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弥勒
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弥勒の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.45pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全62件 1~20 1/4ページ
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色んな人間が登場して疲れる。物語の舞台は架空都市「パスキム」での顛末であり、前半の女房とのくだりは要らないだろう。終末に活かされる素材ならまだしも、まるで存在しなかったような扱いで終幕して拍子抜けだった。篠田さんの小説は、何か、その場限りの人間を思い付きでポンポン登場させ、その都度ポンポン簡単に始末していく印象。中弛みの無いように、もう少し話を煮詰めて欲しい。本作は分厚い文庫本で、私事全部読み切れるか心配したが、案の定、図書館で借りで(久しぶりに)延長した。 | ||||
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まったくたまたま読んだ。はじめは夫婦や男女の話かと読んでいたが、それどころではない。文学としての深さは私にはわからないが、まるでフィクション(と思いたい)のような悲惨残酷な諸々できごとは、過去のカンボジアポルポト政権、ソ連のスターリン時代、毛沢東の大躍進政策、文化大革命、そして現在もウイグルで行なわれている現実なのではなかろうか。 | ||||
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商品の消毒作業をして頂いた点、取り出し易く商品が傷まないビニール掛けをして頂いた点が良かったです。 | ||||
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宗教とは?と問いかけられる作品。インチキ宗教とスピリチュアルに騙されている人こそ読んで欲しい。 | ||||
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内容は、高評価の皆さんが書いておられる通り、重くて大変な物語ですが、読みごたえたっぷりで、読書の醍醐味を存分に味わえる傑作です。 私が強調しておきたいのは、著者の力量。 凡百の作家がこのストーリーで書いたら、これの3分の1もない分量でラストへ持って行ってしまうのではないかと思うのですが、篠田さんは、これでもかというほどエピソードを積み重ね、主人公にどんどん負荷をかけていって、この分量にしました。 村上春樹さんが、長編小説を書くには体力がいると書いていましたが、この作品には著者のすごいエネルギーを感じます。 絵にかいたような悪人は出てこず、だれもがある意味真面目なのですが、真面目の内容と方向性がみんな違う。 それをさまざまに絡めつつ、リアリティたっぷりに、中だるみもなく転がり続けるように、最後の1行までストーリーがサクサク進んで行きます。 「ゴサインタン」や「聖域」でも感じましたが、本当に実力のある作家だと思いますし、そういう意味でも圧倒される見事な作品でした。 | ||||
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実際には存在しない王国に対する「創造」力が凄まじい。インド-ネパール間の国境に、本当にそのような国があるかのような気がするほどである。宗教・階級制度・支配体制などが創造された上で、革命によって破壊されていく。一国における「革命」をテーマとしている点では同著者の『コンタクト・ゾーン』と同じであるが、凄まじさではこちらが勝る。政治的な信念において――社会主義というよりも――原始共産主義的な革命に着手したものの、徐々にその理想が潰えていく過程が容赦のない描写とともに書き綴られる。650ページを超える大作だが、100ページを超えれば後は一気に読み進められる濃密な内容であり、しかも終わり近くまでカタルシスは一切存在しない。それだけに結末における「ボール紙製の稚拙な」仏塔が圧倒的な重みで胸に迫ってくるのである。 | ||||
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架空の国、精神世界、価値観、3センチくらいの分厚い小説ですが、引き込まれていきました。ただ、こんな風に生き残れる逞しい日本人はいないだろう。 | ||||
