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赤朽葉家の伝説
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赤朽葉家の伝説の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.77pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全67件 41~60 3/4ページ
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すごいと思いました。 すごい小説です。 桜庭さんの作品の中では、 間違いなくベストだと思います。 裏ベストは『私の男』です。 すでに物語になってしまった、 時代と、せかいと、人と、 そして物語になりえない、 現在。 だから、 世代が進むにつれて加速しながらも、 希薄になっていく物語の密度は、 計算されたものなのだろうと思います。 祖母、母、二代の物語を共に味わうことで、 鮮烈に現れる”わたし”と私の「現在」。 それを受け入れたとき、 この小説とせかいのかたちが見えてきた気がしました。 | ||||
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超能力者の祖母、漫画家の母、現代っ子の自分という3代の女性のお話。 続きが気になって一気に読んでしまった。 おそらく意識的に、年号の記述を少なくしている。 1年2年の違いは問題ではなく、 それぞれの時代を描きたかったということだろうか。 祖母と母の話はいろいろとあり得ない設定になっているが、 現代の瞳子になって急に現実味を帯びている。 その理由は瞳子が平凡であるということに帰着しているのだが、 現代まで現実離れした伝説を読みたかったようにも思う。 | ||||
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ファミリーポートレイトもよいですが、こちらもなかなかの力作。さすが、著者が鳥取出身だけあり、 いろいろな資料を読み解いてかかれているのに好感がもてます。 個人的には、わたしのおとこより数段品がよく好きな作品ですが。 現代の場面(孫の瞳子の時代)になったあたりから、少しまのびした感じ、かったるいかんじは否めません。 まあ、かったるい時代に生きている子たちを描いているからしょうがないでしょうが。推理していく 過程に読み手まで一緒になって、どうなるんだろう?という高揚感が得られませんでした。 | ||||
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「私の男」を読んで、直木賞受賞作家の桜庭一樹って、こんなもんか、、と思ったのもつかの間、「赤朽葉家の伝説」を読んで、桜庭一樹最高っ!となってしまうほどの作品。佐々木譲の「警官の血」が警官の男三代記なら、こちらは名家の女三代記。現代の最高のエンターテインメントクロニクル作品である。これで直木賞受賞であれば文句もあるまい。あ、ちがうのか。。 第1部、最後の神話の時代。戦争終結後の朝鮮特需による、高度経済成長期に差し掛かる時代の物語である。製鉄所を経営する名家、赤朽葉家の奥方であるタツに見出された万葉。主人公であり、語り手である瞳子の祖母である。赤朽葉家に嫁いだ万葉には「未来視」ができるという不思議な力があり、それゆえ千里眼の奥様と呼ばれることになる。彼女は、泪、毛鞠、鞄、孤独という4人の子供、そして夫の愛人の子供、百夜を育てながら、変わりゆく激動の時代、それでいて幻想的なその「最後の神話の時代」を歩んでいく。第2部、巨と虚の時代。高度経済成長期から、バブル景気の時代の物語である。山陰地方を牛耳るレディース「鋼鉄エンジェル」の頭を占める毛鞠。万葉の長女であり、語り手、瞳子の母である。毛鞠、中高生の時。総中流家庭の時代、巨の時代。彼女はレディースの総長として、カリスマ性を発揮する。高校卒業後、バブル景気にさしかかる時代、虚の時代。彼女は自伝的少女漫画「あいあん天使!」でデビュー、漫画家としてカリスマ性を発揮する。そして、「自由」となるはずだった語り手、瞳子を産むのである。第3部、殺人者。この部のタイトル、殺人者とは、万葉のことである。万葉が死の直前に、殺人をしたと告白。現代の時代を生きる、夢も目的もなく生きる瞳子は、その真相を求め始める。 全体の物語の背景を戦後昭和史〜平成史と重ね合わせ展開、しかし、物語そのものは現実離れした幻想的なものである。そのバランスがすばらしく、なんとも懐かしくおもしろい。なによりもおもしろいのは、過去からはじまり、現代まで戻ったときの、私と同世代である瞳子が主人公になったときの心情である。とても共感してしまうのである。 ようこそ、このどうしようもなく、不安に満ち、未来が見えず、混沌としたこの世界、そして美しいこの世界へ。 | ||||
