。 放浪篇と話中話が気に入ったので、最高点を差し上げる。 | ||||
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葬式婚礼など独特の世界が描かれていて惹きこまれましたが、それ以降は読みづらく感じました。 虐待を柱として、作者自身が好きな薄暗い…中二病的な要素をたっぷり盛り込んで書き散らかされたまとまりのない作品という印象です。 作者の「赤朽葉」「荒野」「七竈」が好きな自分には合いませんでしたが、「砂糖菓子」が好きな人は合うかもしれません。 その年代ごとの感情の出会いとか自分との対話とかなんとなく理解できる部分はあり、作者が伝えようとしていることもぼんやりと伝わってきました。 それなのに600ページ超に渡りコマコと向きあってきたにも関わらず、ラストは駆け足で終わってしまいすごく残念でした。 ラスト数ページの決断はそれまでのコマコからは理解できないものでした。 そこの心境の変化をもうすこし書いて欲しかったです。 文壇バーでの創作語りなど冗長に感じる部分も多かったので、編集でそのへんのバランスとかなんとかならなかったのかなと感じました。 作者が思いのまま書いている感じがして、ついていけない部分が多々あった気がします。 | ||||
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とてもすき | ||||
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こんなふうに生きてくしかないんだなぁ、と思った。 自分の年齢のところまでは頷きながら読んだ。その先のとこは絶望しながら読んだ。もう、このまま生きてくしかないんだ……。小説のくせに甘い救いなぞくれはしない。お前は永遠にそうやって生きてくんだ、クズ、と鋭く突きつけてくる。厳しい現実を、非現実的に表現する一言一言が、突き刺さってくるから、読むのが苦しかった。 この本のレビューを見ると、世の中に「真田先生」がいかに多いか再確認させられる。毎秒血を吐き毎分自殺未遂してる女の子の、悲鳴、その人生が、「真田先生」には理解できない。 ――怠惰で、スローテンポで、価値が無い、という蔑みと、 ――平穏で、幸せで、希望が見えてきてる、という勘違い。 「真田先生」にはそのように見えてるの? そっかあ。 立ちどまって見えるのか。 こんなに必死なのに。 いっぱいいっぱいなのに。 落ち着いて息を吸うこともできないのに。 死に物狂いでのたうちまわってるのに。 それでもギリギリ生きのびているのに。 死にたいのに。 頑張っても、頑張っても、頑張っても、真田先生は「もっと頑張りなさい」をリピートする……。 ◆ うだるような絶望のなかに自ら繰り返し落ちる人たち、のことを生々しく描いた作品である。 小説のくせに。 読者に甘ったるい希望を与えてくれないなんて、うぅ、厳しいなぁと思う。 (23歳フリーター) | ||||
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母と娘のダークな物語でした。第一部の旅と、第二部のセルフポートレイトの構成。娘が5歳の時から成長していく流れで、第一部は、圧倒的に暗いドン底生活の逃亡劇でした。家畜とい表現がぴったりでした。第二部になり、セックスと小説。過去のトラウマと母への愛が切なすぎます。 | ||||
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おもしろかった!いや、この世界観ひきこまれました!(^ω^)どんどんページがすすみます | ||||
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自分は児童期に、駒子のような漂流の経験がある者です。 書評を全く読まずだったので、表紙のイメージから サスペンスホラーか、サイコサスペンスかと思ってました、 すみません。 最後の30ページ程が、冗長だなあと感じつつも、 ラストがとても輝いていたので、 なるほどこれは、エンターテイメントだよなあと理解しました。 | ||||
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”血のつながり”、”親子”、というものについて、考えさせられる小説でした。 血は水よりも濃く、特に、血を分けた、母と子、親子でありながら同性であるが故の苦悩や葛藤、どうしようもない行き場のなさ、などを感じました | ||||