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「読書クラブ 本好きですか?」の読書仲間・中谷隆志氏に薦められた『弥勒』(篠田節子著、集英社文庫)を手にしました。 日本のT新聞の事業部員の永岡英彰は、失われようとしている仏像美術保護のため、ヒマラヤの小王国・パスキムに潜入したが、パスキム解放戦線が起こした政変に巻き込まれてしまいます。 「唖然としたまま永岡は堂を出て、堂の裏手にある僧院に続く石畳の庭を歩いていく。そうするうちに、においは一段とひどくなってきた。全身の毛が逆立つのを覚えながら、永岡はゆっくりと僧院に近づいていった。扉は開け放たれていた。永岡は小さく呻き声を上げた。町中では一つもなかったものが、ここにあった。床の上に、ねじれ、積み重なり、無数の死体が、転がっていた。足が震えた。一刻も早く、この町を出ろ、とでも言うように、全身がわなないている。それと相反するように震える足が、屍の方に近づいていく。片腕を建物の外に出し、伸びかけた坊主頭を仰け反らせ、舌をだらりと口から出して絶命している死体は、腐り、褐色に変わっている。腐り落ち、空洞になった目が虚空を睨んでいる。その体を覆った小豆色の衣。その下にも死体。その向こうにも死体。床を埋め尽くして死体がある。どれも舌を出し小豆色の僧衣を身につけた死体の山だ。・・・死体はすべて同じ方法で殺されていた。地面に引き倒し、衣の胸の部分を開き、上腹の皮膚をナイフで切り裂き、そこから手を入れ、肺に穴を開ける。そのとき苦しんで舌を出すので、末期の水をその舌にかけてやる。チベットなどで家畜を屠るときの作法の一つだ。銀の水差しはそのとき使うもので、ここの僧院の修行僧たちは、家畜と同じ殺され方をしていた。しかし家畜と異なり、皮を剥がれ干し肉にはされなかったために、彼らは蠅にたかられ、ただ腐っていく。・・・いつの間にか、マトゥラという尼僧院の中庭に迷い込んでいた。・・・『朗らかで明るかった四百人の尼僧たちが、お腹に穴を開けられ、そこから手を入れられ、内臓を破られて殺されました。それが一番簡単で、楽な死に方だと、(パキシム解放戦線の最高幹部、ラクパ・)ゲルツェンたちは信じているのです。それを慈悲と信じているのです』」。 「(ゲルツェンは)今まで、だれも想像もしなかったような、精神の改革を目指している。これは革命でもクーデターでもなく、宗教改革だ。宗教を否定したものが行なおうとしている宗教改革。僧侶を殺し、もし売ればその代金で大量の武器を買えるはずの貴重な宗教美術を谷に投げ落とし、既存の宗教をすべて否定し、親子や家族の絆を断ち切り、兄弟という言葉でくくられた水平的平等を達成しようとしている」。 「カターから来た女と、この村の男の一人が呼ばれ、並んで立たされた。次に呼び上げられた女と男が、彼らの後ろに行く。カターの女と、村の男や兵士とのカップルが、つぎつぎにできて、並んでいく。まさかと思った。冗談でも余興でもなく、これは集団結婚式らしかった。以前の家庭を解体させ、新たなカップルを支配者が作る、強制結婚だ。それも町の女と村の男という組み合わせの」。 「『ゲルツェンたちは急ぎ過ぎて、すべてを壊していくわ。私たちが村に入り、一つ一つ改善していこうとしたことを、彼は根こそぎ壊して新たなものを作り上げようとしている。けれど、人の心はそんなに簡単に変われない。何十年もかかるのよ』」。 「最初は因習と迷信に縛られた村人、次にはカターから来た医者たち、さらにカターから来た知識階級の人々が、彼ら(パキシム解放戦線)の敵になった。一つ一つ排除していった挙げ句、今度は幹部同士が殺し合いを演じている」。 「永岡は(ゲルツェンに向かって)叫んだ。『ここが理想郷か。無計画で不自然な人口流入によってみんな飢えている。森は丸坊主にされ、農業の伝統は崩され、土地は痩せ、耕地は流され・・・』。『やめろ』。低い声でゲルツェンは遮った。かまわず永岡は続けた。・・・『人の魂は腐らなかったが、子供の魂は兇器に変わった。大人を殴り、殺すことなどなんとも思ってはいない。自分の両親を売って処刑させる。あんたの教えた正義のためだ』」。 「そうした信仰が力を持っていた時代が、パスキムの人々にとって幸福だったのか否かは、だれにもわからない。人々にとって一律に幸福な世界などありえないし、この国にはそれを可能にする全能の神もいない。かわりにあらゆる神を否定しつつ、自ら神になろうとした男がいた。自らの理想の下に、地上の神の国を出現させようとした憂鬱な顔の無神論者がいた。しかし、善悪、貴賤、陰陽、災いと救済といったすべてのものを呑み込んだ、この国の神々、諸仏、妖怪、鬼魔の群れは、不完全な生きものである一人の人間がパンテオンの頂上に居座ることを許さなかった」。 「『私は地獄のような場所に連れていかれ、最愛の伴侶を亡くし、二人の人間を殺し、その他にも誤りから、多くの人と多くの生きものを死なせました。どうか私をお許しください。どうかこの先、国境を無事に越え、保護されるまでの間、私をお守りください。必要な水や食物をお与えください』。(永岡は)そこまで言って、笑いが浮かんできた。なんというわかりやすく、目先のことだけしか考えない祈りなのだろう」。 「俺は人を騙し、人の肉を食い、人を殺した。これは罪なのか、罪は許されるのか、それとも罪も許しも救済も、何も存在しないのか」。永岡の一年に及ぶ異常体験の全てが、この思いに凝縮しています。 行き過ぎた理想主義に対する頂門の一針とすべき作品です。 | ||||
