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ファミリーポートレイトの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.69pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全4件 1~4 1/1ページ
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桜庭一樹さんの本です。 前半は、親子で逃避行をしていて、その子供目線から語られます。 マコは親で、コマコは子供、マコはすごい美人で、どうやら人を殺して逃げているらしい。 コマコはマコとは似ていないが、お母さん大好き。 お母さんは逃避行中なので、ろくな商売にありつけず、水商売だのなんだので、男を連れ込んだりしているわけです。 読んでて、「あー、虐待ネタかぁ、きっついなぁ」なんて思っていたのですが、そういう流れにはちょこっとしかいきません。 というのも、とにかく逃げまくっている=場面展開が多いので、そういう暇がないというか。 あ、といっても、途中からマコがコマコを殴るようになります。 こういう「逃避行篇」が前編で、中編ではマコが死に、コマコが父に引き取られて、高校生になるという話。 ただ、その高校が24時間営業みたいな雑な展開で、家に帰らないコマコは高校に住んでいたりします。 やがて、後編になると、コマコが小説家になります。小説家として才能を開花するものの、途中逃亡。しかし連れ戻され、小説を書き続ける…。 前半からの後半の展開とか、めくるめくというか、「おいおい」という感じですよ。 おもしろい展開ですよね。予想がつかん。 ただ、意地悪な言い方をすると、現実味はないというか、そこが雑なんですね。 リアリティは皆無です。ここが弱いのかな、とは思いますが、ただ、とりあえず物語はぐいぐいと進んでいくし、その筆力の強さが、その弱点を消しています。 ですから、読者は、そのリアリティの弱さは気にしない人は気にしないでしょう。 とりあえず、物語に溺れたい人は、この本を読んでみることをおすすめします。 | ||||
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葬式婚礼など独特の世界が描かれていて惹きこまれましたが、それ以降は読みづらく感じました。 虐待を柱として、作者自身が好きな薄暗い…中二病的な要素をたっぷり盛り込んで書き散らかされたまとまりのない作品という印象です。 作者の「赤朽葉」「荒野」「七竈」が好きな自分には合いませんでしたが、「砂糖菓子」が好きな人は合うかもしれません。 その年代ごとの感情の出会いとか自分との対話とかなんとなく理解できる部分はあり、作者が伝えようとしていることもぼんやりと伝わってきました。 それなのに600ページ超に渡りコマコと向きあってきたにも関わらず、ラストは駆け足で終わってしまいすごく残念でした。 ラスト数ページの決断はそれまでのコマコからは理解できないものでした。 そこの心境の変化をもうすこし書いて欲しかったです。 文壇バーでの創作語りなど冗長に感じる部分も多かったので、編集でそのへんのバランスとかなんとかならなかったのかなと感じました。 作者が思いのまま書いている感じがして、ついていけない部分が多々あった気がします。 | ||||
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「私の男」は、いろんな意味で私的には認められなかったが、この作家自体は、赤朽葉や七竈もいいと思うし、嫌いじゃない。 で、本作だが、まず、第一章の最後で本を思わず駅のホームに叩きつけたいくらい、その安直さに怒りすら覚えたが、 これもある意味、うそ、幻覚、現実、コマコにとっては区別を付ける必要すらない心的現実の出来事だったのかと言う解釈も可能かと思うと、分からないではなかった。 書いてる桜庭氏とコマコの夜な夜な語るうそ話とが溶け合って、必死でうそをひねり出す作家の業というものに、今風の意味ではない痛々しさを感じた。 つまり、「うそ」を編み出すことにかなり身を削っているのだろうということは作中のコマコと同様、想像に難くない。それだけに、この作家の「うそ」の自伝的小説の様相も呈している本作も、読んでいて、「うそ」で通し続けることに限界をきたして、最後になんかあられもない真実をぶちまけてちまったか?と、思わざるを得なかった。 というかそう思わせることも作家の技かもしれないが、それならば、見事かもしれない。 最後はなんだか説教臭くなった気もして青臭いが、ニヤニヤしながらも好感は持てた。 まあ、傑作というほど、つまり七竈ほどは評価しないが、これは読んでもよかったとは、 思えたわけです。 | ||||
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「私の男」は、いろんな意味で私的には認められなかったが、この作家自体は、赤朽葉や七竈もいいと思うし、嫌いじゃない。 で、本作だが、まず、第一章の最後で本を思わず駅のホームに叩きつけたいくらい、その安直さに怒りすら覚えたが、 これもある意味、うそ、幻覚、現実、コマコにとっては区別を付ける必要すらない心的現実の出来事だったのかと言う解釈も可能かと思うと、分からないではなかった。 書いてる桜庭氏とコマコの夜な夜な語るうそ話とが溶け合って、必死でうそをひねり出す作家の業というものに、今風の意味ではない痛々しさを感じた。 つまり、「うそ」を編み出すことにかなり身を削っているのだろうということは作中のコマコと同様、想像に難くない。それだけに、この作家の「うそ」の自伝的小説の様相も呈している本作も、読んでいて、「うそ」で通し続けることに限界をきたして、最後になんかあられもない真実をぶちまけてちまったか?と、思わざるを得なかった。 というかそう思わせることも作家の技かもしれないが、それならば、見事かもしれない。 最後はなんだか説教臭くなった気もして青臭いが、ニヤニヤしながらも好感は持てた。 まあ、傑作というほど、つまり七竈ほどは評価しないが、これは読んでもよかったとは、 思えたわけです。 | ||||
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