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なんだか最近、ミステリーというジャンルが広義なものになっているようで・・・ 謎がほとんどないような小説なんかも、ミステリーとして出版されています。しかし「ミステリーじゃないからダメ!」という批判は、個人的にどうかと思います。この作品も推理作家協会賞や「このミス」2位をとってしまったために、「こんなのミステリーじゃない!」という批判を多々目にしました。でも、その批判ってどうよ?小説の価値って、やっぱり「面白さ」でしょ?どんなに素晴らしい文学性や謎解きがあっても、面白いと思えなければ、やっぱりそれは面白くない小説なわけで・・・ 作者や出版社がミステリーだと言えば、それはミステリー作品になってしまうのです。早い話が境界線が曖昧なのです。そんな所をつつくよりも、もっと小説としての「面白さ」を評価しましょうよ。そうでしょ? そうじゃないのかなあ。 | ||||
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祖母、母、わたしと、3代に渡る女性が描かれている作品です。 「色」を使った表現を多用するなどし、その背景描写の美しさを感じます。 また、祖母や母の波乱万丈の一生に比べると、「わたし」の章では本人も言っている通り、「語るべき新しい物語はなにもない。」のですが、ここで、祖母、母の一生に潜む「謎」を解決するべく、「わたし」は奔走します。 その謎を解く「手がかり」は、膨大な祖母、母の一生の記述に含まれているごく小さなものであるため、最初読んでるときは「手がかり」とも思わず完全に見落としていました。 ミステリー小説として手ごたえがあるかどうかと言えば、「わたし」の章でミステリー色が出てくる程度のスケールなのですが、それよりも私は、この3人の女性が苦難の中、それぞれの時代を必死に生きている様子の描かれ方に非常に好感を持ちました。 | ||||
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いやー、びっくり。凄く面白かったです。 旧家の女3代ということでドロドロ系を想像してたのですが、 大間違いのアッケラカン系でした。 端的に言ってしまえば、1代目は電波系で、2代目はヤンキーで、 3代目はニートなんですが、全く違うタイプの3代に共通してるのは、 ウソをつけない女たちってことです。 この点がこの小説に妙な爽快感を与えているのではないでしょうか。 自分を過大評価も過小評価もしない正直な女たちに、周囲の 人々が度肝を抜かれ続けるお話です。 こんな家なら田舎の旧家に生まれるのもいいなあ、と思います。 | ||||
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この小説がもつ何とも表現し難い雰囲気というか世界というか、これは読んでみないと分からないように思います。1冊の本がまるで1年分のドラマを見たような気になります。おそらく読者が自分の中でそれぞれのキャラクターや”だんだんの上の真っ赤なお屋敷”をイメージしていくからでしょう。 この小説の大変重要な鍵になると思いますので書きませんが、私はこの作品の最大の魅力は登場人物の名前だと思います。このネーミングがかもしだす独特の世界は他に類が無いでしょう。実に上手いと思いました。中でも黒菱みどりのキャラは最高ですね。 | ||||
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女性にとっての自由とは何か。自由を手に入れることができたのか。 三代を経て、ようやく好きな男と寄り添うことを許された。この小説は50年がかりの恋愛の歴史だと、私は感じた。 近代から現代に移り変わる時代を、駆け足で著者は追う。そのスピードにいささかたじろいだ。 自分にとってあっという間に感じるとしても、それ相応の年月を要して経験を積み重ねてきた。その時間が、限られた紙数の中に折り畳まれて、ほんの数行で片付けられていく。 自分の生きている時代が、いつか未来において歴史として語られるときには、こんな風になると未来視させられたような体験だった。 淡々と描く文章は、古めかしく堅苦しく見せておきながら、人を食ったような表現をさらりと含み、どきりとさせられたり、笑わせられたり。 読み応えがあり、反省も込められつつ、けれども希望の残される、よい本だと思った。しばらく余韻をゆっくり噛み締めていたいと思う。 | ||||