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読ませる小説であることは間違いないが、展開が急で、かつ、盛りだくさんな出来事が起こるので一年以上経っているように思えた。ラストは少し雑なきがするが途中を楽しむための小説ということか。 | ||||
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ヒマラヤの小国・パスキムに潜入してクーデターに巻き込まれたパスキム仏教芸術おたくの物語。悲惨な収容所での生活、刻々と変わりゆくこころの推移が読みどころ。超ヘヴィーでして読み終わったらどっと疲れがでます。しかし収容所での無計画で雑な地雷の敷設の仕方にはビックリ。カンボジアもこうだったのだろうか。 | ||||
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篠田節子の 構想力に ただ ひれ伏すばかり。 つくられた架空の国 パスキム王国。 インドのヒンドゥー教とチベット蜜仏教、 そして土着信仰の濃密に混じり合った独自の文化を持つ国。 イギリスの大学で学んだ 賢王によって 統治されている。 中国とインドに挟まれている。ヒマラヤが見える。 人口 20万人にも満たない国。 外国人には 首都しか 滞在できない。 この国が 濃厚な文化をもっていることを描こうとする。 なぜか パスキム王国の イメージが 浮かんでくる。 地方の美術館から転身した 新聞社の事業部の 長岡。 パーティでは 人垣ができるほどの人気の 長岡の妻 耀子。 ジュエリーコーディネイター アートプランナー エッセイスト。 耀子がしていた 髪飾りが パスキム王国のものだ。 と長岡が 発見することで、物語が 急展開していく。 パスキム王国に何かが起こっていると思い潜入する 長岡。 そこで見たものは、ゴーストタウン化した 街。 寺院には 僧侶が むごたらしく殺されていた。 なぜ? 物語の展開の速さに 目を奪われる。 パスキムの絢爛たる文化が、 しいたげられた農民たちの犠牲の上に成り立っている という 考え方は 一つの側面でもある。 でも 美術は 美術として きちんと守り育てることも 必要であり、それを 全く否定することはできない。 パスキムの暗部に入り込むことで 永岡は そのことに気がつき、興味を失っていくのである。 ニンゲンのなしている行為としての評価が欠落するのである。 ゲルツェンの目指す理想の国が、 人間の創造物をすべて否定して 原始共産制 を目指している。 理想の国のイメージが あまりにも現実と遊離することで、 結果としては 破滅の道を あゆむ。 それにしても 農業における無智さ加減は あまりにもひどすぎるのである。 連作障害 そして 森を破壊して水の道を考慮に入れない。 農業開発は今の中国に似ている。 農業が 自然破壊者であることを 知らな過ぎるので 結果として 滅亡する。 篠田節子の 弥勒には アジアにおけるさまざまな問題が モデルとして 存在するような気がする。 それを 整理して見る必要がある気がする。 それは 農業 というものへの理解に関することで、 毛沢東の 大躍進運動は 農業を十分に理解していないがゆえに おこった悲劇のような気もする。 この作品は ひどく重たい作品だった。 | ||||
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祈り 永岡は日本に帰ることを選ばず地獄のようなパスキム国内に再び入国することを選んだ。日本に戻れば安全で清潔で不自由のない生活が保障されているというのに。 なぜパスキムへ? そんなことがいったいあり得るだろうか? そのあり得ないことを、あり得ることとして描いた。 パスキムにいく前、永岡はビジネスの取引相手に妻を暗黙のうちに「貸す」ことも厭わないような乾き切った人間関係の中で生きていた。 パスキムに入国した後、永岡は政変直後の過酷な状況に巻き込まれて行くのだが、そのなかで日本にいた時にはわからなかった自分を見出して行く。 暴力と飢餓の渦巻く状況の中で怯えながらも人に対して見せる彼の優しさ。スパイだと思われる少年を逃して命を救った。 強制結婚させられた相手であるサンモを始めは拒むが、しだいに心を通わせ愛しさを覚えるようになる。そんな自分の気持ちに戸惑い、「サンモと東京で暮らすことは考えられない」と思っていた永岡だが、やがて愛情が深まっていく。