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2008年に出た単行本の文庫化。 第1部と第2部にわかれており、それぞれでかなり味わいが異なる。 第1部は幻想的。少女を連れた母親が逃避行をつづけ、さまざまな町や職業を体験するというもの。人死にも多く、暗くて重苦しい展開だ。しかし、緊迫感ある展開で、ぐいぐい読ませる魅力がある。 第2部は小説家となった少女の話。文学賞や編集者のことが書かれており、多分に自身の経験が反映されている。正直、第1部との落差に驚かされた。別々の物語を一冊にまとめたような印象。 第1部だけなら傑作と思うが、どうしてこんな構成になったのか。 | ||||
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全面的にネタバレをしていますので注意ください。 二部構成で一部は一卵性双生児の真子と駒子の良く似た母娘の逃避行。二部は一部で母に引き離された娘が作家になり母親になるまで。 砂糖菓子な推定少女、私の男でおなじみの、作者の得意なモラルの果てを生きる相棒と、 それを間近に体験するワトソン役の主人公の話としての一部と、 その作品を書く作家生活や読者の現実を問う、物語を書くことを書く二部からなります。 何故、そういう構成なのでしょうか。 旅と自画像。現実と離れたフィクションを書くことで読者を遠い世界に連れていくことと、その作者や読者のいる現実の関係を問うためです。 この話では、相棒のはずの母親は、駒子を現実の世界に残して湖の中へ消えます。 砂糖菓子や私の男の海のかなたへ行き、主人公はつきはなされます。 ここには物語を描くことは単なる逃避なのか。そいう罪の意識が確かにあります。 アンモラルな現実にはできないことを描いてもそれは単なる補償じゃないのか、読者と共に甘えた世界へいくだけではないのか。 そのことを問うために、ここでいったんつきはなしをするのです。 しかし、同時にここで賭けられていることは、物語でしか描けないものが必ずあるはずだという願いをかなえることであり。 そして、そのフィクションと現実の垣根を爆破し取っ払うことを狙ってなのです。 第一部は雪の中で村が消える百年の孤独ばりの1章。横溝ばりの伝奇小説の2章。豚の飼育・解体工場のリアリズムの3章。 動物園の動物が町を闊歩するファンタジィの4章。作者のゴシックのような西洋貴族の生活を再現する5章。 幻想、伝奇ミステリ、リアリズム、ファンタジィ、西洋舞台。作者の書いてきたものを戯画化したパロディの一部。ずばり、旅。 非現実的で読者を遠くに連れていく作品です。 一方の二部は、ずばり、セルフ・ポートレイト。自画像であり、桜庭一樹そのものではないとしても、作家生活を描きます。 更に重要なこと。一部も二部も共に五章構成。一部と二部はフィクションと現実以外にも特別な対応があります。 登場人物、駒子と親しくなる、ごく少数の人物たちには仕掛けがあります。 2章の駒子の最初の友達ではじめて心許した「解」、ともに大人の性生活を覗きます。「愛」、葬式婚礼という儀式を壊します。 土俗的な村の風習で娘が死んだら、処女のまま、結婚しないままで死んだら可哀そうと婚礼をあげ、娘の恋人は死んだ娘の代わりに、 別な女と寝る。そういう奇習の中、母親に役を代わってもらい、妹の恋人を殺し、自分も自殺する「愛」。 4章の駒子が好きになった「大家さん」。自分のセックスさえ、駒子に見せながら、愛こそ大事だと語る浮世離れした男。 5章の西洋貴族生活を再現する老人の「主」と、遂にでてきた「父親」。 そして、一部の人物と二部の人物は実は対応しています。 「解」の生まれ変わりの初めての男にして、相棒として二人三脚組む編集者の「是枝波」。 「愛」の生まれ変わりとして父親とのただならぬ関係暗示して自殺したポルノスターの友達の「霞」。 大家さんの生まれ変わりで大切なことを教えてくれた「落語家」。 「俺自身の、世の中に対する実感を伝えるためには、どうしてもフィクションにする必要があるんだ」。 主の生まれ変わりの波の父親にして、伝説の編集者、主と同じフィクションの支え手の「鍛治野さん」。 父親の生まれ変わりの夫にして、子供の父親になる「真田さん」。 