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推理とかミステリーとかそういった先入観は不要。(というか厳密にはそういうジャンルじゃない気がする)勝手に登場人物や人間関係、時代背景が飛び込んでくる。それにそういったこと関係なく面白く読める。読んでいて圧倒されるというのはこういうことだと思った。 物語は現代に生きる赤朽葉瞳子による語りを中心に時系列順に進行。ただその時系列というのが瞳子の祖母、万葉の幼き頃からだというから壮大。祖母、母、そして娘と時代は変わる。戦後やバブル景気といったそれぞれの時代背景の細やかな描写が輪郭を持ち浮き上がる。様々な人が抱く、もしくは抱いてきた気持ちや思いを作者は言葉に直しきってしまったともいえる。時代の変化、人々の心の移り変わり。それらを丁寧に描いたからこそ最後のあの静かな問とその答えがすんなりと読者の心に落ちてきたのだろう。 祖母、母、わたしの三つの章に分かれているが、一番面白くないのはわたしの章だった。本当に語るべきこと無いのだろう。でも私自身が現代に生きる人間だからか一番共感できたのもわたしの章だった。 | ||||
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第一章は確かに伝説ではあるかなと思いましたが、 第二章は伝えたいことがなんだかよくわからないまま終わってしまいました。 第三章では第一章の万葉にだけスポットライトが当たっていて、 いったい第二章はなんのためにあったの?という感じ。 語り手は三代目である瞳子ですが、 主語が「祖母は」とあってすぐ「万葉は」というようにころころ変わるので、 第三者の目から見て話しているのか、瞳子自身が見聞きしたことなのかがよくわからなくて、 頭の中がごちゃごちゃしました。 絵があればわかるのにと思いました。 そういう意味で、これはマンガの原作っぽいですね。 以前「少女には向かない職業」を読んだときも思ったのですが、 絵があれば映えるかなと言うストーリーです。 単なる”小説”と言うジャンルだと思うと少し疑問が残りました。 | ||||
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女系家族の物語を借りて、戦後の男たちの苦闘をこそ描いているようにも読める。 女は弱く愚かしく見えてもその実しなやかに強いが、男たちは時代の要望の容赦ない変化に時にぼっきりと折れてしまう。 それだけに、時代を過敏に反映するのはこの物語の中では実は男の方だ。 それぞれの時代があまりに典型的に描かれすぎている観もあるが、それもまた計算の内だろうか。 万葉を描いた民話的世界、それ自体少女漫画であるかのような毛毬の武勇伝、語り手であり等身大の現代女性である瞳子の平凡な憂鬱、どの物語にも繊細な情感が織り込まれている。 | ||||
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ミステリーといえば、語弊が残るようなお話ですが、「千里眼」の祖母や「漫画家」の母、(特にこの母親の週間連載がすさまじくて、過労死するところなど)ともかく、ああそうだあの時代は、そんな感じかとまるでその時代を生きてきたかのように読めるのですごく面白かったです。 | ||||
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テレビのブックレビューを見て気になっていた本です。最初の万葉の時代から、女三代の約50年の話で、それぞれの時代を生きる様は興味深かった。時代背景がおおざっぱだなぁと思う箇所もあったが、まぁ許せる範囲か…。私が気に入ったのは表紙。タイトルにも合っていてよかった。 | ||||
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ある家系をめぐる物語という意味では『楡家の人びと』や『ブッデンブローク家の人びと』の重厚さを若干彷彿とさせながら、一風変わった多彩な登場人物を巧みにあやつりつつ、一気に読ませるストーリー・テリングの才に脱帽。主人公が(会社を)「やめます」と云ったシーン(289頁)では、思わず拍手しました。(こういうの好きです。)今年の各種トップ・テン上位に入るのも頷ける一作でした。一読をお勧めします。 | ||||
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祝「このミス」第二位。ミステリーというよりも憂国の書として読んだ。 日本が栄光の時代を経てついにここまで落ちてきたことを、再認識させられた。 学生の学力がゆとり教育の弊害で著しく落ち、向学心もなく、普通の大学を卒業しても普通の生活が出来ず、ネットカフェ難民と化しては、結婚も出来ず子供も生まれずますます日本は落ちていく。 低所得者層の月収が生活保護者層の月収より少なくなったので、生活保護費の切り下げを検討しているとは本末転倒の極み。 普通の人が普通の生活をおくれていた時代は甦るのか? 赤朽葉瞳子の未来は日本とともにぱらりらぱらりらと・・・ | ||||