初めて愛した女がかけがいのない存在になっていく心の変化が、細やかな心打つ文で描かれている。二人が最後の時を持つ場面は、深い叙情と悲しみに満ちて美しい。 永岡をそもそもパスキムに導いたのは、きらびやかで高度なパスキム文化だった。彼はパスキム文化の粋とも言える弥勒像を手に入れたが、サンモこそ彼の本当の「弥勒」だったのだろう。 永岡がスパイの少年救ったことで何人もの人が無惨に殺された。 永岡は生きるために人の肉を食った。 彼はサンモの遺体を守るために人の命を奪い、自らの命の危険もかえりみなかった。 宗教禁止の厳しい統制下、亡くなった家族のために祈る心優しい人びとがいた。 永岡は最後に弥勒像を放ち、遊行僧が遺していった段ボールの仏がんを背負うことを選ぶ。これは日本を選ばずパスキムを選ぶことと同じなのではないか。 段ボールの仏がんを背負った永岡は祈りそのものの姿だ。 声にならぬ声で、人間の恐ろしさを叫び、同時にその果てに知った人間のもう一つの姿を訴えているようだ。 祈りは永岡の改心そのものだし、パスキムを生まれ変わらせる力ともなるだろう。 その祈りが、声が、この本から聞こえてくるようだ。 | ||||
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とにかく長い。展開がくるくる変わりますが、衝撃に次ぐ衝撃で、正直言ってうんざりしてしまった。 劇的場面も時折出てくるなら効果をもたらすかもしれませんが、こんなに矢継ぎ早に出されると、 退屈してしまう。まあ、それが著者の物語の醍醐味でもあるのですが・・・今回は、パスです。 | ||||
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読み終ったとき、なぜか心が高ぶり涙が溢れ出るのを止められなかった。 そして、くどくどと言葉を 弄する気が失せてしまった。 圧倒的、この言葉に尽きる。 | ||||
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テーマとしては読み応えがあり、興味深く読めました。 ただ、主役は好感持てないな。 先進国の現代人なら仕方ないけど、気概も信念もなく、目の前の「情実」だけで考えなしに行動して悲惨な事態を起こすきっかけになるトラブルメーカーみたいに思えた。 で、大した罪悪感がない。 自分の為には後悔するが、他者への被害の一翼担った「後ろめたさ」に関しては思考停止してる感じ。 …戻んない方が良いよ。 多分またトラブルメーカーになるから。 と思った。 | ||||
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評価が高いので多くの人にとっては面白いのでしょうが、戦争ものを読みなれている人にはイマイチな可能性もあります。 鎖国している表面的には豊かで幸せな王制国家は、江戸時代のような身分制度があり、虐げられた人たちが蜂起して悲惨な戦乱に突入します。 ブータンをモデルにしていますか?いませんか? カースト制度のあるヒンズー教を批判していますか? その辺が知りたいです。 アマゾンの感想欄にはポルポト政権と書いてありますが。 大国から武器が流入しているとか、そういう批判でもなさそうです。国連なども介入しないようです。 その辺、詳しい意味の分かる人がいたら教えてください。 自分で読み取れなくてすみません。 | ||||
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特にこれと言って特筆すべきことはありません。正直50ページほどで読む気がしなくなりました。 | ||||
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普段は気にも留めなかったが日本のような文明国に生まれて本当に良かったと実感した。カンボジアをモデルにしたのだろうが14歳以下の少年兵士たちが実質大量殺人を行ったことが良く分かった。恐ろしい話だ。 | ||||
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極限に置かれた人間の生き様。これでもかときつい描写が続き食傷気味になるが、最後にほっとする。 教育の行き届かないところでは政治も宗教も紙一重で、狂気を生むさまが生々しい。 これを作り上げた作者は凄い。 | ||||
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書いてある内容も、使われている文言も、特別難解なものはないのに、何故か読み終えるのにエネルギーを使った。 | ||||
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