一部と二部は繋がっているのです。 いくら娘が可哀そうだからといって、娘の恋人を別な女に寝させては娘の心も踏みにじるだろうに、鈍感に対処する大人達。 そういう理不尽な奇習を爆破する愛も、欲望にまみれた現実としたたかに生きながら、かなえられない父親との愛憎の果てに自殺する霞も、 共に大人達の強いる現実に立ち向かう戦友です。同じコインの裏表であり、主人公も同じなのです。 一人、母親の真子だけの特権ではない。 葬式婚礼はでたらめなフィクションのように見えて、女たちを、人間をスポイルすることは現実に満ち満ちています。 自殺せざるをえなかった霞のように。それははいすてるほどよくある現実でしょう。 しかし、同時にどのことへの戦いもこの世界にきっとある。友はいる。 一部の登場人物たちが姿かたちを変えて二部に出たきた共に闘うこと。それはそういうことなのです。 そう読むとき、一部と二部の垣根、作者の書いてきた作品世界と、作者や読者の日常の垣根は粉砕されます。 共に戦ってくれる作家と編集者としての相棒の波。大家さん「愛が大切だ」。落語家「フィクションは大切だ」。 そう考えれば、この派手な物語で一番地味な真田とくっつくのも、逃避行を終わらせる「現実」としての父親のように、 母の結婚した男と同じような男と結婚することで現実と折り合いをつけることを意味し、必然だったこともわかる。 これしかなかったことも。折り合いをつけると共にだからといって戦いを放棄したわけじゃない。 それが小説を書く理由。 物語の前半で母親は退場し、非現実な物語との距離はいったんとられますが、リアリスティックな後半世界でも、 母親のたたかった、現実との争いは忘れられているわけではなく、継続されているのだ。 作者や読者の生きている世界に近い、リアリスティックな世界においても。 動物園から動物たちが逃げ出す世界のように、我々の世界も不思議な逃走に満ちているはずであり、それを描くことが小説を書く意味なのだ。 本書は私の男でこちら側とあちら側の極限の絆を書いた作者が更に先に行くために書かねばならなかった作品です。 自分が小説を書くこと、現実を超えたフィクションの中で、現実を否定するあちら側とこちら側の意味を問い直した作品であり、 フィクションを通じて読者の現実と作品世界の違いを超えて大きく結び付けようとの願い。 願いを読みこまねばならないのです。 | ||||
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久々に面白い!!!!と思ってたのにレビューが賛否両論でびっくりしました。 逆に賛否両論な小説って名作って事だとも思いますがー。 ネタバレな文章ですが、 前半は母親のマコとコマコの暗く失望感満載ながら、ファンタジー要素が入った不思議な世界感。でも、もしかして何処かにそういう場所があって、こんな生活をしてる人が居るのかも!?と思えてしまうギリギリなリアリティーも持ち合わせた内容です。 痛々しい前半とは真逆に後半はちょっと変わった生活だけど、徐々に、穏やかで幸せな人生を歩む主人公のコマコ。 母親のマコと子供のコマコが歩んだ人生の差。 ラストに子供を身ごもりコマコが偶然に若い時の母親の映像を見るシーン。 その映像のマコのお腹には自分が宿ってる。 それを見たコマコは……。 絶望的な幼年期を過ごしたから、きっと絶望的に終わるのかと思いきや… 私は前半と後半の差が素晴らしいと思いました。 何故、コマコは壮絶な生活から平穏な人生に移行したのか? 最後の解説も的を得ていて良かったです。 大好きな本の1冊に加わりました! | ||||
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マコとコマコが、住んでいたコーエーから逃走する冒頭のシーンの世界観がとても好きです。 読んでいる側も、一緒に手を引かれてその世界に連れ込まれるような力強さがあります。 でも、魅力的なのはその部分だけでした。 前半。マコとコマコの逃亡生活は、二人の心が特に変わるわけでなくじゃあ何が物語を進めているのかといえば背景(場面)だけ。 非現実的な世界という、一見面白そうな背景に、いつも同じセリフしか言わない役者が二人立っているだけです。 なんの伏線もないまま、後半のマコを失ったコマコの生活に突入。 こちらはもっとひどくて、背景も役者も変わらず、ただスポットライトが変わるだけの展開。 