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久しぶりで「筆力」という言葉を思い出した。 同じ形容詞を1つの文で2回使うこともあるし、顔つきはいつでも「かんばせ」だし、無職の趣味人は必ず「高等遊民」だけど、そんなことが瑣末に思えるほどの力業。 女3代と大屋敷の分厚い歴史を恐ろしいほどのスピード感でねじ伏せる。 人物の造形が際だっていて、生々しく目の前に立っているかのよう。人称代名詞を使わないことで臨場感が高まるのかな。 3章「瞳子」は蛇足かと思っていたが、ラストの5行を読んで不明に恥じ入った。この物語は3章を書きたいために作られたのかもしれない。瞳子によって、伝説は現代に紐づけられた。 フィリピンの海老料理店や「ふくぷく茶」などの道具立て、「レッドデッドリーフ」のような小技も効いている。 人と時間が転がり落ち、性懲りもなく再び登ってくる赤い坂道が眼に焼き付いた。 | ||||
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うまく神話的世界が構築されていると思う。 優秀なエンタティメントとしての側面と、文学的側面を持ち合わせている。 『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』などにある桜庭一樹本来の持ち味である、暗くじとじとじとじとした感情の噴出は、もう一つのエキセントリックな女たちと対立し続けている。 この構図はこれまでの桜庭作品に存在した「現実と空想」の対立を発展させたものだといえる。実際、本書にも歴史小説としてのリアリズムを描いたシーンと、ファンタジカルなシーンが同居している。前二部と比べて低く評価されがちな第三部は計算されてやっていると思う。語るべきことはなにひとつないという文章にもそれは滲み出ている。要は、第三部は空白で、そこになにを書くのも読者の自由なのだ。 | ||||
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女系家族に焦点を絞った桜庭一樹版「シンセミア」。 阿部和重はパン屋が支配する地方都市を舞台に様々なエピソードを散りばめ激動の戦後史を炙り出した。 「シンセミア」が視点の拡散を促しカタストロフに至る一大叙事詩だとすれば、「赤朽葉家の伝説」は同じ閉塞感を共有する地方都市を舞台に、旧家三代の女たちを主人公に据えた一大叙情詩。 産道を通り今まさに産まれ出でようとする我が子の生涯を一瞬の内に幻視する千里眼の万葉、暴走族のリーダーとして刹那的に生きたその娘・毛鞠、語るべきエピソードも持たずまだ何者でもない私。 三者三様の人生観と恋愛観が時代の風潮に添っていて興味深い。 桜庭一樹は少女の造形が上手い。 地方都市特有の閉塞感と怠惰を持て余し、しかし表面上はそれらと折り合いを付け、醒めた風を装いながらも内に癒し難い衝動と焦燥とを抱え込んだ少女の姿に切迫したリアルを感じる。 向かうところ敵なしの毛鞠の青春時代も痛快だが、「私」ことその娘・瞳子の現代を象徴するぬるい生き方も身近に感じた。 「熱くなっていいのは恋愛だけ」と女友達との間に暗黙のルールを作り上げ、自分の仕事がただの苦情受付係に過ぎないと上司に啖呵を切り同僚から拍手を受ける。 しかしその拍手も決して熱くはなく、衝動的に仕事をやめたあとも「熱血」や「感動」とは無縁のぬるい日常が相変わらずだらだらと続いていく。 女性陣が強烈すぎて男性陣が総じて霞んでいるのが難だが、「女」になみなみならぬこだわりのある桜庭一樹ならむべなるかな。 万葉は恋する暇もなく母となり、毛鞠はとうとう大人にも母にもなりきれずじまいだった。 「私」は大人になるのを面倒くさがり、子供とも大人ともつかぬ宙ぶらりんの状態のままだらだらと日々を過ごしている。 大人は責任を負う。 嫁は家を負う。 母は命を負う。 そのどれもに恐れに似た忌避と淡い憧憬を感じる瞳子の「今」は、確かに私たちが生きる「今」なのだ。 | ||||
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作品の中心的登場人物である赤朽葉万葉が、空を飛ぶ男を幻視するシーンから、物語は始まる。この鮮やかな導入から、製鉄業を営む赤朽葉家に生きる女(祖母の万葉、母親の毛毬、語り手である娘の瞳子)の3代に渡る物語が悠然と語られてゆく。 物語は「最後の神話の時代」「巨と虚の時代」「殺人者」という、3つの章から成る。中でも、千里眼を持つ祖母、万葉の半生が描かれた最初の章は、マジックリアリズム的ともいえる興趣が横溢していて圧巻だ。 強烈な祖母、母親に比べ、語り手・瞳子の存在感がやや弱く、後半は幾分息切れしてくるきらいはあるものの、全体を通しての読み応えは十分。「物語」の面白さを十分堪能できる作品だ。 | ||||
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