コマコが最初から最後まで生きていません。 だから、絶望も頂点もない、ただただ生温い温度。 読んでてドキドキも冷や冷やもありません。 現実味が一切ないから、共感もできません。 だから、つまらないというか、読んでいて先の展開に興味を失う。 区切りのいいところまで読みたいとか、そういう気分にもさせない。 どこから読んでも同じだし、どうでもいいやと思ってしまう。 この本を読んで良かったと思えない。 だから、人にはおすすめできません。 ただ、コマコのように 冒頭の部分だけ読んでその先は自分の空想で楽しむのならいいかもしれません。 そういう楽しみ方なら、この本はとてもおすすめできます。 | ||||
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私は好きです。 本人にとっては特別でも、他人にとってはただの汚物でしかない何気ない日常を、身を削るように書き続ける作品。 その汚物を投げつけ、塗れろ、啜れと迫ってくる恐ろしさはある。 現実の人生は省略のきかないものだし、簡単にまとめることも出来ない言を再認識させられる感じです。 病んだ経験があるなら共感出来る何かがあると思う。 痛み・苦しみ・傷を負いながらも人は生きていかなければならない。 心に鑢をかけてる気分になりますが、ラストまで向き合うことが出来たら、きっとピッカピカになります。 | ||||
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レビューをみて賛否両論だったのですが私はとても面白いと思いました。 読み終わって何日かたちますが未だにひとつひとつのシーンが蘇ってきます。 私はもともと桜庭一樹さんの作品が大好きで(最初に読んだのは砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けないです) 桜庭さんの全ての作品を読んでいく途中だったのですが桜庭さん好きだなーと改めて感じさせてくれる作品でした。 色々な世界に迷い込める本は やっぱり楽しいです。 | ||||
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サイン会で泣きながら並んでいた男の子のように! なぜだか涙がじわじわとあふれてくる。 湖に飛び込む時に、マコは言ってくれなかった、 置いていかれたコマコ 山奥の病院の恋人どうしを見て、 なぜそんなに愛し合えるのかわからなかったコマコが、 生まれたての赤ちゃんとそのお母さんをみて 爆発するような悲しみで泣いてしまったコマコが、 「母親と暮らした日々の幸福から 立ち直らなくてはならない」と言った 朝の世界の人のことを好きになって、 子供が出来て、 母の死を受け入れて、物語は終わる。 世の中を恨む、自分を育てた親を恨む、 それすら出来ずに母を愛しきったコマコ 私は後半の物語こそ、心にぐっさりと ささってきました。 凄まじい前半あってのことだと思います。 いい本です。 | ||||
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桜庭一樹の本は、「GOSICK'T」しか読んだことがなかったので、 まさかこんな本が書ける人だとは思ってもみなかった。 (「GOSICK」は趣味じゃかったし子ども向けだった) 今初めてウィキペディアで作者のことを調べてみたけど、、 女の人だったんですね。へー。 暗くて奇妙で時に気持ち悪い本だけど、 大体は文章の素晴らしさ、ソツの無さに感動しっぱなしだった。 私は性がおもむろに出ている本とか映画とか好きじゃないけど、 これは読めた。 面白かった。ここの評価が低いのにびっくり。 確かに長くて途中断念しそうになるけど、決してつまらなくない。 最後まで読んでよかった。無駄に長い、という気もしない。 これが駒子の長い○○年間なんだと思う。 もしかしたら、すこし性格にひねたところがあり、感受性が強く、 あまり現実的ではない人や、心に傷を持って生きている人に向いているかもしれない。 虐待が主体の小説ではない。虐待というより、子どものような母親に普通(?)の愛され方をしなかっただけのような。 | ||||
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